金髪王子は正真正銘、王子様
モニカが選んでくれた淡紅藤色の衣服に身を包む。
モニカは手先が器用らしく簪で綺麗に髪を纏めてくれた。
美しく着飾った自分に、気分が高揚する。
今日は久し振りにジーク様が逢いにきてくれた。
しかし、
「じ、ジーク様」
「ベティは私に逢えなくて寂しかった?私は胸が張り裂けそうなほど寂しかったよ。君に逢えない日がどれだけ渇ききってて潤いがないか、実感したよ。まるで砂漠に置き去りにされた気分だ。それなのに、潤いを求めてやってきた末期状態の人間を追い返すような酷い仕打ちを受けるとはね」
「も、申し訳ございません」
「どうしてベティが謝るの?ベティが謝る必要はないよ。花が咲いたような可憐な笑顔を見るためだけに退屈な毎日を過ごしているのに、阻まれて腹が立っただけだから。ああ、何もベティに怒ってるわけじゃないよ?ただ、私が逢えない間ベティに笑顔を向けられていた者達が……ふふふ。何でもないよ」
「(めっちゃ不機嫌!)」
ジーク様はかなりご立腹な様子。
私は、モニカの看病で娼婦業を数日間休んでいた。
因みに休み明け最初のお客さんはレイモンド様だった。
休暇一日目に風光明媚を訪れたジーク様は『本日ベティ様は御休みとなりました』『ただ今ベティ様にお目通りすることは出来ません』と追い返されたと言う。
むすっとしていたジーク様は狼狽える私と目があうと僅かに眉尻を下げた。
「だけどベティ、本当に怪我はしてないの?」
「はい」
「本当に?体調は崩したりしてないかい?万が一にも病気だとしたのなら帝国一の医師を用意するから、私を頼って」
「いえ。私は元気ですよ」
「誰かに虐められて精神的なダメージを受けたりはしてない?安心してね、ベティを泣かす者は闇に葬りさってあげるから」
「い、いえ。本当に大丈夫です」
私が休んだ理由を勘繰ってるジーク様はこうして何度も訊ねてくる。
ちゃんと『侍女の看病をしていた』と話したのに。
ジーク様は『そう』と軽く頷いてくれたけどその顔は絶対納得してない。
何故こうも尽くそうとしてくるのか。
そんな疑念が表に出ていたのか、ジーク様は笑みの溢れる甘ったるい瞳を細めた。
「ベティが望むなら何だってしてあげるよ。お金に困ってるなら金貨を山のようにあげる、豪邸が欲しいなら帝国に用意してあげる、美しい衣服が欲しいなら帝国においで、宮廷御用達の縫い子を紹介してあげるから」
稀にジーク様は大胆な事を言う。
ジーク様がそれなりに地位のある御方だと分かるけど、本当のところはどうなんだろう。
資金は何処から捻られているのか気になる。
頭を悩ませる私に、ジーク様は薄く唇を開く。
「今まで金を私欲に使うことはなかった。ただ増えるだけの金貨の使い道を見失ってたけど、今はベティの可愛い笑顔を見れるなら私財が底をついたって構わないとさえ思う」
獲物を見つけた獣のような、危ない光を瞳に携えているジーク様に『やばそう』と冷や汗を掻く。
何だか引き返せないところまで来てしまっているように感じた。
「私は、ずっと欲しいものがあったんだよ。何も地位が欲しかったわけではない。名誉が欲しいわけでもない。ただーー愛が欲しい。私はずっと、愛情と言うものが欲しかった」
「ジーク様、」
「ベティに逢ってその気持ちは一層強くなった。私はベティの愛が欲しい。ベティは素敵な女性だから、想いを寄せる者は大勢いるだろう。だから何も私だけを特別愛してくれなくて良い。ただ一欠片の愛を私にくれないかい?ほんの少しで良いんだ、その分、私が君を愛すから」
唇を指でなぞられ、真剣な瞳でこちらをじっと見つめてくる。
「私には婚約者がいる、今の立場もある。でもそれを全て投げ捨ててでも、ベティの傍にいたい。今の環境がベティを愛すことを許してくれないと言うのなら、私は全てを擲ってベティを選ぶよ」
「ーーこ、困ります。わ、私はその後の責任を取れない。ジーク様には、ジーク様の人生がある。う、嬉しいです、嬉しいですけど、私にその覚悟は、重い」
まるで身を焼き尽くすような想い。
深い愛情を見せてくれるのは嬉しいけどしがない娼婦の私には少し、重荷に思えた。
高貴な御方であろうジーク様の人生をぶち壊しにするつもりはない。
盲目に恋着されて慄いているとジーク様はやんわり首を振った。
「そうではない。ベティに何かを背負わせようとは思ってない。これは私の問題だから。今の私には守るべき居場所も立場もないだけなんだよ」
「ジーク、様?」
「今の私の身では気軽に道を選ぶことすら出来ない。愛しいベティに堂々と逢いにくるのも憚られる。常に人目に晒されている状態だ。私は、重いんだ。この身分が」
顔に懊悩の色を表したジーク様は、私に訊ねる。
「ベティ、私の名前を覚えている?」
「え?ええ。もちろんです。ジークフリード様です」
「うん、そうだよ。私はジークフリード。ジークフリード・リンガラム。帝国に第一皇子として生まれたヒキガエルさ」
自嘲的な笑みが口元を掠める。
サラッと物凄い暴露をされて、私は口を半開きにしたまま固まった。
「え、皇子様?」
ジークフリード・リンガラム。
帝国の第一皇子殿下。
「と、と言うことは、じ、ジークフリード様は次期ーー皇帝?」
ぎゃああ!何かめっちゃ不敬罪っぽいことしてたああ!
頭なでなでしたりとか頬擦りしたりとかチュッチュッしたりとかーーぎゃああああ!
絶望感に頭を抱えているとジーク様が『いや』と否定したことで、『え?』と顔をあげる。
「私は少し複雑な環境に身を置いていてね。確かに皇位継承権は持っているが、別の者に譲ろうと思っているんだ」
帝国は世襲制。順当に行けば長子のジークフリード・リンガラム様が玉座につく。
しかし何故か帝国は今皇位争いの真っ只中にあると聞いたことがある。
ジーク様が帝国の第一皇子殿下と分かった今、何故風光明媚に居るのかと思った。
居て良いはずないのに、ジーク様は目を細めて優しい表情を見せた。
「私には意欲に溢れた腹違いの弟がいてね。皇位は彼に譲ろうと思っている」
「わ、私のせいですか?」
「ベティのせいではないよ。単に好かれてない者が王になるより、民から望まれる者が王となったほうが良いだろう?婚約者とも上手く行ってないし、民からも愛されてない。それなら早々皇位争いから退こうと思ってね。寧ろ遅かったくらいだ」
心に寂寞感が押し寄せてくる。
「妻となる女性にも愛されず、誰からも望まれない王になるくらいなら、こんな私に幸福を感じさせてくれるベティを選びたいだけなんだ。ベティのような美しい女性の傍に侍ろうなんて烏滸がましいにも程があるだろうね。だけど、本当に、今ある全てを擲ってでもベティを選べるくらい、愛してるんだ」
『ジーク様』と掠れた声が口から零れた。
情けない顔をする私に、ジーク様はふっと微笑した。
「私は王にはなれない。いや、違うね。なろうとは思わない。こんなにも"甘い考え"を抱く王を、誰が必要とするのか。それで皇位争いから退くことが出来るならそれで良いとさえ思ってしまうから"甘い"よ。本当、参るね」
「それはどういう、」
「早い話、私は婚約を破棄したいだけなんだよ」
「婚約、破棄?」
少しドキッとした。
身に覚えがあるワードだ。
「もし私が皇帝になるなら、婚約者殿は皇后となるだろう?」
「はい」
「まあ、それが無理だってことさ。今の私に彼女を妻にする気は毛頭ない。絶対彼女を嫁らなくてはいけないと言うのなら、私は王になろうと思わない。今の私に、己の本心を押し殺してまで彼女を嫁る気はないから」
「じ、ジーク様?」
「以前の私ならそんな甘い事口にしなかったのだけどね。どうやら私は愛を知って、随分と我が儘になったようだ。少し前までなら素直に婚約者殿と結婚出来ただろう。だけど私はベティと出逢ってしまった。心優しいベティの温もりを知ってしまったからには、ベティしか愛せない、愛さない。ベティを差し置いて誰か別の女性を愛す事など、不可能だ」
あっけらかんと言うジーク様はやれやれと首を竦めた。
話を聞きながら私はただただ呆然とした。
さっきは『ベティのせいではないよ』と優しく微笑んでくれたけど、どう考えたって、
「(私のせいじゃないですかあああああ!)」
ジークフリード様の責務放棄の所以は、私にある。
「で、ですが、ジーク様。貴族同士の政略結婚と言うものは貴族の義務。ある意味宿命のようなものです。皇族の結婚ともなるとそれは政治的要素が絡む結婚となりますわ。それを簡単に放棄すると言うのは、如何なものかと存じます」
「そうだろうね。だから私は皇族失格だ。早急に臣籍に下ることにするよ」
めっちゃあっさり納得するジーク様に開いた口が塞がらなかった。
悲愴感もなければ熱意もなく、感情の籠らない淡々とした言葉。
非を認めたうえで遜るので、少し質が悪い。
この人には罪悪感の欠片もないように思えた。
「それにしても、ベティは貴族のようなことを言うね。今のは貴族としての模範解答だ」
「え。い、いえっ」
「仕草も洗練されているし、貴族の令嬢と何ら遜色ないね。いや、寧ろそれ以上の気品と美しさだよ」
「そそそ、そんなっ。買い被りですよ!」
祖国の元公爵令嬢で王妃になるはずでしたが王子様に婚約破棄されて白紙。いつの間にかお城を恐怖に陥れた反乱軍の首謀者になった挙げ句、国外追放になりました。
なんてとてもじゃないけど言う気にはなれなかった。
「ベティが帝国に貴族の令嬢として生まれていたのなら、どんな手を使ってでも結婚に漕ぎ着けるのだけどね」
穏やかな表情だけど言ってることは恐ろしい。
本当にどんな姑息な手も使いそうだ。
ジーク様の目が真剣だったので私は『ふ、ふふ』と曖昧に笑った。
「もしベティを寵妾として召し上げても良いと言うなら私は本気で王座を獲りに行くよ」
「え!?」
「冗談だよ。ベティに肩身が狭い思いをさせたくないし日影で生きる女性にはしたくないからね」
「そ、そうですよね」
正直私も嫌だ。
皇帝の妾なんて、皇后にいびられる光景が容易く妄想出来る。
後宮にいる妾の元に押し掛けた皇后が張り手を食らわし、ドレスに紅茶を溢すのだ。
表向き皇后は『帝を奪われた可哀想な皇后』と嘆かれ、私は『帝の寵愛を奪った賎しい娼婦』と罵られるだろう。宛ら悪役だ。
「ベティが私のものになってくれるのは喜ばしいことだけど、醜聞が渦巻く王宮ではないほうがいいね。そんなものでベティの耳を汚したくないから。どうせなら静穏な場所に屋敷を構えて、ベティが笑って『お帰り』なんて出迎えてくれる幸せが欲しいね」
「…っ!」
「…ベティ?鼻を押さえたりしてどうしたの?」
「な、何でもないです(ぐあああ!何ていじらしい妄想!鼻血出そおお!)」
あまりにも可愛いことを言うので、一瞬頭の中が真っ白になった。
ついでにきょとんとした顔なんて狙ってるとしか思えない。
挙動不審な私を観察して何が楽しいのか分からないけどじーっと私を見ていたジーク様は切なげに笑みを零した。
「ベティが毎日隣に居てくれたらいいのに。そしたら毎日楽しくて、幸福感に満ちているのだろうね。私だけのベティになってくれるなら、もう鬱陶しいって言われるくらい構ってあげられるのに。まあ、そうなったらどれだけ邪魔だと言われても二度と離してあげられないのだけど」
ほんのり頬を染めるジーク様は、少し儚げで侘しくなった。
正直に『嬉しい』と喜べないのは、ジーク様がジークフリード・リンガラム殿下だと知ってしまったからだ。
今こうしていることさえジーク様の人生を私が狂わせたのかと思ってしまう。
だからひとつ、ジーク様に確認しておきたいことがある。
「ジーク様は何故最初から"ジークフリード"と名乗られたのですか?」
初対面のとき彼は"ジークフリード"と名乗った。
偽名だって使えたはずだ。寧ろこんなにも尊い御方であるなら、偽名を使ったほうが良かったと思う。
「確かに真名を口にしたのは脇が甘いのだろうね。でもベティに"ジークフリード"と名乗ったのは、ベティだったからだよ」
「え?」
「一目見た瞬間からベティは私の心を掴んで離さない。呆気なく心を奪われたというのに、偽名を使うなんて野暮なことはしないよ。内側を私で埋め尽くしたいくらい恋焦がれてるのに」
「……」
「実はね、"ジーク"と呼ぶことをゆるしているのは、ベティだけなんだ」
微かに声を弾ませて喋るジーク様に、心が締め付けられた。
私の葛藤を察してか、何も言わずに微笑んでいる。
「ベティ、『ジーク』と呼んでみてくれないかい?」
「…ジーク様?」
「ふふ。なぁに?ベティ」
ー…どうしてそんなに、嬉しそうに笑うの?
「本当、ベティは可愛いね」
そんなふうに笑われたら、私はもうどうだって良くなる。
だって私はもう貴族ではない。愛されてなんぼの娼婦だ。
まず、帝国の人間でもない。
帝国を愁う前に、目の前の人のことを優先するべきだろう。うん、そうだ。例え一国の皇子様だとしても、婚約者がいたとしてもーー私は娼婦だから、良いと思う。
頭を空っぽにしよう。単細胞の娼婦になって受け入れていいよね。うん、きっとそうだよ。
「ねえ、ベティ。ベティは難しいことを考えなくて良いんだよ。黙って私に身を委ねて愛されれば良い。私とベティを阻むものがあるなら、それは全部私が排除してあげるから。だから、ね?」
「…はい、ジーク様」
桜色の唇に、情熱的な接吻が乱れ落ちる。
痺れるような接吻の雨が降り注ぎ、縋り付くように執拗な唇を受け止めた。
ジーク様に愛されてもいいよね?だって私は娼婦だから。
帝国の皆さん、ごめんなさい。
謝りながら背徳感に苛まれる傍ら、快感に溺れた。
このときはまだ呑気にジーク様といちゃいちゃしていた。
『また逢いにくるね』と帰っていくジーク様に『はい』と返したものの、その"また"が暫く叶わなくなることも知らず、ジーク様を見送ったのだった。