月明かり 竹に涼風 鈴の音 刀の銀に 飛沫飛ぶ紅
柔らかな風が吹いた。真夜中の月だけが見守る穏やかな空気の中、一人の男がしずしずと歩いていた。藍の着物に銀を散らした黒の帯。腰に差した二本の刀が、男の仕事を意味していた。
「暁様」
ふいに呼ばれた名前に、その男、暁は驚いたように振り返った。
その視線の先には、腰まで伸ばした長い髪を風になびかせた一人の少女がいた。帯飾りにつけた鈴が、涼やかに鳴った。
「どうして、どうして何も言わずに行ってしまわれるのですか。いつもなら、必ず帰ると、そうおっしゃってくださるではないですか」
少女は悲痛な声で訴える。
「風音様、なぜ追ってこられた。ここは危険だ」
暁は焦ったように風音に駆け寄る。
「今回の任は大変危険なのだ、この時点でもう、敵方に追われているやも知れぬのに」
「そんなことどうでもいいわ、私は、貴方様が何も言わずに私のもとを去ってしまうのが恐ろしいのです」
風音は、暁の袖にすがった。
そのとき、周囲にざわりと不穏な風が吹き、近くの竹林がざわざわと音を立てて揺れ動いた。
風音を背後にかばい、腰の刀に手をかける暁。姿を現したのは、暁の仲間で、遠方へ主命を果たすべく出ていた宵だった。
「宵!お前だったか。久しいな」
ほっと暁が刀を持つ手を緩める暇もなく、宵は冷酷な声で告げた。
「暁。主殿が、お前を殺せと仰せだ」
「何?!主様がなんと言っただと?」
宵は、暁の背後に隠れる風音をちらりと見てから、続けた。
「主殿は、お前が風音様をたぶらかし、風音様の先日の婚約を台無しにしたと思っていらっしゃる。その証拠に、今もなんだそのざまは。それでは本当に、お前が風音様をたぶらかしていたようだな」
「違います、あれはお相手様が勝手に…」
「風音様はお静まりくださいませ」
冷たい声を宵は風音に突き刺した。
「暁、釈明しようがあるまい。悪いが、ここでお前の命、頂戴する」
すらりと抜いた刀は、まっすぐに暁に向けられる。そして、ばらばらと周囲に集う黒い影の一団。
「なるほど、初めから私を殺す算段だったということか」
暁も、自分の刀を抜き放つ。月光を跳ね返し、白く刃が輝いた。
「宵、知っているぞ。お前が主様の命に従うと見せかけ、裏で悪事を働いていること。私がそれを知っていることにかこつけて、主様に付け入ったのであろう」
「黙れ、どこにそんな証拠がある。そんな口を利く余裕があるのは今のうちだぞ」
宵の声がわずかに揺らいだ。
「認めぬというか。お前の心が確たる証拠だが、良いだろう、それなら相手になってやる。ただし一つ約束しろ。風音様には手を触れるな」
高く鳴り触れ合う刃。防戦と攻戦。呻き声に舞う飛沫。
何人かは倒れ、何人かは傷を負い。暁も、その体に赤い筋を刻み、地に刀を突き立てる。大きく息をつく。
離れた場所にいる風音は、両の手でその頭を抱え、地に伏していた。
「ざまはないな、暁。先ほどの威勢はどうした」
「ふん、部下を大勢連れてけしかけるとは、お前の方がざまはないと思うがな」
いたずらっぽくにやりと笑い、それも苦しそうな呼吸にかき消される。
「もういい。お前の相手はうんざりだ」
周囲の残った影たちに向かい、宵は言葉を投げる。
「始末しておけ」
その瞬間、ざくりと背中から刀を突きたてられる。そして、前方から迷いなく、袈裟に切りつけられる。
悲鳴を上げる風音。宵は風音に近づく。
風音は咄嗟に守り刀を引き抜き、自らの首に突きつける。
「近寄るな。さもなくばそなたへの命令、叶わぬようにしてくれる」
「風音様、何を…」
宵は一歩近づいた。風音は何も言わず、真っすぐに守り刀で首を突く…。その体は、ゆっくりと崩れ落ちていった。
その瞬間を暁は、霞み行く目で見ていた。
「私もすぐに向かいます、風音様…」
だんだんと遠のく意識の中、それだけを呟いて。




