悪徳の都
――イエス、弟子たちに言い給う。
富める者が天の国に入るのは、駱駝が針の穴を通るより難しい
新約聖書、マタイ傳一九章二三節
今ならキリストの言葉の意味がよくわかる。
これは、マヨネーズの話だ。うちのお祖母様が言うのと同じ話だ。
俺たちは金を稼ごうとしていたが、それは地獄に堕ちるための努力に他ならなかった。
翌朝、俺とカーラは城を発つ。
「それでは姫様、行ってまいります。――フタバよ、姫様のことを頼んだぞ」
「うんっ。カーラさんこそ、お兄ちゃんのことよろしくおねがいします」
昨夜のうちに姫から遠出の許可は得ていた。
もちろん『マヨを売りに行く』などと正直に話したりはしていない。『俺が新しい商売を思いつきそうなので、近隣の村を見て回りたい』という嘘の名目での旅だ。
数日の間、フィル=セロニオ郷を留守にすることになるが、その間、姫の世話はふたばに任せた。
「キョーイチローよ、馬を出すぞ。――ハイヨッ!」
カーラの掛け声と共に、馬車はゆっくりと動き出す。昨日と同じく“でこぼし”号の幌つき馬車だ。
そして二時間後――。
(――乗り心地は、相変わらず最悪だな……)
空は晴天。澄み渡るような群青色。風に草の香りが混ざってる。
そんな青空の下、俺の気分もまたブルーだった。吐きそうだ。
「カーラ……ミ・メウス市まで、あとどのくらいだ?」
「ふふン、まだ馬車に慣れないか? 出発したばかりだぞ。そうだな、あと一日半といったところだ」
「そうか……」
思ったより遠くはない。中世風の世界での旅だ。もっと何日もかかったところで不思議はない。それを思えば、まだ楽だろう。
(とはいえ、大変なことには変わらないか……)
馬が一歩、馬車の車輪が一回転するたびに、胃袋がギュッと締め付けられる思いがした。
「キョーイチローよ、早く慣れろ。街道を通る分、昨日よりは楽なはずだ」
「ああ、わかってる……」
たしかに道がいいおかげで、昨日ほどは(比較級だが)揺れてない。
それに、速度も(やはり比較級だが)速い。昨日に比べれば、少しは気分もましと言えた。
本当に、ほんの少しの差でしかなかったが――。
「やれやれだ。吐くなら荷台の外にするのだぞ? まったく、昨日はあれほど頼りになる男であったのに……。ふふっ、さては貴様“まよねず”のこと以外は、てんで駄目な人間なのだな?」
「そうかもな……。妹にも前に似たことを言われた。面倒をかけてすまない……」
「あ、いや……」
カーラはさすがに言い過ぎと思ったのか、急に慌てて取り繕う。
「すまぬ。少々からかっただけだ。そこまで気に病むことではない。その、なんだ……今の貴様も子供のようで可愛らしいぞ?」
さすがに、そのフォローは強引だろう?
2
こんな調子で揺られ続け、途中、馬車の中で一泊し――翌日の午後遅く、俺たちはついに目的地へと到着する。
この国で第五番目の都市、悪徳の都ミ・メウス市に。
街は高い城壁に囲まれていたが、それはまるで内部の悪が逃げ出さないための檻のよう。俺とカーラと“でこぼし”号は、その城門の前に立つ。
「見よ、これが白亜門。有名なミ・メウスの城門だ。立派なものであろう?」
「ああ、そうだな。立派だ。それに幸先がいい」
巨大な白大理石の門柱の先に、赤い飾りがついていた。その色の組み合わせは、マヨネーズの容器を連想させる。
まるで、俺たちを歓迎しているかのようだった。
「カーラは、この街に来たことがあるんだろう? 最初はどこに行けばいい?」
「そうだな……。まずは宿を決めるべきであろう。その後は、観光や買い物ならば、市庁宮の前の大通りに行くのが普通であるが――」
「俺たちみたいな用事の場合は?」
「決まっている。“女神通り”だ」
ミ・メウス市は、人口七千を超える巨大都市。
イース国東部地方の中心となる地であるが、その領地自体は決して広いものではない。三〇〇人しか住んでいないフィル・セロニオ郷と面積自体はほぼ同じだ。
ただ、領地の中央には王都に繋がる大街道が通っており、その三叉に分岐する地点に、城壁に囲まれた『市街』がある。イース東部地方の商業の中心となるこの一帯には、領内の五割以上の人口が集中し、富の99%がここで生み出されていた。
女神通りと呼ばれる有名な区画は、城壁内の西はずれにある。
「こっちだ、キョーイチロー」
「わかった……。それと、本名で呼ぶな。さっき偽名を決めただろう?」
午後の五時、少し前。本来ならまだ夕方とさえ言わない時間だが、高い城壁を持つこの街は、夜が来るのが普通よりも早い。
そんな中でも街の一番西側にあり、一番早く壁の影に隠れるのが、この女神通り――女神を奉じる神殿の裏の一角だった。
神殿の敷地内ということで治外法権化しているために、ミ・メウス市で最も治安の悪い一角となっている。この界隈は常に薄暗く、そして茶色に薄汚れている。
この一角に踏み込んだ瞬間、道行く人々の姿がうんとがらの悪いものとなっていたが、それだけでなく――、
(……だんだんと、人間以外の種族が増えてきたな?)
他所ではほとんど見かけることのなかった人種の姿を、よく目にするようになってきた。
背が低く筋肉質のドワーフ種に、さらに小柄なホビットリング種、犬や猫といった獣の頭部をした獣人種……。
すぐ横の屋台ではウロコ顔の物売りが得体の知れない肉を売り、その横では耳の尖った物乞いが地べたに跪いている。
通りの目立つところでは身長三メートルはあろう売春婦が『安くしとくよ』と客を引き、物陰からはその見張り番か用心棒らしきドワーフが派手な金のアクセサリーをじゃらじゃらとさせながら眼光鋭く立っていた。
カーラによれば、彼らのような『亜人類』は本来、人間種とは異なるライフスタイルを持つ種族であり、このように人間の街で暮らしているのはなんらかの理由で自分たちの国に住めなくなったあぶれ者であるという。当然、差別されることも多い。
しかし、それは多数派である人間も同じだ。
このような場所に好んで足を踏み込むのは、わけありの者に決まってる。
そんな、まさしく『暗黒街』と呼ぶべき繁華街を、俺とカーラは歩いていた。
それも、変装をした上で。
変装道具は馬車に積んで用意してきた。二人とも裾の長いマントで体型を隠し、顔もそれぞれの方法で隠す。
カーラは重甲冑用のフルフェイスの兜。――ただし、仮面舞踏会で使うための模造品だとかで、派手な赤で塗られていた。
一方俺は、やはり舞踏会用の仮面。
白い狐の顔を模したものだ。さらには幅広の帽子を深くかぶって髪を目立たぬようにする。
(しかし、驚いたな……。『仮面舞踏会』なんて、本当にあるものなのか)
少なくともこの国では実在するらしい。しかも、カーラも行ったことがあるような口ぶりだったので、その点も驚きだった。
ともあれ――こんな仮面姿で目立たないだろうかと心配だったが、さすがは暗黒街。似たような姿の通行人はそう珍しくない。俺たち以外にも仮面とマントの男たちは、そこかしこに見かけられた。皆、ここでは顔を知られたくないのだろう。それと、名前も。
「“ブルゥ”、気をつけろ。顔や本名を隠せと言ったのはお前だろう?」
「そうだな、すまぬ……。次から気をつける――“クピド”」
俺が“クピド”。
カーラが“ブルゥ”。
『キューピー』と『ブルドッグ』からとった偽名だ。
俺が馬車で揺られながら考えた。いかにも頭が働いてないときに思いついた名前だ。
「それじゃあ、“ブルゥ”……始めよう。計画の第一段階だ」
「うむ」




