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白濁王(キューピー・キング)

 俺たちの泊まった城の客間には、小さな本棚が置かれていた。


 客が退屈しないようにという配慮なのだろう。ふたばが寝る前に読んだという料理の本も、そこに並んでいたものだ。

 俺も、昨夜は本を読んだ。


 エンサイクロペディア・イース――つまりは、百科事典。


 分厚い三冊組であったため、さすがに要点のみの流し読みという形ではあったものの、朝までかかってこの世界のことをおおよそだが理解することができた。


 その事典によればカーラたち“剣騎士”は、魔法で強化された一種の改造人間であり、戦闘用に品種改良された超人類。


 代々剣騎士となる一族の子が、胎児のときと乳児のとき、そして七歳の誕生日に魔法の術式を施されることにより、常人をはるかに超えた力を手に入れる。

 その腕力は馬10頭以上にも匹敵すると言われ、反射神経はワシやタカといった猛禽類並、野ウサギより早く地を駆ける。


 ――カーラ・ルゥは、そんな超戦士の中でも名門であるグレンセン家の出身で、素手で岩を砕き、敵の鎧を紙のように引き裂けるという。

 なのに彼女は、この薄暗い空き部屋で……、


「きょ……キョーイチロー、なにをする気だ!? 私から離れろ! ど、どうして私に壁ドンする!?」


 俺に、壁ドンされていた。


 盆を持ってない方の右手で。――あと、俺が今してるこの動作、こっちの世界でも『壁ドン』と言うらしい。こんなときだが、ちょっと意外だ。


「カーラ殿、お嫌でしたら俺を突き飛ばし、そのまま部屋から出ていけばいい。俺は体力がないから簡単でしょう。――いや、それどころか俺を殴り殺すことすらできる。貴方にはその力があるはずです」


 だが、カーラはそうしなかった。


 迫ってくる俺から逃げようともせず、ただ壁へと追い詰められるのみ。



 左手の盆に“あれ”を――

 ゆで卵とマヨネーズを乗せた、この俺に!



 金属盆の上にあったのは、マヨネーズの盛られた小鉢と、殻を剥いたゆで卵三個だった。


「カーラ殿……本当は、これが気になっているのでしょう? この……白濁した粘液が」

「否! い、いや……気にはなっている! 言ったはずだぞキョーイチロー、それを作るのは違法行為と!」

「ならば、俺を捕えて死罪にすればいいだけのこと。昨日と同じようにマヨネーズも捨てればいい。だが、このマヨネーズは昨日のものよりも――さらに美味です」

「なぁ……っ!? 昨日のものよりもだと!?」


 ごくり、と唾の音が鳴る。


「早朝のうちに、勝手に調理場を使わせてもらいました。昨日は食卓で咄嗟に作っただけですが、これは調味料をひとつずつ味見し、より丁寧に仕上げた逸品。自画自賛ながら、よい出来です。そこに、ほら……このゆで卵」

「ゆで卵がどうした!」

「同じ卵でもスクランブルエッグとゆで卵では、マヨネーズとの相性が全くと言っていいほど異なります。我らが故郷でも、ゆで卵とマヨネーズはいわばベストパートナー。互いの味を最高に引き立てるのです。――カーラ殿、これが食べたいのではありませんか?」

「ふ……ふざけるな! いくら最高の味だからといって、私が――この“紅百合の騎士”カーラ・ルゥが、そんな誘惑になど負けるはずがあるまい! 姫様と国家に忠誠を誓った、この私が!」


 声を張り上げ、口を大きく開けた、その瞬間。

 俺は壁から手を離し、そのままゆで卵を一個掴み、マヨネーズをたっぷりつけると――そのままカーラの口に放り込む!


 卵を手にした指先が、彼女の柔らかい唇に触れる。――そして次の瞬間。




「――んほぉお゛お゛おおおおおッ!?」




 また、例の叫び声。目は白目を剥いていた。


 正直、少し引く。人によってはエロスを感じる姿ではあるのだろう。だが、妹以外の女性に慣れていない俺には、むしろ指に触れた唇の方に興奮を覚えた。


 柔らかく、熱く、唾液とマヨで湿った、この唇に……。


「ん……むぐっ、ンっ、むぐっ、むぐむぐっ……ごくっ! き……貴様、よくも私にこのようなものを食べさせたな! こんな、無理やり……!!」

「ははッ、そんなに急いで食べると窒息しますよ。それに『無理やり』とは聞こえが悪い。猛禽類並の反射神経を持つ剣騎士が、俺の動きを避けられないはずありません。本当は、わざと口に入れたのでしょう? マヨネーズを食べたくて――」

「言うな!」


 そう言って大きく開けた口に、もう一個――。



「――んほぉお゛お゛おおおおおおおおおおおおおッ!? あ……あああ、うう……!!」



「ははッ。カーラ殿、これがもっと欲しいのではありませんか?」

「もぐもぐ、ごくっ……。や……やめるのだ、キョーイチローよ! もう……はいらない……。クッ、殺せ!」

「おやおや……。口では勇ましく凄んでいても、体はそうは言ってないようですが」

「否! このカーラ・ルゥ、絶対そのようなものに負けたりしない!」


 カーラはそう言って、顔中をマヨネーズまみれにしたまま、キッと勇ましくこちらを睨みつける。だが、俺がもう一個、マヨゆで卵を差し出すと――、


「クッ……!!」


 と悔しそうに呻きつつも、そのまま食べた。


 俺の手から、ぱくりと直接。

 唇と舌が、また俺の指先に触れる。そして、高貴で誇り高き女騎士は――、



「んひぃいいいいッ! ら……らめぇっ! ごわれるぅ! ゆでたまご食べすぎで、お腹ごわれるうッ! ごはん、たべられなぐなっぢゃう! ひぃい゛いいいンっ!」



 どさっ、という音を立てながら膝から崩れ、床でビクンビクンと体を震わせた。


「はぁはぁ、ぜぇぜぇ……。じぬぅ……おいじぐで、じぬぅ……」

「ふふ……。見たか、カーラ殿――いや、カーラよ!」


 カーラは急に呼び捨てにされ、のた打ち回りながらも、わずかに戸惑ったような表情を浮かべていた。――だが、しかし俺は構わず話を続ける。


「見たか、カーラ! そして、見たか《地平》よ! これこそがマヨネーズ! 亜神クピド(キューピッド)より賜りし地球の恵み! その味の奔流は、全ての味覚神経をただ純白色に塗りつぶす! さらに賞味期限は一ヶ月以上! そんなパーフェクトな調味料、パーフェクトな商品だ! ……カーラ、俺の“商売(ビジネス)”に協力しろ」


 パーフェクトな商品による、パーフェクトなビジネスに――。


「な、なぜ私が――」

「余所者の俺には、ここでの商売の仕方がわからない。どうしても相棒が必要だ。――いや、違うな。それだけじゃない……」

「――?」

「お前だからだ。俺はカーラ・ルゥとこれ(・・)をやりたい。他の相棒は考えられない」

「私と……? しかし、商売とは?」

「決まっている。これを作って、売り捌く。お前はその金でシア姫を救うがいい」

「う……売る!? いかん! それは犯罪だ! ただ作るだけでも違法というのに――」

「コトヴィック大公に、一矢報いる好機というのに?」


 夜のうちに、いろいろ調べた。


 百科事典によると調味料の専売制度は、例の女大公の利権らしい。

 塩をはじめとする調味料・香辛料は、許可を得た商人だけが扱うことを許されたが、その許可を与え、さらにはその商人から徴税する権利は、建国の功労者であるコトヴィック大公家のみが持つのだという。


 イース国建国時からの慣例だ。税のうち半分は国庫に、残りは大公の懐に入る仕組みになっている。だからこそあの女大公は、このイース国で絶大な力を持っていたのだ。

 だが、違法の調味料を売り捌けば、わずかとはいえ大公の懐に入る銀貨を減らすことができる。ささやかながらも復讐になろう。


「たしかに……だが、許されん! そんなことをすれば、二人とも死罪は免れんぞ!?」

「知ったことか。俺は死など怖れない。どうせ一度は死を覚悟した身だ。――カーラ、お前もそうなのだろう? 姫は言っていた。よくカーラは俺と似た目をすると。姫が大公に奪われたあと、お前は自害する気でいたんじゃないか? どうだ!?」

「それは……。だが、キョーイチロー、それは貴様には関係ない!」


「いいや、ある! なぜなら、俺はお前と同じだからだ!」


 権力によって守るべき姫を奪われようとしているカーラ。

 ラッキースケベ事故によって学校に行きづらくなった俺。


 俺たち二人は、まるで鏡写しのように同じではないか!!


「俺は世界に裏切られた。だから、今度は俺が世界を裏切る。お前もそうしろ。俺と(マヨ)に染まるんだ」


 まだ冷たい床にへたりこみ、立ち上がれぬままの女騎士。

 そんな彼女に、俺はマヨで汚れた手を差し伸べる。この汚れた手を取り、立ち上がれと。



「俺はこの異世界で、マヨネーズ密売王に――

白濁王キューピー・キング”に俺はなる! カーラ、お前も一緒に来るんだ」

「キョーイチロー……」



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