めかじき
1
オーク油を使ったマヨネーズは、最高の味だった。
俺とカーラは、二人でマヨを容器に詰める。
できあがったばかりの最高のマヨネーズは、前回と同じく計10キロ。三つの壷に分けて入れた。
その後、俺はカーラと二人で水浴びをする。
下着姿で作業したおかげで、顔と髪を洗うだけで済んだ。
濡れた髪も、城に着くまでには乾くだろう。
俺たちは壷を載せた馬車に乗り、小躍りしたい気持ちを抑えながら城へと向かう。
「ふふッ。さっきからキョーイチローはずっと笑っているな?」
「まあな。この品を早く第六天使に届けてやりたい」
これは『金が欲しい』からではなく、ましてや『第六天使への忠誠心』などでも、もちろんない。
『いい作品ができたので褒めて欲しい』という、いわば芸術家としての心理だった。
俺は始終笑顔で馬車に揺られ、カーラはそんな俺を見て『ふふッ』と笑う。そんな調子でフィル=セロニオ城への道すがら……、
「――カーラ・ルゥ! そこにいるのは、もしやカーラ・ルゥ・グレンセンか!?」
好事魔多し。――一番のピンチは、一番油断したときにやって来る。
馬車が街道沿いを進んでいると、カーラは後方から名を呼ばれた。振り向けば、そこには馬に乗った男が一人。
それは18、9歳ほどの青年で、馬は“でこぼし”号のような農耕馬でなく、サラブレッドに似た『ちゃんとした馬』だった。
――俺は、この男を知っている。
「やはり、カーラ・ルゥ! 道中で会うとは、なんと奇遇な!」
「スー兄様……!! なにゆえ、このような場所に!?」
馬上にいたのは、スー・キリル・グレンセン。
カーラの従兄の巡回判事だ。
2
同時刻。
ここはミ・メウス市、女神通り――。
「……“めかじき”」
「お入りください」
仮面で顔を隠したメウス子爵の合言葉で、壁の隠し扉――“道徳の門”が開く。
第六天使のアジトでもある第六天使亭には、秘密の入り口が設けられていた。
それは三軒隣にある建物の地下から繋がる狭い通路で、いわばVIPのための通用門。大物貴族や高位の役人、大商人、高級軍人、高僧などが人知れず違法の快楽に浸りたいとき、仮面をつけてこの扉をくぐる。
そうすれば、だれにも姿を見られぬまま『店の一番奥』まで行けた。
この街――いや、この国で最大の悪徳が詰まった隠し部屋、通称“不道徳の園”に。
ミ・メウス市の領主たるメウス子爵も、そんな隠し部屋の常連だった。
「おやおや、これは子爵サマ。連日のご利用、ありがとうございます」
「シッ、第六天使! わざわざ私の名を呼ぶな! 巡回判事に睨まれておるというのに、だれかに聞かれでもしたら……!!」
なんという小心者か。第六天使は苦笑した。
この部屋の中では子爵など、さほどの大物というわけでもないというのに。名を知られたらもっと困ることになる人物が、ここには大勢ひしめいていた。
「子爵サマ、そう焦ることはございません。今来てるのは常連客ばかり。貴方がどなたか皆さんご存知でらっしゃいますんで……。どうです、まずは胡椒でも」
スー・キリル巡回判事が塩密売人ギルドを潰してくれたおかげで、この第六天使は押しも押されぬ暗黒街の頂点だ。
裏ルートの調味料・香辛料は売買しにくくなっていたが、その分値段が上がり、商売としての旨味は増している。第六天使にとっては巡回判事さまさまと言えよう。
連日行われているこの宴も、ある意味、彼のおかげで開けていた。即ち――、
「この“不道徳の園”に来て、胡椒を吸わない手はねえでしょう? それとも、まずは塩でもやりますかい? 岩塩のいいのが入ってますぜ。それとも砂糖を注射器で?」
つまりは、調味料パーティー。
この部屋はVIP用の『調味料窟』だ。街や近隣地域の大物たちが一同に会し、ある者は胡椒を鼻からストローで吸い、またある者は塩水や砂糖水を血管に注射する。
調味料が厳しい専売制のこの国では、最大の悪徳にして最高の贅沢だった。
つい数日前まで、この宴は塩ギルドが開いていた。だが、今は違う。ミ・メウス市の調味料と調味料パーティーは第六天使が一手に握っている。――先述の巡回判事の活躍と、そして『ある商品』の登場が理由だ。
メウス子爵は胡椒(御用商人の中でも一部しか取り扱いが許されない超高級品だ)を好むことで以前から有名だった。それも鼻からの摂取がお気に入りのため“クシャミの子爵”とあだ名がついていたこともある。
しかし、それも過去のこと――まだ塩ギルドが存在し、この“不道徳の園”に入り浸るようになる前の話だ。
「第六天使よ、私が今さら胡椒などという子供の遊びをすると思うか? いいから、例のものを出せ」
「はははッ、そうでした。今は子爵サマは『こいつ』でした」
そう言って、第六天使が小さな硝子容器に入った“それ”を取り出すと――、
「寄越せっ!」
子爵は、とても高貴な身分とは思えぬ様相で引ったくり、指を突っ込んで中身を舐めた。
「おほぉっ! はぁああああああああんっ! おお、頭にギンッと来た……。なんたる効き目。麗しき“まよねず”の味……!! 視界がダイナミックにグルグル回る! 景色の色が変わっていく! こう、ギュイ~ン、グルグル、ビカビカと!」
「おやおや、すっかり“まよねず”にハマってますなァ?」
今や彼は、この新調味料にご執心だ。メ・ミウス市領主の執務も放り出し、これまで裏で稼いだ財産を全て流出させる勢いで店に通い詰めていた。
子爵は極端な例ではあるが、とはいえ他の客も似たようなものだ。
最近では、だれもがこの白濁の粘液に夢中だった。他の商品には見向きもしない。――塩や砂糖、胡椒、唐辛子といった他の調味料は、いずれも闇ルートの高級品であり、かなりのリスクを冒して街に運び込んだものであったのに、今や“まよねず”の前座や場つなぎでしかない。
子爵は少年奴隷二人に連れられて奥のベッドへと行くと、迷わず衣服を脱いで全裸になり、少年たちの手で自らの肌にどろどろと“まよねず”を塗りたくらせる。ベッドには他の客たちもいたが、皆、同様に白濁まみれとなっていた。
子爵と客と少年たちは、互いの“まよねず”を舌で舐め取り、あるいは舐め取らせながら、果てしなく『んほお』『あひい』と嬌声を上げ続ける――。
そんな光景を前に、第六天使は一人、ほくそ笑んでいた。
(ふははッ。“まよねず”か……。こりゃあ、凄えモンを手に入れたな)
巡回判事以上に、あの“クピド”とかいう狐仮面さまさまだ。
(だが、ちょいとばかり値が張るな。1キロ銀貨1枚は、決して高い額じゃねえが――)
子爵たち客に売るときの末端価格は、その五倍から10倍の額だ。損はしない。
とはいえ、仕入れ価格にするには少々気前が良すぎた。――それに“クピド”以外の仕入先が存在しない以上、商売としては不安定極まりない。価格設定に自由が効かないし、あの狐面が病気になったり気が変わったりすれば商品は一切手に入らなくなる。
(儲かってんのに頭が痛え……。なんとか手を打たねえと)
ありがたいことにスー・キリル巡回判事は昨日から急に休暇を取って、数日間ミ・メウス市を留守にしているとか。
なぜだか知らないが、休みとは!!
第六天使にとっては『この隙に組織の地固めをしろ』と言ってくれてるようなものだった。仕入れ先の問題も一緒に解決するとしよう。
まさか、そのスー・キリル巡回判事と“クピド”が、このとき、今まさに顔を合わせていたとは。
当然ながら、神ならぬ第六天使は知るよしもなかった。




