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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

求める唇

作者: 椎名晴
掲載日:2015/12/09

 

 

 

とある村で僕は人間を食べたことがある。

須部工楽(すべくらく)村。僕の生まれ育った村だ。


40世帯人口100人ほどの小さな村で、山々に囲まれた場所にある。陽がほとんど当たらず、天候が変わりやすい。さっきまで曇っていたと思えば、急に晴れる。また曇ってきたかと思えば、やっぱり雨が降る。しかし、小一時間ほどで止む。それからまた降る。


農作物を育てる環境としては劣悪だった。しかし、1世帯に平均で2反ほどの田圃を持っていた。僕の家は、小さいほうで、1反で米と麦の二毛作。5畝でトマトやキュウリやナスを育てていた。あとは、専ら猟師の父が山へ入り、猪や鹿、狸を獲ってくる。母は、その間、農作業をしながらご近所と物々交換をする。


このご時世、僕の村では未だに山からの恵みを頂きながら自給自足で生活をしている。車もなければ、テレビもなかった。ラジオで入ってくるニュースがこの村の情報源だった。だから、僕は上京するまでコンビニの存在も知らなかったし、電車の乗り方、さらには、ラーメン屋の前で列をなして並んでいる意味さえわからなかった。


その代わり、山へ登ればどの山菜が食べれるかどうかわかるし、猪に遭遇した場合の対処法もわかる。ヘビは振り回す武器だし、小学3年生の頃には、友達2人と焼いて食べたりもした。癖が強く、あまり美味しいものではない。


蛙は美味かった。あれはいい。鶏肉のような味がする。塩コショウに山で採れるスダチなんかを絞ると絶品だ。父にその話をすると大抵ぶん殴られた。「男がそんなものを食うな」といつも言った。一度、「女ならいいのか?」と聞いたことがあったが、いつも以上にぶん殴られた。顔が腫れあがり、鼻骨が折れていたと思う。母が止めなければおそらく死んでいて、それ以来、蛙を食べることはあっても、父には話さなかった。




人間を食べることになったのは、中学生の頃だった。村にある小さな中学校で、同学年の生徒は、僕を合わせた3人。そのうち女子は1人だった。


「健ちゃん聞いたか? 美奈子がこないだ東京行ったんやって」


「東京? 東京って言うたらあれか? 都会やろ?」


「そうや。車が空飛んで、外国人みたいな日本人がいっぱい街で歩きよるって噂の、あの東京や」


僕と唯一同性の友達、亮ちゃんも僕も東京がどういう街か知らない。きっと、これ以上に壮大な勘違いをしていたと思うが、それを知るのは、僕が上京した15歳の頃のことだ。


「美奈子、東京行ったって亮ちゃんから聞いたけど、ほんまか?」


美奈子は、ツインテールを三つ編みにした女の子で、鼻は低く、周りにそばかすがあった。マスクをして何とか可愛いと言える。


「ほんまよ。よかったわー、東京。電車がいっぱい走るんよ」


「いっぱいでどれくらい? 10本くらい?」


「もっとよ」


「もっと? 100本か? 100本も走るんか?」


「そんなには走らんかねー」


美奈子の話は、僕からしたらまるでおとぎ話のようで、何だか一人遠くへ行ってしまったような、大人になってしまったような感じがして、僕は惨めだった。


「な? 言ったやろ?」


亮ちゃんに関しては、そんなことなんか更々思っていないようで、まるで大人になったそばかすの少女の側近にでもなったように、誇らしげに言った。


「それで、そっからどうしたん?」


「親戚の家で映画見たんよ」


「映画? 映画ってあれか? あの大きいテレビで」


「DVDって言うんよ。ブルーなんとかのやつで、家で何回も見れるんよ」


「DVD? ブルー何とか?」


「それで見たんやけどね、その映画、私たちみたいな子供が死体を探すやつ。たしか、アメリカのやつね。それをコーヒー飲みながら見たんよ。コーヒー苦かったな」


映画やコーヒーの話をする美奈子が僕はどんどん羨ましくなり、亮ちゃんはどんどん誇らしげになった。


「それで、死体見つけたんやけどね、その死体をどうするんかなーって思ったんやけど、結局何にもせんかったんよ」


「何にも? 警察も呼ばんかったん?」


「それは忘れたけど、おかしいと思わん?」


僕も亮ちゃんも美奈子の言っていることがわからなかった。


「だって、狸とか鹿の死体って誰か食べるやろ? 健ちゃんのお父さんみたいな猟師が鉄砲で撃って、殺してそれを家で調理して食べるやろ? 死体って誰かが殺すこともあるじゃん? その殺した人間は、何でそれを食べずに放置したんだろうって。何で人間だけそれをしないんだろうなって思っちゃったんだよね」


美奈子の言う意味が理解はできたが、それを正常だとは思えなかった。


「そりゃ、狸や鹿を殺すのって理由があるやろ。食べるためっていう。でも、人間を殺すのは食べるためやないやん? 恨みとか、そういうのがあって殺すんやけん、食べるためやない」


「健ちゃんの言うこともわかるんよ? でも、これってもしかしたら人間を食べたらいけないって生まれる前に神様から注意されてて、それを気付かずに過ごしてるだけだとしたら? それを私はたまたま気づいてしまったんじゃないかなって。もしそうなら、食べたとき、きっと今とは違う何か、物凄いものになれるんじゃないかって思うんよね」


「へえー、例えば?」亮ちゃんが聞いた。


「んー、例えば、神様になれるとか」


「それはないやろ」と僕は首を振った。


「でもね、もしこれならどう? 人間を食べた人間だけが神様になれるとして、その神様界の神様が飽和状態だったとしたら?」


「ほうわじょうたい?」亮ちゃんが首を傾げる。


「満タンってこと。だから、これ以上神様を増やさないように、人間を食べちゃいけませんっていう決まりを作ったんじゃないかなって。もしそうなら、私たち、人間を食べたら神様になれるのかな?」


しばらく沈黙が続いた。僕はその間、いろいろなことを考えた。人間を食べる。つまり、人間を殺すことになる。殺すことは、犯罪だってそれくらいこの村に居てもわかる。総理大臣の名前を知らなくてもだ。でも、人間を殺してもばれなければどうだろうか。食べてしまい、それがばれなきゃどうだろう。それに、蛙を食べたときのように、美味しいとすれば……どうだろうか。


「ねえ、人間、食べてみない?」


美奈子の提案に、幼き僕と亮ちゃんは、一瞬ためらったが、了承した。




僕たちは放課後、作戦会議をすることになった。人間を食べるためのだ。問題は、その人間を誰にするかということだったが、僕は放課後になる前に、美奈子から内緒の相談を持ち掛けられた。


「ねえ、健ちゃんは私のこと好き?」


校舎裏の壁にもたれ掛かって聞いた美奈子は、顔を赤らめることなく、堂々としていた。普通は、こういうことを聞くときは、もっと恥ずかしがりながら聞くものじゃないかと思っていただけに、拍子抜けした。


「好きって……それはつまり……」


「女性として。ねえ、どう?」


どう……だろうか。顔は可愛いとは思わない。でも、嫌いというわけじゃない。生まれてからほとんど亮ちゃんと3人で過ごしてきたし、ヘビや蛙を食べた時だって美奈子はいつもそこにいた。父に殴られた顔を晴らした時も、美奈子は僕以上に激怒してくれて、父を殺そうと鎌を持ち出してくれた。結局、僕と亮ちゃんは止めたが、それでは腹の虫が収まらないと言って、猟銃の弾を一発だけ持ち出した。そんなこともある。


「好き……かもしれない」


そう答えるのが精いっぱいだった。


「かも? それって照れ?」


実際そういうことはなかったが、僕は頷いた。


「じゃあ、私のためなら何でもできる?」


美奈子は僕に顔を近づけながら言った。そばかすが気にならないくらい、大きな目に吸い込まれそうになった。


「できる」と答えた。


すると、美奈子は、大きな目で周りを見回し、僕の耳元にその軟らかそうな唇を近づけた。


「じゃあ、亮ちゃんを食べよう?」


微かな声だったが、確かにそう言った。亮ちゃんを食べようと。


「冗談だろ?」


「本気よ。猟銃を持ち出すの。健ちゃんのお父さんから一丁、拝借してね。それで健ちゃんのお父さんを殺すって亮ちゃんに提案するの。私が健ちゃんのお父さんを嫌っていることは知ってるし、猟銃を持っていてもおかしくないでしょ? それで、人気のないところに誘い込んで、亮ちゃんに向けて銃を撃つ。あとは、焼いて塩コショウでもすれば食べれるでしょ?」


東京に行けば、人間誰しもこうなるのだろうか。まるで、人の命を何とも思っていない、狂気染みた考えを持った幼馴染を目の前に、僕は震えがした。ただ、僕の中で負けたくない、置いて行かれたくないという気持ちが沸いてきて、これが正しいのだと言い聞かせるしかなかった。美奈子は間違った判断をしたことはない。唯一あったとすれば、僕の父を殺そうとしたことくらいで、あとは、全部美奈子のすることは正しかった。女子であるにもかかわらず、常に頼りない僕や亮ちゃんを正しい道へ導いてきた。蛙を食べようと言ったのも美奈子だ。信じるしかない。


しかし、もう一人の幼馴染を殺せるのだろうか。殺してしまうことが怖い。しかし、食べれば見つからない。亮ちゃんをこの世からそっくりそのまま消してしまうことが出来るのだ。たしかに、別れはつらい。でも、一生一緒にいれるなんて保証はない。別れはいずれ来るもので、それが早いか遅いかの違いでしかない。


「わかった」


僕は了承し、そんな僕に美奈子は、キスをした。激しいキスで、下を絡め合い、唇を甘噛みされ、時々強く、性器が立ってしまうほどのそんなキスを中学生になって初めて体験した。


「杯って言うのかな? 契約成立しましたって証拠」


そう言って、美奈子はスキップをして僕の前から立ち去った。たどたどしいスキップだった。




放課後、僕らは予定通り、亮ちゃんに僕の父を殺す提案をした。


「健ちゃん、それって自分のお父さんを殺すってことやろ? それに対して何とも思わんの?」


僕は萎縮したが、契約。そう、もう契約してしまっているのだ。それに、殺すのは父じゃない。亮ちゃんだ。唇を舐めた。


「殺すんやないよ。食べるんよ」


「結果的には同じことやろ!」


「同じやないよ。だって、僕らはこれで神様になれるんよ? 自分の息子が神様になれるんやったら、父さんも本望やろ」


亮ちゃんはそれ以来、何も言わなかった。僕は美奈子を見た。口角が微かに上がっているように見えた。




美奈子と亮ちゃんを家の前で待たせ、僕は納屋に入った。ここに父の猟銃がある。使い方は昔持ち出して遊んだことがあるので何となくわかる。僕は父の猟銃を一丁と、弾を3発ポッケに入れた。猟銃は、美奈子と亮ちゃんに託し、僕は一度カバンを置きに家へ帰った。母が裁縫をしていて、父はいなかった。山へ出かけたのだと言う。僕は、マッチと水筒に水を入れて持ち出した。おにぎりを持たせてくれようとしたが、断った。これから人間を食べるのにおにぎりなんて食べるほど腹に余裕はない。蛙を食べるからいいと断った。また父さんに怒られるよと注意された。大丈夫、大丈夫とあしらった。


僕はそのことを美奈子と亮ちゃんに知らせ、一緒に山へ入った。途中、ヘビを見つけ、それを投げ合ったりしながら遊んだ。しなった竹を見つけ、亮ちゃんがそれに掴まり、上り棒の要領で、するすると上った。それを美奈子は、一見、微笑ましい光景を見るような目で見たが、まるで、海老で鯛を釣る海老のように、これから食べる相手を今のうちに遊ばせておくといった感じの、恐ろしい目に、僕にはそう見えた。


「かしこまって聞くけど、二人とも夢ってあるん?」


美奈子が突然、そんなことを聞いた。


「夢? んー、金持ちになることかね」


亮ちゃんは、竹に上って旧須部工楽村を見渡しながら言った。


「そっかー。なれるとええね」


美奈子は徹底して怖かった。


僕は何も答えられなかった。






パンッ!






一発の銃声が響いた。猟師をやっている父のものだと思った。しかし、違った。随分と近くで聞こえた銃声は、僕の横から響いたもので、銃を手にしていたのは、美奈子だった。


「美奈子!」


僕は、美奈子から銃を取り上げた。なぜ、今、このタイミングで撃ったのか……僕にはわからなかった。亮ちゃんもそんな顔をしていた。


「美奈子、おまっ、びっくりするやん。急に撃つとか」


亮ちゃんは、美奈子に駆け寄り、肩を抱いた。銃を撃った瞬間、美奈子は腰を抜かし、立てなくなっていたのだ。


「予行演習のつもりで一発上に撃ってみたんやけど、やっぱりすごいね……」


美奈子は、震える声で、ただ目は笑っていた。一発撃ったあの瞬間、美奈子には何が見えたのだろうか。未だにわからない。




この銃声を聞いた誰かが近づいてくる。そう思った僕たちは急いでその場を離れた。みかん畑を駆け下り、青いネットに滑り込んだ。斜面を猟師が駆け上がって来ていて、木々の間を抜けるように走った。ガサガサという音に猟師が銃を向ける。僕たちの方だ。まずい!


僕たちは動きを止めた。猟師は銃を構えたまま動かなかった。じっと相手の動きを観察しているようだった。息を潜め、猟師がその場を離れるか、試しに撃った弾に当たるか、二択しかなかった。しかし、今動けばきっと死ぬ。動けない。安全な選択肢が一つもなかった。もし、あるとするなら声を出して、僕たちが人間であることを告げるか、銃を向けてその猟師を殺すしかない。


銃は僕の手に握られている。


美奈子と亮ちゃんの顔を見た。亮ちゃんは、怯えていて美奈子の腕を掴んで離さない。美奈子は冷静に僕の目を見たまま動かない。僕はどんな顔をしているだろうか。怯えているのか、それとも冷静なのか、わからない。ここには鏡がない。


やがて、猟師は銃を引っ提げて、斜面を駆け下りていった。僕はその後ろ姿をただただ見ていた。あの青い帽子が見えなくなるその時までただずっと見ていた。


「危なかったなー」


亮ちゃんが一番に声を上げ、続いて美奈子が「もう! 離してや!」と亮ちゃんの腕を払った。僕はその場に腰を落とした。銃の重さを思い出していた。




「俺さー、思ったんやけど、さっきの猟師、あれ殺して食ったらよかったんやない?」


亮ちゃんの言葉に僕も美奈子も反応しなかった。食べられることを知らない亮ちゃんだから思いつく提案で、返す言葉が見つからなかったのだ。


「まあ、あの猟師、よぼよぼのおじいちゃんやったし、まずそうやもんな」


そう言った亮ちゃんの言葉に僕は頷いた。食べるなら若い人がいい。




美奈子が道の主導権を得て、僕たちは、小さな洞窟にやってきた。誰が作ったのか、誰が使っているのかわからない洞窟だった。ただ、そこには長靴や、毛皮、焚火の跡があって、きっと猟師が山籠もりをするときにだけ使われているらしい洞窟だった。


「ここやったら、ばれずに殺せるし、食べれるかもね」


美奈子がそう言って、腰を落とした。僕は薪をくべマッチで火をつけた。比較的早く火が付いて、焚火の周りにみんなで車座になって座った。


「こんなところでこうやっててええんかね? 人、来んやろ?」


亮ちゃんが木の枝を火に投げながら言った。


「そうやねー。多分、来んね。でも、人ならここにもおるやん?」


美奈子の言葉に、亮ちゃんが後退りをする。


「え? ちょ、どういうこと……」


「そのまんまよ。私も亮ちゃんも、健ちゃんもみんな人間じゃん。この話をした時点で既におったんよ。人間は」


「でも、健ちゃんのお父さんを食べるんじゃ……」


「でもでも、亮ちゃん、さっき言ったよね? あのよぼよぼのおじちゃんはまずそうって。見たところ、健ちゃんのお父さんとそうたいして変わらんかったよ? それとも」


美奈子がずいっと亮ちゃんに近づく。


「もしかして、亮ちゃん、元から食べる気じゃなかったの?」


亮ちゃんの表情が強張っていくのが焚火によって浮かび上がってくる。


「ほ、本気にしてなかったわけやないよ? やけど、常識的に考えて……」


「常識的?」美奈子が口を挟む。


「端からそんなの常識的じゃないでしょ? 大体、常識って何? 私たちは豚も、牛も、鳥も食べるし、蛙だって食べた。ヘビも。じゃあ、あとは何が残ってる? 人間でしょ? 人間だけはのうのうといろんな動物食べてて、人間だけ食べられないのが常識? その常識を作ったのが人間なら、この世界の常識がそっくりそのまま当てはまるん? そんな都合の良い生き物なん?」


「そ、そんなこと、俺に言われても……」


亮ちゃんが顔を伏せる。その隙に美奈子が亮ちゃんを羽交い絞めにした。


「美奈子!?」


「ほら、誰が食べられるべきか決まったようやね。健ちゃん、こいつは亮ちゃんやない。亮ちゃんの肉体に憑依した悪霊よ! ほら、撃って! 撃って、殺して、食べて、亮ちゃんを楽にしてあげよ?」


そうだ。僕が銃を持っている。僕が亮ちゃんを撃てば、人間を食べることが出来る。でも……。必死に抵抗する亮ちゃん。亮ちゃんとの思い出がいっぱいあって、でも、憑依されているんだっけ。悪霊に。大事な友達に悪霊が……でも、そんなことどうして美奈子がわかるんだ? 美奈子がただ亮ちゃんを食べたいだけじゃないのか? それって本当にしていいことなのか? 非常識なのは美奈子の方じゃないのか?






そうか、食べられるべき相手は、美奈子だ。






僕は銃を構え、照準を合わせた。あとは、引き金を引くだけだ。


「健ちゃん! やめて! 撃たないで!」


「ほら、健ちゃん、早く! 私、もうもたない!」


僕は、引き金を引いた。






パンッ!






亮ちゃんが倒れた。一発では不十分のようで、まだ呻いている。この呻き声が気色悪かった。僕はもう一発至近距離で心臓に向かって撃ちこんだ。が、心臓は左側にあるということを忘れていた。まだ呻いていて、息がある。もう弾はない。


「健ちゃん!」


美奈子から一発の弾を手渡された。その間にも亮ちゃんは、血を流しながら這って洞窟の外へ出ようとする。僕は弾を込め、亮ちゃんの足を自分の足で踏んだ。


「け……んちゃ、ん……」


僕は構わず眉間に銃口を向けた。そして、一発。






パンッ!






亮ちゃんは動かなくなった。







「やったね! これで神様になれるね、私たち!」


美奈子は、亮ちゃんの足を掴んで洞窟の奥へ引きずり戻し、僕は銃口から上がった一筋の煙をただ茫然と眺めていた。ああ、そうか、僕が殺したんだ。この銃口からの煙が線香の煙を思わせる。僕は唇を舐めた。


美奈子は、とりあえず亮ちゃんの服を脱がせ始めた。ポロシャツ、短パン、パンツを脱がせたところで、美奈子の手が止まった。


「健ちゃん、見て、おちんちん」


美奈子が人差し指で亮ちゃんの性器を弾きながら言った。もう僕の知っている美奈子ではない。神様に近づいた人間はみんなこうなるのだろうか。そもそも、神様は人間の生を心から案じる立場なんかじゃなく、人間の死を弄ぶ存在なんじゃないかとさえ思った。表向きには優しい笑顔で、実は神様の中にも悪魔が住んでいて、それが本当の姿なんじゃないか。表裏一体論は神様にも存在するんじゃないかと思った。


靴も靴下も脱がせ終わり、それから裸で、所々血の滲む亮ちゃんの身体が横たわっている横に、僕と美奈子は少し離れて座った。


「ねえ、ナイフ持っとる?」


僕は首を横に振った。忘れていた。これじゃ切れない。


「そっかー。これじゃ、千切れそうにないし、この洞窟に何かないかねー」


美奈子はごそごそと猟師の道具を漁った。僕は横たわった亮ちゃんの死体を見ていた。血は止まらず、目は見開いていて、亮ちゃんが生きているような感じがして、今にも起き上がって僕の首を絞めそうな勢いだった。でも、亮ちゃんはそんなことはしない。優しい奴だったから。


弁当を忘れたとき、僕におかずを分けてくれたのは亮ちゃんだった。自分だってそんなに裕福じゃないくせに、誕生日には駄菓子屋でありったけのお菓子をプレゼントしてくれた。自転車のパンクを直すのが上手くて、よく直してもらった。カブトムシを獲りに山へ登ったときは、一匹も獲れなかった僕に大きいカブトムシをくれた。自分より友達を第一に考えられるいい奴だった。


そんな亮ちゃんだから、きっと僕が食べてもいいって言うに決まっている。健ちゃんや美奈子が神様になるなら俺は本望よって。亮ちゃんは本当にいい奴だ。いい友達だ。亮ちゃんが生まれ変わったらお金持ちの家に生まれさせて、そして、生涯不自由なく暮らさせてあげよう。神様ならきっとそれができる。


「あった! 鎌があった!」


そう言って、美奈子は鎌を掲げた。僕はまだ自分が銃を持ったままだったことに気付き、それをその場に置いた。


「ねえ、健ちゃん、できる?」


美奈子が僕に鎌を渡す。これは、亮ちゃんだ。亮ちゃんの死体。でも、豚や鳥や牛だって殺される。蛙も捌いたことがある。それと何が違う? 同じ生き物だ。しかし……。


なぜだろう。手が動かない。足が震えてきた。僕が殺したにもかかわらず、だ。僕が銃で撃って殺した。生きているならまだしも、死んだ身体を捌くことなんて簡単じゃないか。自分にそう言い聞かせてみたが、鎌を持った手が言うことを聞いてくれない。


「まあ、健ちゃんが殺したんやし、捌くのは私の役目よね」


僕から鎌を取った美奈子が間髪入れず、亮ちゃんの死体に鎌を振り翳した。ズシャーという音とともに、血が溢れだす。まるで、包丁を入れるように、すーっと一太刀。そこから亮ちゃんを作っていた中身がどろどろと溢れ出てきた。


「キャー、気持ち悪い~」


美奈子は素手で内臓を取り出していく。異臭が立ち込め、吐き気が襲ってきた。


「ねえねえ、健ちゃん、ほら!」


そう言って美奈子が血まみれの管を僕に投げてきた。慌てて後退りをして、それを見る。腸……のようだった。中に便のようなものが詰まっていて、バキュームカーの来た時の匂いが立ち込める。


「でも、お腹の方食べるとこ少なそうだよねー。中って意外と空洞が多いし」


美奈子はぐちゃぐちゃと音を立てながら亮ちゃんの中をかき混ぜる。まるで、幼稚園児が泥遊びをするような光景で、異臭と気持ち悪さで、僕は思わずその場に嘔吐した。


「うわっ、きったなーい」


美奈子に背中を擦られ、落ち着きを取り戻す。が、亮ちゃんの中に流れていたものが僕の背中にべっとりと付いた。


「じゃあ、腕とか食べてみる? 美味しいかもよ?」


そう言って、美奈子は両腕を鎌で切り落とした。途中、骨が邪魔をして肉をはぎ取るような形になってしまった。


それを美奈子は長い枝に巻き付け、魚を焼くように焚火に刺した。


「ねえ、健ちゃん。亮ちゃんのこの手、今までにいろんなことをしてきた手だと思うと、なんかゾクゾクせん? 鉛筆握ったり、おにぎり食べたり、木登りしたり、本を読んだり、誰かと握手したり、蛙触ったり、オナニーしたり、爪噛んだり……まるで牛豚鳥よりも意味のある手のような気がして、感慨深いよね」


その手がバチバチと音を立てて燃える。表面が焦げているようだった。


「やっば。これ回しながらやないと焦げるかもね」


そう言って、耳たぶを触りながら美奈子が木の枝に巻き付けられた亮ちゃんの腕を回す。


「んー、もういい頃かねー」


美奈子に亮ちゃんの手を手渡された。パーの形をしていて、美奈子はそれにチョキを返している。


「勝った~」


僕は息を吹きかけ、そして一口口に含んだ。美味しい……とは思わなかった。今まで味わったことのないような触感と味と癖があって、蛙よりはヘビを食べたような感覚になった。


「うわっ、まっず。でも、良薬は口に苦しやもんね。意外と美味しい美味しいって食べたら美味しいかも」


美奈子に言われ、これを美味しいと思って食べてみた。これは、美味しい。これを食べれば神様になれる。そう、きっとなれる。すると、不思議と美味しく感じた。懐かしい感じがした。微かに土の味と鉄の味が混ざり合った。馬刺しに似た感じでもあり、レバーの感じもある。しかし、弾力もあって、鶏皮のようでもある。美味しい。物凄く美味しかった。気が付くと、木の枝をしゃぶっていた。美奈子も同じだった。


それから足も食べた。足は特に美味しかった。触感がしっかりあって、しかし、太ももは中の方は生焼けだった。顔も食べた。耳たぶも、目玉も、唇も。美奈子は性器を食べた。僕はお尻の肉をしゃぶった。焼けていようが、いまいが構わず食べた。体の毛と骨を残し、二人で綺麗に食べ尽くした。


「やばいね。これ」


美奈子がお腹を押さえながら言った。本当に美味かった。


「やっぱり、あれやない? 人間っていろんな美味しいもん食べるけん、美味しくなるんやないかね?」


「健ちゃんの言う通りかも。ああ、これで神様になれるって思ったら、楽でええね」


美奈子が僕に近づいてきた。僕は美奈子にキスをした。校舎裏でやったキスのように激しく、ソフトに、緩急をつけてキスをした。美奈子はいやらしい声を出した。僕の性器は反応しなかった。


僕は鎌を振り翳した。美奈子が驚いた声をあげ、呻き、その場に倒れ込んだ。


「け、健ちゃん……な、なんで……」


僕は美奈子の三つ編みを掴んで首の後ろに鎌を刺した。顔に血しぶきが散った。それから背中を一の字に切りつけた。深く、刺さっていくのがわかった。振動があった。美奈子が動いているカラなのか、美奈子を動かしている心臓のものなのかはわからない。お尻の割れ目に沿って切りつけた。前に回し、下腹部、お腹、胸、顔の順で切り裂いた。美奈子は動かなくなった。


僕は腕を切り落とそうとした。しかし、鎌に血がこびりついていて、上手くいかない。いらない。こんなもの。僕は、夢中で噛みついた。貪った。




結局、旧須部工楽村で大問題となった。亮ちゃんと美奈子の二人が同級生の僕によって食い散らかされたのだから、無理もない。しかし、警察沙汰にはならなかった。元々、廃村が進んでいる村で、村長である父がこの事件を公にしないように努めたからだった。


僕は、その後いろんな人から後ろ指をさされて過ごした。しかし、誰も僕をどうこうしようとはしなかった。きっと、僕に近づけば食われると思ったからだと思う。事実、僕は人間の肉をもう一度食べたいという欲求が後を絶たなかったし、下級生の女の子を食べようとしたこともあった。まるで、全能なる神様になったようで、しかし、神様というやつもいいもんばかりじゃない。僕は人間の肉を味わった。それと同時に孤独や空虚も味わった。




中学を卒業と同時に、僕は事実上村を追い出された。行く当てもなく、とりあえず、上京した。美奈子が2年前に来た街だ。


美奈子の言った通り、車は空を走っていた。飛んではいない。ちゃんと地面にタイヤを付けて空を走っていた。


電車もたくさん走っていた。たくさんの人が乗った。僕もその一人だ。電車に乗り、就職先の工場へ向かい、汗水流して働いた。人間らしく生きている。




人間を僕は食べたことがある。この先、欲求が飽和状態になったとき、僕はもう一度人間を食べることになるのだろうか、たまに考えるときがある。神様に僕はなれた。しかし、欲求は収まるところを知らない。


一度、美味しい味を占めた人間は、欲望のままにそれを満たそうとする。きっと人間を食べてはいけないという神様のルールは、このことを知っていたからだと思う。


そして、それを知った僕はこの先どうなるのだろうか。答えは神のみぞ知る。






唇を舐めた。


















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