美人は辛いよ
絢爛豪華な部屋で綺麗に着飾りお菓子を食べる毎日は、祖国にいたころよりも充実しているかもしれない。
公爵令嬢だった頃は王妃教育に追われていたから。ミスすると熱血教師みたいな侍女長の鞭が飛んでくる。
最近では殿下の心変わりに気を揉み、クローディア嬢を警戒する毎日。
だから久々に羽を伸ばせている。
まさかこんな風に寛ぎながらお茶を楽しめる日が来るなんて。
肘をつき、ダラダラお菓子を貪る姿を侍女長が見た日には失神しそう。
おまけに支柱に張り付けにされ、『淑女とは』を説かれることだろう。
この世界で甘味はとても高価なものとされている。
リザベティ・マリアベルだった頃、当たり前にお茶会に出されていたものでも、公爵令嬢の身分を捨てた私には手の届かない代物となった。
しかし平民になった私は何故かこんな絢爛豪華な部屋で寛ぎ、お菓子を食べれる境遇に陥ってしまった。
「ちょっとベティ、あんたまたそんなとこで寝転がってんのかい」
「…ドロシー」
「余裕みたいだね。あんたの水揚げはもうすぐだってのに。オーナーが上客を選んでくれてるらしいよ。なんたってあんたは何れ、風光明媚の稼ぎ頭になるんだからさ」
はんっと鼻で嘲笑するドロシーに喉が詰まりそうになった。
口に残る甘い味が一気に消え失せる。
夢心地だった私は、こんな豪華な、部屋と言う名の檻に入れられている現実に引き戻された。
「あんたと違ってあたしは買われた翌日には売り物にされたんだけどねえ。あんたが来てからずっとオーナーが鼻息荒くしてるからよっぽど期待してんだねえ」
「そういうわけじゃないと思うわ。きっと新入りだからよ」
「こんな手厚い待遇受けといてよく言うよ。同じ新入りでも未だ客を取れないやつもいるってのに、ただの新人がこんな厚待遇でもてなされるないだろ」
あ。やっぱり?
若干の呆れを含んだドロシーの言葉に、自分の状況に違和感を覚えた。
ずっと可笑しいとは思っていたけど、満更でもないお姫様待遇を満喫してしまっていた。
「あんたはこの手厚い歓迎に見合う価値を見せなきゃならない。何れ同等の対価は支払わなきゃいけないってことさ、そのカラダでね」
「あ、」
分かってはいた。
薄々分かってはいたけど。
心の何処かで『まさか』という気持ちが残っていた。
「ね、ねえドロシー?」
「なんだい」
「私ってーー娼婦になるのよね?」
娼館『風光明媚』
私は今、風光明媚にいる。
現実はお菓子と一緒に呑み込んでいたけど。
「…あんた、何を今更、」
「い、いや、だって!私は娼館で下働きをするのかと!甘味とかはほら、娼館に来てまだ三日しか経ってないから皆気を使ってくれてるのかなって」
「…あんたは今まで沢山の愛情を受けて育ったんだねえ、ベティ」
柔らかい声色に含まれた刺。
それは私を小馬鹿にしているように聞こえた。
そして呼ばれた私の名前は、真名ではなかった。
「あんたは娼館に来た日から『ベティ』だよ。良いかい、覚えときなベティ。娼館にも、花街にも、無条件の優しさってものはないんだよ。皆、その優しさに裏がある。あんたが優しくされるのはそれだけの価値があるからさ」
風光明媚に来た日、私は今日から『ベティ』だと言われた。
あまり深く捉えていなかったが、それはリザベティ・マリアベルとの決別を意味していたのだ。
ドロシー含む娼館にいる美しく着飾った女性達を見て春をを鬻ぐ場所だと直ぐに分かった。
でもどうせ私にその役は務まらないだろうと気づかないふりをしていただけ。
毎日ダラダラして、お菓子を貪って、現実逃避していた。
本当は、買われた時から、気づいていたのに。
貴族社会に飽き飽きしていた私は、祖国を国外追放になったことに浮かれた。
そして、帝国と大国の間にある小国の国境を越え、遥か南にある花の都・リーランドに流れ着いた。
何も私の足で辿り着いたわけではなく、国境を越えて直ぐガラの悪そうな奴隷商人に捕まってしまったのだ。
ぶっちゃけ旅を舐めていた。
帝国に行って悠々自適なスローライフを送ろうと思っていたのに。
拿捕した私を直ぐに売るのかと思いきや。
私を売るに相応しい大金を払う猛者を待つ!とか何とかで、私を買いたいと並ぶ客人達を意気盛んに追っ払っていた。
そして出逢ったのが、娼館『風光明媚』のオーナー・スコットだった。
馬車が花の都と呼ばれるリーランドに着いて直ぐ私に狙いを定めたスコットは奴隷商人が唸るほどの金貨を支払った。
普通に考えて、下働きに大枚を叩くはずがない。
スコットは私を"売り物"にするために買ったことは、花街に連れられてきた時から薄々勘づいていた。
それでも、もしかしたらと思ってしまうのはきっと私が今まで"幸せ"だったからだろう。
両親に売られたわけでもなく、身売りするほど生活に困ったこともなかったし(国を出た当初は衣食住には悩んだけど陛下から承ったお金があるし)(結局奴隷商人に奪われたけど)、それほど悲壮感がなかった。
娼館『風光明媚』に来て三日、この贅沢を堪能するほど、自分の境遇を甘く捉えていた。
与えられるものを当たり前のように受け取っている自分は、マリアベル公爵領にいた時から何も変わらない。
リーランドでは付加価値があるからだと言うのに、私はなんてお気楽なのか。
私は自由になったのに、自由ではなかった。
「……嫌、だなぁ」
逃げ出したくなる。
でも何処に?
何も考えず贅沢な毎日を送れる今のこの暮らしを手放したくないとも、馬鹿な私は思ってしまう。
タイムリミットは迫っていると言うのに。
ぽつりと零した弱音にドロシーは眉を顰めた。
「聞くところによると、あんたかなりの大金で買われたらしいじゃないか。金にがめついオーナーの財布の紐が緩むほどの価値があんたにはあるんだ。今更逃げようなんて思うんじゃないよ」
「それは、分かってるけど」
「あんたも災難だねえ。この街でも御目にかかれないくらいの美貌に、洗練された佇まい。髪も艶があるし、指も傷ひとつない。平民と呼ぶには汚れを知らなさすぎるな。さてはあんた、良いところのお嬢様だろう?」
ギクリと肩を揺らした私にドロシーは口角を上げた。
「当たりか。買われたとは言え今まで大事にされてきたお嬢様に、娼館はちとキツいだろうな。でも娼館に来たからには貴族も平民も関係ない、皆ただの"女"さ。あんたもあたしも、同じ売り物だよ。腹を括りな」
鋭い眼差しと強い物言いに怖じ気づきそうになる。
ドロシーは後ずさることも許してくれなさそうだ。
ドロシーは初めて逢った日から敵愾心いっぱいだったけど、風光明媚で遠巻きに眺められたり避けられたりする私に平気で近寄ってきた。
先輩の登場にへらへら笑ってゴマを擦ってたけど『気持ち悪い』の一言で敬語もブッ飛んだ。
友達ではないけど、ドロシーには気を許せるし、不思議な関係だ。
「ドロシー、私、」
だから思わず、涙を見せてしまった。
「…っ」
ぽたぽたと零れ落ちる涙は、床を濡らしていく。
婚約破棄されても国外追放されても乾き切っていた涙は、留まることを知らないように頬を滑り落ちた。
ドロシー、どうしよう。私、怖いよ。
「今のうちに好きなだけ泣いときな、ベティ。良いかい、客の前で涙は見せちゃいけない。夢を見にきた客を楽しませるのが"花"ってもんさ。あんたは娼館で一人前の娼婦になるんだ」
「そ、そんなのなりたくないっ。私、美味しいもの食べて、ごろごろしたいだけなのにっ」
「あんた、根っからのお馬鹿さんだったんだねえ。頭がお花畑だよ。何の苦労もせずに手に入れられる贅沢が何処に転がってるって言うんだ。あんたは幸せってのを既に知ってるらしいが、あんたはもう"堕ちた"んだ。這い上がりたきゃ、死ぬ気でやってみな」
ドロシーに突き付けられた言葉に、ぐっと押し黙る。
そうだ。私はもう公爵令嬢ではない。祖国にも帰れない。帰る場所もない。
何であの頃の私はスキップしそうな足取りで国を出たんだろう。
貴族院と言う籠に守られて、公爵令嬢と言う地位に守られて、学友達とのお茶会を楽しむ私は、見ている世界が狭すぎた。
現実はこんなにも厳しかったと言うのに。
涙がしょっぱい。
何も言えず『ううう』と啼泣する私をドロシーはただ黙って眺めていた。
『風光明媚』のドロシー
・赤銅色の髪に焦げ茶色の瞳。
・凡庸だけど笑うと愛敬のある顔。
・年齢は19歳。




