仮面で隠すべきでなかったもの
1
店から出ると、もう外は夜。
ニヤニヤ嘲笑うような三日月が、漆黒の空に浮かんでいた。
そんな月の下で、俺は悔いる――。
(塩ギルドなんてものがあったのか……。そっちと取り引きするべきだった)
百科事典には、そんなのがあるとは書いてなかった。
塩ギルド――正式には『塩密売人ギルド』。
調味料や香辛料の密売を専門とするギルドであるらしい。マヨネーズを捌くのは、きっと彼らの方が得意だったろう。失敗した。
残りのマヨの壷は、城門近くの貸し馬小屋に置いてある。清潔な布で包み、積んであった藁に隠していた。俺とカーラは、そこに第六天使を案内し、商品の現物を見せたのだが――、
「これが九キロ分の“まよねず”か……。こうして見ると、思ったよか多いな? ふうん……よぉ“クピド”、ものは相談なんだが――」
「なんでしょう?」
「次の取り引き、やっぱ二〇日後にしてくれねえか? でなきゃ、量を減らすとか……」
つまりは『10日間では、この量は捌ききれないかもしれない』ということらしい。ふざけた話だ。俺が今、仮面の下でどんな顔をしているのか、この女に見せてやりたい。
「駄目だ! 絶対に断る! 10日後、俺たちはまた10キロ分を持ってくる。余らせるなら、余所のギルドに売るだけのことだ。その場合、約束を破ったのはそっちだからな?」
「お……おい、よせ。とうとう敬語も使わなくなりやがったか。落ち着けよ。ちょっと訊いただけじゃねえか。冗談だ。けど、初めての商品にこれだけの量は――」
「いいや、言われた通りの量を買え。1グラムだって妥協はしない」
「ンだと?」
「心配するな。このマヨネーズは保存も効く。日の当たらないところに置いとけば余裕で一ヶ月は日持ちする。慌てて売らなくても大丈夫だ」
「そうなのか……? すげえな?」
「それに、この俺のマヨネーズだ。すぐに皆が欲しがるようになる。あんたもさっきだけで二〇〇グラム以上は食べた。10キロなんて軽く捌ける」
「なるほどな……。へへッ、違ぇねえ。わかった。いざとなりゃあ、10キロくれえ俺が一人で食ってやらあ」
こうして俺はマヨの壷三つと交換で、銀貨九〇枚を手に入れた。三袋に分けた銀貨をカーラが二袋、俺が一袋抱きかかえる。
「では第六天使、次は10日後に」
「おゥ、待ってンぞ」
俺とカーラは銀貨の袋を受け取ると、そのまま急ぎ足で馬小屋を立ち去った。
そして、周囲にだれもいないところまで来ると……、
「ふふふッ……やったな“クピド”よ! 銀貨九〇枚だぞ、九〇枚!」
「ああ、“ブルゥ”! ずっしり重いぞ!」
銀貨の布袋は中身が金属だけあって結構な重さだったが、しかし心地よい重量だった。
銀貨一枚は、日本円でおよそ二万円ほどになる。
つまりは、これで180万円! こんな大金、触ったのは初めてだ。
フィル=セロニオ郷の領地税は銀貨1000枚。
今回の取り引きだけで、その10分の1近くを稼いだことになる。まだゴールは遠いが、たしかな一歩を踏みしめた。この調子でいけば、シア姫の身も安泰だろう。
その後、俺たちはこの背徳の都ミ・メウスから去るべく、市の城門へと向かう――。
だが、油断大敵とはこのことだ。
あるいは、尾行されていないかどうかに注意を払いすぎていたのかもしれない。剣騎士カーラにしては珍しく前方が不注意になっており、そのため、城門前の広場にて、
「……おっと、失敬した」
見知らぬ青年とぶつかった。
――いや、俺にとっては『見知らぬ』だったが、カーラにとっては違ったらしい。
青年と俺たちは「こちらこそ失礼を――」と互いに会釈をしたのだが、頭の位置を低くしたために、
「……!? その仮面は――!! 貴君、その仮面をどこで……」
俺たちのフードの中が見えたらしい。
なにやら仮面に激しい反応を示していた。
「……すまぬが、急ぐ!」
カーラは俺の手首を乱暴に掴むと、その場を急ぎ足で立ち去った。
2
その後、俺たちは10分ほども小走りを続け――、
「おい、“ブルゥ”……そろそろ離してくれ。さすがに痛い」
「あ、うむ……。すまぬな」
カーラが俺の手首を離したのは、ミ・メウス市の城門を出てから西に約1キロ。
馬車を隠してある林の中でのことだった。“でこぼし号”は、丈夫そうな樫の木に繋いである。
「それで、さっきの男はだれだ? 知り合いか?」
「うむ……。まあ、そうだ。あの男の名は、スー・キリル・グレンセン……」
なぜかカーラは口ごもりながら返事をした。
彼女は馬のロープを木から外し、馬車に結わえ直す作業をしながら――つまりは俺と目を合わせないようにしながら言葉を続ける。
「私の従兄であり、優秀な“法の騎士”だ……。この街に来ているとは初めて知ったが、おそらくは仕事で来ているのだろう。巡回判事になったと噂で聞いた。――さっきも、なにかの潜入調査の最中であったのかもしれん」
「従兄か。言われてみれば少し顔が似てたな」
男でありながら女性的な顔立ちで、“紅百合の騎士”カーラと同じく美しい。
「うむ……。その、それでだな――実を言えば、仮面をくれたのは彼なのだ。つまりは『私を舞踏会に誘った男』ということになる……」
なるほど。仮面に反応したのは、自分が贈ったものだからということか。
「じゃあ、お前がカーラだとバレたのか?」
「いや……。おそらくは平気だろう。暗いし、一瞬しか見られていない。それに――私だと確信していれば、もっと熱心に追ってきていたはずだ」
そうか。だったら問題あるまい。もし疑われても、それなら誤魔化しようがある。
(しかし……カーラのやつ、なにか妙だぞ?『仮面をくれた』とか『私を舞踏会に誘った男』とか言ってたが、どうしてそんなに思いつめた顔をしてる?)
俺には知られたくない事実でもあるのか?
3
その夜。カーラとキョーイチローが、ミ・メウス市から去ったころ――。
「姫様、もう寝ちゃいます?」
「ううん、フタバ……。もうちょっとだけ、お話しをしてちょうだい」
フィル=セロニオ城では、シア姫がベッドで横になっていた。
三日月が白い姫の顔をよりいっそう青白く照らす。カーラたちも今ごろどこかでこの月光を浴びているのだろうか。
「ねえ、カーラ・ルゥたちは、そろそろ帰ってくるのかしら? こうしてフタバといっぱいお喋りできるのは楽しいけれど、さすがに寂しくなってきたわ」
「わたしもです。そろそろ帰ってきてほしいですよね……。お兄ちゃんとカーラさん、ちゃんと仲良くやってるかな?」
「ええ、気になるわ。いいえ――むしろ、仲良くしすぎてないかが気になるの。あの二人、急に仲良くなってしまって……」
それは、フタバも気になっていた。
兄たちは、城を留守にする前日から急に、やたら二人きりになりたがっていた。
(一緒に領内の見回りに行ってから――ううん、その前か。わたしが朝ごはん作ってるときに、二人でどこかに行ってから、なんだか妙にいつも一緒で……)
城に卵を届けてくれる農家のお婆さんは、あの日、カーラたちの馬車が森の方に行くのを見たのだとか。どうやら見回りなどしてないらしい。いったい、どういうことなのか?
「フタバ……あの二人、やはり『そういう仲』になってしまったのかしら?」
「――? それって『デキてる』ってことですか?」
今も視察と称して、二人で『密会』しているというのか?
「ええ……。もちろん、自分の騎士と新しくできたお友達のお兄上が仲良くなるのは、とても素敵なことだけど……。
でも、もし、本当にそうならどうしましょう? 実は前から、カーラ・ルゥをあの子の従兄と結婚させたいという話があるの」
「従兄と結婚!?」
「ええ、そう。だから、もしカーラ・ルゥが、その―― 一線を越えるようなことがあったなら、キョーイチローとその従兄で決闘沙汰になってしまうかも……」
「一線を越える!? うわあ、家族のそういうのって想像したくないなあ……。けど、平気と思いますよ? もともとお兄ちゃんは女の人得意じゃないし、そんなに手が早いはずないですもん。昔、気の強い女の子にいじめられて、それがトラウマになってるから」
「そう? それならいいのだけれど」
カーラ・ルゥの従兄――スー・キリル・グレンセンは、シア姫にとっても友人だ。
カーラが姉であるならば、彼は兄と言っていい。王都にいたころはよく車椅子を押してくれたし、コトヴィック大公の罠でこのフィル=セロニオ郷に行けと命じられたとき、王宮で唯一味方してくれたのもスー・キリルだった。
そんな友人であり恩人でもある彼を、カーラ・ルゥは裏切るのか? ――いや、裏切るような女だったのか?
それを思うと眠れない。窓の外では、夜空の月が笑っていた。
4
さらに夜更け――。
月は雲で隠れたが、全くの闇というほどではない。野生の獣ならば出歩ける。むしろ知恵のあるけだものどもは、この天候を待っていた。
ここは“暗き森”と通常の森の境目――即ち、人類領域とそうでない地の緩衝地帯。
先日、キョーイチローたちがマヨネーズを作っていた場所だ。
「――ぐるるるる……」
そう唸り声を発したのは、一〇匹ほどいたオークのうち最も大きな体格をした一匹で、この一団のボスだった。彼はその尖った爪で、赤土の地面を掘り返す。
そこは、キョーイチローとカーラがごみを埋めた場所。
土の下からは、大量の卵の殻と残飯が現れる。埋めてから既に二日半。ぷうんと悪臭が漂った。
「ぐるるるるるる……?」
おかしい。不自然だ。――穴を掘ったボスオークは、そう感じた。
どうして殻ばかりがこれほどある? それに、生の卵白も大量に捨ててある。なぜ捨てた? 黄身はどこだ? 火を焚いたようだが、卵以外のごみが出ないところを見ると、ろくに料理はしてないらしい。メニューとして不自然だ。理解できぬことばかりだった。
「ぐるるる……。“ヤツ”ヲ、ツレテコイ」
ボスは、手下にそう命じる。
同じ人間同士なら、きっと理由もわかるだろう。




