序章四 ― 目撃者の使命 ―
「突然発生した複数の事件。CMの後は、これらの共通点を探してみましょう」
「CM入りまーす」
『この薄暗い社会に光を! 福徳――――』
宗教めいた宣伝が流れる中、少し緊張が解ける。昨日のようなことが起こるとも限らないが、生放送という重荷の間のコマーシャルというのは、肩をほぐせる数少ない時間だ。謎の殺傷事件から一夜明け、惨劇の波紋は日本全域に伝わった。路上で起こった殺傷。オフィスでの狂動。ショッピングモールの乱闘。百を超える失踪者、自殺者。その他、数多くの事件がたった一日の間に発生した。そのどれもが『人間らしさを失っていた』という点で一致する。未だどの加害者からも事情が聴けず、あまりに多い事件に警察も対応しきれていない。孰れの事件も被害者は両手に収まる数だとはいえ、これを一般的な事件と認識するにはどうしても抵抗がある。
「深く悩まれているようですね」
「伸寺さん。それはまあ、あれを直接見た人間として、考えずにはいられないですよ」
「実際に見て、どう思いましたか?」
「まるで何かに憑りつかれたかのようでした。事件を目撃したのは初めてなので何とも言えませんが、本能で暴れる虎やライオンといった猛獣を見ているのではないかと、そう思いました」
殺人を犯す人間は、その全ての理性が壊れているわけではない。何かの恨みや報復として犯罪を犯す人は、強い生存本能に動かされていると言っていいだろう。行動にまでしなくとも、心の中で消えて欲しいと願う人も全くいないとは言い切れない。しかし無差別殺傷を行う人間の考えは分からない。本能に理性を食い荒らされた獣だという人もいるが、野生の動物は自分が生きるのに必要な命しか奪わない。余計な殺傷は行わず、ましてや同種同士の喧嘩による殺し合いは、人間で言う戦争が起こらない限り発生しない。無差別殺傷というのは過度な自己防衛本能によるものなのか。または過剰な自己愛によるものなのか。心理学は詳しくない為分からないが、もしこの二つであれば、どちらも通常状態よりも何かが多く存在しているが為に起こることといえよう。何かが増えるきっかけというのは、深い悲しみや孤独といった強い刺激だろう。出来事の刺激にのみ反応するならいいが、この弱みに付け込むような呪いや亡霊、いや、もっと現実味を持たせると、病気やウイルス感染症なんてものがあるとしたらどうなのか。とても信じ難いことだが、精神不安定による致死事件の多発は、このような伝播性の在るものが原因なのではないかと思わせる。
「憑りつかれた、ですか」
「偶然同時に起こっただけなら良いのですけどね」
「これほどの件数同日に起きて偶然というのは楽観的過ぎるでしょう。しかし憑りつかれた、ですか。少し、その方面で調べてみる価値がありそうですね」
すかさずメモ帳を取り出し何かを書き込んでいく彼の現職はジャーナリスト。伸寺というのは愛称で、メディアに出演するたび表示されているはずの本名を覚えている人はほとんどいない。以前はどこかの研究所で働いていたらしいが、その並々ならぬ情報収集能力が買われこの業界へと来たという。それぞれジャンルを絞って日々取材するジャーナリストが多い中、彼は一人、今後必要になりそうな情報を予測して多岐にわたる分野の情報を集めてくる。今回も事件翌日で原因を自推できる程情報を集めているようだ。
「そのようなことがあるというのですか?」
「いえ、その……」
疑問に思って聞いた軽い問いに、彼は口籠もってしまった。何か隠しているふうには見えないが、困り顔を浮かべている。
「どこかで聞いた覚えがあるんです。でもそれが何だったかを思い出せなくて」
「伸寺さんでも忘れることがあるんですね」
「自分は情報を紙に書いて残すタイプの人間ですから。頭だけに留めて置くことができないんですよね。まったく、困ったものですよ」
先程メモを取ったのは、きっとこれが理由なのだろう。紙に残すとそれが元となり、折角入手した独占情報を漏らしてしまう可能性がある。そのため、敢えて自分の記憶のみに情報を貯める人もいる。しかしそれは難しいことで、身をもって経験したことがあるから分かる。
「スタンバイお願いしまーす」
「では、出番ですので」
「本番前にすいませんね」
「いえいえ、私も良い考えを頂きましたから」
彼は本当に、奇怪が伝染していると思っているのだろうか。あくまでイメージであって、事実がそうであるなど全く考えていなかったが、彼の真剣さを見ると自分の常識を疑い始める。事件や事故、病気や自然現象は日々常識を覆しに来る。それまでの経験が常識であって、前例のないことなど世の中には数多発生している。全てのものも、始めは前例のないことだからという暴論こそ言わないが、この世界を人間程度が認知しきれるはずもない。だから未知は多く存在し、それは人々に夢と恐怖を与える。知らぬが仏という諺があるが、今回の事件の真相を知らずに終えるわけにはいかないし、何もなく終わるとも考えにくい。今後もきっと、何かが起こる。そのために、自分ができることは……。
「あの、今日この後の事なんですけど――――」
分からない。自分でも分からないのだが、なぜかその場所が頭に浮かんだ。これらの事件とは正反対に位置するはずの場所が、鍵を握っているような気がする。何の根拠もなく、ただ勘に任せただけの考え。でも思ったからにはそこに行きたくなる。だから今日取材に行こうと、そう心に決めて声をかけた。本番中に話すなど本来してはいけないことだが、それをしたくなるほど心が急かしていた。話した結果、自家用車で、かつ一人であれば構わないと許可を得た。スタジオから離れているため、今直ぐ出発して良いとも言われた。伸寺さんと話していた自分だからこそ、何か情報を得たと思われたのか、普段は許されない自分の自発的行動が許された。もしこれが成功すれば自分は出世できる。指示を熟すだけの下っ端から単独行動が許される立場になれるかもしれない。記者としての心得は伸寺さんから習ったもの。彼のようになるためには、まず自分の立場をあげて自由な情報収集を出来る状況にしなければいけない。そしてその後に自分の技術やセンスを磨き発揮するのだ。
手軽な取材道具を揃えて建物を後にする。貯蓄を下ろして買った愛車が、とても頼もしく見える。これから相棒になるかもしれないのだ。今更ながら、諦めずに買った甲斐があったと深く感じる。そして、夢へのアクセルを踏みだした。
過信以上に、勝機は隙を生む。その油断は時に命をも危ぶませる。調子がいい時ほど魔の手に気が付かなくなる。現状を忘れ、事の本質を見誤るとどれほどの恐怖が待っているのか。彼はこの後感じることとなった。