第1話
視点:バレーノ
目が覚めた
冷たく静かな空気が体全体にのしかかる
今日は随分と目覚めが悪い
ふと頭にある言葉がよぎった
―約束―
…どんな約束だ?
そもそも俺は誰と約束をかわした?
わからない…覚えていない
全部夢なのか?
だけど、この約束はいつか果たさなくてはならない気がするんだ
重いからだを起こす
薄い麻の服に冷たい空気が入り込む
静かな石造りの壁にある、小さな窓の方を見る
わずかに太陽が地平線から顔をだしていた
あぁ、またいつもの1日が始まる
周りにいる同じ格好をした奴らも徐々に起き出した
同じ麻の服に、鎖骨のあたりから皆同じ紋章が見える
俺たちはこの町の町長の奴隷だった
奴隷といっても昔のような奴隷とは違う
法律によって奴隷に暴力をふるうなどの行為は禁止された
といってもそれは形だけだ
食事もちゃんと与えられるが、読み書きができないやつや仕事のできないやつは暴力をふるわれ、捨てられる
まるで物のように
いちいち周りのやつの顔なんて見てはいないが、昨日いたやつが今日いないなんてことは普通にありえることだ
俺は物心ついたときからここの町長の奴隷だった
その頃から物分かりがよかったのか、この人に逆らうと自分が困るということはわかっていた
おかげで今では主の一番のお気に入りになった
昔の俺には感謝している
紋章はあまり見られたくない
薄い服で鎖骨を隠し、髪をいじくる
毛先だけが黒い金色の髪は姿を見せた太陽に反射し光っている
バレーノと呼ぶ声がした
主だ また出掛けるのだろう
はいと返事し、すぐに向かう
主は客人と面会するときは毎回俺を連れていった
相手は主の話を聞いては、俺のことを羨ましそうに見ていた
なんの話をしているかは聞いたことはない
ただ黙って主に従っていれば何もされない
周りのことに興味なんてない
今日も主は客にほめられ上機嫌だ
そんなに俺は珍しいのか
この髪のせいだろうか?
そんなことを深く考えたりはしない
太陽はあっという間に色を変え、また地平線へ沈もうとする
あの冷たい石造りの場所に帰ったら別の仕事がある
今日は月がどのくらいの高さの時に眠れるだろう
まぶたが重い
馬車に揺られ、眠りそうになる
あぁ、今日も「いつもの1日」が終わるのか
そして明日にはまた「いつもの1日」が始まるのか
今朝のわずかな疑問など忘れて、俺はただ馬車から見える太陽をぼうっと眺めていた
とその時
バキィッ
突然俺のいる荷台に大きな穴が開き、木屑と共に強い風が吹き込む
思わず目を閉じる
馬車が止まる
主の驚く声がする
あわてて荷台から主のもとへ向かおうとした時、目の前にすっと細い影が現れた
影の主はピタリとも動かず俺を見ている
こいつは…いったい誰だ?
バレーノ!バレーノ!と主の声がする
行かなくては―
「行っていいの?」
荷台にできた大きな穴から吹く風が音をたてる
「君は、また同じ道を行くの?」
それでもなおその透き通った声は俺の頭をこだまする
…わからない
こいつは何を言っている?
「今あの男の元へ行くなら君はそれまで。なんてくだらない、つまらない人生なんだろうね」
逆光でそいつの顔は見えない
だがそいつは確かに首をかしげ、俺を見ている
「今私と共に来るなら、君の道は広がる。さぁ、どちらを選ぶ?」
…意味がわからない
このあたりまえの日常が?終わる?
そんなことがあっていいのか、いや、あるわけがない
俺は確かな事実を言った
「俺は主の奴隷だ。この紋章がある限り、どんなにお前が連れ出そうとしても、俺は離れられない」
すると影は俺の目の前になんらかの用紙を突きつけた
…ありえない
もうずっとあの屋敷にいても見つからなかった、俺が主の奴隷であるという証明書―
こいつ、主の家にも侵入したのか
どうしてそこまでする?
影は無駄な動きなく、無言で、その紙を破り捨てた
その瞬間、俺の胸にあった紋章は砂のように風にながされ消えた
…驚きともいえない
この気持ちはなんだ?
ただ、わけがわからなかった
俺の「いつもの1日」は、こんなにもあっさりと終わるのか
「どうする?」
また影は俺に尋ねる
ふと、笑いが込み上げてきた
突然現れた自由―俺はなにをすればいい?
影を見つめる
「俺の日常をお前が壊したんだ。新しい道へ導いてくれるんだな?」
影はふっと笑う
「それは君次第。さぁ、行こうか」
差し出された手を掴む
起こされて初めて影の姿が見えた
エメラルド色の袖のない、不思議な柄とエンブレムのついたコートを羽織り、差し出された左手首には金色の腕輪がついている
右腕は二の腕あたりに同じ金色の腕輪があり、なぜかそこから手先にかけてまで長い布で覆われていた
真っ黒で夕焼けに反射する美しい髪に、真っ赤な瞳でこちらをじっと見つめる
「名前は?」
「バレーノ」
「そう、私はプラーミャ」
主―いや、町長が俺を呼ぶ
もう気にはならない
俺の日常は壊されたんだ
プラーミャに連れられて馬車を降りた俺は、手を引かれながらまだわずかに見える太陽の方角へと走り出した
俺の「1日」が終わりを告げるように
背後から町長のむなしい声が響いた
第2話へ続く