破壊の王 9.2
一瞬の沈黙の後、成川清隆はふっと笑みを漏らした。
「冗談はやめてください」
「冗談?」
「人間のすり替えなんてそんな簡単に出来るもんじゃない」
「そう。簡単じゃありません。だからこそ、あなたは2年もの時間を費やした」
すぐに清隆の顔から笑みが消え去る。
「おもしろい。話をお伺いしましょうか」
「2年前、あなたはアメリカから帰国すると、すぐに正文さんを連れてあの別荘へと引っ越しましたね。それは決して正文さんが望んだことではなかった。いや、正文さんははっきりとそれを拒否したはずです。ところがそれにも関わらず、突然、正文さんは大学へ辞表を出すと東京のマンションを引き払った」
「確かに兄は最初、私の誘いには乗りませんでした。兄には兄の生活があった。それを簡単に捨てられるはずもない」
「それならなぜ急に気が変わったんです?」
「毎日のように兄を説得したからですよ」
「説得? 騙したのではありませんか?」
「騙した?」
「お兄さんは東京を出る前日、同じ大学の同僚に『ちょっと弟と出かけてくる』と言っていたそうです。それなのにその一週間後、大学へ辞表を郵送している。あなたはお兄さんを旅行と称して連れ出し、そしてあの屋敷に幽閉したんです」
「どこにそんな証拠が?」
「証拠ですか?」
「何の証拠もなく、そんなことを言ってるんですか?」
自信の満ちた目で清隆は言った。
「タバコ、もう一本いただけますか?」
短くなったタバコを灰皿におしつけると、亮平は清隆に言った。
「どうぞ」
シガレットケースを亮平に突き出す。それを受け取りながら亮平は言った。
「そういえば、禁煙の話……いつあなたにしましたっけ?」
「え?」
「あなたとお話をするのは今日で2回目です。1回目は病室でした。当然、そんなところでタバコを吸うはずもない。禁煙しているという話もしなかった」
「そう……でしたか?」
「私が禁煙しているという話をしたのは、あなたのお兄さん、つまり成川正文さんだけなんです」
ゆっくりとタバコに火をつける。その間、清隆はジッとその亮平の仕草を見つめつづけていた。その目がわずかに赤く充血している。
ピリピリとした感覚が伝わってくる。
「そんなことが証拠だとでも言うんですか?」
「いいえ。まさか」
亮平自身、不思議なほど気持ちが落ち着いていた。
「なら、証拠はないわけだ」
「どうでしょうね」
すぅっと紫煙を吸い込む。身体のなかに染み渡ってくるようなそんな感じがする。
「ふざけているんですか」
「そんな失礼なことしませんよ。それより実の兄を殺すというのはどんな気分ですか?」
じらすように亮平は言って清隆の表情を見る。
「私は殺していない」
清隆は強い口調で否定した。
「やめませんか? そういう見え透いたことは。あなたを法で裁けるかどうかは別として、今は素直に認めて欲しいのです」
「あなたこそそういう言い方はやめていただきたいですね。なぜ私が兄を殺さなければいけないんですか?」
「復讐ですよ」
「復讐? 何の?」
「成川君江さん殺しの復讐です。28年前、成川君江さんは学校の屋上から転落して死亡した。だが、あれは事故ではなかった。実際には君江さんは殺されたのではありませんか? そして、その犯人こそが正文さんと花柳真一さんなのでしょう?」
清隆は口を真一文字に結び、ごくりと唾を飲みこんだ。
亮平はさらに続けた。
「あなたはそれを2年前、日本に帰国して知ったんだ。いや……それを知ったからこそ帰国したのかもしれない。復讐を成し遂げるために」
「想像で物を言うのはやめていただきたいですね」
「想像ですか」
「証拠がなければ想像でしかないでしょう」
「その通りです」
亮平は静かに頷いた。
「お話は終わりですね。そろそろ帰っていただきましょうか?」
「そう急ぐ必要もないでしょう。そうそう。さっき捜し物をして来たと言いましたよね」
亮平はじっと清隆の表情を見つめながらポケットからビニール袋を取り出した。
「それは……」
「鍵ですよ。無くなったはずのあの地下牢の鍵です」
ビニール袋には土に汚れた黒く小さな鍵がいれられていた。
「どうして……」
「あの屋敷の地下牢から探してきたんですよ。ベッドの下のコンクリートの罅割れのなかに押し込んでありました。土が被せてあったんで、探し出すのに苦労しましたよ。これがどういう意味があるかはおわかりですよね。どうです? これ、証拠になりますよね」
「……」
「おや、まだ足りませんか? それじゃ別の証拠を出しましょうか。成川さんはご存知ですか?」
「……何をですか?」
表情を変えぬまま清隆が訊く。
「もう一つ行方のわからなくなっているものがあるんです。先日、長野県警の桐野さんからお聞きしたんですが、あの晩、成川正文さんが持っていた懐中時計がどこからも見つからないんだそうです」
「……それが……何か?」
「あなたが持っているんじゃありませんか?」
そう言って清隆の眼を見る。「なに、隠しても無駄ですよ。あれはあなたにとって何よりも大切なものなのでしょう。おそらくこの部屋にあることは間違いない」
「隠す? そんな必要ありませんよ。確かに懐中時計なら持っています。ただし、それは兄が持っていたのとは違います。あれは私たち兄弟が成川家の養子に入った時、記念にプレゼントされたものですから」
清隆はそう言うと立ち上がりバッグのなかから懐中時計を取り出した。
「誰からのプレゼントですか?」
「成川君江さんからです。これは兄と私、二人とも持っていたものです。これがここにあるからといって、あの夜、あなたが見たのがこの懐中時計とはいえないわけです」
「それはどうでしょう。確かに懐中時計はあなたたち二人ともが持っていたのかもしれません。けど、私はそれこそがあの夜、成川正文さん……いや、そう名乗っていた人物が持っていたものだと思いますよ」
「言いがかりだ」
「いいえ。その懐中時計こそ、あなたがあの夜、成川正文さんの名前を騙って我々の前に出た証拠です」
「どういうことです?」
「実はあなたに謝らなきゃいけないことがあるんです」
「……何です?」
「その懐中時計の裏蓋の中……勝手に見せていただきました」
清隆が驚く顔を見ながら、亮平は言った。「あの夜、花柳真一氏がやってきた時、あなたはリビングにその懐中時計を置いたまま部屋を出て行ったでしょう? あの時、私はその時計の裏蓋を開け、そこに書かれた文字を読んでしまってるんです」
清隆は黙ったまま、裏蓋を開けその部分をじっと見つめた。その様子を眺めながら亮平はさらに続けた。
「そう、その部分です。ひょっとしたら私の指紋がついているかもしれませんね。もちろん拭き取ってしまえば、指紋は消すことが出来る。どうします?」
「私を試しているんですか? どうぞ指紋を調べたいなら、いくらでも調べればいい」
「いいえ。そんなことをするまでもありませんよ。なぜなら成川正文さんの懐中時計ならここにあるからです」
亮平はジャケットのポケットからハンカチにくるまった懐中時計を取り出した。
「なぜ……」
清隆の目に動揺が見える。
「正文さんは大学時代、友達の一人に懐中時計を売っているんです。それをある人が探し出してくれたんですよ。つまりあの夜、成川正文さんは懐中時計など持っているはずがないのです。私がこれを見ている可能性はゼロなんです」
そう言いながら亮平は裏蓋を開け、その部分を清隆に向けて見せた。「ここに文字が書いてあるのが見えますか? あなたの持つものにも書かれていますよね。これには『親愛なる兄さんへ』とフランス語で書かれています。あなたのも同じですか? 私が読んだのはこのメッセージじゃない。もっと違う意味のものです」
清隆はきつく唇をかみ締めた。やがて、その顔から力が抜けていき、ふと清隆が小さく笑みを漏らした。
「あいつは……そういう奴だった」
がくりと膝を落とし、ソファに座り込む。
「なぜ二人を殺したんですか? やはり復讐のためですね?」
「俺は財産なんていらなかった。君江さえ傍にいてくれれば良かったんだ。だが、あいつらは違っていた。俺が日本を離れている間に君江を殺し、自分たちが財産を全て奪おうと考えたんだ」
清隆は遠い昔を思い出すように暗い窓の向うを見つめた。
「計画をしたのは――」
「花柳だ」
視線を亮平へと戻す。
「お兄さんは利用されたんですね?」
「そうかもしれない。だが、内心は俺に対する嫉妬から花柳の計画に乗ったのかもしれない。あいつは昔からそうだった。何の力もないくせに、いつも俺よりも上に立っていなければ気がすまないんだ。君江と俺が付き合いはじめた時もあいつはすぐに邪魔をしようとした。君江のことが好きだったわけじゃない。俺が君江と愛しあうことが気に入らなかったんだ」
「けれど、お兄さんは後悔していたんじゃありませんか?」
「……そんなことは言ってました。どうせ、私が全てを知ったことに気づいて怖くなっただけです」
「なぜ今になって……」
「知らなかったんですよ……ずっと。まさかあいつらに殺されていたなんて。2年前にそのことを知ったんです」
「それで帰国したんですか?」
「ああ、二人のことを調べ、今回のことを計画した。うまくいくとおもったんですがね……あなたが突然訪ねてきたときも、むしろ利用出来ると思った」
「最初、私は不思議でした。なぜ、わざわざ成川正文さんの遺体をバラバラに切断し、灯油をかけて燃やしたのか。けれど、あの日私と出合ったのが本当はあなただと仮定すれば、その答えが出るんです。おそらく成川さんは長い間地下牢での生活を強いられたため、かなり筋肉は衰え痩せてもいたはずです。それを隠すためにあなたは正文さんを殺害した後でバラバラに切断し、そして燃やしたんです。つまり成川正文さんはあの晩餐会が始まる前に殺されていたんです。その後、あなたは途中で退席した花柳さんの様子を見に行くといって席を外し、花柳さんを殺した。あとはすでに殺してあった正文さんの遺体を燃やして、地下牢に行き睡眠薬を自分で飲んで成川清隆さんとして演じてみせたんです。違いますか?」
「……その通りです」
「それにしてもどうやって花柳さんを途中退席させたんです? 予め花柳さんが退席することは決まっていたんですか? そもそもなぜ花柳さんはあの日、あの屋敷に? これまでの事情を考えれば花柳さんは皆さんに顔を会わせるのを避けたはずです」
「28年前、君江を殺したのは花柳です。そして、兄もまたそれに手を貸していた。私は匿名で兄宛に手紙を書いたんですよ。28年前の殺人のことを知っているってね。そして、いかにも自分が脅されているように芝居をして花柳をおびき出したんです。花柳は簡単にひっかかりました。あの事件の後、一度だけそういう匿名の投書が新聞社に送られましたからね」
「なるほど……あなたはあの時の匿名の女子生徒になりすましたわけですね」
「そうです。さんざん兄から金を強請っていたくせに、あんな手紙の一通でビクビクしていましたよ。今の地位を失うことになるのが怖かったんでしょう。因果応報というやつです。その強請っている相手が道場さんだと私は教えました。そして、彼女を殺そうと持ちかけたんです。花柳はすぐにその話に乗りました。まずは花柳が途中で席を外し、真上で物音を立てる。それを合図にして私が彼女に様子を見に行ってもらうようにお願いをする……それが花柳に話した嘘の計画でした」
「なぜ、そんな手のこんだことを?」
「花柳と兄の二人を同時にこの屋敷で裁くため。そして、あの夜、屋敷にいた誰にも迷惑をかけないためですよ」
清隆は小さく笑ってみせた。「あなたはもちろん、木村さんや道場さんが警察に疑われないようにしたわけです」
「そして、あなた自身も」
その言葉にすぐに清隆の顔から笑みが消える。
「……」
「住川秀吉さんはあなたの罪を背負って自殺したんですね?」
「そうです。でも、自殺するなんて思いもしませんでした」
「住川さんはあなたがやろうとしていることを知っていたんですね?」
あの日、亮平を追い返そうとしたのも、きっと清隆を守ろうとしていたに違いない。
「何度も止めるように言われましたよ。あの人は私のことを心配してくれていたんです。それでも私の決意が固いと知って、凶器を片付けるのは自分がやると言ってくれたんです。それなのに私は……情けない限りです」
「情けない?」
「私は秀さんが全てを被って死のうとしていることを実は感づいていたかもしれません。君江のことを知り、私は復讐を思い立った。その時は復讐を遂げたら、私もすぐに命を絶とうと思っていた。それなのにいつの間にか私は兄の財産を全て引き継ぎ、生き残ろうと思うようになっていた。秀さんに罪を被せて、自分だけが生き残ることを考えてしまった。いったい何を考えていたのか……」
清隆の頬に涙が伝う。
「自首してくれますね?」
「……ゆっくり考えてみますよ」
そっと涙を拭いながら清隆は答えた。
「まさか自殺など考えていませんよね。ちゃんと罪を償ってください」
「あなたは優しいんだな」
ふっと清隆は笑った。「秀さんには悪いと思っている。けどね、あの二人を殺したことを私は後悔などしていませんよ。たとえ死刑になったとしても、私は決して罪悪感など感じない」
出合った時と同じ強い意志を持った瞳で清隆は言った。
「あなたは強い人ですね」
「そうでもないですよ。私だってずっと苦しんできたんだ。私が今までの人生のなかで、本当に強いと感じたのは一人だけですよ」
「誰ですか?」
「あなたのお父さん、朝宮当摩先生ですよ」
「父?」
「たぶん兄や木村さんたちよりも、ずっと私はあなたのお父さんにかわいがってもらったと自負しています。私にとって朝宮先生は私にとって唯一の師だと思っています」
「あの……もう一度お聞きして構わないでしょうか?」
「なんです?」
「『破壊の王』とはあなたのことではないのですか?」
「あの夜もそんなことを訊いていましたね。残念ですが、それが何なのか私にはわかりません」
「……そうですか」
亮平は肩を落とした。
「――ですが、朝宮先生が残されたものならば、きっとあなたの周囲にあるんじゃないでしょうか? あなたは先生の後継者なのですからね」
「……そうですか」
一瞬の沈黙の後、清隆が口を開いた。
「失礼ですが、今夜はもうお引取り願えますか?」
「ですが……」
「心配しなくても大丈夫ですよ。今夜はゆっくりと彼女のことを思い出していたいんです」
清隆はそう言ってそっと両手で懐中時計を握り締めた。
その姿を見て亮平は腰をあげた。
「ああ、そうだ。佐伯幸一のことですが……あの男は事件とどう関わっているんですか?」
「佐伯? それは誰です?」
清隆はさもわからないといった顔で亮平に聞き返した。その表情はとても演技とは思えないものだった。
「いえ……なんでもありません」
おそらく成川清隆は本当に佐伯幸一のことなど何も知らないのだろう。
(それなら――)
いったいなぜ佐伯幸一は自分のことを殺そうと狙ったのだろう。
* * *
アパートに戻りベッドに横たわる。
すでに午前3時を過ぎている。
張り詰めた緊張がほどけていくのが感じられる。
最後に見せた成川清隆の笑顔を思い出す。
あの男なら大丈夫だろう。きっと明日には、警察に出頭し全てを自白してくれることだろう。
大きく深呼吸してから起き上がると、パソコンに向かう。一日の終わりにインターネットでニュース記事を読むのは日課になっている。
身体は疲れているが、精神的に張り詰めていたせいだろう。このまま横になっていてもすぐには眠れそうもない。
パソコンに電源をいれ、インターネットに接続、いつものサイトにアクセスする。
明日にはこの紙面に成川清隆の記事が載るのかもしれない。
ニュース記事の一覧に目を通す。
その視界のなかに一つの記事が飛び込んできた。
『有名女性経営者死亡。犯人もその場で自殺』
そこには道場里瑠子の写真が載せられている。
(これは……)
亮平は食い入るように記事を読んだ。
昼、里瑠子が事務所に戻ってきた時、突然、一人の男が現われ里瑠子のことを刺し殺したのだという。たった一突き、誰もそれを止めることなど出来なかった。そして、その男はすぐその場で自らの喉をかき切り、命を絶った。
その男こそが佐伯幸一だった。
(どうなってるんだ……)
つい昨日、亮平を殺そうとした佐伯幸一が今日、里瑠子を殺した。その事実をどう理解すればいいのかわからなかった。
マウスを握る指が震える。




