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呟きとメヌエット  作者: camel
トリプルタイムとサキソフォン
6/71

 以前のように一瞬だけ現れた新田教諭の「帰れ」という号令により、放課となった。

 1つ伸びをして、隣の席を確認。はっきりと、思い悩んでいるような表情で、ユキが頬杖をついていた。声をかけようかどうかちょっと迷い、結局何も言わずに壱は教室を出る。彼女については、若菜に任せた方がきっと良いだろう。

 階段をテンポよく降り、1階職員室。

「失礼します、南先生」

「あ、鍵ね」

 顔をみるや、南教諭はポケットから長細い鍵を取り出してみせる。やや暖かい辺りに夢を感じずにはいられない。

「私も後で行くから、とりあえず適当に始めててくれる?」

「了解しました」

 簡潔な応答を済ませ、一路音楽室へ足を向ける。どのフロアからでも特別教室棟へ向かえる構造なのは、中々便利だと思った。以前は、2階以上でないと渡り廊下が存在しなかったものである。

 保健室の前を通り過ぎようかという瞬間、その扉が開いた。思わず目を引かれると、一瞬視界に何も入らず、次いで角度を下げる事で、扉を開けた人物を発見。

「おや」

「……」

 バツが悪そうな目を向けてくるのは、可奈子だった。保健室から出てくるのを見られたのが嫌だったのかも知れない。女性は大変だなと無駄に得心いったような気になりながら、壱はサックスのケースを掲げて見せた。

「もうすぐ部活始まるけど」

「そう」

「そう、って。行かないのー!?」

 素っ気無い返事に大仰なリアクションを返すと、可奈子は至極鬱陶しそうな顔をする。根本的にテンションの出所が違う人間は多いものである。

「あー、ええと。行かないの?」

「行かない」

「なんで。またフルート聴けると思ったのに。用事でも?」

 壱の問いには答えず、可奈子は背を向けた。小さな背中が、話しかけるなと雄弁に語っている。

 しかしそんな事に負ける黒沢壱ではなかった。

「オイオーイ。折角再開するんだし、行こうよ。用事があるっていうなら諦めるけど」

「用事があるの」

「あ、そう……」

 出任せだろうと思ったが、追求はしなかった。根拠もなければ、彼女までの取っ掛かりも無い。

 なんとなく、可奈子が廊下を曲がりきるまで見送ってから、今度こそ音楽室へ向かった。

 特別教室棟の廊下は長いが、それだけに差し掛かれば人が居るかどうかぐらいはよく見通せる。丁度音楽室前辺りで壁に寄りかかっているのは、背の高い女生徒。

「おはようさん」

「あ、黒沢君」

「ひょっとして待たせた?」

「ううん、こっちに来たんだけど、着いてから鍵忘れたのに気付いて。だったら、入れ違わないように待ってた方が良いかなって」

「成る程」

 苦笑いをしながら自分の状況を語る若菜だったが、その表情には昼時に見たような明るさが無かった。

 とりあえず鍵を開け中へ入ると、今日は授業で使われる事が無かったのか、少しばかり埃っぽい。

「窓開ける?」

「そうだね」

 全開にすると、春の風が吹き込んできて気持ちが良い。

 ふっと息を吐いて、壱は手近な椅子に腰掛けた。若菜は、窓辺でグラウンドを見下ろしている。

「駄目だった?」

「え……あ。ユキちゃん?」

「なんとなーく気落ちしてるでしょ」

「そんなに表情に出易いかな?」

 驚いた顔をし、頬を揉み解しながら、若菜も壱の傍に腰を落ち着ける。

「駄目だったっていうか、ね」

「うん」

「迷ってるみたいで。ユキちゃんはやっぱり、部活をやりたいんだろうけど、鶴岡さんの事をどうしても考えないわけにはいかないんだろうね」

「まあ、当然か」

「わたしも勿論そうだけど、そんなに根は深くないんだ」

「またどうして?」

「コンクール出る予定じゃなかったから、わたし」

「え、何故に?」

「……へ、下手だから」

 アンニュイに視線を脇へ放りながら、若菜はそう呟くように言った。春風が彼女の髪をさらう。

「成る程……」

「ええと、そういう事もあったからね。どっちかって言うと、鶴岡さんとちゃんとブラバンでやりたいなって気持ちのが大きいかな。確かにユキちゃんや他の部員の発表が台無しになっちゃったのは可哀想だと思うし、鶴岡さんに非難が行くのも解るんだけど」

「雑に言うと、一歩後ろから見てるような?」

「うん。他の人より、少しはね。だから、鶴岡さんの所為でコンクールが潰れた事そのものより、どうして来なかったんだろうって考える事の方が多くて。きっと理由があったんじゃないかなって前から思ってる」

「例えば?」

「そ、それは解らないけど……黒沢君、鶴岡さんの演奏聴いたんだよね?」

 頷きながら、昨日の可奈子のフルートを思い出す。

 あの後家に帰り、ジャズやクラシックなどのCDを漁って色々と聴いてみたが、CDと生音という差を鑑みても、鶴岡可奈子の演奏は劣っていないと心底思った。むしろ、場合によっては可奈子の方が上手いのではないかと感じる程に、あの演奏は鮮烈な印象を壱に刻み込んでいる。

「凄いよね、鶴岡さんのフルート」

「ヤバかったよ、アレは」

「そういう演奏を出来るし、練習だってキチンとやってた鶴岡さんが、何の連絡も寄越さずにコンクールを欠席して、その後何も理由を語らないなんて、どうも腑に落ちないとは、思うな」

「冷静だね。あ、勿論悪い意味じゃないよ。当時怒り心頭だった部員にとっては、そんな事問題にすらならなかっただろうから、成る程若菜嬢みたいな人にしか出てこない、落ち着いた考え方だ」

「そうかな」

 若菜は、ちょっと照れ臭そうにはにかむ。髪型や上背がそれを消してしまっているが、存外顔つきは大人しめだという事に、壱は今気付いた。

 少し間を置いて、壱は気になっていた事を口にする。

「お鶴さんに非難が行った、っていうのは聞いたんだけど、例えばどんな?」

 すると、若菜は想像通り暗い顔になった。これは、表情に出易いかどうかは関係無いだろう。

「えっと……」

「いや、言い辛かったらいいよ。俺の予想だけど、なんかイジメめいた事とかあったんじゃないかなと思って」

「ん……そう」

「やっぱね」

 物静かを通り越した寡黙さ、小柄な体つき、そしてあの全てを受け流すような双眸。

 可奈子には、頭にきている人間の神経を逆撫でする要素は多い。

「でも、どうしてそんな事?」

「それでもお鶴さんが辞めてないって事は、若菜嬢の予想は正しいって事なんじゃないかね?」

「あ……」

「そもそも、退部したヤツらだって最初はお鶴さんにこそ退部を迫ったんじゃない? でもやっぱり辞めてない。こうなると、お鶴さんはそれに対する当てつけで退部しなかったか、或いは次こそキチンとやるという意思表示の為にやめなかったかのどっちかじゃないかな。まあ、後者は聊か前向き過ぎるかも知れないけど」

「そんな事ないよ。鶴岡さん、絶対そういうつもりだったと思う」

 食いかかるように壱の予想を支持する若菜に笑い返し、続ける。

「どうしたって吹奏楽をやるには在籍し続けなきゃならない。お鶴さんに嫌気が差した程度で辞めて行った子らは、言い方は悪いけど所詮その程度だったんだと思うよ。だって若菜嬢もユッキーも、根っこの所で音楽に対する大きな気持ちがあるから、退部しなかったんだろうし」

「……そうなのかな。わたしはそんな、大それたつもり無かったんだけど」

「事実として、若菜嬢がここに居てくれる事が、俺にとっては嬉しいね。言うなれば篩いにかけられたんだ。今籍を置いてる4人と、新しく入ってくる1人は、音楽をやりたくてやりたくてしょうがねえヤツらなんじゃね?」

 壱の物言いにはちょっと首をかしげかけたが、若菜は概ね同意らしく、コクコクと頷く。 

 言葉にしてみると、そうとしか壱には思えなくなってきた。本当に吹奏楽部として演奏をしていたければ、可奈子がどうあれそのまま居れば良い。可奈子には然るべきペナルティを与えるなりして、次こそはという気構えを抱けた筈だ。

 無論、引退した3年生の無念はある。だとして、可奈子に対する当てつけのように退部をするというのは、短慮だし浅慮だし愚かだし何より無意味だ。

 前の学校でもやる気の無い部員は確かに居た。だが、そういう人間は自然に淘汰されるものである。だから、転校してきたばかりの壱からすれば、期せずして最適化されているとも言えた。

「ユッキーも、多分近いうちに応じてくれる。お鶴さんも、今度こそはと思ってくれる。新しい子が何者かは解らないけど、現状を全く知らずに入ってくるとは思えない。若菜嬢はこうしてここに来てるし、俺音楽無いと死ぬし」

「あはは。うん、そうだね。そうだよ。まだ始まったばっかりだもんね」

「そういうこと。慌てなくても、良い形に持って行ける様頑張るのも部活だしさ。それを放棄した人々の事は、この際忘れて良いと思うよ」

 そう言い終え、ちょっと気取って諸手を広げて見せると、若菜はまじまじと壱の顔を見詰めた。

 故に、照れて見せる。

「ドキドキするじゃない」

「……今、黒沢君を絶賛しようと思ったのに」

「あ、頼む」

「もうダメー」

「ええー」

 目の前で腕をクロスする若菜に対し、壱は大袈裟に落胆した。

 彼女はそれを見てまた笑い、大きく溜息。披露や暗い気分からくるものではない、晴れやかな深呼吸だった。

「黒沢君、凄いね」

「夜もな」

「……あの、わたしはちゃんと黒沢君を褒められないのかな?」

「ごめんよ、脊髄がいけないんだ。俺の脊髄が許してくれないんだ」

「あー、うん。まあ、それはそれとして」

「流したね」

「本当に凄いなと思って。黒沢君が居れば、なんか良い形に変われる気がするよ、吹奏楽部も」

「そんな大役は無理だね。君らでおやんなさい。その手伝いはするけど」

 わざとらしい失笑気味の台詞に、若菜はクスリと笑った。

 南教諭が音楽室に到着し、2人しかいない現状に落胆し、なんとか宥め終わった頃には、既に下校時刻となっていた。

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