転移者ヘンゼルと騎士グレーテル
1
一時間後――。
「その……フタバよ、今日は貴様に姫様の世話を任せたい。私は領内の見回りに行かねばならぬのでな。……それと、キョーイチローも見回りに連れていく」
カーラの言葉はどこかたどたどしく不自然だったが、頼まれたふたばも、その横にいるシア姫も、特に気にしてはいないようだった。
「うんっ! カーラさん。任せてください! ――さ、姫様、行きましょ。また珍しいお話をしてあげます」
「ええ。昨日の講談の続きをしてくださいな。主人公の子、あのあとどうなるのです?」
ふたばは姫の車椅子を、その寝室へと押していく。
シア姫は一日の大半をベッドで過ごす。
普段は本など読んで時間をやり過ごしているらしいが、今は同い年の女子が傍にいて嬉しそうだ。
姫にとって『ふたばが一二歳であること』は料理や講談以上に価値を持つ特殊能力であるのだろう。
ともあれ――、
「姫様は寝室でフタバとお話しをしておられる……。今だ、キョーイチロー!!」
「わかってる」
二人が話し込んでいる間に、俺たちは『仕度』を済ませよう。必要な品を揃えるべく、俺とカーラは台所脇の倉庫へと忍び込む。
「カーラ、まずは材料だ。卵と油と酢、塩にハーブ粉――それと酒だ。蒸留酒の強いのを」
「酒か? たしか、使用人たちが残していったものがあったはず……。あとは傷の消毒用のものだけだ」
「いや、その消毒用でいい。というより、それがいい。――油はどれだ? 多めに使うぞ」
「うむ。そこに入っている」
カーラの指差した先を見れば、棚に小ぶりの壷が並んでいた。中身は例の粗悪なオリーブ油らしい。カーラはそのうちのいくつかを棚から降ろす――。
「待てカーラ、壷を抜いたあとの棚を工夫しろ。それだと、そこの棚からなにかを持ち出したのがすぐバレる」
棚に、いかにも『ここに置かれていたものを持ち出しました』という空白ができている。それでは食事の仕度をするふたばに勘づかれる。
「空の壷に水でも入れて並べておくんだ。壷が足りない分は、こうやって上手く距離を広げたり、周りの別のものを置いたりして『もとからこの数しかありませんでした』というフリをしろ。つまみ食いをする子供の要領だ」
「う、うむ……。こうか?」
「よし。あとは作業に使う皿や鉢がいる。大きな鍋と、火にかける道具もだ」
「鍋に火だと? キョーイチローよ、そのようなもの昨日は使っていなかったではないか」
「いいから用意しろ。今回は使う」
こうして俺たちは必要な道具を揃えて袋に詰めていく。
寝室の姫とふたばに気づかれぬよう、うんと息を殺して静かにだ。
途中、鉄の鍋ががしゃりと音を立てたため、俺たちは心臓が停まりそうなほどどきりとし、三〇秒ほど呼吸を忘れて(体感的には一〇時間にも相当する三〇秒だった)その場で立ちすくむ。
しかし姫たちに反応はなく、俺とカーラはその場にへたり込みながら深呼吸し、久々の酸素で肺を満たした。
ともあれ、これで必要なものは整った。
2
「今朝からずっと思っていたが――キョーイチローは“まよねず”のことになると、私への態度が変わるな? 敬語も使わず、威張ったような態度になる」
「えっ? いや、それは……」
言われるまで気づかなかった。たしかに敬語を使ってなかった。
「カーラ殿、失礼を……。知っている分野のことだからと、少々調子に乗っていました」
「いいや、謝る必要はない。怒っているわけではないからな。ただ、面白いと思っただけだ。今さら言葉遣いを変えるな」
「ああ、うん……。わかった」
改めて意識すると、なんとも言えず気恥ずかしい。
遠くで鐘の音が鳴る。地球でいうところの午前10時。
――姫とふたばが話に花を咲かせている間に、俺たちはそっと城を出る。
床面積が畳一枚分ほどもない小さな荷馬車に、荷物一式を積み込んで。
「カーラ、本当にこの馬車は平気なのか? 荷台の床がギシギシ鳴ってるぞ。――あと、馬も。こんな小さな馬で平気か?」
「文句を言うな。この“でこぼし”号は、近所の百姓家が好意で貸してくれたのだぞ」
そうは言っても心配だ。この額に白い斑点(きっと、これが名前の由来だ)の痩せ馬は、ポニーを少しだけ大きくしたようなサイズしかない。
しかも昔、足を痛めたことがあるとかで、右の後ろ足を引きずるような歩き方をする。そんな馬が人間二人の乗った荷車を引っ張る姿は、見ていてひどく痛々しかった。
「心配無用だ。競走馬や軍馬ではあるまいし、農耕馬というのはこういうものだ。それに、城の馬は三ヶ月前に全頭売り払ってしまったからな。こやつ以外に選択肢はない」
それなら、仕方ないことではあるのだろう。
こうして馬車は出発する。俺を荷台に、カーラを御者席に乗せ。
痩せ馬に引かれてのたのたと。だが途中――、
「――あんれ、騎士サマ? 馬車なんぞ使って、どこ行きなさるかね?」
数名の村人たちに見つかった。
「こ、これは、その――領地の見回りだ」
カーラはしらじらしい演技で取り繕おうとするが、馬車に俺を乗せていたため、逆に村人たちの好奇心を刺激した。
「――見回り? 昨日もやっておられたでねか。それに、そっちは森の方ですだぞ?」
「――おやおや、そっちは昨日の異国の坊でねか。見回りに連れて行くだか?」
いけない。このままでは余計なことに気づかれかねない。
(不味いな……。今日は作業を中止するべきか――)
この質問攻めに俺たちはただ戸惑うばかりだったが、そのうちに、
「――これ、おめえさたち、騎士サマに意地悪言うもんでねえ。男と森に行く理由なんて……ほれ、そんなん決まってるでねえか」
一人がそう口にしたことをきっかけに、残りの村人たちは『ああ』となにやら勝手に納得し、なぜかぴたりと訊くのをやめた。
よくはわからないが、なにかの早とちりをしているらしい。
――とはいえ、俺たちにとってはありがたい。俺とカーラは『そうだ』とわけもわからず頷いて、おんぼろ馬車を急がせた。村人たちはなぜかニヤニヤと笑っている気がした。
その後、俺たちは念のためルートを変え、一旦村の中央に向かうふりをした上で、別の道から森へと向かう。
村はずれに広がる森の中へ。細くて手入れのなってない道をもたもたと。
童話のヘンゼルとグレーテルのように、薄暗い木々の間を奥へ奥へ。
「おっと、倒木が道を塞いでいる……。キョーイチローよ、手伝え。木をどけるぞ」
「わかった……。しかしカーラ、やっぱり城で作業した方がよかったかもな」
「駄目だ。誓いを立てたばかりであろう?『姫やフタバ、領民は巻き込まぬ』と。領地内での違法行為は許さぬ。貴様も納得していたはずだぞ。忘れたか?」
「ああ、そうだったな……」
わかってる。今のは愚痴だ。単に不平を言っただけ。万が一にも姫やフタバに見られたくないし、ことが露見したときに少しでも言い逃れしやすくしておきたい。
とはいえ馬車に揺られて、もう小一時間。――荒れた道をギシギシガタガタ揺られるうちに、さすがに気分が悪くなってきた。吐きそうだ。
精神的にも肉体的にも、無意味に疲弊ばかりする。
「キョーイチローは案外と不平が多いのだな? そんな貴様に、いい報せがある。馬車に乗るのはここで終わりだ」
「本当か!? やっと着いたか!」
「いいや、これ以上は馬で通れぬからだ。この先は歩く」
きっと、絶望的な表情をしていたのだろう。
俺の顔を見て、カーラはわずかに笑っていた。




