破壊の王 2.1
2
空をどんよりとした雲が覆っている。
すでに10月も末だというのに、今日はやけに気温が高い。
開け放った窓から車内に吹き込んでくる空気も湿っていて実に気持ちが悪い。まるで季節はずれの台風でもやってくるかのようだ。
亮平はエアコンのスイッチをいれてみた。だが、エアコンからは、とても冷えているとはいえない生暖かい風しか吹き出してこない。
「くそ!」
エアコンの吹き出し口をドンと叩き、再びスイッチを切る。
エンジンの調子も今ひとつ。アクセルを思い切り踏み込んでもまともに加速すらしてくれない。実にストレスが溜まる。
このアコードを用意してくれたのは桑島だった。
屋敷の前に並べられた黒く光るBMWと薄汚れたアコード。てっきりBMWを貸してもらえるものと思い込んでドアを開けようとした亮平に桑島が声をかける。
――いえ、そちらはこれから若先生が外出されるためにご用意したものです。朝比奈様はこちらをご利用願います。
静かに微笑みながら言う桑島の顔を思い出す。
(亡霊の癖しやがって!)
戸籍のない朝宮が免許証を持っているはずもない。いっそのことどこかでパトカーにでも止められればいい、と亮平は心のなかで毒づく。
ちらりとダッシュボードの時計に視線を向けた。
午後1時。
おそらく目的地まではあと1時間はかかるだろう。空は今すぐにも雨が降り出しそうな雲行きだ。
(ちきしょう)
朝宮圭吾のことを思い出す。そもそもこんな山奥までわざわざやってきたのは朝宮のせいだった。
初めて朝宮に会ってから1週間後、亮平は朝宮に呼び出された。
相変わらず職探しは続けていたが、望む仕事は未だに見つかっていなかった。断る理由もなく、亮平は言われるままに朝宮を訪ねた。
前回と同じように水島香織に案内されリビングで待つ。どうやら屋敷にいる使用人は桑島と香織の二人だけのようだ。
やがて白いシャツをだらしなく着た朝宮が姿を現した。
「この前話したように、君に仕事をしてもらう」
朝宮はソファに腰を降ろすと、当たり前のように言った。「どうせ時間は空いているのだろう?」
「どんな仕事です?」
警戒しながら聞き返す。この男はどこか油断が出来ない。
「ある男に会ってきて欲しい」
「それは誰ですか?」
「成川正文という男だ」
「何のために?」
「実は明日、成川正文の屋敷で小さな晩餐会が開かれることになっている。出席者は成川正文を含めて4名。君はそこに行き、ある人物を探し出して欲しい」
「ある人物って?」
「実は君の父上がやっていた研究のことなんだが、君の父上が研究材料にしていたのは自分の子供だけじゃあない。彼はその財力にものを言わせ、孤児を集め、自らの研究の材料にしていたんだ。私はその研究にピリオドをつけたい」
「父は死んでいるんでしょう? なら研究だって終わっている」
亮平は適当に答えた。そもそも父の研究などに興味は無い。今更そんなことが自分に関係しているとも思えない。
「そういう考え方も出来る。ただ、研究の細部については誰も知らされていない。何しろ父の研究は世間一般に認められるような立派なものではなかったからね。問題なのは研究材料となった人間にはそれなりの副作用が出る場合があるということだ」
「副作用?」
「去年、新宿のど真ん中で日本刀を持って暴れた男がいたのを記憶していないか?」
「ああ……確かその後ビルに立てこもって警官に射殺された……」
新聞記事を思い出しながら答える。最近はショッキングな事件が次から次へと引き起こされる。あれもそんな事件の一つだった。
「名前は田代栄一。年齢は35歳。彼もまた君の父上の研究材料だった」
驚く亮平をちらりと見てから朝宮はさらに続けた。「彼の二つ名は『落ちる朝日』。彼は毎日のように虐待と快楽を交互に与えられた。快楽というのはクスリだ。軽い睡眠薬から始まり、中学に入学する頃には立派な覚せい剤中毒者になっていた。射殺される時、彼は『親父のせいだ!』と叫んだらしい。それが誰を示しているかは君にも想像つくだろう? 彼の実の父親は彼が生まれて1年後、事故で死んでいる」
「……酷い」
「研究材料はさまざまだ。なかには生まれてすぐに両腕を切りおとされた者もいれば、ずっと牢獄に繋がれてすごした者もいる。君に見つけ出して欲しい人物も、そんな過去を持った人間だ。放っておくにはあまりにも危険だ」
「破壊の王……」
ふっと頭のなかに浮かんだ言葉を口にした。
「何だって?」
「あ……いや……」
「今、『破壊の王』と言ったな。なぜその名前を?」
気のせいだろうか。どことなく朝宮の声が緊張しているように感じる。
「何となく……昔、子供の頃にそんな名前を聞いたような気がしたもので」
あれはどこでだったろう。
「ふむ……」
朝宮は考え込むように腕を組んだ。
「まさか、見つけ出す人物というのは……その『破壊の王』ですか?」
朝宮が顔を亮平に向ける。黒いサングラスでその目元は見えないが、そのサングラスの奥の瞳がまっすぐに自分に向けられているのははっきりと感じられる。
やがてゆっくりと朝宮が口を開く。
「そうだ。君には『破壊の王』を探し出してもらう」
「そんな簡単に言わないでください。どうやって見つけてくればいいんです? そもそも成川というのは誰なんです? その人にどう説明すればいいんですか? 『破壊の王』とかいう殺人犯を捜しに来ましたと?」
「その点は心配する必要はない。成川正文は君の父上とは顔見知りでね。おそらくそれを知れば快く晩餐会への出席を認めてくれるだろう」
「だからって……」
「もちろんこの仕事を引き受けるかどうかは君の自由だ。ただ、君に選択するほどの余裕があるならばだがね」
口元にわずかに笑みが浮かんでいる。
(くそ……)
拒否することなど出来ないとわかって言っているのだ。貯金の残額が頭のなかに浮かび上がる。
「……わかりました」
視線を背けるようにして亮平は答えた。
「なら契約成立だ」
「あの一つ良いですか?」
「何かね?」
「その『君の父親』という言い方止めてくれませんか?」
「なぜ?」
不思議そうに朝宮は訊き返した。
「私の父であることは確かですが、同時にあなたの父親でもあるわけでしょう」
「ふむ。どうも私の父親という気がしなくてね」
朝宮はそう言って肩を竦めた。
あれから2日後の早朝、亮平は指示された通りに朝宮の屋敷を訪れた。だが、朝宮は姿を現さなかった。
――若先生はまだ眠ってらっしゃいます。
そう言った桑島の言葉に怒りを感じながらも、亮平は成川正文の屋敷へ向かうことになった。
窓から飛び込む風で暑さを凌ぎながら、国道を北上する。