女神通り
1
俺たちは、違法の調味料であるマヨネーズを売りさばくためにここに来た。
しかし、だからといって、そのあたりの通行人に――、
『――お兄さん、いい調味料あるよ』
などと声をかけて売るわけにはいかない。
いや、この女神通りには、そうやって違法の品で商売をしている売人も大勢おり、さっきから何人も姿を見かけていたのだが、俺は自らこんな『末端の売人』などする気はなかった。
俺がしたいのは、もっと大きな商売だ。――と、そんなとき。
「――旦那サマがた、酒はいかがですかい? それとも賭けごと? でなきゃあ女?」
急に、声をかけられた。
チンピラ風の格好をした、なにかの亜人類の小男だ。
身長はたった1メートル強。顔は全面が青みのかかった灰色の毛で覆われており、鼻先は犬かネズミのように突き出ていた。いわゆるコボルトか、でなければネズミの獣人種だろう。
その小さな茶色い目をうんと細め、しらじらしいほど卑屈な笑みを浮かべていた。
客引きだ。ちょうどいい。
「旦那サマがたは、この物騒な界隈を見物に来たんでやしょう? よそモンだけで歩いてちゃ、悪い連中のカモにされやすぜ?」
「そうかい? よく、俺たちがよそ者だとわかったな?」
「へえ、キツネ仮面の旦那。アンタらが育ちのいいボンボンで、けど、そんなにカネは持ってねえってことくれえわかりまさあ。興味本位でこの界隈を冒険中、ってとこですかい?
……けど、キツネの旦那の方は、チョイと自信に満ちた雰囲気を出してやすね? そちらのヨロイ男の旦那はともかく、アンタはなにかカネになるモンを持ってると見た」
鋭いな。いい勘をしている。
だが、連れが『ヨロイ“女”』だということまでは見抜けなかったようだ。
“ブルゥ”は兜の奥で「ぐむむ」という声を漏らす。どうやら怒っていたらしい。
とはいっても兜とマントで変装しており、兜の内側で声も反響している以上、性別を誤解されても仕方あるまい。
「ははあ、旦那がた、さては賭けごとをしに来たんでやしょう? その気合いは、デカい勝負をするときのモンでさあ。どうです、キツネの旦那?」
「ふふ、さすが鋭いな? そうだ。俺たちは『デカい勝負』をしにこの街に来た」
「へへっ、やっぱり!」
ただし、賭けごとじゃない。俺がしたいのは、決して失敗しないビジネスだ。
「じゃあ旦那がた、来てくだせえ。いいところに案内しまさあ」
「ああ。『いいところ』に案内してくれ。ギルドの大物のいる店がいい」
この世界では、ヤクザやマフィアのような犯罪組織のことを『地下ギルド』あるいは単に『ギルド』と呼んでいる。まずは、その大物と接触したい。
2
この客引きのチンピラは、ステッジという名だそうだ。
通り名は、青鼠のステッジ。
たしかに背が低く痩せているところといい、小ずるそうな顔つきといい、ネズミの印象そのままだ。ネズミ男というわけか。
彼の案内で、俺とカーラは表通りから一本外れた道にある酒場へと案内される。
店の名は“第六天使亭”。
大きく豪華だが、露骨なほどにがらの悪い店だった。
三階建ての大きな建物で、分類的には『キャバレー』ということになるのだろうか? ただし店の奥は賭場と売春窟になっており、そのまた奥はギルドのアジト――日本で言うところの『ヤクザの事務所』になっているという。
「“ブルゥ”、どう思う?」
「そうだな“クピド”、問題あるまい。……たぶん、だがな」
「頼りないな?」
「仕方あるまい。ならず者どもの世界に接するなど初めての経験なのだ。私が知っているのは貴族社会と戦場だけだ」
そうか。――だが、それは俺も似たようなものだ。異世界だからというだけでなく、もとが優等生なので、このような界隈は初めてだった。
(中学でヤンキー女に誘われたとき一緒にグレてれば、もっと手際よくやれたんだろうが……。あの女、よくヤバい店に行っただの、ヤクザと喧嘩しただのと自慢してたからな)
とはいえ、今さら後悔しても意味がない。映画やドラマで憶えた知識が頼りだ。
扉を開けるや、紫煙とアルコール臭が鼻を衝く。
いや、むしろ、それらだけで中の空気ができているようですらある。広く薄暗い店内はこの店にお似合いの人間たち――いかにも筋者らしき客の男たちと、それを接客する半裸で厚化粧の悪い女たち――で賑わっており、退廃的な空気で満たされていた。
亜人類の比率も高く、客も女たちも半分近くが人間以外。
この比率は即ちそのまま店の危険度を表していた。
客はドワーフや獣人など戦闘能力の高そうな種族が多く、ジャズに似た音楽を奏でる楽団は三角帽子の小人たちと、その奴隷らしき雌ゴブリン。首を鎖に繋がれたまま、哀しい恋の歌を歌い続ける。
「いい店だ。雰囲気がそれらしい。――青鼠のステッジ、念を押すぞ。ここが『街一番の大物』の店なんだな?」
「へえ、キツネ面の旦那、そうでやす。“第六天使の親分”といやあ、ミ・メウス市の半分を仕切る顔役でさあ」
「よし。だったら、この店でいい」
この反道徳的な空間が不愉快であったのか、カーラはずっと無言だったが(いや、もしかすると卑猥な衣装の女給に目をやる俺を不愉快に思っていたのかもしれない)やっと出番だ。
ひとつ、大仕事をしてもらおう。
「“ブルゥ”、始めろ」
「うむ」
入り口から見て一番手前の席に座っていたのは『いかにも、その筋の者』といった大男。
傷だらけの顔をしており、見たところ人間種ではあったようだが、身長は軽く二メートルを超えている。腕も丸太のように太い。
もしかすると小ぶりの巨人か、巨人種の血が混じっていたのかもしれない。他のテーブルの客たちも彼を『強そうな男』『近づかない方がいい相手』と見なしているらしく、周囲には微妙な緊張感を漂わせていた。
男はトップレスの女給二人(片方は乳房が四つもあった)をはべらせて飲んでいたが、
「そこの傷顔男よ、悪く思うな」
兜ごしのくぐもった声でカーラは一言謝り、そして次の瞬間――、
いきなり、テーブルを蹴倒した!
酒と料理の載った円卓が、食器の割れる甲高い音と共にひっくり返る。
「手前ぇ! なにしやがンだ!」
傷顔の大男は立ち上がり、懐から短刀を抜いて飛びかかる。
明らかに殺意のある動作だった。やはりこの男、素人ではない。
いくら酔っているとはいえ、これほど瞬間的に人を殺める覚悟を決めるとは。――だが、刃物の先がカーラに届こうとする、その直前。
「――ふンっ!」
掛け声と共に、マントの裾から皮手袋をつけたカーラの右拳が飛び出し――そして二撃。まずは裏拳で短刀を叩き折り、次に男の顔面を潰す。
手袋以外はまったくの素手、しかも一瞬での出来事だ。
「まずは一人。――次は、だれだ?」




