注ぐ茜色の恋慕
お題は以下のようです
シチュエーション:中高大一貫校 文化祭 花火
使用したセリフ「明日も会いたい」
一史(18才)
朱音(15才)
いじめに近い描写があります。ご注意下さい
言いたいことをはっきり言えない。
人の意見に流されてばかり。
嫌だと言えなくて、困らせてしまう。
意見をいって嫌われるのが、怖い。
人前に立つのが、恥ずかしい。
変わりたかった。
諦めていた。
だから、本当に奇跡。
スポットライトに魅せられて、ああなりたいと願って、震えながらスポットライトを浴びて。
変われた、と思った。
けれど。
なにが変わったのだというのだろう。
私なんか、と呟き続ける私の、
どこが。
××××××
御木 朱音は演劇部と文芸部に所属しているが、中学に入って3回目の夏、3回目の文化祭を迎えていた。
「先輩、何か食べるものを買ってきましょうか?」
控え室にいるのは、中学生から高校生までの男女9人。中高合同の演劇クラブの、全てのメンバーだ。
最年少は、朱音よりひとつ下の中学2年生、星 佐保と若林 英明。
最年長は、高校3年生の部長、一史。総監督でもあり、頼もしい先輩である。
朱音の学校は付属の大学に進学する者も多く、受験の殺伐とした空気も少ない。そのゆったりと流れる時間のお陰で、一史は高3の夏休みと、文化祭までの時間を存分に演劇に費やすことができた。
「あー、確かにお腹減ったわ。でも、朱音ちゃんに行かせるのもなー…。そうだあんた、朱音ちゃんに付いていきなさいよ」
高3のもう一人の女子赤崎 えりかが、ストレッチをしている一史の背中を叩いて言った。同学年だからか、男の子であるからか、彼女の一史に対する扱いは、かなりぞんざいだ。けれどそれは、中学一年からの長い付き合いに裏打ちされた絆だから、羨ましくも思う。
「ったく、なんで俺が」
「こんな可愛い朱音ちゃんを、ひとりで外歩かせてみなさい。すぐ他校の男子にナンパされるわよ」
「『ねえ、可愛いね。それ、なんの衣装?』」
すかさずメイクをしたり発声練習をしたりと、思い思いの時間を過ごしていた部員数名が小芝居を開始する。
どうやらナンパ役を高一の雫石 麗華がするらしい。彼女は今舞台のヒロインのはずなのだが、なかなかに男前の演技も上手いのである。
「『あ、えっと…演劇の……』」
対する朱音役は中二の若林 英明。確かに女子らしく見えるように努力しているのは分かるが、おネエにしか見えない。朱音は自分がこんな風に見えているのかと不安になった。
「『えんげきー?なに、演劇部員なの?』」
麗華は厳しい。朱音役には足りないと分かるや否や、英明の頭を叩いて退場させる。軽く叩いているはずなのに、英明は涙目になってすごすごと退場。
噴き出した部員が数名。
変わって高一男子、風見 爽太が朱音役を引き継ぐ。何故男女逆転なのだろうか、という疑問は無意味だ。
演劇部員だからである。
「『…は、はい』」
恥じらいと人見知りで頷く『朱音』。本物の朱音はその演技力に感嘆するばかりだ。
「『そんなことよりさー、俺と回んない?美味しいお店知ってるしさあ?』」
強引に腕をとる麗華はさらさらの髪を靡かせる。
見た目は清楚ではかなげなお嬢様なのに、中身は男前なのが彼女だ。まあ演劇部の女性陣は皆したたかで芯が強いが。
良い雰囲気か……!と思われたところで観客からストップがかかる。
「はーいストーップ!考察が甘い!学園祭でお店って言葉のチョイスも微妙」
一史が手を叩いて場を仕切れば、一気に空気が弛緩する。他者を飲み込む気迫を持つ彼らの演技を、朱音はいつもすごいと思う。
すると片耳にヘッドフォンを当てていた猫っぽい雰囲気の影谷 茉都莉が気だるげに意見する。
「ああ、それなら声かけるのも、知り合いのクラスに行きたいから案内してくれとかの方が自然よね。まあナンパしたこともされたこともありませんが」
いつも傍若無人の変人と有名な茉都莉は高一。基本的にやる気はないが、音楽や音響に対する熱意は本物だ。
一度ミュージカルをやったときは地獄だったと、朱音は思い返して身震いした。
「もう、みんな何やってるんですか。仕度もさっさとしちゃってくださいよ。あ、部長、これ昨日夜なべして作ったんで持って行ってください」
佐保は美術部との兼部で、裏方と役者を兼業してくれるお役立ちだ。本人は気にしているらしいが、細いのでいつか、ヒロイン役をやれるのではないかと朱音は思っている。
そんな佐保は折り重なるように積み重ねられているプラダンの中から唯一木製のプラカードのようなものを取り出した。
「なんだこれ……ああ、ビラがわりか」
でかでかと日時時間が書かれたそれを受け取って、一史は心得たように頷いた。
どうにかこうにかアイシャドウを引いている最中のえりかが一史にヤジを飛ばす。
「せっかく無駄に男前なんだから、活用してちょうだい。朱音ちゃんは、目一杯楽しんできてね」
「そうですよ。部長の顔のよさは演劇関連でしか使えせんしー」
ストローを差したペットボトルの水を飲む麗華はどことなく風格が漂っている。一史は特に反論せず苦笑を返す。
「なんでこう、うちの女子部員は男に当たりが強いんだか」
そーだそーだ!男女差別はんたーい!と爽太が騒ぐが、同じ学年のもう一人の男子、志水 清嗣が頭を叩いて黙らせた。
こんな緩やかな上下関係の部活は、朱音が聞くかぎりここだけだ。
最初は、怖かった。
どこまでも意見を妥協させない、ぶつかり合うのを避けないその姿勢が。
けれど今、朱音はそれを心地よいと思える。仄かに笑んで、仲の良い部員を見つめる。
「えーと、みんな買ってきてほしいのがあったらこの紙に書いてー」
えりかが皆に紙をまわすと、思い思いに何やら書き込んでいる。当然のように先輩に買い出しに行かせる部員を朱音は尊敬する。親は敬うもの、年上の方には従うこと、と少々古風というかかなりお堅い教育をされた朱音には、砕けてきたといえど難しいものがあった。
一通り書き込まれたそれを纏めて一史につき出したえりかはウインクをする。
………本人は気がついていないが、アイラインがずれている。あとで書き直しか。
「はい、買ってきてほしいもののメモ。よろしく頼んだわよ」
受け取って中を確認した一史は、嫌そうに顔を歪めた。
「うげぇ…これ、どんだけ食いたいんだよ。しかも、ヨーヨーとか、いるか?」
「あ、それ頼んだの、僕」
いけしゃあしゃあと悪びれないのが佐保だ。確か妹に頼まれたと言っていた記憶があった。朱音はやっぱり自分にはできないな、と思う。それ以前に人に頼むことが苦手なのだろうが。
「お前か…それくらい自分で買えよ」
「小道具の微調整があるので無理なんです。代わります?」
呆れたような物言いの一史に、強気な佐保。
舞台に小道具は必須で、美術系の仕事は殆んどすべて佐保に回ってしまっている以上、一史は強く出られない。
それ以上に一史は不器用だった。
「や、やめておく」
××××××
外を歩きながら、朱音は宣伝の木製の看板を肩に担いで隣を歩く一史を一瞥する。
着ているのは、まるで騎士のような衣装。焦げ茶に染めた髪は、いつもは黒い。洗い流せる染め粉で染めているためだ。
「どうかした?」
「…髪が跳ねてますよ」
かっこいいから見とれているとは口が裂けても言いたくない。隣にたつ自分が惨めに感じてしまうからだ。
朱音は今回は一史演じる勇者の幼馴染みだ。村娘A、ことアンナという役で、身に付けるのは村娘らしいブラウスと、膝丈のスカートにエプロンと三角斤。
髪はふわふわに巻いたし、化粧だってしたけれど、悪役の魔女を演じる先輩の妖艶な美しさや、王女であり聖女をやる先輩の儚い美人にはなれないのだ。
劣等感を感じて演劇部の美人率を恨めしく思うが、首を振る。
(いやいや……美人が多い方が見映えがいいし、いっぱい居た方が良いよね!)
けれど、美人が多い分、朱音は悪い意味で浮いてしまう。それでも舞台を真っ先に考えてしまう自分にほとほと呆れた。
(私…どんどん演劇バカになっていってるよ…)
誇るべきだと特に部長などは言うだろうが
(誇りたくないっ)
朱音は背中を丸めてため息をついた。
「せーなかっ」
「は、はいっ!」
ぱしんと背中を叩かれて慌てて背筋を伸ばす。背中を叩いた一史は、少し遅れて歩く朱音の顔を覗き込むように訊ねた。
「背中、曲がってんぞ。見られてるんだし気を付けること。どうした?考え事か?」
朱音は苦笑いをして答えた。
「ずいぶん私も演劇バカになったもんだなって思って……」
一史は朗らかに告げた。
「もうとっくにそうだと思ってたけどなあ。まあ、それでこそうちの部員だから」
「確かにそうですね」
確かに皆、演劇バカだ。美人の麗華やえりかも、身綺麗に整えているのは演劇のためだ。役のために10kg太れと言われれば、死ぬ気で太るだろう。まずやらせないが。
隣を歩く一史は、知り合いに会うたびに宣伝の声をかけ、遠巻きに眺める少女ににこやかに手を振る。
普段は決してそんな性格ではないのに、猫かぶり、というか演技力はさすがだと思う。
朱音は人の良さそうな柔らかい笑顔を辺りに振り撒く勇者様に、つい見とれた。
「先輩、―――」
「あ、ヨーヨー」
似合っていますね、もうすぐ舞台ですね。何を言おうとしたのか分からないまま口を開いて、先の方にある屋台を見つけた一史に遮られた。
「ヨーヨー?ですか?」
「買い物リストってか星のリクエストだ。ちょっと買ってくるな」
「はい……?」
これ持って待っていてくれと言われて、プラカードを持たされ、風のように去っていく一史に置いていかれてしまった朱音は呆然と立ち尽くした。
仕方がないので、宣伝の真似事をしてみることにする。
「演劇部公演!ホールにて1時からです!」
時たま通りかかる友人は手を振ってくれるから朱音も降り返した。他校生や他学年の生徒も興味を持ったような視線。
結構な頻度で道を聞かれるのは、朱音が気が弱そうに見えるからだと考えないようにする。一史と一緒にいるときは殆ど聞かれなかった、というのは知らない。
少しすると、左右に友人を引き連れた少女が朱音の前で仁王立ちした。
「あんたまだ演劇部なんかやってんの?」
「………」
「やめてって鮎香ちゃんが言ったのに」
「あんたのせいで鮎香ちゃんは止めちゃったのに」
朱音は俯くことしか出来ない。顔を上げたいのに、怖くて上げられない。
「朱音はドジでノロいからどーせ先輩方に迷惑かけてるんでしょ。それならやめちゃった方がいいよ。先輩方に迷惑かけるとかマジあり得ないし」
「朱音は演技も下手だしね。鮎香ちゃんはすっごく上手なのに」
友人一(下僕若しくは側近などと彼女らを嫌う人から呼ばれている)は、全て大島 鮎香の言葉に同調しているだけ。だが、それが朱音の心を傷つけないことはない。
「ちょっとここじゃ迷惑かかるから、あっちにいこう、朱音?」
言っていることはまとも。でもこれが、言葉の暴力での吊し上げへの招待状だと知っているから、朱音は怖くてたまらなかった。
「………」
「は?どしたの、早く歩いて」
「…………や」
「ほら、早く」
「ほんっと朱音はノロいよねー」
「ねー」
自分と同じぐらいの身長しかないのに、不思議と朱音には威圧感を感じさせる。それでも勇気を振り絞って声を出した。
「……―――いやっ!」
「なにその大声。迷惑なんだけど」
「マジ意味わかんない。めっちゃウケるんだけどー」
それも一蹴されて、振り絞った勇気がみるみる萎む。嘲笑が三方から降ってきて泣きたくなった。
「なんでアタシがやめたのに、朱音が演劇部続けんの?」
畳み掛けるように鮎香は言う。胸に刺さるような強い口調。問答無用の命令形。
「早く止めて。今すぐ、やめて。舞台なんか、あんたが恥かくだけだから。忠告してあげてるのよ?今すぐやめろよ」
じっとりと全身に汗をかいているのに、指先は感覚がないほど冷えてきた。朱音にとって彼女らはトラウマだ。
「じゃあ、アタシのいったこと忘れないでね。朱音のためにいってるんだよ?」
言いたいだけの悪意をばらまき散らして、鮎香達は歩き去って行く。ただただ楽しそうな、聞く人が聞けばろくでもないと断じる笑い声を響かせて。
「わ、わたし………」
朱音は鮎香たちに見つめられると何も言えなくなった。言わなければと思うのに、足が竦んで喉が閉まって声が出ない。情けないと思いながら、また俯いた。
「…………だめだよ」
我慢。忍耐。
唇を噛み締めてうつ向いていたら、くしゃりと頭を撫でられた。
「…よく、頑張ったな」
「……一史…せんば、い……」
気持ちと涙腺が緩んで、目の前が滲む。
そうだ。朱音は頑張ったのだ。たったあれだけしか言えなくても、バカにされても同調しながら笑っていた頃とは違うのだ。
「………泣きそうです。先輩が、優しすぎて」
ポツリと呟かれた言葉に、一史はぎょっとする。これで女性運のない一史は、泣きそうな女の子を慰めるなんてことは出来ないのだった。
「え、っと……泣くなよ?泣くなよ?
取り合えず、なんか食うか?色々買ってきたからな。あ、あとヨーヨーやる。結構とれたんだ」
「ヨーヨーって世界観違すぎませんか?」
あまりの不器用さについ笑ってしまう。
目をしばたたかせて、涙を吹き飛ばした朱音は笑顔でヨーヨーを受け取って、ぱしゃぱしゃと手鞠のようにつき始める。
「良いんだよ。どうせこれだって少しは遊べって言う伝言だからな」
「?どう言うことですか?」
「うちの伝統ってところか。最高学年は、今までずっと部活で文化祭を楽しめる時間が少ないだろう?最後ぐらい楽しむためにってやつ。まあ、始めたのは俺と赤崎だがな」
伝統と言う言葉の意味が行方不明だ。
「後輩にやらせるのもいいが、最後ぐらい自分でまわりたい」
「…………もうすぐ、引退ですからね」
酷く、寂しく思う。
朱音は彼の引退を想像して、ぽっかりと胸に穴が空いてしまうような気がした。こんなにも、朱音は演劇部のことを思っている。
こんなにも、一史のことを思ってる。
「先輩は、内部進学ですか?」
「そうだな。成績的には外部の国立も行けそうなんだが、やりたいことがあるから」
朱音は眩しそうに一史を見た。すでに自分の道を見つけて、しっかりと歩いている人。胸を張って歩ける人。
「やりたいことって、演劇の他にですか?」
部内一の演劇バカ。それが朱音の一史に対する評価だ。洞察力が鋭いが、それすらも演劇のための観察による。見た目のよさも、演劇のために体力をつけているから体は引き締まり、役に合った髪型をしている。
だから一史がやりたいことなど、朱音には他に思い付かない。
「なんだろうな」
問いかけははぐらかされて、朱音はこっそり頬を膨らませた。すぐに一史は機嫌を取るように朱音の口にベビーカステラを押し込んで、自分にも放り込んだ。
真っ赤になってベビーカステラを咀嚼する朱音を、機嫌が良さそうな一史が眺める。
「それにしても、朱音、頑張ったな」
「ふぁいっ!?」
口許を押さえて飛び上がる朱音に苦笑する。
「よくあいつらにちゃんと嫌だって言えたな」
「先輩、聞いてたんですか!?」
もちろんだ、と一史は頷いた。
「さすがに気づくぞ。大島たちと朱音が揉めてた時期も、あったみたいだしな。赤崎とか雫石がすごく心配してた。でも、まあ、お前も強くなったな」
「………強くなんか、ないです」
思い出す、言葉。
―――なんでアタシがやめたのに、朱音が演劇部続けんの?
それはぐっさりと朱音に突き刺さっていた。その通りだ。朱音は思わずにいられない。私より、あの子の方が、ずっと演劇部にふさわしかったのに。
「………何を話してたかまでは聞いてないが、きっと碌でもないことだから。気にすんなよ。それより舞台だ」
一史の励ましの言葉も耳を素通りする。
どうしたらいいのだろう、と朱音はそればかり考えていた。舞台を降りなければいけないのかもしれない、と。
××××××
鮎香とあとの二人は、朱音が中学一年生の時のクラスメイトで、同じ演劇部の新入生だった。
「朱音ちゃんっていうの?アタシは鮎香。鮎香って呼んで」
「…よろ、しくね。鮎香ちゃん」
今よりずっと引っ込み思案だった朱音は、明るくて可愛らしい鮎香にすぐに憧れた。
いつも自分の意見をハキハキと言って、みんなを笑わせてくれる、そんな人だと思っていた。
「うわぁ、また朱音こけたの?本当あんたってノロいねえ」
「朱音って変なの〜」
けれど、積み重なる小さな嘲笑が、朱音の心を暗くした。時間が経つごとに見えてくるものもあった。
鮎香達は基礎練習に熱心ではなかったし、あからさまに部活をサボることがよくあった。そのくせ部活に対する愚痴や、朱音に対する謂れのない非難も多かった。
走り込みやストレッチなど、積み重ねるべきものを積み重ねず、花形ばかりやりたがる彼女たちだが、実際演技力は新入生にしてはある方だったのだろう。
オーディションで役を決めるとき、朱音には裏方が向いていると鮎香は言った。
朱音もそれは分かっていたけれど、舞台に経つことに憧れて演劇部に入ったのだ。どうしても、とオーディションを受けたが、落ちてしまった。
鮎香は受かって、優越感を湛えた口調で慰めてくれた。その頃からずっと、朱音は鮎香たちが苦手だった。
どういうわけか、朱音はえりかや麗華、茉都莉などの先輩に特に気に入られていて、部活中、同じ学年の鮎香たちといるよりずっと楽だった。
逆に鮎香たちは、先輩にすりよってはどこか冷たくあしらわれて、不満を募らせた。
そこからだろうか。鮎香たちと朱音の関係がこじれ出したのは。
鮎香は朱音を無視するようになった。土曜や休みの日に、活動で弁当を食べるときは、一人だけ別の場所にされた。それを見て、ひそひそと楽しそうに笑われた。見せつけるように内緒話をされることもあった。
朱音は生来大人しくて、他人に流されてばかりだ。こういう事態が一番恐ろしかったのに。
それでも朱音は部活をやめたいとは思わなかった。
部活害の時間でも、毎日走って体力をつけて、発声練習をした。自分に自信がなかったからこそ、人一倍頑張らなくてはいけないと、努力した。
そして次の公演の台本が決まって、オーディションをすることになった。
鮎香たちは3人で。朱音は一人で練習をした。奇しくも、朱音と鮎香の第一志望が被った。
朱音は人前に立つと、か細い声しか出なくて、恥ずかしくて気後れして、顔が耳まで赤くなって泣きそうになっていた。
そんな自分が大嫌いで、オーディションに受からなかったのも当たり前だと思っていた。
だから、毎日声を出す練習をして、舞台でどれだけ動いても、声がしっかりと出せることになるのが目標だった。
部活の時に、えりかや一史や他の先輩から、頑張っているな、と誉められて嬉しかった。
ただただ真っ直ぐに朱音は努力した。努力を厭んだ鮎香と比べてどうなるかなど、誰から見ても明白だった。
「◯◯役は、御木さんに決まりました」
当時の部長がそう言って、朱音は少しの間信じられなかった。まさか、鮎香に勝るなどとは思っていなかったから。
嬉しかった。けれど少し申し訳なかった。だから鮎香の分まで頑張ろうと思った。
目すら合わせず黙ったままの鮎香の様子になど気がつかなかった。
部活の帰り、鞄を肩にかけて帰ろうとすれば、鮎香に声をかけられた。
「朱音。ちょっといい?」
「え?」
問答無用で空き教室に連れ込まれ、開口一番に鮎香は言った。
「どうやったの」
「な、なに?鮎香ちゃん……」
「しらばっくれないで。先輩に頼んだんでしょ。受からせてくれって」
衝撃で声も出なかった。汚い手を使った、と思われたこともだが、鮎香が微塵の迷いもなかったことに驚いた。
「わ、私、そんなことしてないよ」
「はぁ?嘘つくの。汚い手使った上に、正直に言わないとかマジサイテーなんだけど」
「ほんとに……」
朱音の言葉は鮎香には届かなかった。聞くつもりなど初めからなかったのかもしれない。
「朱音、役降りて?」
にっこり笑って鮎香が言うものだから、恐怖にかられて叫び出しそうになった。
「…………………………ぃ…」
「じゃあね朱音。また明日」
颯爽と去って行く鮎香にかける言葉など思い付かなかった。
朱音は自分が潔白であることをわかっていたから、鮎香に怯えながらも役を降りたりすることはなかった。今まで以上に必死に練習をした。
鮎香に、自分は実力で選ばれたのだと分かって欲しかった。
努力する度に朱音は認められていった。
努力する度に、朱音は鮎香を無視することになっていった。
高いプライドを傷つけられて、鮎香は朱音に嫌がらせを始めた。クラス内で朱音の悪評をばらまいた。幸いなことに、朱音の味方となる友人はいたけれど、肩身が狭いことに変わりはなかった。
しばらくそんな日が続いて、朱音は憔悴し、取りつかれたように役の練習をした。早々に喉が枯れ、そのお陰で身ぶり手振りの練習を重点にやれた。
家でも練習はしたけれど、部室に残って遅くまで練習をすることも多かった。
そんなある日、朱音は聞いてしまう。
「一史先輩!聞いてください!」
放課後。用事に追われて昼休みに食べ損ねてしまった弁当を食べようと、部室で隠れるように座っていた。用事、も口実で、その日友人たちが休みや用事があるせいで、一人になってしまった朱音は昼休み中図書室に逃げ込んでばかり。
食欲はない。今日も隠れて捨てるしかないのかと考え、項垂れる。
一人でぽつりといるのは、寂しくて苦しくて仕方がなかった。ただ、演技をしているときだけは苦しくなくて、そのときも台本を眺めていた。
「……?…ああ、大島か。どうかしたのか」
少し戸惑ったような気配がして、一史の声が聞こえた。上ずった声で話しかけているのは鮎香だった。
部室に鮎香が来るのは珍しかった。オーディションに落ちて、裏方に決まって以来、遅刻と早退、欠席ばかりの鮎香は、やる気もなく、朱音に嫌みを言うばかりだったから。
「……聞いてほしいことがあるんです」
「何だ。手短に頼む」
息を吸う音が聞こえた。何をいうのかと固唾を飲むと、鮎香の泣き真似が聞こえた。
「アタシ……朱音に言われてたんです」
勿体ぶるように言葉を区切る鮎香に一史は言う。
「はあ。早くしてくれないか」
「…。アタシ、朱音に脅されてたんです。オーディションの時に手を抜かないと、アタシが…一史先輩のこと好きなのをみんなにバラすって。でも、バラされたら、この部活は恋愛禁止だから、やめなきゃいけないから、そんなの嫌で、言うこと聞いちゃったんです」
思わず息を呑んだ。
そんなもの、根も葉もない虚言だ。けれど朱音はクラスメイトがその根も葉もない嘘に惑わされるのを見てきたから、怖い。
一史が、自分の演技を認めてくれている人が、その嘘を信じてしまったら。
台本を持つ手が震えて、台本ごと体を抱き締めて縮こまった。
それでもつい耳を欹ててしまう。
「アタシ…そんなの嫌で、でも、朱音が怖くて………」
「それで?」
一史の声に、同情や憐憫は一切なかった。それどころか、鮎香の話を一切相手にしていなかった。
「嘘なんかついて何がしたいんだ?」
「あ、アタシは…嘘なんて………」
「………いいや、嘘だろう」
苛立ちを隠しながら、鮎香を諭す。
「ああ、手を抜いたのは本当か。あのとき何回台本読んだんだ?一回?二回?
御木の実力なら、脅しなんか必要ない。あいつは凄く努力して、凄く上手くなったからな。
わざわざそんな嘘をついて、何がしたいんだ」
「アタシはっ、嘘なんて。朱音が…」
鮎香の声は尻すぼみになる。
「いい加減にしろ。お前が御木に負けたのは、お前の努力不足だ。部員に色々と吹聴して回っているらしいが、あいつは小細工なんかしていない。全部あいつの実力だ。見てわからないのか?御木は誰よりも努力していた」
「…………………」
調子を荒げたのを反省したのか、少し優しい調子で一史は言う。
「最近、部活に来ないし来ても上の空。部活には真面目に取り組んでくれ。皆、困ってる」
「……………………」
返事は遠ざかる足音。足音が聞こえなくなって、深いため息が聞こえ、がらりと部室のドアがスライドする。
「………!聞いてたのか………?」
「……!」
驚きで声も出なかったが、よく考えれば用があるから部室に来たのだ。朱音は隠れるようにさらに体を縮めた。
ばつの悪い表情をした一史だが、すぐに驚愕に塗り替えられる。
ぽろぽろと大粒の涙を流して朱音は泣いていた。
「大丈夫か?どっか痛いのか?」
あわてふためく一史に、ただ首を振るだけしかできなかった。嬉しすぎて、胸が苦しかった。傷つけられた心に優しさが染み込んで、癒えていく傷が痛かった。
感情が氾濫すると、その感情が何であれ、苦しくなることをはじめて知った。
「せん、ぱい…、私、は、ちゃんとやれ、てます、か……?鮎香ちゃんに言ってたの、ほんと、う、ですか………?」
目の前に心配そうにしゃがみこんだ一史に縋るように、朱音は涙も止まらないまま尋ねた。拭うことも忘れて、朱音は一史の返答を待った。
「…ああ。本当だ。朱音は誰よりも頑張ってる。胸を張って良い。本当に、よく頑張っている」
一史は朱音の頭をくしゃりと撫でて、期待以上の言葉を朱音に渡した。
「……………………」
「うわっ。だ、大丈夫か?いや、まじで、何か気に触るようなこと、言ったか」
一層激しく泣き出した朱音は、首を横に振りながらなんとか弁明する。
「先輩が………やさし、すぎ…て………」
泣きすぎて一史の顔が認識できなくなって、掌で涙を拭い出せば、手首を引き寄せられた。
「本当に、よく、がんばったな、朱音。偉いぞ」
とんとんと背中を叩かれて、抱き締められているとわかった。朱音の涙は止まらなくて、ぐりぐりと額を一史の胸に押し当てて泣いた。
茜色の光が差し込む部室に、泣きじゃくる声が響いた。
××××××
気持ちが育つのは当然だった。
でも、気持ちは隠さなければいけない。
演劇部にいるために、守らなければいけないことがある。
―――部内恋愛禁止
バレたら朱音は演劇部をやめて、一史のそばにいられなくなってしまう。だから隠さなくてはいけない。
言い聞かせる。隠さなくてはいけない、と。
演技は演劇部員の十八番だ。
朱音はこの慕情を伝えないことを決めた。
××××××
暫くして鮎香は正式に演劇部を退部した。鮎香の二人の取り巻きも、彼女と共にやめて、朱音の学年は朱音一人になった。
少し寂しいが、朱音は気分が楽になった。
けれど、どうしても鮎香の捨て台詞が忘れられなかった。
―――あんたのせいで、アタシは部活をやめるの。あんたがさっさとやめてれば、こんなことにはならなかったのよ。アタシのほうが、相応しかったのに。
卑屈な心に突き刺さって抜けない棘。
朱音はずっと思っている。
あの子の方が私よりもずっと相応しかったのに、どうしてあの子が止めて、私がここに居続けているのだろうか。
××××××
一通り回り終わってお使いも済んだ。必要なもの以外にも、一史は朱音を色々と楽しませてくれた。
まるでデートみたいだと思う。
楽しくて、どきどきして、その度に鮎香のことを思い出した。
一史のことが好きだったあの子。
私のせいだった。あの頃のすべては。
今こんなに幸せなのは、彼女が演劇部をやめたからだ。彼女の犠牲の上に私の幸せはあるのだ。
朱音は酷く追い詰められていた。
鮎香との想い出はほとんどがトラウマで、思い出したくないそれらを思い出していた。
恐かった。
恐くて恐くて、昔の朱音ならきっと、一目散に逃げていた。けれど、逃げるわけにいかない、という気持ちが朱音を引き留めていた。
今回の公演の台本は朱音が書いた。
頼まれて、できないと一度は首を振ったが頼まれて引き受けた。
アンナ役にも代わりはいないと言い聞かされていた。だから、逃げられない。朱音は逃げなかった。心はずっと揺れていた。これで良いのか何て、分からなかった。
控え室でそれぞれが最終調整をしている。
朱音は台本に視線を落としたまま、動くことができなかった。
「……声、出しておかないと舞台が辛いぞ」
「…………。………あ、一史先輩、何か言いましたか?」
「………朱音、大丈夫か。大島たちに何か言われたのか」
心配そうな一史に顔を覗き込まれて申し訳ない気持ちでいっぱいになる。本当ならここには鮎香がいるはずだったのに、私なんかでごめんなさい、と。
「い、いえ。なんでもないです。…そうですね。発声しておかないと」
体を動かし、準備を始めるが、全体的になおざりになってしまっている。隣で朱音を見ていた一史は深くため息をついて、丸めた台本で朱音の頭を叩いた。
ぱこんと小気味良い音が響くが、叩かれた方は痛みはないものの、驚きでいっぱいだ。
「せ、せんぱい!?な、なんですか…」
驚いて顔をあげた朱音は、むっつりとした表情の一史と目が合った。怯える朱音にさらに一史は不機嫌になる。
「ちょっと来い」
「は、はい………」
連れられて人気のない廊下。遠くから雑踏の賑やかさが聞こえた。
「何を言われるかは分かってんな」
「…………すみません」
ただ謝罪する朱音にあからさまな吐息が追い討ちをかける。首をすぼめた。
ああ、やっぱり私は相応しくない。
ネガティブな思考に身を任せると、すべてが駄目に思えた。
なんで自分に台本が書けると思ったのだろう。
なんで自分が舞台に上がれると思ったのだろう。
なんで演劇部に入ろうなどとでしゃばったことを思ったのだろう。
今すぐに役を降りると言い出さなければいけないような気になって、口を開きかけ―――
ぱこん、と。
またもや頭を叩かれた。
「せっ、せんぱいっ?」
ビックリして頭を押さえている朱音は、瞑ってしまった瞼を恐る恐る開いて、一史の様子を窺った。
不機嫌を隠そうとしない仏頂面は、朱音が始めてみる表情だ。
ぱさり、と台本が床に落とされる音がした。
朱音が拾おうとするよりも早く、朱音の両頬は捕らえられた。
「……え、え、…は?」
頬を大きな手で捕まえられて、上を向かされる。吐息を間近に感じて、触れあいそうなほど近くに一史の顔が近づいていることを知った。
「また、碌もないこと考えてんだろ」
「せ、せんぱいっ……。……ち、近ぃ………」
顔を赤くして抗議するものの、一史は聞く耳を持たない。
「よく聞けよ。一度しか言わねえからな」
どこまでも真剣で、射抜くような視線が心に刺さる。
何を言うのだろうかと思いながら、一史の瞳に見入った。
「………お前が、必要だ」
突拍子もない台詞だけど、朱音のことをよく理解していた。朱音が欲しくてたまらない言葉。朱音を引き留められる言葉。
「大島なんかには代われない。赤崎や、雫石であってもだ。…朱音は、精一杯努力してきただろう。そうやって、自分だけの価値を得たんだ。他の誰にも代われない、お前だけの価値だ」
じわり、と朱音の瞳に涙が浮かんだ。
唇を噛んで涙をこらえていると、困り顔の一史に頭を撫でられた。
「…泣くな。泣くのは舞台が終わってからにしてくれ。そうしたら、いくらでも泣き場所は提供するから」
朱音は俯きながらも頷いた。
重力に負けた雫が一滴、地面にぶつかり弾けて割れた。
××××××
控え室に戻れば皆得心顔で、朱音は優しい笑顔に迎え入れられた。
唇を噛んでいたせいでグロスがとれていたのは麗華が塗り直してくれる。
少し崩れた化粧はえりかが直してくれようとしたが、不器用な彼女に任せたら大変なことになる、と爽太がやってくれた。女友達(?)が多いから、上手になったらしい。
清嗣は声楽用の本気のど飴を、どこから持ってきたのかマシュマロを、茉都莉がくれた。
後輩二人は極力知らんぷりをしてくれて、朱音でなくてはならない質問を時折投げ掛けた。
どれもが朱音を幸せにして、気持ちを奮い立たせる。
舞台に向かう前、円陣を組んで、絶対に失敗させるものか、と決意を固めた。
魔女の慟哭から始まるそのストーリーは、至極簡単なものだ。
親友を失った魔女は、その理由を世界に見つけ、世界に復讐をしようとする。しかし、神の啓示を受けた聖女と選ばれた勇者と戦士が魔女の企みを阻止し、倒す、というもの。
だが、朱音はそんな簡単なストーリーこそが彼らの演技を映えさせると思った。
魔女の慟哭は、例え彼女が悪であっても心を打たれる。
聖女はただ清いだけの女性ではなく、苦悩や憎しみを垣間見せる。
戦士は不真面目そうに見えてどこまでもまっすぐだし、魔女の下僕は魔女に対する崇拝の下に憐憫を隠していた。
それを見せるのは、物語ではない。
台詞に裏を込め、表情に激情を発露し、動作で聴衆の視線を操る。
どこまでも貪欲に成長する部員たちにぴったりだった。
その中で朱音が演じるのは、勇者の幼馴染みの、アンナという村娘。ただ勇者のことが好きな、普通の女の子だ。
秘すものもないし、特別な何かを持っているわけではない普通の女の子。
舞台袖で経過を見守っていると、隣に一史が佇んだ。見上げれば、頑張ろう、と握手を差し出す彼に、表情が綻ぶのが抑えられない。
おまじない。緊張しない、おまじない。
3度大きく腕を振って、その勢いで繋いだ手を離す。目を合わせて笑い合うと、ライトが暗転した。
次は朱音の出番だ。
板付きを準備するために、暗闇に足を踏み出した。
スポットライトの光は、とても熱い。冷房で冷えきっているはずの室内なのに、皆僅かだが汗をかいているのもそれが理由だ。
スポットライトを浴びると特別になれるような気がしたから、朱音はこの瞬間をいたく気に入っている。
「おはよう!ちゃんと支度はしたの!?」
明るい幼馴染みの女の子。少しお節介で、けれど勇者のことをよく見ている優しい子。
勇者のことが大好きな女の子。
朱音は舞台の上でだけ、思いを隠すことはなかった。気持ちを発露することは、とても気分がよく、少しの不安を伴うことだった。
朱音は演じる。
楽しくて仕方がない。スポットライトを浴びて声を張って、舞台上の仲間と物語を演じることには、陶酔するような心地よさがあった。
まだ、足りないの。まだ、足りない。
だから、終わらないで。
でも、もっと演じたいの。
次を演じたいと思うけれど、このまま時が止まってしまえばいいとも思う。何度も何度も繰り返した集大成。いとおしくてたまらない舞台だけれど、今しかないのだ。
いつよりも上手くいく。
水のなかを泳ぐ魚のように、朱音は幸せだった。
××××××
恙無く物語は終焉へ行く。避けて通れないのが朱音の演じる少女の死、だ。
魔女は勇者たちと敵対し、勇者を庇ったアンナは死ぬ。だが、アンナは魔女を恨まず彼らを含めた皆の幸福を願い、魔女を憎もうとした勇者は魔女をどうにか憎まず、魔女も改心するという話だ。
アンナの死は決定事項だ。
「……生きて。あなたは私の分も幸せになって、生きて」
倒れ伏した朱音は、腕を震わせ死力を振り絞って一史の手を握る。彼は声を震わせて、朱音のことを抱き締めた。
「そんなこと言うなっ。お前が、死んでたまるか!生きるんだよ!」
「無理だよ」
勇者こと一史の懇願に首を降った。
無理だよ。朱音は何度もこの言葉を呟く。アンナにはきっと、朱音が自分を投影させながら書いたところがあった。
だから、この言葉も、朱音のものだった。
(無理だよ。私なんかに舞台なんか立てない)
(無理だよ。私なんかに先輩なんて務まらない)
(無理だよ。私なんかがあの子を差し置いて部活にいて良いわけが、無い。いられない)
(無理だよ。私なんかに台本なんか書けない)
そんな否定の言葉を呟いていた。
アンナの死は、朱音にとっての希望だった。
アンナは己の死をもって、魔女を改心させる。それは誰にもできなかったことで、アンナが死ぬことで出来たことだった。普通の女の子でも、そんな風に何かを成し遂げることができるのではないかと夢想した。そうしなければ価値はない、と思っていた。
けれどそんな状況はないし、ただの夢物語だった。
だから朱音は、いつも呟いていた。
無理だよ。出来ないよ。だって。私なんかが。どうせ。きっと。絶対。やってみなくったって。地味で出来損ないで、つまらないから。取り柄もない。
諦めを重ねてきた。努力する前から、ずっと。
(でも………)
「無理なんかじゃないっ!お前もっ、一緒に生きるんだよ!!」
一史の悲痛な叫びが舞台に、客席に響き渡る。
(私の背中を押して、出来ないって思ってたことをやらせてくれて。
そしたら私なんかにも、できて)
台本を書くことは、えりかが薦めてきた。最初朱音は断って、けれど懇願されて引き受けた。
唐突に。朱音は起き上がりたくなった。実は全然大丈夫だったのだ、と笑いかけたくなった。
死ぬことで何かをなさなくとも、私には価値があるのだ、と大きな声で言いたかった。
アンナとして。台本を書いた朱音として。
それは、あまやかな空想だった。だが、勇者の、アンナを抱き締める震えた腕の痛いほどの強さに、はっと引き戻された。
「ごめん、ね……。魔女さん、を、恨まないで、ね…………」
舞台ストーリーは恙無く進んで行く。哀愁の漂う表情で、目には涙を浮かべて、勇者はアンナに声をかけ続ける。アンナはただ、満足そうな表情を弱々しく載せて告げた。
「……っ!!」
息を吸って一史は言葉を継ごうとしたが、朱音が何かを言いかけていることに気がついて言葉を飲み込んだ。
「………あの、ね、私…しなないよ。またきっと、会える…から……」
本当だったらないはずの言葉。
少しの希望を振り撒いて、朱音の腕は落ちる。ぐったりと力無い体に、一史達の物語は再開された。
「アンナ!行かないで、行かないでくれよ!」
悲痛な叫び。同時に遺言を聞いた魔女の、酷く戸惑った感情の発露。
朱音がいなくなってもきちんと進んでいく舞台。朱音は安らかな気持ちで袖から中を覗いていた。
××××××
舞台が終わった。達成感と満足感と、幾つかの寂しさを抱えて控え室に戻ると、麗華がつかつかと歩いて朱音の前に立った。
酷く張り詰めた表情に、朱音は項垂れる。
パァンと乾いた音が響く。
痛くはない。ただ、少し吃驚して目を瞬かせていると、涙目の麗華が眼に映った。
「なに考えてるのよ!いきなりアドリブ入れるなんて、聞いてないわ。あんたの一言で、舞台が台無しになってたのかもしれないのよ!もしそうなってたら……!先輩の、最後の舞台だったのに!」
誰かの失敗をフォローすることは、皆考える。そのための練習だってするが、まさか台詞が抜けることはあっても、あんな風に増えることは考えない。だから、あの言葉が一史と被ってしまっていたら、観客は興醒めしていただろう。麗華がいうのはそんな理由からだった。
「…………すみ、ません」
朱音もつられて泣いてしまいそうになって俯いた。あのアドリブは朱音の自分勝手だった。分かっていたけれど、突き付けられると苦しかった。
「まあまあ麗華、そんな怒んないでやってよ。無事終わったんだし」
「あたしは、アンナの終わりかたはあれの方が好き。結構観客も受けよかったよ」
えりかと茉都莉が麗華をなだめれば、麗華は堰が切れたように泣き出した。
「だって……先輩が、引退しちゃう……!これで最後だから……やだああ!!」
「あーよしよし。これからあんた最高学年なんだからしっかりしなよ?」
えりかが麗華の頭を撫でれば、抱きついて号泣する。困ったように抱き締め返すえりかも、ぽろぽろと泣いていた。
「朱音ちゃんも、今までありがと。今日の舞台も、吃驚したけどあれでよかったんじゃないかと思うよ」
ほら、麗華ちゃんも謝って、とえりかに促されて麗華はごめんね、ごめんね、と泣きながら言った。麗華のそんな様子を見るのは初めてで、えりかと麗華の仲のよさに驚いた。
「赤崎先輩、お疲れさまでした。引退、とても残念です」
一歩常に引いている茉都莉も、残念そうに告げた。
向こうでは男子陣が盛り上がっている。
ふと、こちらに近づいた高2の二人が歩いて来て言った。
「お疲れ様」
「おつかれー」
挨拶を返す。
「お疲れ様でした」
「あのアンナの終わりかたは、今までのものより良かったと、思う。けれど、あんなアドリブは心臓に悪い」
「本当にすみませんでした」
清嗣の追求に深く謝れば、隣の清嗣の肩に腕を回した爽太が軽そうに笑った。
「えー、俺はスリルがあって楽しかったけどなー」
「お前照明だから関係ないだろ」
「ひっどー」
「……すみません、でした」
また深く謝る。
けれど爽太が表情を歪めて朱音の顔をあげさせた。
「ねえ、御木は後悔してるの?」
していないというのは憚られて黙り込めば、してないよね、と爽太が同意を求めた。
「だよね。御木が舞台で考えなしに何かするなんて訳無いし。あの終わり方が良かったんだとも思うから。
だから、もう謝んないでいいよ。反省してるのはわかったし、これ以上追求しても違うと思うから」
「………はい」
返事をしながら、朱音は泣きそうになった。こんなにも自分達が受け入れられている、ということが、身に染みた。
××××××
そういう風にして、一史とえりかは演劇部を引退した。
朱音の心持ちはずっと上向きになって、次はコメディーを書いてみようかなんて向上心まで溢れてきた。
もう日も暮れかけていた。傾いた西日が、部室に射し込む。その、色は違うが鮮やかな夕陽に、朱音は昔を思い出していた。
―――朱音は誰よりも頑張ってる。胸を張って良い。本当に、よく頑張っている。
―――本当に、よく、がんばったな、朱音。偉いぞ。
そう言われて、何よりも救われた。
一史のことが、好きだった。伝えなくても、ただただ好きで、見ているだけで幸せだった。
けれどこれから朱音が一史のそばにいることはできないから、どうしたらいいのか考えていた。
茜色の光。それは朱音にとって慕情の色だ。朱音だけの、光。
懐かしさに目を伏せて、床に座れば、今までのことがよく思い出された。
決して次の最高学年となる麗華たちに文句があるわけではないけれど、それとこれとは別だ。
「……寂しい、なぁ………」
さっきも別れを惜しんでえりかや麗華とたくさん泣いたのに、また涙が浮かぶ。拭いながら、今がとても幸せなことに気がついて、泣き笑いをした。
もう文化祭も終わる。後片付けは特になくて暇をもて余しているうちに、日がとっぷりと暮れた。
電気をつけようとスイッチの前、ドアのすぐそばにたっていると、足音が響いてドアが弾けて開く。
「一史先輩?」
「あ、いた。朱音、花火するぞ、花火!」
考えていた人物が目の前にいるのだから、朱音は酷く驚いた。一史はそんなのお構いなしに、明るい声で朱音の手を引いた。
「え?花火?」
「良いから来いって」
なすがままに連れていかれたのは、裏庭の奥まったところ。そこでは水入りのバケツとカラフルな手作りキャンドルがあった。
「えっと…一史先輩?」
「打ち上げ代わりだ。もう皆が集まる機会なんか無いしな」
満面の笑みを浮かべているが、教師の許可はとっているのだろうか。訝しむよりも早く、そんなわけ無いか、と思う。
まさか許可が降りる訳無いし、許可があるなら、こんな風に隠れるように花火をしないだろう。
「よーし!朱音ちゃんも来たね!じゃあみんな、カンパーイ!!」
冷たい缶を押し付けられて、あれよあれよという間に乾杯の音頭が。缶に口をつけて煽れば、微炭酸の爽やかさが喉を通った。
缶を袋に捨てると、皆それぞれに花火を始める。取り合えず目立たないように地面のすぐそばでやっているので草が焦げる。
「これ、燃えたらやばくないですか?」
シャーー、とまっすぐに吹き出す形の花火を手にしていた佐保が呟いた。
「取り合えず水は撒いてある」
「随分と準備がいいんですね……」
抜け目の無い返答に呆れ顔の佐保。火の消えた花火をバケツに放り投げて、新しい花火を手に取る。少しぬかるんだ地面に足跡がつく。
「伝説ですもんね。花火でボヤ!バーイ演劇部!!」
「「「え」」」
見事に朱音と佐保と英明の声がハモる。聞いたこともないし、想像したこともなかった。
聞くところによると、一史とえりかが中一の時、当時の高三主催の打ち上げで、今のように花火をしたらしい。もちろん校内は火気厳禁だ。
だがまあ楽しくなってきて、みんなで花火を振り回していると、当然枯葉を燃やしかけたらしい。すぐに消し止めたが、教師にばれて、それなりに大事になったという。
「廃部回避は神がかってたな……」
「黒歴史だね………」
遠い目をする高三ふたりに代わって高2が説明する。
「まあ、そんなこんなで伝説だったらしーよ」
「ちなみに俺達が入った頃は専ら武勇伝だったんだが…」
「…いつのまにか黒歴史扱いになってたわよね」
「黒歴史は隠したいから朱音ちゃん以下後輩に伝わってないってわけ」
聞きなれた話だったから高2は何てこと無いように肩を竦めるが、初めて聞く朱音たちは色々思うところがありすぎて言葉も出ない。
「………すごい、ですね」
「ていうかバカ?」
「おい佐保!言って良いことと悪いことがあるだろ!いくらほんとのことだって」
「名前で呼ぶな。ってかお前が一番タチ悪い」
朱音がなんとか声を出して、佐保が剥き出しの感想を吐き出す。フォローが更に色々と抉っているのはいつものことだ。
「……………花火しよう!花火!ほら、後輩も持って!」
だんまりになりかけた場を盛り上げるように爽太が花火を押し付けた。それぞれ違う色が光る。
「あ、線香花火もどきだ」
茉都莉が声をあげて、えりかが突っ込む。
「もどきってなにさもどきって…………もどきだ!」
意見を翻したえりかに脱力しながら皆が茉都莉の持つ花火を見て納得した。
…なんというか、全体的に騒がしい。
殆ど花火を消化して、残るは擬きではない本物の線香花火のみになった。
「競争!誰が最後まで残るか競争したいです!」
はいはーい!と英明が主張するが、やだ、と佐保が一蹴。それでも言い募る英明に清嗣が言った。
「火が着くタイミングが合わない限り、正確な競争にはならないと思うが」
「確かに!ってか俺そもそも線香花火好きじゃないしなぁ…」
「あんたの意見は聞いてないわ。でも確かに不公平よね」
ふと思い付いたように茉都莉が言う。
「ってことは本当に線香花火の競争をするなら、ストップウォッチか何かで着火から先が落ちるまで測るってことか……」
「何それ超シュール」
爽太がお腹を抱えて笑っている間に、清嗣や麗華などは線稀有花火を始めている。
「やっぱバトルんならガチンコだってことだよなぁ……」
そう呟いた英明が徐に佐保のそばに近づいて、火のついた線香花火の先を佐保のそれに合体させた。
赤く光る火薬部分が接合して大きい球体になる。
「おまっ……なにしてっ」
「奪取ぅー」
佐保が言いきる前に英明はまた離した。
火薬の大部分が英明に取られて、佐保の小さくなった火薬は地面にぽとりと落ちてしまった。
「…………」
黙り込んだ佐保は次の花火に火をつける。完全にキレている。子供じみた勝負が始まっていた。
それを見たえりかが自分の線香花火全てと麗華の物を合体させたらどうなるのか試したり(自重で落下した)、ほのぼのと線香花火を楽しんだりと思い思いに楽しんだ。
不祥事もなく打ち上げは終わり、率先して後片付けに加わろうとした一史に引き留められた。
部員からは声が聞こえないところまで歩いて、一史は朱音の頭をくしゃりと撫でた。
「………泣いて良い、ぞ」
「…………??」
なんのことか分からなかった朱音は、しばらく考えてぽんと手のひらに拳を合わせた。
―――…泣くな。泣くのは舞台が終わってからにしてくれ。そうしたら、いくらでも泣き場所は提供するから。
律儀にその言葉を実行しようとしてくれている一史は、耳の縁を赤くして不貞腐れたように言う。
「どーせ忘れてるよなー。お節介だったよなー」
普段かっこいいとしか思えない一史が可愛く思えて朱音は頬を緩めた。部室に向かいながら、話をする。
「先輩が優しすぎるから、忘れてました。ごめんなさい」
やっぱり好きだ、と気持ちを隠す。甘酸っぱい、例えるならなんだろう。夏蜜柑、グレープフルーツ、さっき飲んだ炭酸飲料?
飲み干したりはしないで、取っておこう。そうして注ぎ足し続けよう。そんなことを考えていると、気を取り直したような一史が神妙に言った。
「あー…。俺は、そんなに自惚れてないと思うんだ」
「………?」
どこか頬が赤い。
「演劇部の決まりに、部内恋愛禁止ってあったろ?それがどうしてだか知ってるか?」
「いえ…」
「昔、演劇部同士の恋人が破局して、関係がボロボロのまま舞台の練習なんかするもんだから、まともにできるわけもないし散々だったらしくて、そういうことがないようにっていう決まりなんだ。
まだ片方が演劇部でないならそこまで拗れないしな」
「そうだったんですか…。でも確かに大変そうですもんね」
しみじみと呟けば、ここからが本題だ、と言われ背筋を伸ばす。
「この部内恋愛の範囲はな、アプローチなんかしない限り、片想いまでは良いんだ」
その言葉に朱音の心臓が跳ねた。
固まる朱音などお構いなしに一史は部室のドアを開けて西陽の深く差し込む部屋に足を踏み入れる。
いつのまにか手を引かれてお互い片方に西日を浴びた。茜色に全てが染まっていく化のように思われた。それほど鮮烈な光だった。
「……帰りたく、無いですね。先輩が引退されるなんて、考えたくないです…」
このまま時間が止まってしまえばいいのに。気付かれて、思いを伝えてもいないのに振られるなんてことになる前に。
告げたのは紛れもなく本心だが、そんな気持ちが込められた。願うような縋るような言葉は、一史に打ち砕かれた。
「俺は、早く明日が来れば良いと思ってる」
「…………」
黙り込んだ朱音の瞑った目蓋に茜色が眩しい。
「俺は、今日まで演劇部員だから、部内恋愛禁止に引っ掛かるんだ。だから、早く明日が来れば良いと思ってる」
その言葉の、意味は―――。
弾けるように顔をあげれば、仄かに赤い一史の表情。それはきっと茜色に染まっているせいではない。
「……………分かりません。私には」
言葉にしてくれなければ、わからない。ぬか喜びはしたくない。もう一度唇を噛んだ朱音の手を握って、一史は一歩朱音に近付いた。
「明日、会えないか?ずっと、伝えたかったことがあるんだ」
囁くように告げられて、朱音はおずおずと頷いた。
「…私にも、伝えたいことがあるんです」
注ぐ、茜色の、恋慕
分かりにくいと思うので、簡単に部員の情報をまとめます
高3
言嶺 一史(部長.監督.勇者役)
赤崎 えりか(会計.魔女役)
高2
風見 爽太(照明)
志水 清嗣(副部長魔女の下僕役)
影谷 茉都莉(音響)
雫石 麗華(書記、聖女役)
中3
御木 朱音(中学部長兼会計、脚本、幼馴染み役)
中2
星 佐保(美術系、村人)
若林 英明(中学副部、戦士役)
部外
大島 鮎香
名前が存在する人は以上です
結構小ネタがあったので活動報告に載せます
有難うございました




