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花の妖精、降臨

「なんとお呼びすればいいですか?」

「……」

「年はおいくつですか?」

「……」

「とても綺麗な瞳をしていらっしゃいますね」

「……」

「あの…」


 ダ、ダメだ。会話が続かない。

 しかも目の話をした途端、顔を逸らされた。


 風光明媚の娼婦は一人ずつ部屋を用意される。

 スコット待望の私の仕事部屋は豪奢だ。

 普段ダラダラしてる絢爛豪華な待機部屋とはまた違う美々しさ。

 期待が少しばかり重い気もするが、ゴミのように扱われるより大事にされたほうがマシだろう。


 それより今は距離を開けて座っている王子様のことだ。

 二人きりになった途端、無言になってしまい喋ってくれない。

 不安が募り、少し意地悪な気もするが瞳を潤ませた。


「ベティのこと、お嫌いですか?」

「ーーっそんなはずないだろう!!」

「ひっ、」


 荒立てた声に素で驚き、肩が震えた。

 脅える私にハッとした王子様は慌ててこちらに寄ってきた。きゃーっ!


「す、すまない!怖がらせるつもりではなかったんだっ」

「ふぇ、ベティ、怖かった…」

「ごめん、ごめんねっ」


 焦ってギュッと抱き締めてくれる王子様に一瞬で顔はでろでろに蕩けてしまう。

 自ら触れてくるなんて。さっきの距離感が嘘みたい。

 よく見れば涙のひとつも出ていないが顔を隠しながら必死に『くすんっ』と鼻を啜る。

 それを見てまた王子様は苦し気な顔でぎゅうっと抱き締めてくれた。ああ、私もう死んでもいい!


「もう、だいじょうぶです。心配させてごめんなさい。ちょっと怖くなってしまって…。あなたはベティにとって初めてのお客様だから…」


 胸板を押して距離を置けば、王子様は名残惜しそうに離れていく。

 また顔が緩みそうになってしまうのを『ぐすっ』と泣いて誤魔化す。

 不安なのは本当だったから嘘はついていない。

 健気に頑張るベティの姿に、王子様はぽつりと声を零した。


「…名は、ジークフリード。年は十九だ」


 言葉を返してくれたことに内心天にも昇る気持ちだった。


「ジークフリード様…」

「ジークでいい」

「ジーク、さま…」


 うっとりしながらジーク様の名前を呼ぶ私の瞳はきっと欲望に満ちた賤しい女のような色に染まっているだろう。

 このままそのかいなで掻き抱いてほしい。


「…ベティ、君は私が恐ろしくないのかい?」


 最初『ベティです』と言った私の言葉はちゃんと聞いてくれてたのね、と頭の片隅で思う。

 ジーク様の抱く不安は察している。皆が見せる嫌悪感を私が見せないからだ。

 私がこれだけ絶賛するイケメンだからこそ、皆はそれだけ嫌厭するってこと。


「まさか。ジーク様はとてもお優しいですもの。その蒼い瞳は情に満ちております。恐れることなどありません」


 此処で正直に顔に惚れたと言うより説得力はあるだろう。

 嘆かわしい事にジーク様は自分の不細工ぶりを把握している。

 私が『イケメンだからです!』と説いても絶対微妙な空気が流れる。

 ブルック様をイケメンと言われて信じられない気持ちになるのと一緒だ。


 綺麗な顔を歪ませたジーク様は声を震わせた。


「…ベティ」

「はい」

「…ベティ」

「はい、何ですか?」

「…私の名を呼んでくれないか、ベティ」

「はい、ジーク様」

「…っ…触れても、良いか…?」


 どうぞどうぞ!

 と逸る気持ちを抑え、ゆっくり頷く。

 恐る恐る伸ばされた白い指は私の頬に触れた。

 頬を、そして"ベティを"感じるように撫でる指先に、じわじわと胸が熱くなった。

 頬に触れられているだけなのに何だかとても恥ずかしい。

 眼福だったイケメンっぷりが急に牙を剥いた感じ。

 恥じらいながら視線を逸らせば、ジーク様が固唾を呑むのが分かった。


「…ベティ」

「は、い」


 甘さを含んだ声で呼ばれ、ゆっくりと抱き締められる。

 胸元に顔を寄せればジーク様の早い心音が聞こえてきた。

 このままジーク様に押し倒されて、私はどろどろに愛されるのだ。

 準備?そんなものとうに出来ているわ!

 ブルック様の時はなかなか心の準備ができなかったけどジーク様は瞬殺だった。蒼い瞳を見た瞬間、私の心は持っていかれた。

 今ならドロシーの気持ちもよく分かる。寧ろ私から愛して欲しいとお願いしたい。

 ジーク様の腕に収まりながら、これで立派な娼婦の仲間入りーーと思いきや。


 二人で長い時間を過ごしても、ジーク様は何もしてこなかった。

 指で頬に触れたり、たまに頬と頬をくっつけたり、抱き締めてきただけ。

 恥ずかし気に顔を紅潮させ含羞むジーク様に思わず鼻血が出そうになった。


 時間を迎え、帰ろうと立ち上がったジーク様の服の袖を抓む。


「もう、帰っちゃうの?」


 これは本心だ。

 何かに耐えるように唇を結んだジーク様は『はあ』と息をつくと、最後に私を抱き寄せた。


「…可愛すぎるよ。そんな目で私を見ないで。帰りづらくなる。私はもうすっかり君の虜になってしまったみたいだから。君のお願いは何でも叶えてあげたいけど、私も忙しい身だからね」

「そ、そんなぁ。ジーク様ぁ」

「…そういう可愛い仕草もダメだよ。私を煽っているのかい?」

「(はああああん!)」


 唇をつんと突き出し不満を訴えれば、指で突つかれた。

 ジーク様のほうが可愛すぎて身悶えする。

 私はもう恋の奴隷だ!

 絶叫したくなる衝動を抑え、ジーク様を上目遣いで見上げて、甘える。


「また、来てくださいますか?」

「勿論だよ。ベティが私を嫌がるまで、何度も逢いにくる」

「嫌がるなんてありえません!だってベティはジーク様の虜なんですもの!」

「…っ」


 ジーク様の言葉を借りて言い返せば、ジーク様は痛いくらいに私を抱く腕に力を込めた。

 これだけ愛を見せてくれるなら"初めて"を奪って欲しかったよ。

 女性に厭悪されてきたジーク様には少し荷が重い願いだけど。

 目と目があうだけで嬉しさを滲ませて微笑むジーク様だもの。


「絶対にまた、ベティの笑顔を見にくるから」


 そう言い残して、ジーク様は風光明媚を後にしたのだった。





 ジーク様がいなくなった風光明媚はちょっとした騒ぎになった。

 スコットには『生きてる!?』と心配されたし、泣き崩れていた娼婦には医者を紹介しようか訊ねられた。

 他の娼婦にも一度(頭を)診てもらったほうが良いと心配された。

 折角ブルック様を受け持ってくれたのに新しくお客さんを捕まえたことでドロシーには頭を叩かれたし。


「で、あのお客さんはどうだったんだ?ベティ。何か酷い事をされたかった?次に来た時は断っていいんだよ?」

「いえ、とても優しくしてくださいました。またお逢いしたいです」

「そ、そう」


 少し狼狽えながら頷くスコット。

 私を心配しつつ"あれだけ"のお客さんを取ったことに嬉々としていた。


 今まで"あれくらい"のお客さんを取るのは高級娼館『夜伽美人』だけだったらしい。

 それでも『夜伽美人』の娼婦達は不満気で最後には泡を吹いて失神しているらしい。

 お客さんも満足気に帰ってはおらず、赴いた時よりも足取りを重くして帰って行くらしい。

 俯いて帰る姿が敗北を喫した兵士のようだとか。

 だからこそ"あれだけ"ーー醜いお客さんが満足して帰る姿にスコットは金貨の山が見えたとかなんとか。

『夜伽美人』の一強は終わり、時代は『風光明媚』だと鼻息を荒くしていた。


 スコットの話を聞き流し、またジーク様に逢いたいな、と思いに耽る私にドロシーは珍しく心配そうに訊いてきた。


「本当に大丈夫だったのかい?あんたの水揚げはそれなりの男だと決まってたんだ、何もあんな醜男を選ばなくても。オーナーに強要されたわけじゃないんだろう?ならブルック様のほうがまだ良かったんじゃないかい?」

「ううん、ジーク様で良かった。それに、実はねーー」

「まあこれであんたも一人前ってことさ。あんな醜男を相手にして無傷なんだ、あんたの肝が据わってるのは充分分かったよ。甘ちゃんなんて言って悪かったね」

「う、ううん。い、いいの。ほ、ホントのことだしね」


 声を上擦らせ、苦い笑いを返す。

 あの怖いドロシーに愛らしい笑顔を見せられて胸が痛くなった。

 ドロシーの言う通り、私は不細工から逃げてイケメンに逃げ込んだ甘ちゃんなのに。


「(一人前どころかまだ半人前なんですけどおおお!)」


 ジーク様が手をつけてくれなかったから妙なことになってしまった。

 黙ってることで鬼畜なお客さんを流されるかもしれない。

 意を決して『あの!』と言えば、まだ傍にいたスコットは振り返り、ドロシーもこちらを見た。


「私まだ半人前のままなんです」

「……」

「……」


 二人して『ん?』と首を傾げ、理解できてない様子だ。


「だ、だから、ジーク様は何もしなかったんです。私はまだ蕾のままなんです」

「…え」


 二人は固まったが、瞬時に気を取り戻したドロシーが詰め寄ってくる。

 その顔からはもう愛らしさが消えていた。


「有り得ないくらいの大金を落としていったんだろう!?何もしないはずないじゃないか!嘘をつくんじゃないよ!」

「ほ、ホントなの。だから破瓜の痛みもないし、身嗜みも綺麗なままなの」


 そう言えば、と二人はマジマジと私を観察してくる。

 桜の髪飾りもついたままだし衣服の乱れもない。

 正真正銘私は処女のままだ。


「でも、どうして?大金を落として女を抱かないなんて、娼婦をなんだと思ってるんだ。あんたに食指が動かなかったなんてことはーーいや、ないね。あんたの美貌だけは保証するよ。それにブルック様以上の大金を出した男なんだ。あんたに不満足だったってわけじゃないんだろうけど、」


 何でだ?と首を捻るドロシーを真似て私もこてんと首を傾げた。

 同じ動作にイラッときたのか、『可愛い子ぶるな』とデコピンされた。なんて横暴な。

 すると指で顎を撫でて思案していたスコットは、口を開く。


「きっとベティが怖がってることに気づいていたんじゃないかな。普通、いくら怖がっても最後は手をつけるし、娼婦の様子を気にしない男がいるなかでーーうん。彼は紳士だね」

「怖い?私、怖くありません。ジーク様に抱かれることが本望でした。それにお仕事だから頑張らなきゃって思ってました」

「本当に?」

「え」

「本当に怖くなかった?ベティ」


 目を眇めるスコットに、私は何も言えなかった。


 ホントはーーちょっと指が震えた。

 抱き締められて嬉しかったし、もっと触れあいたいとは思った。でもその先は未知の恐怖だった。

 指が震えているのをジーク様は気付いていたのかもしれない。

 でもジーク様とならって思ったのはホント。


 口籠る私に、スコットは苦笑いで呟く。


「人は見掛けによらないね。彼は紳士で人が良いらしい。うちのを大事に扱ってくれたんだ。追い出そうとするなんて、悪いことしちゃったな」

「ベティが特別だってことを忘れて貰っちゃ困るよ、オーナー。あたしはあんな醜男、頭を下げられたってごめんだね」

「問題はそこだよねぇ。やっぱ普通は皆嫌がるよねぇ。水揚げも一から仕切り直しだし、ベティは困っただよ」


 態とらしく肩を竦めたスコットの言葉にハッとする。

 私のお相手の選別がまた振り出しに戻ったってことは、ジーク様ではない可能性がある。

 やっぱ無理にでも身を預けとけば良かったあああ!と嘆いても後の祭り。


「す、スコットさん!」

「ん?」

「『風光明媚』は打倒『夜伽美人』なんですよね!ライバルだとお聞きしました!」

「そうさ!いずれ『風光明媚』は街一番の娼館になるのさ!それにはベティの協力が必要不可欠なんだよ!」

「で、では私に任せてください!」


 自分でも何言ってるんだろう、と思った。

 ドロシーも何言ってるんだこいつ、と訝しげな眼差しを向けてくる。

 でも変な人を担うよりマシ。

 タイプじゃない人は避けたい。またブルック様みたいな人がやってきても困る。

 頭が可笑しいと思われたとしても、背に腹は変えられなかった。


「今まで泣く泣く帰していたお客さんがいらっしゃるなら、私に横流ししてください!私がお相手します!寧ろその方達専用でも…!私、『夜伽美人』のお客さんを捥ぎ取って見せますわ!」


 帰すってことは娼婦が嫌悪するほどの不細工。即ち私から見てイケメンと言うことになる。

 皆が涙と鼻水垂らして嫌がるなら、私が愛でてやろうじゃないか!

 気合いを入れ鼻息荒く語ったところで私は儚げな美少女。

 皆の苦痛を背負います!とでも涙ながら訴えてるようにしか見えない。

 何か言いたげなスコットとドロシーの表情がそれを物語っている。

 私は聖女か!

 寧ろ欲望に忠実なだけだ。

 皆が捨てる不細工イケメンを拾おうとしてるだけだし。


「ベティがああいう人種に忍耐あるのは分かったけど、無理しなくて良いんだよ?」

「(人種って…)私は平気です!またジーク様にもお逢いしたいとも思ってます!」

「ブルック様の相手を蹴った時から薄々気づいてたけど、あんたよっぽど目が悪いんだねぇ。自ら好んであんな醜男を相手するなんて。薔薇の園は、醜男達を受け入れるせいで娼婦達も毎回気絶して、首を吊る娼婦が後を絶たないって話だ。あんたもそうなりたいのかい?」

「見てくれなんて些細なものよ!大事なのは中身こころだから!」


 聖女か!(二回目)と我ながら突っ込みたくなる。

 むず痒くなるほど口から出任せが飛び出す。

 私の綺麗な言葉が衝撃的だったのか、ドロシーは目を剥いて硬直した。

 本当は私も不細工イケメンが好きなだけだから、少し罪悪感を感じた。

 ドロシー同様唖然としていたスコットは眉尻を下げると、いつものようにへらりと笑った。


「僕は良い買い物をしたみたいだね」





 大金を落としていくのは女に不慣れな不細工イケメンだが、娼館を利用するのは自分に自信のあるイケメン(不細工)ばかり。

 不細工イケメンは門前払いを食らうか或いは娼婦から拒絶されるかのどちらか。

 幾らお客様は金貨様だと言っても醜男を前にしてこれも商売だと割りきることが出来る娼婦は数少ない。

 お客様も目の前で娼婦に嘔吐されたり痙攣されれば、退くしかない。

 そういう事情で、不細工イケメンは娼館から足が遠さがる。

 しかし、娼婦が見るのも拒否するほどの不細工は、私から見ればイケメンなのである。


 後に宣言通り、スコットは普段ならお断りするはずの不細工イケメンを私に流してくれるようになる。

 次第に『風光明媚』に潜む『花の妖精』はどんな不細工にでも微笑んでくれる聖女様のような娼婦だと噂が広まった。


 ーー本人はイケメンを限定して相手にしてるつもりだが、他人から見ればそのイケメンは溝鼠のように爪弾きにされる男達。

 こうしてベティことリザベティ・マリアベルは事実以上に持ち上げられ、娼婦として地盤を築きあげていくのだった。

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