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幽霊横丁

 俺たちの作った“まよねず”は、この一帯の上流階級を中心に、猛烈な勢いで普及しつつあるという。


「おぞましい……」


 女神通りの雑踏の中を歩きながら、“ブルゥ(カーラ)”は仮面の奥でぽつりと漏らした。


「あのような……ただ食べるだけでも罪深いことであろうに、まさか裸で――」

「まだ“不道徳の園”のことを気にしてるのか? もう考えるのはよせ。人間、カネが余ると、ああいう無意味な贅沢をするんだ。たぶん」


 普通に食べれば何食、何十食分にもなる量を、あんな使い方をするなんて。

 不愉快なのは俺も同じだったが、無駄遣いしてくれるのはありがたい。その分、早く消費してくれるということでもあるのだから。とはいえ――、


「“ブルゥ(カーラ)”、少し気になることがある」

「気になること? なんだ?」

「たぶんだが――第六天使(シクス)は嘘を吐いてる」


 あの女の言動には、不自然な部分が多すぎた。


「どうして第六天使(シクス)は、次も10キロでいいと言った?」

「なにを言っているのだ、“クピド(キョーイチロー)”よ。スー兄様のせいと言っていたではないか」

「いいや、あれこそ、きっと嘘だ」


 部屋の中だけでマヨネーズをあんなに無駄遣いしてたんだぞ?

 10キロ程度で足りるはずない。


「それは、そうかもしれぬが……。あの部屋でしか使ってないのではないのか? 販路がなく、あそこでしか売られていないというなら、そこまで量は使うまい」


 なるほど、“ブルゥ(カーラ)”の話なら辻褄は合う。――もちろん第六天使(シクス)のギルドがその程度の規模の商売しかできないというなら、それはそれで大問題だが。

 しかし、俺は別の可能性を疑っていた。


「これは、俺の推測にすぎないが……あの女、混ぜ物でマヨネーズの量を水増ししてるんじゃないか?」

「なんだと!?」


 だからこそ、あの女は先ほど俺に『混ぜ物なしで持って来い』などという言い方をしたのではないか?

 自分が混ぜ物をしているから、そのような発想に至ったのでは?

 そんな疑念が浮かんでいた。


 俺は自分の服に、わずかだがマヨネーズが付着していることに気がついた。第六天使(シクス)が俺をコチョコチョとくすぐったときについたのだろう。


 指で拭い取り、舐めてみる――。



「どうだ、“クピド(キョーイチロー)”?」

「舐めなきゃよかった」



 マヨネーズに様々な味や臭いが混じっていた。他の調味料の味ならまだしも、人間の体臭や汗、香水などの味や臭い。どう使われていたマヨなのかを思い出せば当然のことだ。俺はペッと地面に唾を吐く。


 そんな不潔な臭いに混じって鼻腔の奥で、あの匂い(・・・・)をわずかに感じた。――近頃、よく嗅ぎ慣れたあの匂いを。




『混ぜ物をしてるか』だけを確かめるなら、そう難しいことじゃない。


「カーラ、この仮面でどうだ?」

「うむ……。問題あるまい」


 ミ・メウス市には、治安の悪さで有名な地区が二つある。

 一つは第六天使(シクス)が牛耳る『女神通り』。もう一つは『幽霊横丁』と呼ばれる貧民街だ。


 俺とカーラは、いつものとは別の仮面を買い――ホッケーマスクに少し似た、白くてただ顔を隠すだけの仮面だ――それで変装して、幽霊横丁の貧乏市(びんぼういち)を訪れる。


 さすがは貧民街。狭くて汚く、どぶ水と立小便の臭いがあちこちから漂ってくるが、とはいえ本当に貧乏人しか歩いていないというわけでもない。治安の悪さを生かして、盗品売買や売春、それに小規模ながらも調味料の売買も行われていた。


「キョーイチローよ、また前みたいに暴れればいいのか?」

「いや、今回はコソコソやろう」


 ミ・メウス市も二度目だ。だんだんガラの悪い場所に慣れてきた。

 人ごみの中を歩いていると、ところどころで――、



「――らめぇ!」

「――あひぃン!」



 といった声が聞こえた。


「見つけたな」

「うむ、キョーイチローよ」


 俺たちが嬌声の方へと向かうと、その途中、一人の男が声をかけてくる。


「おゥ。お前ぇら、買い物かい?」


 物売りのチンピラだ。

 青鼠のステッジもそうだったが、暗黒街の住民というのは余所者の臭いに敏感だ。新品の仮面で歩く俺たちを『スリルを求めて来たおのぼりさん(・・・・・・)』 だと見抜いたらしい。


「どうだい、仮面の旦那がた? いいモンあるぜ」

「いいモン? なんだ? ものによっては買ってやるぞ」


 俺がそう返事をすると、男はいかにも『カモが引っかかった』と言わんばかりの顔をした。男は舌なめずりでもしそうなほどの勢いで、上着のポケットから『商品』を見せる。


「調味料だ。塩に酢、胡椒、トウガラシ、いろいろあるが……最近のお勧めはコイツだぜ。この界隈じゃ、俺から買うのが一番安いし質もいい。――見な」


 最初から大当たりだ。こんなに上手くいくとは運がいい。


 男が出した商品は、軟膏を入れるような小さな容器。

 中身は、どろりとした白い粘液――つまりはマヨネーズだ。


「こいつは“まよねず”。ウワサは聞いてんだろ? 魔物の棲む暗き森(クエルセス)の大火山で、冬眠中のドラゴンの夢精から作った調味料さ。味は最高。その上、精力増進。寿命も延びる。――この入れ物なら銀貨一枚。舐めるだけなら銅貨五枚だ」


 なかなか悪くない口上だ。――とはいえ、嘘ばかりだった。マヨネーズに精力剤の効果はないし、ましてやドラゴンの精子など材料に使っていない。


(それに、この小さな入れ物で銀貨一枚か……)


 末端価格とはいえ、ずいぶんとぼったくる。


「仮面の旦那、まずは味見で舐めるか? 最初だから銅貨四枚に負けてやんぜ」

「そうだな。舐めよう」


 銅貨を渡すと、男は匙を使って、俺の手の甲にマヨを一塗り。まるでデパートの香水売り場だ。香水というのは、こうやって手の甲に塗って試し嗅ぎをすると聞く。

 ともあれ、俺は手の甲に塗ったマヨネーズを舐めるが――。


「ふうん……」


 俺の作ったマヨと、そこまで変わらぬ味だった。

 なにか混ぜ物をしているようでもあったが純度はさほど低くない。試食用には高品質のものを使っているということだろうか? 悪臭漂うこの貧乏市ではわかりにくい。


「……? 旦那、舌に会わねえか? 普通はコイツを舐めると『らめえ』とか『ひぎい』とかって悲鳴を上げるモンなんだが」

「いいや、気に入った。容器入りの方も買おう。銀貨一枚だったな」

「おう……」


 俺は銀貨を渡して容器を受け取り――そして、その場で指につけて一舐めする。


「なるほど……。やっぱりか」


 思った通りだ。容器入りの方は、味も品質もひどく悪い。

 最低のマヨだった。


 つまり試食用は高品質、容器入りは低品質の品というわけだ。まずは試食で気に入らせてから、この駄マヨを売りつけるということらしい。まったく、あくどい商売だ。



(だが、この容器入りのマヨは……混ぜ物はしてないのか? これは、まさか――!!)



 俺とカーラはその場から離れ、うんと小さな声で言葉を交わす。


「どうだ、キョーイチローよ? 混ぜ物は入っていたか?」

「いいや、してなかった。少なくとも容器入りの方はだ」

「そうか。ならば安心だな」

「いや、違う……」


 全くの逆だ。少しも安心できる要素などない。

 判明した事実は、信じがたいものだった。歩きながら容器のマヨをもう一舐めし、俺ははっきりと確信する。


「よくないぞ。この容器の中身は、純度100%のマヨネーズだ」

「む……? どういうことだ、キョーイチローよ? 純粋な“まよねず”ならば結構なことであろう? なにも混ぜていないのだからな」

「ああ、混ぜ物なしのマヨだ。ただし――俺たちの作ったものじゃない! これは……、



 俺たち以外の『 だれか別のやつが作ったマヨネーズ 』なんだよ!!」



「なんだと!?」


 味を見ればすぐわかる。

 これは俺たちじゃないだれかの作った、俺たちのよりもうんと低品質なマヨネーズだ。


「信じられないことだが、俺たち以外にマヨを作ったやつがいる……!」


 この世界に、俺以外にもマヨネーズの製法を知っている者がいるなんて――!!


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