仮面の行方(前編)
1
ここはフィル=セロニオ郷の村はずれ。
街道沿いではあるものの、ミ・メウス市から馬車で一日強はかかる距離だ。なにかの偶然で通りかかれる場所ではない。
そんな場所で、俺たちはカーラの従兄スー・キリルに遭遇した。
(さては、カーラに会いに来たのか? この男、カーラに気があるようだから……)
そのくらい、俺にもわかる。ミ・メウス市で遭遇したときの反応は、いかにもそんな感じのものだった。
そういえば、カーラは『仮面舞踏会用の仮面を贈られた』と言っていた。
もしかすると、あれはプロポーズや愛の告白を意味する行為――この世界の貴族特有の儀式かもしれない。
(だとすれば美男美女のカップルだな。従兄だけあってカーラと似てて、よく整った顔立ちをしてる……)
不思議なことに、胸が少しだけチクリとした。
サラブレッドに似た『ちゃんとした馬』の背で、スー・キリルは俺たちへと目を向ける。
“でこぼし”号のおんぼろ馬車には、御者席にカーラ、荷台に俺。――本当なら、俺は幌の内側に隠れていたかったが、迂闊にも中から顔を出してしまっていた。姿を見られた以上、今さら隠れるのは不自然だろう。
スー・キリルは、一旦ちらりと俺を見て――ほんの一瞬だが、その視線は刃物のように鋭く攻撃的だった――しかし、なんの反応も示さぬまま、カーラに対して語り出す。
「カーラ・ルゥ……いや、カーラよ、久しいな。僕は最近、巡回判事としてミ・メウス市に派遣された。シアーテルズ姫の領地からは近いので、こうして挨拶に参ったのだ」
「それは、スー兄様、ご丁寧に痛み入ります……」
「うむ。本当はすぐに伺うべきであったのだが――忙しくてな。大仕事があったのだ」
知っている。その大仕事とは、塩ギルドの大規模な取り締まりだ。今日、オークから聞かされた。
「それに“まよねず”とかいう調味料が、都市内にはびこり始めた。我らがどれほど苦労しようと結局、ミ・メウスは背徳の都のままだ。――いや、前より悪くなっている。特に上流階級の堕落がひどい」
「そうですか……」
それも知ってる。原因は俺たちだ。
また胸がチクリとしたが、これは先ほどと違って明らかに罪悪感によるものだった。きっとカーラも同じだろう。
「ともあれ、シアーテルズ姫のご苦境は存じている。なにか、僕にできることがあればいいのだが――」
そう話をしながらスー・キリルは、また一瞬だけ、俺の方へと目線を向ける。――カーラはそれに気づき、わずかに困惑の色を浮かべた。
「カーラよ、その者は?」
「この男は……我が家の新しい召使いです。キョーイチローと申します」
「ふうん? アーテルズ家では、騎士が馬を御して、召使いが荷台に乗るのか?」
それは、露骨なほどに厭味な語調。
やはり、この男はカーラに気があるらしい。少なくとも、俺の存在を不快に思っていることは間違いなかった。
「い、いえ……。この者は馬に乗れず――それで私が御者をしているのです」
「そうか。――すまぬ、カーラ。差し出がましいことを言ってしまった。他家のことに口を挟んだ無礼を許してほしい。それに、キョーイチローとやらも」
「いえ……」
そう言って軽い会釈をしていたものの、彼の目は笑っていない。
(そういえば、俺もカーラも髪が湿ってるな……。酢の臭いを落とそうと水浴びしたから。それに、急いで着替えたから服も少し乱れてる……)
スー・キリルは俺たちの髪や襟元を見つめていたような気がしたが、これは勘違いではないだろう。さすがは巡回判事。鋭い観察力の持ち主だ。
「そ……それよりスー兄様、このまま城へと来られるのですか!? 兄様とお会いできれば、きっと姫様も喜びましょう!」
カーラが強引に話題を逸らすと、彼は俺たちの髪に目を向けたまま問いに答える。
「ああ、そのつもりだ。シアーテルズ姫にお渡ししたい土産もある。――城の馬小屋を借りるぞ」
「――っ!?」
城の馬小屋と聞き、俺とカーラはぴくりと余計な反応を見せてしまった。
スー・キリルの馬は当然ながら馬小屋に繋ぐことになる。――銀貨を隠してあるあの小屋に!
しかも、もうじき夕方だ。こんな時間であり、姫やカーラとは親族同然のつき合いである以上、当然ながら泊まっていくことになるだろう。
(まさか、一晩馬小屋を貸したくらいで、金が見つかるとは思えないが――)
しかし彼の馬が、後ろ足で土を掘り返しているのを見て、俺たちの背筋は寒くなった。どうやら、この馬の癖であるらしい。高級馬のくせにひどい悪癖を持っている。
(この馬が、あの馬小屋に泊まるのか……? 巡回判事の馬が?)
カーラの額から、一筋の汗が流れ落ちた。俺の額からも同様だ。膝に雫がぽたりと垂れる。
どうする? どうすれば、この男は帰ってくれる?
同じことをカーラも考えていたらしい。露骨に顔色が変わっていた。さすがは“紅百合の騎士”と呼ばれるだけはある。ポーカーフェイスを苦手分野とする女だ。
「どうした、カーラ? 顔色が悪いぞ」
「いえ、スー兄様、なんでも……」
「ふむ? ときに、カーラ――カーラ・ルゥ、君に訊きたいことがある」
「なんでしょう、兄様……?」
不自然な態度の従妹を前に、スー・キリルはずばりと切り込むような問いかけをした。
「僕が贈った、舞踏会用の仮面――君は今でも持っているか?」
「――っ! 仮面、ですか? どうして仮面のことなど……?」
「いいから聞かせてもらいたい。今はどこに仕舞ってある?」
訊かれたくなかった質問だ。
カーラの額に、もう一筋、汗が流れた……。




