道徳の門
1
俺たちが案内されたのは、地下に造られた隠し部屋だ。
石造りの狭い廊下を通り、隠し扉を開けて、さらに秘密の階段を降りたその奥――。
「前の部屋じゃないのか?」
俺が訊ねると、ステッジは卑屈な笑いを浮かべて返事をする。
「へえ。今から案内するのはお偉いさんだけが入れる部屋――“不道徳の園”でさあ」
「お偉いさん?」
「そうでさあ。さすが旦那がた、会って二度目で入ることを許された人なんざ初めてですぜ。――アッシはこの先には入れねえんで失礼しやす」
ステッジは去り、“クピド”と“ブルゥ”だけが重い鉄の扉の前に残される。
扉を開けると、その中では……。
(……なるほど、不道徳の園だ)
マヨネーズに塗れた男女が、何十人となく絡み合っていた。
薄暗い部屋の中、高貴そうな老人から奴隷の幼い少年まで。
そこにいたのは皆、裸。一糸纏わぬ全裸の姿。肌色とマヨの白色の空間だ。互いのマヨを舐め取る舌だけが、赤くチロチロと動いていた。
「なんだ、これは! なんという……!!」
俺の横では“ブルゥ”が不愉快を露わにしていた。
「何人か、見たことのある顔がいる! 国の要職にある者や、名高い僧も……。このような光景、あってはならぬものだ! 今すぐ炎で焼き払ってしまいたい!」
ずいぶんと乱暴なことを言う。とはいえ俺も同じ気持ちだ。
(こんな、汚い……!! 俺の作った最高のマヨを!)
ぎりり、と奥歯を噛み締めた。と、そんなとき――。
「おお“クピド”! お前ぇらか!」
「第六天使……」
彼女も、裸だ。またも裸だ。前回と同じく腰布一丁という姿。
しかも客たちと同様、マヨネーズに塗れて真っ白だ。
右の乳首の部分だけが、客に吸わせていたらしく、本来の薄桃色が露わになっていた。
「いやいやいや、よく来てくれた! 見ろ“クピド”、お前ぇらの品物は大好評だ!」
「黙れ、第六天使。これはどういうことだ? 俺のマヨネーズは食用だぞ。食い物を大事にしない客には品物を売りたくない」
あとにして思えば、余計なことを言った気がする。
“ブルゥ”は声を潜めて『よく言った』と言ってくれたが、とはいえ商売相手――それも暗黒街の顔役に、わざわざ言うようなことではなかった。
お祖母様も言っていた。『――どんなマヨネーズも、出口の形に合わせて星型になる』と。つまりは『状況に合わせて自分を変えろ』ということだ。
第六天使は一旦、俺たちをじろりと鋭く睨みつけて威圧したのち――、
「ふへへッ、そう怒るんじゃねえよ。ふにゃはははッ」
と、しらじらしく笑って、ことさらに敵意のないことを強調してみせた。
「お前ぇら、仮面の下で怒ってるだろ? けど、そんな顔すんなって。スマイルだ、スマイル。ほら、スマ~イル。コチョコチョコチョ」
この一見『裸の幼女』の女ボスは、一方的にまくしたてながら俺へと近づき、そして背伸びしながら俺の腋をくすぐった。なぜか“ブルゥ”は不機嫌そうに見えた。
「ほら、笑えよ? たしかに、お前ぇの気持ちもわかる。『俺の商品は、デブった薄らみっともねえ金持ちジジイに塗りたくるためのもんじゃねえ』ってな。偉い! 立派な職人魂だ! モノを作る人間ってなぁ、そうでなきゃいけねえ! けどなぁ……」
『けどなあ』? けど、なんだというんだ?
「けど、ここにいる客たちも、そう捨てたもんじゃねえんだぜ? 味のわかる美食家ばかりだ。そんな贅沢暮らしの長ぇお歴々が、お前ぇの“まよねず”が最高だって褒めてくださってる。――こりゃあ、名誉なことと考えていいんじゃねえか?」
「多少、見た目が汚らしくても、か?」
「へっへ、そういうこった」
この女、さすがに口が上手い。
「それでも納得できなきゃ『美食家だから全身で味わってる』と思えよ。実際、コイツら味にうるせえんで面倒くせえんだ。――それよりお前ぇら、品物の追加は持ってきたか?」
「……当然だ」
“ブルゥ”に担がせた壷、三つ。――計10キロのマヨネーズだ。
「味見しろ、第六天使。作り方を少々変えた。それと、金額に色をつけろ」
「なンだと!? 手前ぇ、欲張る気か? それとも、まだ機嫌が悪ぃのか?」
「違う。前のよりずっと美味いからだ。――1・2倍の値上げだ。10キロで銀貨120枚よこせ。それと、次回から取引量を倍に増やせ。それだけの価値はある品だ」
「マジか……? あんまりデケぇ口を叩くもんじゃねえぞ。そこまで言って、たいしたことねえようなら――」
そう言いながら壷を一つ開け、匙で一舐め――、
「はぅううウウウウウうううううううううううううううううううううんッ!?」
いつものやつだ。第六天使は、がくん、とその場で膝をつく。
案の定、といったところか。
「な……なんだ、この味は! そう、これはまさしく天国の味――いや、地獄の味! 花か果物のような香りが、花畑の春風のように鼻の奥を吹き抜ける!」
相変わらず、表現がちょっと詩的だな?
しかも、彼女は床へとへたりこみ、体をブルブルと小刻みに震わせていた。部屋が薄暗くてよくわからなかったが、もしかすると失禁していたのかもしれない。足元が湿って湯気が立ってた。
「ああ、刻が見える……。時間が目の前を瞬いてる。時の流れに置いていかれ、ただ立っているだけなのに目の前を景色が駆け抜けていくようだ……!! ――ははッ!“クピド”よぉ、お前ぇはやっぱりスゲェ! この商品、“アレ”とは比べ物になんねぇ!」
“アレ”? あれとは? 前に売ったマヨネーズのことか?
(ついさっきまで使っていたマヨを“アレ”と呼ぶのは妙な感じだが――)
とはいえ、第六天使は半分酔っ払っているような状態だ。多少、言動に整合性がないのは普通だろう。
「いいだろう、“クピド”! 10キロで銀貨120枚払おう!」
「そうだろう?」
この女なら、そう言ってくれると思ってた。
悪党らしく快楽に貪欲で、それ故にマヨの価値をよくわかってくれる女だ。
「だがよぉ……量は今のままでいい。10キロだ」
「なんだって? 第六天使、正気か? 俺のマヨだぞ!? この味なら飛ぶように売れるに決まってるだろ!」
「そう言うな。こっちもいろいろ事情があんだよ。ほら、なんつうか……そんなに大量には売るアテがねえ。巡回判事が休暇を早く切り上げやがったんでな。それで思ったほど販路を広げられなかったんだ」
カーラの従兄のスー・キリルのことか。
俺の横で“ブルゥ”がピクリと反応していた。俺たちは巡回判事がなぜ早く帰ってきたかを知っていた。
「とにかく10キロだ。10日後に持ってきやがれ。――いや待て、小さい容器に分けて1キロだけ余計に作ってこい! 俺が自分だけで楽しむ分だ! |お前ぇの作った最高の品を(・・・・・・・・・・・・)! 混ぜ物なしでだぞ!」
「……わかった、そうしよう」
“クピド”と“ブルゥ”は再び鉄の扉から、この汚らしい部屋を後にする――。
この女は、なにか俺に隠している。
――それは、直感的に察しがついた。




