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暗き森

 百科事典で調べたところ、“オーク油”はイース国では有名なお伽噺であるらしい。


 昔々、オークの縄張り近くを通った旅人が、猪用の罠にかかった子供オークを助けたところ、親オークから礼として油の入った皮袋を貰ったのだとか。その油はたいへんに良い匂いがしたという。


 これは過去に実際にあった話であるらしく、オークの縄張り近くにある村では、今でも密かに交易をしていることがあるらしい。


「魔物との商取引は禁止されているが、このフィル=セロニオ郷でも、昔はオークと商売をしていたと聞く」

「ずいぶん漠然とした情報だな?」


 だが、試してみる価値はあるだろう。

 俺たちは、その日のうちにオークと接触することにした。




 城から一番近くにある農家には、小さな畑の老夫婦が住んでいた。

 実直だが無口で人見知りの激しい夫と、愛想良くいつも優しげに微笑む妻。貧しい夫婦ではあったが城の近くに住むだけあって、二人ともどこか品がいい。


 この家では二頭の馬を飼っており、片方は例の“でこぼし”号だ。普段はもう一頭を農作業に使っているため、『余っている方の馬(でこぼし)』を安い礼金で貸してくれるというわけだった。


「ジマーの奥方、すまぬが馬を借りれるか?」


 カーラが玄関先で声を上げると、奥から“でこぼし”号と同様にまだらの白髪頭で片足を引きずった年寄り女が現れる。


「これはこれはカーラ様。いつも、うちの子を使っていただき、ありがとうごぜえますだ。それに、こないだは新鮮なお野菜までいただきまして……。じいさまも美味い美味いと喜んでおりました」


 そういえばカーラはミ・メウス市から帰ったあと、馬の礼として土産の野菜をおすそわけしていた。老女は深々と頭を下げて、そのときの礼を言う。


「気にするな。いつも世話になっているからな。馬は今日の夜には返す。――それと、少ししたら、また何日か遠出する予定だ。そのときも“でこぼし(あやつ)”を貸してもらうぞ。今度も土産を買ってくるので楽しみにしているがいい」

「へえ、ありがてえことでごぜえます」


 二人は、そんなどうということのない会話をしていたが――、


「それではカーラ様たちは、またミ・メウスの方へとお出かけで?」


 老女は、急に聞き捨てならないことを言った!


 なぜ、俺たちが前回、ミ・メウス市に行ったとわかったのだろう? 行き先はだれにも話していなかったのに。


「お……奥方よ、なぜミ・メウス市であると!? そんなことを話したか?」

「へえ、カーラ様、お野菜でごぜえます。いただいた(カブ)が、ミ・メウスの近くの村でしか取れねえ種類のものでしたんで。葉っぱの形と、味がちょっと甘いのでわかります」


 さすがは農家。

 農作物の違いには敏感らしい。カブは城の皆でも食べたが、カーラも姫もそんな差には気づいてなかった。


 いずれにせよ、俺たちの行き先を知られるのはまずい……。俺は横から話に加わる。


「奥方、あのカブは行商人から買ったのですよ。そうか、彼はミ・メウスから来た行商人だったのか」


 これでいい。多少演技は白々しかったかもしれないが、きっと今ので誤魔化せたはずだ。


「それよりも奥方、そろそろ馬をお貸しいただければと……。もう出かけなければいけませんので」


 強引に話を終わらせ、俺とカーラは出発する。

 借り物の“でこぼし”号が引く馬車で。




 いつもの青空の下、俺たちは馬車に揺られる。


「カーラ……あの婆さん、平気と思うか? 俺たちがミ・メウス市に行ったって、言いふらしたりしてないだろうな?」

「問題あるまい。あの夫婦はお喋り好きの領民たちの中では、比較的だが無口な方だ。噂を広めるようなことはしまい」


 それならいいが……。

 それと、他にも気になることがある。

 額に斑点のあるこの“でこぼし”号だが、前より元気がなくなっているように見えた。もしかすると最近、俺たちが酷使しているせいかもしれない。


「そのうち俺たち用の馬を買うべきかもしれないな。その方が気兼ねなく移動できる」

「良い考えだ。この“でこぼし”号はあのジマーの奥方が我が子のように可愛がっている。犯罪に使うのは気が引けていた」


 そんな話をしながら、おんぼろ馬車は道を進む。

 一旦フィル=セロニオ郷の領外へと出て、大回りして他の村から暗き森(クエルセス)の中へ。――これもまた、万が一にも姫や領民に害が及ばぬようにという『気配り(気休め)』だ。


「見よ、キョーイチローよ。このあたりから木の葉が真っ黒になっていよう?」


 本当だ。森の外縁近くでは、ただ『黒っぽい』『黒ずんでいる』というだけであったのに、気がつけば黒インクのように漆黒だった。

 木の葉が陽光を遮っているため、まだ昼というのに星のない夜のように視界は暗い。


「先代領主に仕える騎士から教わったのだ。この場所でオークとの商取引ができるとな。オークと戦場以外で接触することは、本来は法で禁止されているのだが……。気をつけよ。オークどもがいつ襲ってくるかわからぬぞ」


 森をさらに奥へと入ったあたりで、カーラは懐から木の笛を取り出すと、三度、独特のリズムで吹き鳴らす。

 そして、しばらく待つと、やはり三度、似たようなリズムで音が返ってきた。


 これがオークとの『待ち合わせの合図』であるらしい。

 さらにもう10分ほど後。目の前にある背の低い茂みが、がさがさがさっと揺り動く。


「――ぐるるるる……。ニンゲンガ我ラニ、イカナル用事カ?」


 唸り声と共に、何者かが姿を見せぬままそう訊ねた。


「静まるがよい! 我らは“白い牙”の客である! 合図の笛を知っていよう!?」

「ぐるる……。ツマリハ、商売ガシタイノダナ? ヨカロウ」


 茂みの中から現れたのは、緑の肌をしたオークだ。

 しかも一匹ではない。計、三匹。身長二・五メートルほどもあるリーダーらしき個体の左右に、やや小ぶりの個体(といっても二メートル以上)が一匹ずつ付き従っていた。


 これほどの巨体が、まさか三匹も隠れていたとは。


「我ハ“白イ牙”族ノ族長、白イ牙〇一九。オマエタチガ欲スルノハ塩デアルナ?」

「塩? いいや、なぜ塩だ? 必要なのは別のものだ」

「ソウカ。ココ何日カ人間ドモハ、ヤタラト塩ヲ欲ガッテイルノデナ。『塩ぎるど』ガ潰サレテ、我ラカラシカ塩ガ買エヌトカ……」


 このオークたち、他の人間とも交易をしてるのか? いや、それよりも――、


(塩ギルドが潰された? まさか、例のカーラの従兄か?)


 前にカーラが言っていた。

『もしかするとキョーイチローは幸運の持ち主かもしれん』

『あのスー・キリルが来たのは、きっと塩密売の対策のためであろうからな。もし塩ギルドと組んでいたら、厄介なことになっていただろう』と。

 どうやらカーラの言う通り、俺たちは運が良かったようだ。


「塩デナイナラ、ナニガ欲シイ?」


 その問いには、カーラに代わって俺が答えた。


「欲しいのは油だ。品質の高い食用油を、少なくとも八キロ。可能なら、もっと大量に欲しい。――それと、さっきはああ言ったが塩も欲しい。できれば酢も」


 どうせあとで必要になるものだ。可能なら今のうちに揃えておきたい。


「八きろトハ、ズイブンナ量ダナ? 引キ換エニ、ナニヲ寄越ス?」

「これだ」


 俺が渡したのは、小さな壷に入ったマヨネーズ。

 貴重な油を使って作った1キロだ。ここに来る道中、馬車の中で作った。目の前で俺が匙で一掬いして毒見する。


「異界の調味料、マヨネーズだ。必ずや気に入るだろう」

「“まよねず”ダト? ドレ……」


 オークの族長、白い牙〇一九は見慣れぬ白濁に警戒しながらも、おそるおそると壷に指を入れ、そのまま一舐め。

 すると――、





「――はぁうううううううううんっ!? ラメェッ! オクチデ妊娠シチャウッ!?」





 妙な声を上げながら、その場でがくりと地に膝を着く。


 どうやら交渉は成立らしい。


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