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幸せの裏に  作者: k.はる
序章  ―悪夢―
4/10

序章三 ― 揶揄いの報復 ―

※グロ注意






「先輩、遅いじゃないですか~」

 それは昼休み後、緊張感が戻ってきたあるオフィスでの出来事だった。

 |丸谷《まるや|》留美るみはこの会社に長くいる方。教育係だったのもあり、慣れ慣れしい部下は多かった。そんな部下の一人から声を掛けられたのは留美が出勤して間もない頃。体調不良という体である午前の欠席は、精神的不安定な状態だったということが実の理由だ。

「仕方ないでしょう。私だって人間なのよ」

 最近度々起こる情緒不安定は、日に日に影響を増していった。

 独り身になるとき決めた決意が薄れ、奇しくもあの男の姿が頭をよぎる。いるだけ面倒な奴だったのに、良い気晴らしだったと今では思ってしまう。離れたのは――逃げたのは自分だ。自ら行動を起こしておいてそれを悔やむなどあり得ない。今頃どうしているだろうか……などという考えは頭の外に投げ捨てる。

「あの鬼教官が人間、ね……」

「教官は基本、公務員に使うのであって、私は違います」

「おい、やっぱり人間じゃないってよ!」

「言ったよな~今。違うって言ったよな~」

 本当に馬鹿なのか、それとも分かったうえでこう返すのか。どちらであっても嫌いだ。上司を馬鹿にすることもだが、日常会話がこのようなものになる若者が許せない。関係を弄んで何が楽しいのか、又は関係を築くつもりがないのか。元々仲の良い間で交わされる話なら気にもしない。しかしそれが一方的なものになると、果たしてこのままでいいのか不安になる。このような人間関係をつくるから、近年いじめが多発しているのではないだろうか。

 それに比べてあの人は素直で――――などと考えているわけにはいかない。今は仕事中である。午前中休んだのに、無駄な後悔で時間を費やしている余裕はない。

 留美の仕事は主に事務。(ほとん)どの時間を相棒のパソコンと共に過ごす。勿論、情報科学が発達した現代とはいえ紙資料もある。塵も積もり山となってる状態だが、周りの机に比べれば綺麗な方だ。

 好きで始めた訳でなく、ただお金を得るために始めた仕事であるが、今は何も感じなくなっていた。頑張ろうとも思わず、だからと言ってサボろうとも思わず、機械的に、無機質的に手を動かしている。見ているだけなら仕事熱心の良い社員なのだが、生物感の無さにある種の恐怖を覚える。

 それが今までの自分だったからこそ、会社内でこれほどまで感情的になっているということが異常事態だった。考えれば考えるほどおかしくなっていく気がする。画面上で事務処理をする速度は変わらないが、あたかも第二の人格が同時に存在するかのように、脳内は黒く染まっていく。パソコンを残して、周りの景色が溶けて黒くなっていく。指の動きが早くなる。それは集中に因るものではなく、怖いという感情。何をしてもうまくいかないという絶望。過去を振り返っても助けを求める人が居ない孤独。理性で抑えきれない自己に対する生存欲。

 私は一体何をしているのだろう。こんな辛いところに毎日通って何が楽しいのだろう。何を目指してこんなに頑張っているのだろう。

 あの人はもう居ない。心が帰れる場所はどこにもない。家に帰ろうが、そこは休眠を取るところでしかなく、それは翌日の仕事のためのものでしかない。

 私は一体何者だ。何の為に生きているのだろう。何故今を続ける必要があるのだろう。

 幼いころから酷い扱いを受けてきた。いや、それは自分に勇気がなかったせい。運が悪かった訳ではない。親が悪い訳ではない。頼るという勇気すら持てなかった自分がいけないのだ。あの時だって、復縁する勇気がなくて、恐れから逃げるために夜逃げをしたのだ。これほどまで経済が滞っている社会で、自分はあの人の迷惑にしかなっていないのではないかと。

 あの人が嫌いで家を出たなんて、そんなことあるはずがない。どうにもできない気持ちを抑えるために、あのひとが職を失ったからという理由で自分を納得させていたけど、やはり嘘は保てない。もし相談する勇気があれば、こんなことにならなかったのではないか。もし恐怖に打ち勝つ勇気があれば、関係を続けられたのではないか。もし同じ時を過ごす勇気があれば、逃げることなんてしなかったのではないか。

 もし、勇気さえあれば――――。



「あの、先輩。この件について聞きたい――――っ」

 嫌なことを耐えないで、素直に行動する勇気があればいいんだ。

 気付くと、無意識で握っていた細身の鋏を後ろにあった『もの』に突き刺していた。

「てめぇ鬼教官! いくらなんでもそれはサツ送りだぞっ!!」

 後ろにあった『もの』は、左右から生える棒を包むように丸くなって倒れている。

 それを飛び越すように、新たな『もの』が自分へと突撃してくる。

 左手に掴んでいたカッターをそれに向けると、『もの』は自ら己の身を切り裂くように通り過ぎる。倒れ込む『もの』の上部、くびれた部分にホチキスを打ち込む。少し痙攣し、やがて『もの』は動かなくなった。

「おい丸谷、動きを止めろ!」

 音を発する『もの』へパソコンを投げつける。

 後ろから迫ってきた『もの』の側面上部に空いた穴にボールペンを埋め込む。

 次から次へ、『もの』は動きを止めていく。

 ものの数分後、赤で模様替えされた部屋で動くのは私だけになっていた。

 嫌なことを耐えずに行動すればいい。

 嫌なことをする嫌いなものも、耐えずに行動すればいい。

 私が欲しいのはあの人だけ。

 他の『もの』は何もいらない。

 邪魔をするなら止めればいい。

 そして、退ければいい。

 まだ固まらぬ赤い泥の上をぐちゃぐちゃと進んでいく。

 何かに誘われるように進む先はこの階唯一の脱出口。

 その戸を開けると、私は身を投げ出していた。

 

 この、高層ビル五三階の窓から、私は落ちて行った。






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