エピローグ
エピローグ
ぼんやりと門から出て行く朝比奈亮平の後ろ姿を眺めながら、朝宮圭吾はあの夜のことを思い出していた。
「『破壊の王』?」
問い掛ける朝宮に父はさらに言った。
「そうだ。おまえの弟であり、おまえを導く者でもある。おまえはいずれ私の代わりとなって、弟が『破壊の王』へと覚醒するのを見守らなければならない」
「ボクが?」
「いずれ私は死ぬ。だが、私はこの研究を続けなければならない。つまりおまえが私の研究を引き継ぐのだ。私のために」
「父さんのために?」
「そうだ。おまえたちは私の子供だ。私のために生きて、私のために死んでいくんだ」
あの時の父の顔を忘れることが出来ない。
あれ以来、朝宮当摩という人間を『父親』として見ることを止めた。父もまた、そんなことは初めから望んではいなかったろう。
次第に父が屋敷に足を運ぶことは少なくなり、その代わりにさまざまな書物や父の研究資料が送られてくるようになった。
その中には朝比奈亮平の資料も含まれていた。
「帰してしまってよろしかったのですか?」
桑島がそっと近づいてきて訊いた。
「……ああ」
窓の向うを見つめたまま、朝宮は答えた。すでに朝比奈亮平の姿は見えなくなっている。
「なぜあんな嘘を?」
「嘘?」
「道場さんのことです。あれは若先生がやられたことではないのではありませんか?」
「さすが桑島さんだね。そう、あれは彼がやったことだ。いや、もちろん彼はそんなことを知らないだろうがね。彼を襲った佐伯幸一は、きっと彼のなかのもう一人の存在に気づいたんだろう。自分が敵うわけもない大きな存在に佐伯は恐怖し混乱し、その結果、道場里瑠子を殺すに至ったんだ」
「では、なぜそのことを仰らなかったのですか? 朝比奈様のためですか?」
「まさか」
「若先生は何を考えていらっしゃるのですか? 私はてっきり若先生は彼と入れ替わり、朝比奈亮平として生きるつもりなのかと思いました」
「それも考えていなかったわけではないよ。だが、そう簡単に彼と入れ替われるわけでもない。そのためにはもっと時間をかけて彼という人間を知らないといけない。それに私は彼に興味を持ったんだ」
「興味?」
「昔、近所に住むドーベルマンが屋敷に迷い込んできたことがあった。そのドーベルマンはそれまでも近所の人に襲い掛かったり、散歩中の犬をかみ殺したことのある問題の犬だった。その時、庭には5歳の誕生日を前にした朝比奈亮平がいた。屈強なドーベルマンにとって幼い子供は格好の獲物だったに違いない。だが、発見された時、そこには石で打ち殺されたドーベルマンと軽い噛み傷が残った亮平がいたそうだ。朝宮当摩はそれを見て狂喜乱舞した。そして、彼につけた二つ名が――」
「『破壊の王』」
「桑島さんは当時から勤めていたんじゃなかったかな」
「それは練馬にあったお屋敷でのことですね。私もその話のことはあとで先生からお聞きして知りました」
「朝宮当摩の研究は人としてやってはいけないものだ。そして、そんなイカれた研究の結果である二つ名を持つ者たちはこの世に存在してはいけないのだ。私は朝宮当摩の作品を消し去らなければいけない」
「しかし、その後、朝比奈様は別段変わったこともなく暮らしてきたはずです」
「さっき、彼を責めた時、彼のなかに何かとてつもなく大きな存在を感じた。あのまま続けていれば、彼のなかの『破壊の王』が目覚めたかもしれない」
「若先生、それではどうして朝比奈様を帰らせたのですか?」
「誤解しないでくれ。私は何も彼をこのまま自由にしてやるつもりはない。そして、父の願った通りに『破壊の王』の従者となるつもりもない。ただ、彼を消し去るとしても、そう簡単にいく話じゃない。それに急ぐ必要はないと考えているだけだ」
そう急ぐ必要などない。
これまでこの屋敷に幽閉されてきたことを考えれば、大きな楽しみが一つ増えたのだ。自分がこれから何をすればいいのかゆっくりと考えればいい。
朝宮は窓を開けた。
冷たい空気が肌を刺す。
その冷たい空気のなか、微かに雪の香りがした。
了




