薔薇の香り
1
こうして俺たちはマヨネーズ一キロと引き換えに、樽に入ったオーク油を三〇キロ以上と岩塩の塊五キロ強を手に入れた。
酢は残念ながら、人類の使っているものに比べて品質が著しく低かったため受け取らなかった。
だが、それでも油三〇キロといえばマヨ四〇キロ分。
取り引き四回分の量になる。
油樽の蓋を開けると、ふんわりと薔薇の花にも似た香りがした。
これがお伽噺の『オーク油』。
暗き森にしかない木の実を絞って作った食用油だ。
(匂いだけじゃない……。油の質も、城にあったものとは大違いだ。これは――きっと、いいマヨネーズができる!)
いや、それどころか――祖母の会社で製造された『本物』を超えるものにすらなるかもしれない!
2
俺たちがマヨネーズを作りに森に入ったのは、すぐ翌日のことになる。
また馬を借りて、昨日とは別の方角から暗き森すぐ近くの森の中へ。――前にマヨネーズを作ったのと同じ場所だ。
「キョーイチローよ、ずいぶんと楽しそうだな?」
「まあな」
実際、胸がわくわくと弾んでいた。本当はまだ時間的には余裕があるのだが、この素晴らしいオーク油で早くマヨを作りたくて、予定を前倒しにしてもらった。
俺たちはまた“でこぼし”号で森の中まで行き、狼除けの木に繋いでから徒歩でさらに奥まで入る。そして、前回と同じ場所にテントを建てた。
ここまでは前と全く同じだが、この先は少々の工夫を加えようと思う。
「カーラ、後ろを向いててくれ」
「なにをする気だ? む……? ま、待て、キョーイチローよ! 貴様、どうして服を脱ぐ!?」
「おいっ! 後ろを向けと言ったのに、なんで見てる!? ……まあいい。全部脱ぐわけじゃないしな。酢の臭いがつかないように、下着姿になっただけだ」
完璧な手順に見えた前回も、実はいくつか失敗した点があった。
その最大のものは、酢の臭い。
――酢というのは思った以上に臭いが強い。特にこの世界のものはそうだった。ただの料理であるならともかく、密閉されたテントの中で大量に扱えば、服や体に臭気が染みこむ。
前回は、やむ得ず二人で服のまま水に入って臭いを消し、ずぶ濡れなのは『二人で川に落ちたから』と言い張った。
だが、そんな無理のある言い訳、さすがに二度も通用しまい。
「だから、こうして服を脱いで作業するんだ」
「だ、だが……貴様、裸で私と二人きりになるつもりなのか!? この狭いテントの中で!」
「裸といっても下着は着てるぞ? それに割烹着を着てるんだから、どうせ足と背中しか見えない。カーラが振り返らなければ、なんの問題も起きなかった」
「それはそうかもしれぬが……」
捨ててもいいような古着を俺が持っていれば問題なかったが、居候の身ではそんなものは持ち合わせてない。脱ぐのはやむを得ない措置だった。
「なるほど……。キョーイチローは“まよねず”のためには――いや、姫様とフィル=セロニオ郷のためには、私の前で肌を晒すのもいとわぬというのだな? なんたる覚悟!」
「まあ、そういうことになるな……。カーラ、お前も着替えろよ。出発前に『いらない古着を持ってこい』って言ったろう?」
これは『カーラまで下着姿にならなくていいように』という気遣いだったが――、
「いや……。私も脱ごう」
「……? なんでだ?」
「これは我が覚悟の証し! 貴様だけに恥をかかせるわけにはいかぬ! 私とて貴様同様、どうせ下着で割烹着も着てるのだからな!」
どうも妙なことになってきた。
カーラは俺が相当な覚悟の上で、服を脱いだと思っているらしい。実際には、そこまで恥だと思ってないのに。
だが、俺が止めるのも聞かず、あっという間にカーラは下着のみの姿となる。
上は木綿の簡素なブラジャー、下はカボチャ型のドロワーズ一丁という姿に!
(そうか……。この世界では、女性はこういう下着をつけてるんだな……)
俺は照れて、慌てて目を逸らす。
だが、それでもつい、少しだけだが見てしまった。
「わ、悪い……!! だが、ほとんど見てないから――!!」
「ふん……。キョーイチローよ、気にすることはない。このカーラ・ルゥは戦で武器を振るう剣騎士である。戦場では男女入り乱れて着替えることも珍しくない。よって、下着姿を見られて恥ずかしがるようなことはないのだ」
「そうなのか……?」
「うむ……」
そう返事をしながらも、彼女の顔は耳の裏までどす赤い。体中の肌は透き通るように白かったが、それもみるみるうちに紅潮していく。
この世界のブラジャーは柔い布のみでできていたため、体を動かすたび豊かな乳房がふるふる揺れた。
くびれた腰に、きゅっと締まった腹筋、すらりとした手足は鞭のよう。細いがよく鍛えられた肉体だ。
(そういや、こいつは巨乳だったな。忘れてた。このところ、ずっと一緒で、『女性』というより『犯罪のパートナー』という感じだったから……)
なのに、このような姿を見せられ、改めてカーラが女性――それも巨乳の美人であること意識させられた。
そんな美しい裸体の前で、俺は黒のボクサーブリーフのみの姿。ひどく貧弱で恥ずかしい。俺が作業用の割烹着を羽織ると、カーラもそれに倣って体を隠す。
「それじゃあ、カーラ……作業をするぞ」
「うむ、キョーイチロー……」
3
こんな姿でテントの中で二人になると、温度が10度は上がった気がした。
前と同じように、卵黄と油と酢を混ぜてマヨネーズにする。
例のオーク油と岩塩を使ってだ。
オークから受け取った材料でマヨを問題なく作れるのか、多少心配もしていたが――、
「……これは、凄いな」
まったくの取りこし苦労だった。
「凄いだと? キョーイチローよ、それはつまり、どちらの意味だ?」
「決まってるだろ? 素晴らしいマヨネーズができたって意味だ! 信じられない! オーク油の薔薇の匂いが、こんなにマヨネーズと合うなんて!」
それに、この岩塩だ。御用商人が扱ってる塩とは全然違って、単純な塩辛さじゃない。辛いだけでなく美味かった。複雑――いや、玄妙な味がした。試しに普段より多く塩を入れたが、少しも嫌味な味にならない。
この塩の風味がオーク油の香りをいっそう強めた。まるで口の中に薔薇が咲き、爽やかな朝露を滴らせているかのよう。その上、卵は朝にもいだばかりの超新鮮なものだ。
「これは、本当に『本物』を――あの会社製を超えたかもしれない!」
俺が褒めると、カーラはごくりと唾を飲む。
これを口にできないのは気の毒だったが、もし食べれば『おほぉ』だの『ひぎぃ』だのの程度では済むまい。今までとは比べ物にならない叫び声を上げることになるだろう。
「悪いが、もう一口味見させてもらうぞ」
俺は来る途中にもいだ野生のキュウリを取り出す。
森の入り口付近に自生していたものだ。この世界のキュウリは地球のものとほぼ同じだったが食用にはされてない。栽培されていたとしてもヘチマと同様、観賞用だ。これはマヨネーズや味噌といったキュウリに合う調味料が普及してないためだろう。
マヨを漬けてがぶりと齧ると、品種改良されてないだけあってえぐみはあったが、それでも美味い。最高のマヨのおかげで最高の味わいになっていた。
「やったぞ、カーラ! 俺たちはとんでもないものを作ったぞ!」
俺は喜びのあまり、カーラの肩に抱きついた。
普段なら、俺はこんなアメリカ人みたいなジェスチャーはしない。つまりは、それほど嬉しかったということだ。ただ、それと同時に――、
「きゃあっ!? きょ……キョーイチロー、その……」
「あ……すまない……」
カーラのごく小さな悲鳴と、割烹着の下から素肌の体温を感じ、俺は慌てて手を引いた。
そうだった。忘れていた。薄い割烹着の下は、下着一枚のみの半裸の姿だ。
俺とカーラは互いに目を伏せ、下を向く。
もちろん二人とも、顔は真っ赤になっていた。




