この世界はいろいろ難しい
この世界の美醜は少し、いや、かなり可笑しかった。
私は前世という記憶をもってこの世界に生まれ変わったが、ここが異世界だと理解するのにそう時間はかからなかった。
この世界が私の知る世界ではないことが分かったのは簡単なこと。日本人離れした容姿の人が多かったから。
最初は外国に生まれたのかと思ったけど緑や紫や色の分からない髪色をした人がいる国があるなら教えてほしい。
そして獣人と呼ばれる、耳や尻尾がはえた人を私は知らない。
窓から見える景色も、空を飛ぶ生き物も、私の記憶にある世界とリンクしなかった。
そして、地球には魔法なんて存在しなかった。
私は異世界生活をそれなりに謳歌していた。
見たところ裕福な家庭のお嬢様に生まれたみたいだし、生活には困らない。
魔法もあることだし、魔法少女にでもなろうかなと呑気に考えていた。
だって夢物語のようだし。
しかし、夢のような状況に浮かれていたのは初めだけだ。
あれ?と思ったのは私がお父様と会ったとき。
自分で言うのもなんだが私は美幼女に生まれ変わった。
艶のある桃花色の髪にきゅるるんとした菖蒲色の瞳。
淡い桜色の唇から紡がれる声はまるで小鳥の囀ずりのようで、将来は絶世の美女になるだろうなと他人事のように思った。
しかしなんということだろうか。
でっぷり肥り、油の乗ったはち切れんばかりの腹を揺らすお父様は『わたしに似て可愛らしい』なんて言いやがった。
まるで養豚場の豚にでも見える人にそんなこと言われた美幼女の私は三歳で『だまれハゲ!』と罵って逃亡。
ショックのあまり号泣するお父様だが私も泣きたい。あんなお父様に似ているだなんて。
メイドや執事もお父様に似ていると口々に呟いていたので本当は美幼女ではないのかもしれない、と枕を濡らした。あれだ、子どもは皆可愛いとか言っちゃうやつだ。
鏡に映る美幼女の姿は、浮かれ気味の私が産み出した錯覚なのかもしれないのだ。
だがそれが杞憂だと分かったのは、事情を聞き付けたお母様にお会いしたときだった。
貴族の子育ては乳母に任せるらしく、このとき初めてお母様にお会いした。
本来なら基本的なマナーを身に付けた後に正装して会うらしいけど、泣いて塞ぎ込むお父様と部屋に閉じ籠る私の状況に、慌てて面会を仰いだ。
ボンキュッボンで妖艶な雰囲気を醸し出すお母様に目を奪われていると、彼女は『貴女はお父様のような麗しい方に似て幸運なのよ、恥じることはないわ』なんて可笑しなことを言ってのけた。
確かに妖艶な美女ではあるがキツい顔立ちのお母様と、豚ではあるが優しいお父様なら、系統的に私はお父様似だろう。
なんとも言えず『はあ』と仕方なく頷けば、満足気に微笑むお母様に連れられて号泣しているお父様と仲直りした。
部屋の片隅で踞るお父様を慰める執事も真ん丸な体型で、ここは豚小屋かと思ってしまったのは内緒だ。
そしてこの世界が可笑しいと確信してしまったのは六歳の頃。
公爵家の長女として生まれた私が祖国の第一王子と婚約すると聞かされて謁見したときだ。
絶世の美少年だと聞かされて嬉しく思っていたのに私の前に現れたのはお世辞にもイケメンとは言いがたい子豚さんだった。
金髪碧眼という武器を持っていながら脂肪がたっぷりついた身体に、ほっぺが熟れたリンゴのように赤く丸く、鼻はぺちゃんこで、歩き疲れたのか息の荒い王子様。
呆然とする私は王子様に見惚れてると思われたのか皆に微笑ましく見守られている。何故だ。美男子はどこにいるの。可笑しい、可笑しい。
「貴方のような綺麗な女性と婚約できるなんて夢のようです。まだお会いしたばかりですがその輝く瞳がわたしだけを映して下さる日がくることを心待ちにしております」
「は、はい」
お前は本当に六歳児か。
砂糖を塗ったような言葉を吐き続ける王子様に苦しくなって俯いてると『照れているのか、リザベティ』なんて、お父様の嬉しそうな声が聞こえた。そんなわけあるか。吐きそうなんだよ。
そんな不敬罪に値することを言えるわけもなく、斯くして結ばれた不本意な婚約。
あの謁見の場は女性は麗しい方ばかりだったのに対し、国王陛下含む男性は豚ばかり。
やはり何かが可笑しいと我が家に勤める熟女のメイド・ミシェルに訊けば彼女は目を丸くし、私も彼女の言葉に耳を疑った。
「からだの線が細い方より丸い方が素敵に見えるのは当然のことですよ、お嬢様。身体が柔らかいと包容力があって心地いいではありませんか」
あんな豚じゃ包容力がありすぎるよ!
「で、でもねミシェル!わたくしはもう少しむきむきマッチョッ、こほん、いいえ、身体のがっしりした方のほうが素敵だと思うの!」
「なんて野蛮な!筋肉のある方など淑女には目の毒ですわ!」
「え、えぇぇ……」
そんな馬鹿な!
目を見開き口を開けて固まる私にミシェルは如何に筋肉が嫌なものかを力説する。
ミシェル曰く筋肉も、肉のない線の細い方もだめらしい。筋肉が隠れる肉が素敵らしい。やばい、ついていけない。
「な、なら、どうして宮廷の騎士様や魔術師様の多くは避けられてるの?宮廷はイケメン揃い……ごほんっ!……素敵な方が多いと思うの」
そう、それが可笑しいのだ。
ぶっちゃけ今まで出逢ってきた騎士団の皆さんは見た目麗しい、私が涎を垂らして渇望するイケメンばかり。
王宮で迷子になって声をかけたとき泣かれた記憶がある。
この国、否、国というよりこの世界の人はイケメンを嫌悪していた。
「恐れ多くも、騎士団の皆様はお顔の造りが整ってると言えませんから。お嬢様も見たことがありまして?あの騎士団の演習場を。まるで毒蠍が群れをなしているのかと思いましたわ!ああ、おぞましい!」
「そ、そうかしら?」
「ええ!特に騎士団長のオスカー・アイザック!騎士としては敬うべき御方なのでしょうけど、あれと目をあわせるなど拷問に等しいですわ!」
あの、百獣の王っぽいオーラを纏った男前を"あれ"呼ばわりとは。
ミシェルと私の思う美的感覚はちょっとずれている。
「ミシェルはイケメ……じゃなかった。その、あまり美しくない殿方が嫌いなの?」
「ああ言う男性の傍によると吐き気がするからですよ。お嬢様は誰にでも手を差し伸べる御優しい方ですのでお分かりにならないと思うのですが、わたくし共には彼等が毒蠍のように見えてしまうのです」
「で、でも、この国を守ってるのは騎士様よ?嫌悪するなんて間違ってるわ。イケメンには優しく、んんっ……私達の国を守ってる方達には優しくするべきよ!」
「まあ、お嬢様はお優しいのですね」
うふふと朗らかに笑うミシェルにこれはダメだと肩を落とす。
それから、いくら顔が綺麗だの立ち振舞いが格好良いだの言ってもミシェルは理解してくれなかった。
ミシェルと話してわかったのはこの世界の人達に美醜に厳しい。
それも私の思う美的感覚とはちょっとずれた方向で、だ。
私が言う"イケメン"は、ミシェル達にはゴキブリに見えて近寄れないらしい。
次に体型だ。筋肉がある人は鳥肌が立ち、肉がある人ほど心安らぐ。包容力というものだ。
肉団子みたいなお父様や王子様のような男性ほどモテるらしい。
何より豊満な体型は富の象徴であると。
私が思う線の細い美男子や筋肉のある凛々しい男性は不細工になるらしい。どうしよう、全く理解できない。
私が王子様と婚約したことは瞬く間に王都に広がり、お友達のお嬢様にはお茶会で羨ましがられた。そんなに羨むなら王子様をあげたいくらいだ。今なら送料無料だよ。
異世界で白馬に乗った王子様(※イケメン)との出逢いを夢見た私がまさかあんな子豚と婚約だなんて、とティーカップ片手に笑顔を張り付けながら胃が痛くなる。
この焦燥感は誰にも分からないだろう。
何故なら私には子豚にしか見えないかの王子様は、皆には絶世の美少年に見えるのだから。
おほほ、と上品に笑顔を作りながらも内心頭を抱える私の周りで頬を染める美少女達が目の保養だった。
何故か女性の美醜は前世とたいして変わりない。
この美少女達も不細工(私から見てイケメン)を前にすると、吐き気に見舞われるらしいので不思議な話だ。
こちらの美的感覚に馴染めない私が体感することはないだろう。
私は影で『変わり者』と囁かれているらしいけどそこは国有数の大貴族、マリアベル公爵家の長女ということでカバーされている。
ぶつぶつ愚痴を溢しているけど、まだ私は恵まれていると思う。
未だ蔓延る獣人差別や奴隷制度がありながら、麗しの美少女達に囲まれてお茶を楽しめてるのだから。
そして色気漂う美人のお母様と、真ん丸だけど誰よりも優しいお父様のもとに生まれ、蝶よ花よと皆に愛されている。
"幸せ"を実感する私は、もうイケメンがどうのこうのでぐちぐちいうのはやめようと思った。
もう誰にも分かって貰えない私の美感を口にするのは控えよう。イケメンも諦めるしかない。
婚約が決まった日からお会いしてない王子様は、毎日花を添えて手紙を送ってくださる。
体型を除けばとても良い人だ。優しく、尽くしてくださる旦那様に嫁げることを本来なら私は喜ぶべきだ。顔も好みではないが、よくよく考えみれば愛嬌のある人だったと思う。うん、そうだ、私は王子様を愛そう、そうすればきっと私の未来は明るい!
そしてこの日から私、リザベティ・マリアベルが王太子、アーネスト・キャンピアン殿下と仲睦まじく寄り添う姿が見られた。
決意を決めた六歳のあの日から十年の時が過ぎた。
もうすぐ貴族院を卒業する。来るべき婚姻に備え、私はアーネスト殿下とそれなりに良き関係を築いていた。
恋と呼べる感情を抱くことはなかったけどこの人となら幸せになれると思った。この先恋心を抱くことはないだろうけど、この十年間で殿下と添い遂げる覚悟はできたし、きっと良いパートナーになれると思った。殿下も、同じ気持ちを抱いてくれているはずだと私は思っていた。
ーーそう、思っていたんだ。
アーネスト殿下から婚約破棄を告げられるまでは。