幽霊横丁
1
俺たちの作った“まよねず”は、この一帯の上流階級を中心に、猛烈な勢いで普及しつつあるという。
「おぞましい……」
女神通りの雑踏の中を歩きながら、“ブルゥ”は仮面の奥でぽつりと漏らした。
「あのような……ただ食べるだけでも罪深いことであろうに、まさか裸で――」
「まだ“不道徳の園”のことを気にしてるのか? もう考えるのはよせ。人間、カネが余ると、ああいう無意味な贅沢をするんだ。たぶん」
普通に食べれば何食、何十食分にもなる量を、あんな使い方をするなんて。
不愉快なのは俺も同じだったが、無駄遣いしてくれるのはありがたい。その分、早く消費してくれるということでもあるのだから。とはいえ――、
「“ブルゥ”、少し気になることがある」
「気になること? なんだ?」
「たぶんだが――第六天使は嘘を吐いてる」
あの女の言動には、不自然な部分が多すぎた。
「どうして第六天使は、次も10キロでいいと言った?」
「なにを言っているのだ、“クピド”よ。スー兄様のせいと言っていたではないか」
「いいや、あれこそ、きっと嘘だ」
部屋の中だけでマヨネーズをあんなに無駄遣いしてたんだぞ?
10キロ程度で足りるはずない。
「それは、そうかもしれぬが……。あの部屋でしか使ってないのではないのか? 販路がなく、あそこでしか売られていないというなら、そこまで量は使うまい」
なるほど、“ブルゥ”の話なら辻褄は合う。――もちろん第六天使のギルドがその程度の規模の商売しかできないというなら、それはそれで大問題だが。
しかし、俺は別の可能性を疑っていた。
「これは、俺の推測にすぎないが……あの女、混ぜ物でマヨネーズの量を水増ししてるんじゃないか?」
「なんだと!?」
だからこそ、あの女は先ほど俺に『混ぜ物なしで持って来い』などという言い方をしたのではないか?
自分が混ぜ物をしているから、そのような発想に至ったのでは?
そんな疑念が浮かんでいた。
俺は自分の服に、わずかだがマヨネーズが付着していることに気がついた。第六天使が俺をコチョコチョとくすぐったときについたのだろう。
指で拭い取り、舐めてみる――。
「どうだ、“クピド”?」
「舐めなきゃよかった」
マヨネーズに様々な味や臭いが混じっていた。他の調味料の味ならまだしも、人間の体臭や汗、香水などの味や臭い。どう使われていたマヨなのかを思い出せば当然のことだ。俺はペッと地面に唾を吐く。
そんな不潔な臭いに混じって鼻腔の奥で、あの匂いをわずかに感じた。――近頃、よく嗅ぎ慣れたあの匂いを。
2
『混ぜ物をしてるか』だけを確かめるなら、そう難しいことじゃない。
「カーラ、この仮面でどうだ?」
「うむ……。問題あるまい」
ミ・メウス市には、治安の悪さで有名な地区が二つある。
一つは第六天使が牛耳る『女神通り』。もう一つは『幽霊横丁』と呼ばれる貧民街だ。
俺とカーラは、いつものとは別の仮面を買い――ホッケーマスクに少し似た、白くてただ顔を隠すだけの仮面だ――それで変装して、幽霊横丁の貧乏市を訪れる。
さすがは貧民街。狭くて汚く、どぶ水と立小便の臭いがあちこちから漂ってくるが、とはいえ本当に貧乏人しか歩いていないというわけでもない。治安の悪さを生かして、盗品売買や売春、それに小規模ながらも調味料の売買も行われていた。
「キョーイチローよ、また前みたいに暴れればいいのか?」
「いや、今回はコソコソやろう」
ミ・メウス市も二度目だ。だんだんガラの悪い場所に慣れてきた。
人ごみの中を歩いていると、ところどころで――、
「――らめぇ!」
「――あひぃン!」
といった声が聞こえた。
「見つけたな」
「うむ、キョーイチローよ」
俺たちが嬌声の方へと向かうと、その途中、一人の男が声をかけてくる。
「おゥ。お前ぇら、買い物かい?」
物売りのチンピラだ。
青鼠のステッジもそうだったが、暗黒街の住民というのは余所者の臭いに敏感だ。新品の仮面で歩く俺たちを『スリルを求めて来たおのぼりさん』 だと見抜いたらしい。
「どうだい、仮面の旦那がた? いいモンあるぜ」
「いいモン? なんだ? ものによっては買ってやるぞ」
俺がそう返事をすると、男はいかにも『カモが引っかかった』と言わんばかりの顔をした。男は舌なめずりでもしそうなほどの勢いで、上着のポケットから『商品』を見せる。
「調味料だ。塩に酢、胡椒、トウガラシ、いろいろあるが……最近のお勧めはコイツだぜ。この界隈じゃ、俺から買うのが一番安いし質もいい。――見な」
最初から大当たりだ。こんなに上手くいくとは運がいい。
男が出した商品は、軟膏を入れるような小さな容器。
中身は、どろりとした白い粘液――つまりはマヨネーズだ。
「こいつは“まよねず”。ウワサは聞いてんだろ? 魔物の棲む暗き森の大火山で、冬眠中のドラゴンの夢精から作った調味料さ。味は最高。その上、精力増進。寿命も延びる。――この入れ物なら銀貨一枚。舐めるだけなら銅貨五枚だ」
なかなか悪くない口上だ。――とはいえ、嘘ばかりだった。マヨネーズに精力剤の効果はないし、ましてやドラゴンの精子など材料に使っていない。
(それに、この小さな入れ物で銀貨一枚か……)
末端価格とはいえ、ずいぶんとぼったくる。
「仮面の旦那、まずは味見で舐めるか? 最初だから銅貨四枚に負けてやんぜ」
「そうだな。舐めよう」
銅貨を渡すと、男は匙を使って、俺の手の甲にマヨを一塗り。まるでデパートの香水売り場だ。香水というのは、こうやって手の甲に塗って試し嗅ぎをすると聞く。
ともあれ、俺は手の甲に塗ったマヨネーズを舐めるが――。
「ふうん……」
俺の作ったマヨと、そこまで変わらぬ味だった。
なにか混ぜ物をしているようでもあったが純度はさほど低くない。試食用には高品質のものを使っているということだろうか? 悪臭漂うこの貧乏市ではわかりにくい。
「……? 旦那、舌に会わねえか? 普通はコイツを舐めると『らめえ』とか『ひぎい』とかって悲鳴を上げるモンなんだが」
「いいや、気に入った。容器入りの方も買おう。銀貨一枚だったな」
「おう……」
俺は銀貨を渡して容器を受け取り――そして、その場で指につけて一舐めする。
「なるほど……。やっぱりか」
思った通りだ。容器入りの方は、味も品質もひどく悪い。
最低のマヨだった。
つまり試食用は高品質、容器入りは低品質の品というわけだ。まずは試食で気に入らせてから、この駄マヨを売りつけるということらしい。まったく、あくどい商売だ。
(だが、この容器入りのマヨは……混ぜ物はしてないのか? これは、まさか――!!)
俺とカーラはその場から離れ、うんと小さな声で言葉を交わす。
「どうだ、キョーイチローよ? 混ぜ物は入っていたか?」
「いいや、してなかった。少なくとも容器入りの方はだ」
「そうか。ならば安心だな」
「いや、違う……」
全くの逆だ。少しも安心できる要素などない。
判明した事実は、信じがたいものだった。歩きながら容器のマヨをもう一舐めし、俺ははっきりと確信する。
「よくないぞ。この容器の中身は、純度100%のマヨネーズだ」
「む……? どういうことだ、キョーイチローよ? 純粋な“まよねず”ならば結構なことであろう? なにも混ぜていないのだからな」
「ああ、混ぜ物なしのマヨだ。ただし――俺たちの作ったものじゃない! これは……、
俺たち以外の『 だれか別のやつが作ったマヨネーズ 』なんだよ!!」
「なんだと!?」
味を見ればすぐわかる。
これは俺たちじゃないだれかの作った、俺たちのよりもうんと低品質なマヨネーズだ。
「信じられないことだが、俺たち以外にマヨを作ったやつがいる……!」
この世界に、俺以外にもマヨネーズの製法を知っている者がいるなんて――!!




