破壊の王 1.3
「……兄さん?」
わずかな沈黙の後、亮平は聞き返した。
「そうだ。外の女に産ませた隠し子なんてものじゃないよ。両親は君と同じだ」
「はっ! 一体何を言い出すかと思えば、何をバカなことを。この俺に兄貴なんていませんよ」
吐き捨てるように亮平は言った。
「確かに君は私の存在のことは知らないだろう」
「知るはずがないじゃないですか。バカバカしい。そういう嘘は子供になら通用するでしょうけど、だいの大人にそんなバカな嘘をつくもんじゃありませんよ」
「なぜそんなことが言える?」
朝宮圭吾は表情を変えずに言った。
「これまで何度も戸籍のコピーを取ってます。自分に兄貴がいないなんてことはよく知ってます」
「戸籍か。君がそれを真実と思うならそれも仕方ないかもしれない。だがね、戸籍などというものはただの紙切れ一枚の真実でしかないんだよ」
「どういう意味ですか?」
「私は戸籍上存在していないのだ」
「え?」
「私が生まれた記録も存在している記録も、正式な文書としてはどこにも存在していない。だから君が戸籍をいくら調べたところで私という人間を見つけることは出来ない。君が自分に兄弟などいないと思うのも仕方ないことだ。だが、だからといって私がここに存在していないと君に言えるのかね? 私は君の目の前に存在している。私は君の兄なのだよ」
「何を……バカなことを」
喉が渇き、声がかすれる。
「君の父上はそういうバカな人間だった」
「いったいどうして?」
「実験のためだ」
「実験? 何の?」
朝宮はそんな亮平の問いかけなど聞こえていないかのように、ゆったりとした仕草でポケットからタバコを取り出した。そして、そこから一本取り出すと口に咥え、箱の口を亮平に向けた。
「吸うかね?」
亮平はすぐに首を振った。
「禁煙してますから」
「禁煙?」
バカにするようにフンと鼻を鳴らす。「まだ若いというのに健康に気を使い始めたかね。面倒な」
(面倒?)
妙な表現をするものだ。
「それより実験って――」
「君は神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世を知っているか?」
タバコに火をつけながら朝宮は訊いた。
「いいえ……」
「今から7百数十年前、神聖ローマ帝国のフリードリヒ2世がある実験を行った。大人の話し声や子守唄を聞かずに育つと、子供はどんな言葉を話すのか。それを調べる為に、フリードリヒは数人の赤ん坊を家族から引き離して乳母に預け、最低限の世話だけをさせた。授乳や入浴はさせても、抱っこや愛撫はさせなかった。だが、皇帝の実験は失敗に終わった。赤ん坊は全員、言葉を話す前に死んでしまったからだ。君の父上は、それと似た実験を自分でもやろうとしていたのだよ。つまり人間の人格形成についての研究だ。君の父上は一風変わった研究者でね。生活環境によってどのように人の性格が変わっていくものかを調べようとしたんだ。自分の子供を使ってね。私は生まれてすぐにこの屋敷に隔離され、外界とはまったく遮断された状態で育てられた。だから戸籍も持っていない」
「……」
言葉を失った。この男の言っていることは本当のことなのだろうか。とてもすぐに信じることなど出来るはずもない。
「信じられない、といった顔をしているね」
「そりゃ……」
「無理もない。だがね、君の父上のことをよく思い出してみたまえ。君だって少しは記憶しているはずだろう。君の父上はそういう男だったのだよ」
ぼんやりと父の姿を頭のなかに描き出す。あの冷酷ともいえる眼差し。それを思い出すだけでゾクリと背筋が寒くなる。
「だからといって……あなたが俺の兄貴だという証拠にはならない」
「証拠か。なら、これならどうかね?」
朝宮がそっと右手でサングラスを外す。その顔を見て亮平は愕然とした。
「な……」
思わず声を上げそうになるほど、朝宮の顔は驚くほど自分と似ていた。鏡を見ているような錯覚を覚える。
「驚いたかね? 良く似ているだろう?」
「まさか……双子なのか?」
「いや、私が生まれたのは君より1年ほど早い」
思わずマジマジとその顔を見つめる。確かによく見ると少しずつだが違う箇所を見つけることが出来る。だが、それでも双子といっても決して不自然ではないほどよく似ていた。
「……バカな」
亮平は愕然として額を押さえた。「俺はあんたのことなんて知らない……」
「そう。確かに君は私と会ったことはない。私は生まれてすぐに母から引き離され、この屋敷に幽閉されることになったのだからね。学校へも行かず、人と会うこともなく、人生のほとんどをこの屋敷のなかで過ごしてきた」
「そんな……知らなかった……そんなことがあったなんて」
「そうショックを受けることもない」
朝宮は再びサングラスをかけると言った。「それで君の人生が大きく変わるというわけではない。私もその責任が君にあるなんて思ってはいない。君はただ単に真実を理解してくれさえすればいい。さあ、君が理解したのならば話を戻すことにしよう」
「話?」
「遺産のことだよ。君だってその話をしに来たのだろう? 君の父上は死に、そして、私は世間から認められることのない存在だ。本来ならば君が遺産を受け継ぐのが筋だろう。だが、君の父上はそうはしなかった」
「桑島さんが全ての遺産を受け取った」
「そうだ」
「父はあなたのためにそうしたんでしょうね」
「ほぉ。なぜ?」
朝宮が小さく声をあげた。
「あなたに対する罪滅ぼしじゃないんですか? 桑島さんを通してあなたが生活に困らないようにしたんでしょう」
途端に朝宮は声をあげて笑い出した。
「罪滅ぼしか」
「何が可笑しいんです?」
「いやぁ失礼。君が家を出たのは何歳の時だったかな?」
「10歳の時です」
「君はあまり子供の頃のことを記憶していないようだね。君の父上は、自らの行動を顧みるような人ではなかった。死ぬ時だって考えていたのは自らの研究のことだけだ。遺言状を残したのだって、そのほうが研究に役立つと考えたのだろう」
「意味がわかりません」
「わからなくてもいいさ。それより、君、今日は遺産目当てでやってきたんだろう?」
朝宮は笑うのを止め、ジッと亮平の顔を見つめながら言った。言い当てられ、思わず耳の裏が熱くなるのを感じる。
「そ、そんなことは……」
「隠さなくてもいい。君のことは弁護士の先生からも聞いている。なんでもリストラに遭って生活に困っているらしいじゃないか。そんな時に父親が死んだと聞かされれば、遺産をもらえると期待するのも当然のことだ。ところが遺産は桑島さんが全て引き継がれることなった。君もアテがはずれたことだろう」
「何が言いたんです?」
「どうだろう。私と契約を結ばないか?」
「あなたと?」
「そうだ。君に仕事を依頼したい。報酬はたっぷり払おう。それにもし君の仕事ぶりが気に入れば遺産の一部を君に譲り渡そう」
「なぜあなたが? 遺産はあなたのものではなく、桑島さんのものでしょう?」
「彼は遺産の話は私とするように言っただろう? 私は戸籍上存在していないが、そういう力はあるんだよ」
朝宮はそう言ってニヤリと笑った。
止まっていた時計の歯車がゆっくりと動き出したような気がしていた。