一章二 ―我慢の末路―
※グロ注意
「じゃあまた明後日」
「おう!」
「またね~」
「おやすみなさい」
一人明らかに違っている気がするが、これがゆめという性格なのだから仕方ない。それに今の時刻は二十一時。早寝早起きの朝型人間ならば就寝時間である。イメージ的にゆめは早寝遅起きな気がするが、その真実は神のみぞ知る。いや、直接本人に聞けば分かるし、ゆめの家族なら知っているだろう――――きっと。
英明は家の近所に住んでいる。今こうして幼馴染となっている理由こそ、家が近かったからなのだ。近年“近所付き合い”というものがなくなってきており、もっと地域の家々同士で関係を活発化するべきだという意見も出てきている中、僕と英明の家は僕らが生まれた頃から仲が良かった。そうは言うも、もともと親同士が知り合いだったというわけでなく、たまたま妊娠時にできた関係が、ご近所さんだったという理由で今も続いているのだ。親の仕事の都合上、今の彼は実質一人暮らしをしており、だから僕の家に遊びに来ることも多い。バイトをしなくていいのかと尋ねたら、彼曰く親からの送金がしっかりしているから必要ないとのことだ。
縁は区分上、小学校の学区は違ったが、距離でいうと歩いて五分程と近い。英明という超ご近所さんがいるせいで感覚が狂っているものの、普通に考えれば縁もかなり近い方だ。
ゆめも近いと言っていたが、彼女の家の在り処を僕は知らない。歩いていける距離で、それがこの道の進んだ先のどこかという推測はできるが、実際のことは知らない。ゆめというのは、それくらい謎の多い女の子なのである。
とはいえ、高校となれば県を跨いで通学する人もいるくらいであり、こうもみんな近くに住んでいるというのはとても珍しいと言えよう。一緒に目指したり地域にその高校しかなかったりするのであれば別だが、僕達はそのどちらにも当てはまらない。単に近場であったからという理由は、考えないことにしておこう。
そんなことを考えながら歩いていると家が見えてきた。もともとみんなと分かれた交差点から家はさほど離れていない。もし何も考え事をしていなくたって、一瞬で着く気がする。
家の明かりは点いていた。我が家で二十一時と言えば、晩御飯の時間である。少し遅めであるのは父の仕事の都合ゆえである。丁度ご飯を食べる部屋のところが明るくなっている。僕は帰りのバスの中で夕食を済ませてきた。それを両親は知っているはずだから、今は食べるのを待っているわけでなく、いつも通り談話しながらご飯を食べているところだろう。
「ただいま~」
あれ、返事がない。いつものこの時間は僕も迎える側だけど、お母さんはいつだって「おかえり~」と返していた。二週間で子供の存在を忘れるわけがなかろう。では今日帰ることを忘れていたのか。いや、それもない。廊下を歩きながら見たカレンダーには今日の日付に確と、「隼人研修最終日!」の文字がある。一体何があったというのか。そう言えば、普段食事するときはテレビを消すのが家のルールであるはずなのに、廊下の先からテレビの音が聞こえる。もしかしたら、もう食べ終わって片づけをしているのかもしれない。皿洗いをしていて、水の音で声がかき消されてしまったのかも。
「なにかあった――――」
そう言いながら扉を開けると、そこには赤い世界が広がっていた。
「お母さん!?」
右手に包丁を持った母と、首から血を吹きだして横たわる父。誰がどう見たって何があったか分かるこの状況に、僕は思わず足が竦んでしまった。
「いつもいつも待たせておいて帰って来たら我が物顔。家のことは何もしないでだらけているくせに私が休んでいたら働けと怒鳴り上げる。挙句には――――」
ぶつぶつと、母が呟く声が聞こえる。僕はいまだに体を動かせないでいた。それでも無理やり動かそうとしたら、バランスを崩し転倒。その時の音で母に気付かれてしまった。
「っ!!」
その殺意の満ちた目で睨まれた瞬間、背筋が凍った。あの温かな母は一体どこへ行ってしまったのか。近づいていないのに、威圧でどんどん迫ってくる。
しかし、当の母は僕の予想を遥かに裏切る行為をした。一瞬は僕に敵意を向けた母だが、何があったのかその目は少し優しさを取り戻し、そして、手に持ったままの凶器を己の腹に突き刺した。
「母さん?!」
その叫びをきっかけに、体を拘束していた何かから解き放たれた。たまたま研修中、戦争関連の情報で血が飛び散ることに少し耐性ができていたから失神することはなかったが、それでも血の繋がった家族が目の前で自殺を謀れば、平常心なんてどこにもない。
僕はその場にいるのが怖くなって、自分の家から飛び出した。何も意識せず、ただ悪魔に追いかけられているかのような気持ちで走り続ける。警察や消防なんて頭は回らない。ただ自分の身に迫っている危機から逃れるという、本能のままの行動だった。
息が切れ、疲れを感じて来た頃、突然足の力が抜けた。支えるものがなくなった胴体はそのまま地面に崩れ落ちる。震えながら顔をあげた先には英明の家があった。
「英明ーっ!」
叫ぶという、僕はその行為しかできなかった。今出せる全力のまま声を出した。息切れしながら大声をあげたからか、過呼吸に似た早い呼吸になっていた。
『どうした!』
という声とともに玄関の明かりがつき、声の主であり自分が求めた英明の姿が現れた。
血の落ちる音が響く室内には、まだニュースの声が流れていた。その音源の画面には、“拡大する狂人病”と表示されていた。