仮面の行方(後編)
1
「僕が贈った、舞踏会用の仮面――君は今でも持っているか?」
「――っ! 仮面、ですか? どうして仮面のことなど……?」
「いいから聞かせてもらいたい。今はどこに仕舞ってある?」
カーラは『どうして』と訊き返したが、本当は理由くらいわかっている。
ミ・メウス市の城門広場で会った人物――赤い仮面の兜の女が、カーラでないかを疑っているのだ。間違いない。
(どうやって誤魔化す? 俺が方法を思いつかなければ……。カーラみたいな不器用な女には、なにも考えつけないに決まってる。だが――)
俺も咄嗟には思いつかない。こんな状況、想定外だ。
(仮面のことを誤魔化して、なおかつ、可能なら城の馬小屋に来させない方法は……)
俺はただただ困惑し、何秒もの間、沈黙の時間が流れた。そして――、
先に答えを見つけたのは、俺でなくカーラの方だった。
「ごめんなさい、スー兄様……。仮面は――少し前に、売ってしまって……」
その声は、わずかに震えていた。
できれば、このような言葉は口にしたくなかった。――語調からは、そんな意思が見受けられた。
「売ったのか?」
「そう……。知っての通り、我が城は、その――」
『金銭的に困窮しているから』の部分は省略したが、スー・キリルには伝わったらしい。
「それはわかるが……しかし、手紙かなにかで一言くらい相談してくれてもよかったろう? 金は多少なら貸すこともできたし――それに、もらった仮面を内緒で売るなんて、イースの淑女のすることじゃない」
やはり『舞踏会の仮面を贈る』という行為は、特別な意味を持つものらしい。
「ごめんなさい、言い出せなくて……。それと、本当の家族のように思っていたスー兄様の心を、できれば傷つけたくなかったから……」
「どういうことだ?」
「それは、つまり――」
カーラはなぜか俺の方に、一瞬だけチラリと目をやった。
本当に、ほんの一瞬。俯き、顔をいつものように赤くしながら。
そんな彼女を見てスー・キリルは、かっ、と目を見開き――、
「……そういうことか」
とだけカーラに返事をする。
彼もまた従妹と同様、ポーカーフェイスが得意な方ではないらしい。顔色こそ変わっていなかったが、拳はわなわなと震えていた。怒りの感情を押し殺していたようだ。
(……? 今のやりとり、どういう意味だ? なにが『そういうこと』なんだ?)
「スー兄様、ごめんなさい。でも、私は――」
「いいや、それ以上言うな。聞きたくない……。だが、それも仕方のないことかもしれん。カーラ・ルゥ・グレンセン、幸せになるのだぞ」
俺には理解の及ばぬやり取りの末、スー・キリルは馬首を返し、来た道をそのままミ・メウス市へと去っていく。
馬が高級なものであるからか、彼の姿は瞬く間に見えなくなった。
「カーラ……さっきのやりとり、どういう意味だったんだ?」
「それは、その……。き、気にするな、キョーイチローよ! 貴様が気にすることはない! グレンセン家にだけ伝わる儀式のようなものだ! わかったか!」
「ああ、うん……」
やはり意味はわからなかったが、カーラがなにかを誤魔化しているのだけはわかった。
だが、ともあれ――俺たちは、危機を一つ乗り越えた。
それだけは確かな事実だ。
2
(私は、スー兄様を傷つけてしまった……)
その晩、カーラはベッドの中で後悔した。
あの場をしのぐためだけに、スー・キリルに嘘をついてしまった。
贈られた仮面を売ったなど――それも、彼への愛情が薄れたから売ったなどと。
問い詰められたときに、カーラはちらりとキョーイチローの方を見た。勘のいいスーならば、それだけで『彼女が召使いに心変わりした』と察してくれたに違いない。
『――仮面を売ったのは、スー以外に好きな男ができたからだ』と。
(ああ、ごめんなさい、ごめんなさい……)
自分は、大切な人を裏切った。
スーのことを異性として想っていたわけではないが、それでも彼は親友であり本当の兄のように慕っていた。そんな男の心を踏みにじってしまった。
(これが、キョーイチローの言っていた『悪』の道……。もう、だれからも愛される資格はなくなった……)
後戻りできない修羅の道だ。
(しかし……仮面を売ったのは嘘ではあるが、キョーイチローへの心変わりは――)
――いいや、それを口にする資格などない。気づいてもらう資格もなかった。
3
俺たちがマヨネーズを売りにミ・メウス市に向かったのは、翌々日のことになる。
これで二度目のミ・メウスだ。乗り物酔いに耐えながら、おんぼろ馬車に揺られて二日弱の道のりを進み、ついに悪徳の都へと到着する。
そして、女神通りの第六天使亭――。
顔には、また例の仮面を被っている。なぜかカーラは、前回以上に寡黙にしていた。
「へへッ。“クピド”の旦那と“ブルゥ”の旦那、どうぞこちらに」
「お前か。今はこの店で働いてるのか?」
白い狐面の“クピド”と赤い仮面の“ブルゥ”に変装した俺たちを出迎えたのは、いつぞやの客引き“青鼠のステッジ”だった。
「へえ、そうでさあ。旦那がたを親分に引き合わせた手柄で出世しやして。今じゃ、こうして店のホールで働いてやす」
「そうか。だったら前回、殴ったことは謝らなくていいな」
店内にはステッジ以外にも“ブルゥ”が殴り倒した相手が何人も居合わせていたが、しかし俺たちに憎悪を向けている様子はなかった。不思議なものだ。
「第六天使の部下は、ずいぶんと躾けが行き届いてるな? もっと嫌われてると思っていたのに」
「おや、こないだのことを恨んでるかとお思いで? へっへ、そりゃまあ、少しは……。けど、アッシらは暴力の世界に生きる身の上。“ブルゥ”の旦那みてぇに滅茶苦茶つええお人には、うんと敬意を払うってもんですぜ。恨むどころか人気者になってまさあ」
確かに皆、“ブルゥ”を憧れの目で見ている気もした。
なるほど、たしかに人気者だ。意外と、裏社会に向いてる女であるのかもしれない。
「そういうことか。だが、この“クピド”は違うってことか?」
「まあね。へへっ。けど“クピド”の旦那は“まよねず”を作った人だ。そんな人には手は出さねえ」
『恨んでない』でなく『手は出さない』ときた。つまりは恨んでいるというわけだ。
「でも、アッシは“クピド”の旦那のこと好きですぜ? アッシも旦那と同じく腕力はねえ方なんで。だから、他人に喧嘩させてデカい顔してる旦那に憧れやす」
「褒められた気はしないが一応礼は言っておく。――チップだ。お前から仲間に分けろ」
そう言って、俺は小瓶に入れたマヨネーズをステッジに与えた。分量、およそ五〇グラム。
チップの代わりだ。たまには気前のいいところも見せておこう。
「こんないいモンを!? へっへっへ、ありがとうございやす。――第六天使の親分はこちらでさあ」
薄暗い地下を、俺たちは奥へ奥へと入っていった。
――比喩で言ったつもりはないが、俺とカーラの人生と同じだ。




