決断
1
その後、カーラは沈黙を続け、結局返事を貰えなかった。
(悩んでいるのか? それ自体は仕方のないことだが――)
『マヨ密造をするか、しないか』で悩んでいるのならばともかく、『キョーイチローを法に則って処罰するか、面倒が起こる前に暗殺するか』で迷っている可能性もある。
俺の身は、かなり危険な状況にあると言えた。
その後、俺たちは食堂に戻り、それからさらに約三〇分後――。シア姫の寝室から鈴の音がする。
これは、姫が目を覚ましたという合図だ。病弱のシア姫は、起床の時間がうんと遅い。カーラは上の空のまま姫を寝室まで迎えにいき、その後、車椅子を押して食堂へとやってくる。
シア姫は最初、起きぬけということもあってか(あるいは昨夜遅くまで起きていたためか)やや疲れた表情をしていたが……、
「まあ! まあまあまあ! なんていい香りがするのかしら! これは、なんの匂い? こんな朝だというのに、わたくし、お腹がすいてきたわ!」
その顔が、一瞬にしてぱあっと晴れた。
そんな姫の姿を見て、ふたばは『ふふん』と得意げに笑う。
「姫様、おはようございます。今朝のご飯は、わたしが腕によりをかけて作りました」
「まあ……!! フタバったら、どうして小間使いの服を着ているの? それに、キョーイチローまで執事の服を……。カーラ・ルゥ、これはどういうこと?」
カーラを責めようとする姫を、ふたばは得意げな顔のまま止めた。
「おっと姫様、カーラさんは悪くないです。これは、わたしたちが好きで着てるんですから。それより料理を見てください。我らが故郷ニホンの誇る料理を!」
そう言って、テーブルに運んできたメニューは……、
「これが茶碗蒸し、こっちはたまご蒸しパンです」
蒸しパンの方は和食じゃなかったが、どちらもこの世界にはないはずの料理だ。
「あらあら、まあ……なんて珍しいお料理なのでしょう! それに、とっても綺麗。白や黄色に輝いていて……」
「見た目だけでなく、味も自信ありますよ? さ、食べて、食べて」
「ええ……」
姫はスプーンを手にとって、まずは茶碗蒸しから手をつけていく――。
「美味しい! 特にこのチャワンムシというお料理、こんなもの初めて食べたわ! あの……はしたないのだけれど、その――もう一杯……」
病弱で食の細い姫が、おかわりを要求した。その光景を見たカーラは、ぽかんと口を開けながら驚く。
「そんな……!! まさか、姫様が朝食でおかわりとは!」
「あら、カーラ・ルゥ、こんなに美味しいものなら、二杯食べるのも当然というものだわ。それに、こっちのパンも柔らかくて……。ですが、フタバ――このお料理の材料はどこから手に入れたの? 高価な材料を使っているんじゃあなくて?」
その姫の言葉を受けて、ふたばはさらに得意げな顔――
地球の言葉でいうところの、いわゆる『ドヤ顔』でこう返す。
「ふっふっふ……ううん、姫様。これは全部、調理場にあったもので作ったんです」
「まあ!」
姫様、ふたばの思う壷だ。この妹、料理をしている間からずっと、この台詞を言おうと考えていたに違いない。
「この茶碗蒸しは、溶き卵を出汁で割って蒸すんです。ちょうど昨日の鳥がらのスープが余ってたので、それを薄めて使いました。あと、蒸しパンは卵でかさを増してあるから普通のパンより安くできます。お砂糖があれば、もっと美味しくできたんですけどね。
――ま、とにかく、お料理ってのは工夫次第で節約術にもなるんです」
「まあ! まあまあまあまあ! フタバ、素晴らしいわ! 貴方は料理の天才よ!」
「ふっふっふっふ、もっと褒めてもいいんですよ?」
また、この妹は調子に乗っている。
とはいえ、ふたばの料理の腕はたしかだ。プロ並……とまではいかないが、中学一年にしてはかなりのものであるはずだ。この城の乏しい食材と調味料で、ここまで作れる一二歳はそういまい。
そして、料理を食べた姫も、一二歳とは思えぬほど立派だった。
「まあ、なんてこと……。美味しい上に節約なんて。フタバ、貴方は救い主かもしれないわ。貴方の料理を領民たちに教えてあげれば、今より豊かな暮らしができるはずだもの」
「えっ? あ、うん……。そう! わたしも、それが言いたかったんです!」
嘘つけ愚妹。
だが、さすがは姫だ。常にフィル=セロニオ郷の人々のことを考えている。
そんなシア姫の言葉に感心していたのは俺たち兄妹だけではなかったらしく――、
「おお、姫様……なんという慈悲深さ……」
カーラは自分の主を見ながら、感激で今にも涙を流さんばかりだった。
「今のお言葉を聞けば、貧しき領民たちも喜びましょう。この地の民草にこれほどまで深き愛を注いた領主は、これまでも――そしてきっと、これからも、一人としていないはずでしょうから」
「あら、カーラ・ルゥったら。そういうの、照れ臭いからおよしなさいな。領主が領民を気にかけるのは普通のことよ。それより、お前もお食べなさい。フタバの料理、びっくりするほど美味しくてよ?」
「はっ、ありがたきお言葉……。ですが私は、その――満腹で……。味見でたくさん口にしましたので」
このカーラの言葉は、半分だけ本当だ。
ふたばは自分の作った料理が、《地平》人の味覚に通用するか、カーラにさんざん味見をさせていた。
――だが、満腹なのは別の理由。
ゆで卵を三個も、マヨネーズたっぷりで食べたからだ。
どんな料理よりも美味な、あの卵を。
「………………」
その後、しばらくの間カーラは、無言のまま姫の顔を見つめていたが――、
「……キョーイチローよ」
双眸を姫の方へと向けたまま、ぽそり、と俺に声をかけた。
「いかがしました、カーラ殿?」
「貴様に話がある。食事が終わったら私と来い」
2
俺とカーラは食事の後、今朝の地下室へと向かう。
マヨゆで卵を食べた、あの物置部屋に。
「キョーイチロー、入れ」
「は……」
カーラはランプに火を点け、扉を閉めて閂をかけると――、
「キョーイチローよ……。なぜ呼び出されたか、貴様も見当はついていよう?」
鋭い目つきで、そう言った。ランプの火がカーラの瞳を、冷たいブルーに光らせる。
俺を人知れず始末する気か、それとも……。
「今朝聞いた“商売”の件だ。あの話だが――」
「はい……」
「乗ろう。貴様と一緒に“悪”に染まろう」
よし。『それとも』の方だった。
「カーラ殿、貴方はいい選択をしました。――ですが、ずっと迷っていたのに、どうして急にその決意を?」
「姫様だ。姫様を大公の手から守るには、マヨネーズで金を稼ぐしかない」
そうだろう。当然だ。
「それに……これは領民のためでもある。姫様を守ることは、この地の民草を救うことでもあるのだ」
「と言いますと?」
「決まっている! このフィル=セロニオは貧しき地。それ故、歴代領主は民に重税を課してきた。……だが、姫様は違う。食事をしながらのお言葉を聞いたであろう?」
なるほど。カーラを決意させたのは、姫の朝食のときの姿だったか。
「姫様がいなくなれば、この地の民草は再び重税に苦しむはず……。それは、私とて望むところではない」
つまり、今この状況下では、悪を為すのは人のためとなる。
まして、俺たちがしようとしているのは殺人や泥棒などではない。マヨネーズを――地球最高の味の芸術を、ろくな調味料を持たない《地平》の人々に売るだけだ。法律に反しているとはいえ、この上ない善行だった。
「だが、キョーイチローよ。一つだけ先に取り決めをしておきたい。もちろん、これは貴様もわかっていることであろうが――」
「……? なんです?」
「悪事を働き、罪を負うのは、この私と貴様だけだ。
それ以外を巻き込むことは許さん。姫様も、領民も……」
「当然のことです。俺も妹を巻き込みたくない」
俺もふたばには具体的なことを一切話してない。
これも妹が少しでも安全なように――万が一、罪が露見しても、妹まで司法の手が及ばずに済むようにという配慮だった。
「互いに誓いを立てましょう。『罪は、我ら二人だけで負う』と。――特に、我が妹と姫様は巻き込まないと」
「うむ……。誓おう」
「結構。では、カーラ殿――いや、カーラ! さっそく共に踏み出そう!
“悪の道”への第一歩をな!」
「うむ、キョーイチロー……!!」




