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大魚は濁った水に棲む

(三分、か……。マヨネーズだけに三分間クッキングというわけだな)


 頭の中で、テレビの『三分間クッキングショー』のテーマ曲が駆け巡る。

 祖母の勤めてたマヨネーズ会社がスポンサーをやってる超有名番組だ。日本人ならだれでも知ってる。


「よし、また三分経った。次の10個もマヨにする。カーラ、頼むぞ」

「うむ。……ときに、それは?」

「……?『それ』って?」

「歌のことだ。無意識であったのか? さっきから貴様は、ずっと妙な歌を口ずさんでいるぞ」

「あっ……。いや、これは――」


 鼻歌を聴かれた。恥ずかしい。


 言うまでもなく、この作業は命がけのものだ。

 捕まれば死刑になるし、それに姫や領地の人々の人生がかかっている。緊張感溢れるもののはずだった。で、ありながら――、


「いや……。楽しくて、つい……」

「そうであろうな。貴様、さっきからずっと楽しそうにしている」


 こんなときなのに、言いようのない充実感を感じていた。


 考えてみれば『他人の役に立つ』などという体験、滅多にないことかもしれない。優等生で勉強ができても、だれかのためのことではなかった。


 しかもマヨネーズで役に立つだなんて――。楽しくなるのも無理はあるまい。


「カーラ……俺を怒るか? 緊張感がない男だと……」

「否だ。今のはニホンとやらの歌か? やたら妙な調子だが、本当にそれで正しいのだろうな?」

「いいや……。単に俺が音痴なだけだ」

「……ふふっ! だと思ったぞ」


 俺の鼻歌がよほど壷に入ったらしい。カーラはくすくすと笑みを零した。

 もしかするとカーラも『犯罪をしている』という緊張感の中であったからこそ、これほど笑っていたのかもしれない。


(ふうん……。この女、こんな風に笑うんだな)


 初めて見た。美貌の女騎士の見慣れぬ笑顔に、俺の心臓はどきりと高鳴る。


 さっきまでより、もっと楽しい。俺も一緒になって笑っていた。

 そんな調子で作業を繰り返し、やがて最後の10個も混ぜ終わる。できたマヨは容器に詰めた。――大きな壷三つと、試食用の小さな壷一つに。


 最後に、せっかくの中身が乾燥せぬよう、よく煮沸消毒した蓋をかぶせ、清潔な布で封をする。これにて作業終了。完成だ。



 目の前には、合計10リットルのマヨネーズ。



 俺は『白いダイヤ』ともいうべき中身の詰まったその壷を見ながら、つい――、


「……ぷふっ」


 と、また改めて吹き出した。


「ふふッ……。キョーイチローよ、今度はなにを笑っている? ふふ……あはははッ!」

「カーラ、自分こそ! はははははははははっ!」


 二人して、俺たちは地面を転げ回って笑い続けた。


『これで姫や領民が救われる』という安堵は……少しはあったろう。特にカーラには。


 また、『苦労の末にやっと完成した』という充実感もあったろう。それなりに大きな部分を占めている。


 ただ、本質はそこではなかった。


 俺も初めてのことなので、たぶん、ではあるが――人という生き物は、こんなとき自然と笑うものであるらしい。



 即ち、悪に手が染まった瞬間に。



「ぷふっ、うふふはははははっ!」

「あははははははははははっ!」


 もう、引き返せない。悔やんでも無駄だ。後戻りはできない。


 そんな事実が、どうしようもない目の前の事実が、なぜか俺たちを笑わせたのだ。まるで、とんでもなく愉快なギャグを聞かされたかのように。

 もう、笑うしかない。ただ笑うことしかできない。


 これまでの一生のうち、こんなに笑ったことはあっただろうか。

 これほど大笑いしていながらも、特に感情はない。なにもない。頭の中はただ空白だ。感じていない。辛くもない。


 俺とカーラはマヨの壷を前にただげらげらと笑い転げ、やがて二人ともひーひーと息を切らすと――、


「ひぃひぃ、はは……。それで、キョーイチローよ――」


 先にカーラの方が正気に戻って、俺に訊ねた。


「この“まよねず”をどうするのだ? どうやって金に換える?」


 そうだな。この仕事はマヨネーズを作って終わりじゃない。

 むしろ、ここから先が本番だ。


「領民や出入りの商人に売るのか? しかし、それでは大した額面にはなるまい。領民はもちろん、出入りの商人も大豪商というわけではないのだからな」

「わかってる。そんなチャチな商売をする気はない」


 これも昨夜、百科事典で調べた。


 このフィル=セロニオから少し離れたところに、ミ・メウス市という街がある。


 このイース国で五番目の大都市であり、東部地方では最大の都市だ。日本で言えば、博多や広島といったところか。――大都市だけあって、ある程度の独立権を持つ一種の『都市国家』であり、イース王都の統治が完全には及ばぬ地でもある。


 そのためか、経済の規模に反して治安はさほど良いとは言えない。特に下町は、地下ギルドの支配する暗黒街になっているのだという。

 この街こそ、デビューの舞台に相応しい。


「ミ・メウス市の暗黒街で買い手を探す。カーラ、お前の力をアテにしてるぞ」


 カーラの力――今度は筋肉だけでなく、剣騎士としての武力の方だ。






 同時刻――。


 ミ・メウス市の市庁宮“ミウス宮”は、市の政治・軍事の中心部であり、また代々領主を務めるメウス子爵の住居でもある。


 この宮殿の威風堂々とした外観と絢爛豪華な内装は、他の町から来た者たちにとっては華やかな観光名所であったろうが、とはいえ、この街に住む者には腐敗の象徴に他ならない。下町に巣食う犯罪組織(ギルド)から領主にあがり(・・・)の一部が上納されていることは、半ば公然の事実と化していた。

 ただ皮肉なことに、この街の繁栄は犯罪組織あってこそのもの。大魚は濁った水に棲むというが、それと同様、ミ・メウス市の経済も裏社会や賄賂によって回っている。


 そんな腐敗と暗黒の街に、その男はやって来た。



 彼の名は、スー・キリル・グレンセン。

 またの名を“番犬”スー・キリル。



 剣騎士の名門グレンセン家の出の騎士であり、自らは剣騎士ではないものの、明晰な頭脳の持ち主で、一九歳でありながら王都から司法に関する重要な権限を与えられていた。


 いわゆる“法の騎士”。


 そんな彼の現在の役職は――、


「これはこれは、スー巡回判事……。ようこそ、このミ・メウスに」

「メウス子爵、出迎えご苦労。さっそく話を聞かせてもらおう」


 巡回判事。

 ――王都の代理人として、この街の法を甦らせることが彼の任務だ。法の守護者として彼に与えられた権限は、領主であるメウス子爵を凌駕する。


 齢五〇を超す子爵は、苦々しい顔でこの若者に頭を下げた。


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