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転移者ヘンゼルと騎士グレーテル

 一時間後――。


「その……フタバよ、今日は貴様に姫様の世話を任せたい。私は領内の見回りに行かねばならぬのでな。……それと、キョーイチローも見回りに連れていく」


 カーラの言葉はどこかたどたどしく不自然だったが、頼まれたふたばも、その横にいるシア姫も、特に気にしてはいないようだった。


「うんっ! カーラさん。任せてください! ――さ、姫様、行きましょ。また珍しいお話をしてあげます」

「ええ。昨日の講談の続きをしてくださいな。主人公の子、あのあとどうなるのです?」


 ふたばは姫の車椅子を、その寝室へと押していく。


 シア姫は一日の大半をベッドで過ごす。

 普段は本など読んで時間をやり過ごしているらしいが、今は同い年の女子が傍にいて嬉しそうだ。

 姫にとって『ふたばが一二歳であること』は料理や講談以上に価値を持つ特殊能力であるのだろう。

 ともあれ――、



「姫様は寝室でフタバとお話しをしておられる……。今だ、キョーイチロー!!」

「わかってる」



 二人が話し込んでいる間に、俺たちは『仕度』を済ませよう。必要な品を揃えるべく、俺とカーラは台所脇の倉庫へと忍び込む。


「カーラ、まずは材料だ。卵と油と酢、塩にハーブ粉――それと酒だ。蒸留酒の強いのを」

「酒か? たしか、使用人たちが残していったものがあったはず……。あとは傷の消毒用のものだけだ」

「いや、その消毒用でいい。というより、それがいい。――油はどれだ? 多めに使うぞ」

「うむ。そこに入っている」


 カーラの指差した先を見れば、棚に小ぶりの壷が並んでいた。中身は例の粗悪なオリーブ油らしい。カーラはそのうちのいくつかを棚から降ろす――。


「待てカーラ、壷を抜いたあとの棚を工夫しろ。それだと、そこの棚からなにかを持ち出したのがすぐバレる」


 棚に、いかにも『ここに置かれていたものを持ち出しました』という空白ができている。それでは食事の仕度をするふたばに勘づかれる。


「空の壷に水でも入れて並べておくんだ。壷が足りない分は、こうやって上手く距離を広げたり、周りの別のものを置いたりして『もとからこの数しかありませんでした』というフリをしろ。つまみ食いをする子供の要領だ」

「う、うむ……。こうか?」

「よし。あとは作業に使う皿や鉢がいる。大きな鍋と、火にかける道具もだ」

「鍋に火だと? キョーイチローよ、そのようなもの昨日は使っていなかったではないか」

「いいから用意しろ。今回は使う」


 こうして俺たちは必要な道具を揃えて袋に詰めていく。


 寝室の姫とふたばに気づかれぬよう、うんと息を殺して静かにだ。

 途中、鉄の鍋ががしゃり(・・・・)と音を立てたため、俺たちは心臓が停まりそうなほどどきりとし、三〇秒ほど呼吸を忘れて(体感的には一〇時間にも相当する三〇秒だった)その場で立ちすくむ。

 しかし姫たちに反応はなく、俺とカーラはその場にへたり込みながら深呼吸し、久々の酸素で肺を満たした。


 ともあれ、これで必要なものは整った。




「今朝からずっと思っていたが――キョーイチローは“まよねず”のことになると、私への態度が変わるな? 敬語も使わず、威張ったような態度になる」

「えっ? いや、それは……」


 言われるまで気づかなかった。たしかに敬語を使ってなかった。


「カーラ殿、失礼を……。知っている分野(マヨネーズ)のことだからと、少々調子に乗っていました」

「いいや、謝る必要はない。怒っているわけではないからな。ただ、面白いと思っただけだ。今さら言葉遣いを変えるな」

「ああ、うん……。わかった」


 改めて意識すると、なんとも言えず気恥ずかしい。


 遠くで鐘の音が鳴る。地球でいうところの午前10時。

 ――姫とふたばが話に花を咲かせている間に、俺たちはそっと城を出る。


 床面積が畳一枚分ほどもない小さな荷馬車に、荷物一式を積み込んで。


「カーラ、本当にこの馬車は平気なのか? 荷台の床がギシギシ鳴ってるぞ。――あと、馬も。こんな小さな馬で平気か?」

「文句を言うな。この“でこぼし”号は、近所の百姓家が好意で貸してくれたのだぞ」


 そうは言っても心配だ。この額に白い斑点(きっと、これが名前の由来だ)の痩せ馬は、ポニーを少しだけ大きくしたようなサイズしかない。


 しかも昔、足を痛めたことがあるとかで、右の後ろ足を引きずるような歩き方をする。そんな馬が人間二人の乗った荷車を引っ張る姿は、見ていてひどく痛々しかった。


「心配無用だ。競走馬や軍馬ではあるまいし、農耕馬というのはこういうものだ。それに、城の馬は三ヶ月前に全頭売り払ってしまったからな。こやつ以外に選択肢はない」


 それなら、仕方ないことではあるのだろう。

 こうして馬車は出発する。俺を荷台に、カーラを御者席に乗せ。

 痩せ馬に引かれてのたのたと。だが途中――、


「――あんれ、騎士サマ? 馬車なんぞ使って、どこ行きなさるかね?」


 数名の村人たちに見つかった。


「こ、これは、その――領地の見回りだ」


 カーラはしらじらしい演技で取り繕おうとするが、馬車に俺を乗せていたため、逆に村人たちの好奇心を刺激した。


「――見回り? 昨日もやっておられたでねか。それに、そっちは森の方ですだぞ?」

「――おやおや、そっちは昨日の異国の(ぼん)でねか。見回りに連れて行くだか?」


 いけない。このままでは余計なことに気づかれかねない。


不味(まず)いな……。今日は作業を中止するべきか――)


 この質問攻めに俺たちはただ戸惑うばかりだったが、そのうちに、


「――これ、おめえさたち、騎士サマに意地悪言うもんでねえ。男と森に行く理由なんて……ほれ、そんなん決まってるでねえか」


 一人がそう口にしたことをきっかけに、残りの村人たちは『ああ』となにやら勝手に納得し、なぜかぴたりと訊くのをやめた。


 よくはわからないが、なにかの早とちりをしているらしい。

 ――とはいえ、俺たちにとってはありがたい。俺とカーラは『そうだ』とわけもわからず頷いて、おんぼろ馬車を急がせた。村人たちはなぜかニヤニヤと笑っている気がした。


 その後、俺たちは念のためルートを変え、一旦村の中央に向かうふりをした上で、別の道から森へと向かう。

 村はずれに広がる森の中へ。細くて手入れのなってない道をもたもたと。


 童話のヘンゼルとグレーテルのように、薄暗い木々の間を奥へ奥へ。


「おっと、倒木が道を塞いでいる……。キョーイチローよ、手伝え。木をどけるぞ」

「わかった……。しかしカーラ、やっぱり城で作業した方がよかったかもな」

「駄目だ。誓いを立てたばかりであろう?『姫やフタバ、領民は巻き込まぬ』と。領地内での違法行為は許さぬ。貴様も納得していたはずだぞ。忘れたか?」

「ああ、そうだったな……」


 わかってる。今のは愚痴だ。単に不平を言っただけ。万が一にも姫やフタバに見られたくないし、ことが露見したときに少しでも言い逃れしやすくしておきたい。


 とはいえ馬車に揺られて、もう小一時間。――荒れた道をギシギシガタガタ揺られるうちに、さすがに気分が悪くなってきた。吐きそうだ。

 精神的にも肉体的にも、無意味に疲弊ばかりする。


「キョーイチローは案外と不平が多いのだな? そんな貴様に、いい報せがある。馬車に乗るのはここで終わりだ」

「本当か!? やっと着いたか!」


「いいや、これ以上は馬で通れぬからだ。この先は歩く」


 きっと、絶望的な表情をしていたのだろう。

 俺の顔を見て、カーラはわずかに笑っていた。


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