破壊の王 7.2
朝の7時に朝宮を訪ねると、すでに庭先には黒いフォレスターが用意されていた。
丁寧にワックスがかけられ曇り一つ見えない。
眺めていると、いつものように大きなサングラスをかけた朝宮が玄関から姿を現す。
「さあ、出かけようじゃないか」
「本当にあなたも行くんですか?」
「そうだよ」
どこか朝宮は楽しんでいるように見える。
「途中で警察に止められたらどうするんです?」
「どうもしない」
朝宮はニヤリと笑うとポケットの上着の内ポケットから免許証を取り出してみせた。
「どうして……」
すぐに答えは出た。この男が免許証など持っているはずがないのだ。「まさか偽造したんですか?」
だが、朝宮は首を振った。
「違うよ。よく見てみたまえ」
そう言われて改めて免許証に視線を向ける。
「これは――俺のじゃないですか!」
そこには確かに『朝比奈亮平』と印刷されている。
「そうだよ」
平然として朝宮は頷いた。
慌ててジャケットの内ポケットを探る。だが、そこに入っているはずの免許証がなくなっている。
「いつの間に……」
「さっき桑島さんに頼んで、ちょいと拝借させてもらった」
そういえばさっき車を見ている時、わずかの時間だがジャケットを預かってもらっていた。
「何のために?」
「これを造るためだよ」
朝宮はそう言うとポケットのなかからもう一つ免許証を取り出した。それを見て亮平はますます驚いた。
それは亮平の免許証とまったく同じものだった。
「コピーしたんですか?」
「そういうことだ。良いデキだろ? さすがに君だって免許証がなきゃ生活が不便だろうと思ってね。えっとどっちが本物だったかな」
朝宮はとぼけるように言って、免許証の一つを亮平に差し出した。ひったくるようにして亮平が免許証を確認する。
「まさか偽者を寄越したわけじゃないでしょうね?」
「さあ、どうだろう?」
相変わらずからかうように笑う。
「悪用したら警察に駆け込みますから」
そう言って運転席のドアを開けると朝宮がそれを止めた。
「私が運転しよう。久々にドライブといってみようか」
「あなたが? 大丈夫なんですか?」
「それはどういう意味だね?」
「いえ……あまり運転はしないのでしょう?」
「心外だな。だからといって車の運転くらい造作ないよ。心配かね?」
「少し……」
「では君は交通事故がどのようにして起こるか知っているのかね? その年齢層、死亡事故の特徴、どのような違反によって事故が起こるか、ちゃんと把握しているのかね?」
「それは知りませんが……」
「なら私が説明してあげよう」
朝宮が運転席に乗り込む。「さ、早く君も乗りたまえ」
一つため息をついてから、亮平は助手席に乗り込んだ。
疲れる一日になりそうな予感がした。
* * *
意外などという言い方をしたら、また朝宮から叱られるかもしれないが、その運転はわりと巧く礼儀正しいものだった。急発進や急ハンドルをしないのはもちろん、他の車に割り込まれても決して怒りを見せることもなかった。
途中、山梨県の双葉サービスエリアで運転を代わると、それまでの元気はどこに行ったのか朝宮はさも疲れたかのように助手席の椅子を倒しスヤスヤと眠り始めた。
そんな身勝手な行動を見ていると腹立たしくもあるが、隣で運転に関して講釈を聞かせられるよりはよほど良い。
松本インターで高速道路を降りて大里町へと向かう。1時間ほど北に向かってから、あの日と同じように国道を外れ凸凹の砂利道を進む。
違うところといえば、今日はエアコンが効いていて車内が快適だということと、隣で朝宮が気持ちよさそうに眠っていることだ。
さすがに新車の匂いが残るフォレスターは快適だった。少しくらいのバウンドもサスペンションがしっかりと衝撃を吸収してくれているのがよく感じられる。何よりアクセルに反応して、すぐに加速してくれるのがたまらなく嬉しい。
1時間も車を走らせ、いよいよ屋敷が近づいてきた時、朝宮がムクリと身体を起こした。
「そろそろ着く頃かな?」
「……ええ。寝ていたんじゃないんですか?」
「寝ていたさ。それでも、一応、どのくらいの時間で着くかくらい予測しているからね」
「予測して起きたんですか?」
「そうだよ」
当たり前のように言って前方を見る。「あの屋敷だね?」
杉林の向こう側に西洋館がはっきりと見えてくる。
「なんか嬉しそうですね」
その朝宮の横顔をチラリと眺めて亮平が言う。サングラスで目元ははっきり見えないが、声や口元の動きからどこか喜んでいるような感じが伝わってくる。
「ああいう幽霊屋敷のような場所、なんかワクワクするだろう?」
ニヤニヤ笑いながら朝宮が答える。
どうやら朝宮にとって、殺人事件などは他人事でしかないらしい。きっとテレビドラマや映画を観るのと同じ感覚なのかもしれない。
やがて、車は屋敷内に入り込んでいった。
ブレーキを踏んで車を止めると、まだ完全に止まらぬうちから朝宮はドアを開いた。
「さて……それじゃ探索といこうか」
「いったい何を調べるつもりですか?」
亮平も車を降りながら朝宮に訊く。
「べつに」
「べつにって……何も目的もなくここまで来たんですか?」
「目的は現場を見ることだ。それに勘違いしないでくれよ。あくまで探偵役は君で、私はオブザーバーに過ぎない」
そう言いながらさっさと屋敷のほうへ向かって歩いていく。亮平も急いでその後を追いかける。
「待ってくださいよ」
亮平の言葉も聞かず、朝宮は玄関のドアに手をかけた。
鍵がかかっているのではないかと危惧していたが、鍵はかかっておらず、すんなりと中へ入ることが出来た。
朝宮はまず、迷うことなく1階の通路を進み地下牢へと向かった。まるで来たことがあるのではないかと思うほど、躊躇いもせずに階段の灯りをつけて降りていく。
そんな朝宮に亮平が声をかけた。
「あの……」
「何かね?」
「ここに来るのは初めてですよね?」
「もちろんだ」
階段を降りたところのドアを開き、地下牢へと足を踏み入れる。「ほぉ、ここが噂の地下牢というわけか」
ひんやりとした地下の湿った空気が肌にまとわりつく。
ゆっくりとドアが自然に戻っていきそうになるのを亮平は慌てて押さえた。内側からは開けないドア。一つ間違えば朝宮と二人、この屋敷に閉じ込められてしまうことになる。
(危ない危ない)
亮平はドアを押さえながら改めて地下室のなかを見回した。
牢の鍵は壊されている。おそらく成川清隆を助け出すため、あの日、警官によって行われたものだろう。
朝宮は開いた牢のなかへまで進んでいった。そして、なんとベッドの上にゴロリと寝転がる。
「朝宮さん!」
「何を慌ててるんだ? なかなか快適そうな空間じゃないか」
「気持ち悪くないんですか?」
「別に。私も幼い頃から幽閉されて生きてきたんでね。もちろんこんな狭い空間ではなかったが」
「成川清隆の気持ちがわかりますか?」
「どうかな?」
ニヤリと笑って起き上がる。「どちらかといえば兄貴の気持ちがわかるかもしれない」
「正文さんの? どうしてですか?」
「さあ、どうしてかな?」
朝宮はつぶやきながらベッドの下を覗き込む。「警察はあまりここを調べた様子はないね」
「何を調べるっていうんですか? ここに何かあると?」
「あるかどうかは調べてみなきゃわからないさ」
朝宮は地下牢から出てくると亮平の前に立った。「どうかね? 君もここでゆっくりしていくかね?」
「冗談でしょ?」
からかっているのだろうか。だが、どこかその口調は本心が隠れているような気がしてくる。
(まさか俺をここに連れてきたのは――)
自分をこの地下牢に閉じ込めるのが目的だったのだろうか。冷たい汗が一滴、背中を走り抜ける。
思わず壊れた牢の鍵に視線を向ける。
「冗談だよ。そう怖い顔をすることもないだろう。さ、それじゃ上に行ってみるか」
朝宮は笑い飛ばすと、背を向けて地下室を出て行った。ほっと大きく息をついてから朝宮の後を追いかける。
朝宮はスタスタと早足で一階の廊下から階段を昇り、3階にある成川正文の寝室に向かって行く。
「本当にここは初めてなんですか?」
もう一度声をかける。
「初めてだと言っているだろう」
「それにしてはずいぶん慣れているように見えますけど」
「君の報告書を読ませてもらったからね」
3階まで階段を上がると、朝宮はそこで目線を天井へと向けた。「あれは?」
ちょうど階段の吹き抜け部分の真上のところに大きな金属性のフックが見えた。
「あれはシャンデリアをつけるためのものでしょう」
「そうか、ここにシャンデリアがなかったために階段が暗かったんだったね」
朝宮はそう言うと寝室のドアを開けた。真っ先に床の絨毯の焦げ跡がはっきりと残っているのが目に飛び込んでくる。
あの時のことを思い出す。
燃える炎のなかで焦げる遺体。鼻をツンとつくあの匂い。
「君、大丈夫かね?」
その朝宮の声に、亮平はハッと我に返った。
「え……ええ」
「気分が悪いならどこかで休んでいてくれても構わないよ」
「いえ、大丈夫です」
「なら、いいが」
朝宮はその焦げ跡にはまったく興味を示すことなく、ただ部屋の中心に立つとグルリと部屋を見回した。同じように亮平も部屋を眺める。
ベッドにテーブル。亮平が泊まるはずだった客間よりは広いが、それほど大きな違いはない。
「殺風景な部屋だな」
ポツリと朝宮が呟いた。「自分の存在を残すまいとしているようだ。そうは思わないかね?」
「え……ええ」
確かに朝宮の言う通りだ。
テレビもラジオもない。大きな本棚が置かれているが、そこには本が数冊入っているに過ぎない。これではまるで幽霊屋敷そのものだ。成川正文という人間がここで2年も暮らしていたという形跡がほとんど見当たらない。
「本当に、ここに成川正文という人間が暮らしていたと思うかね?」
「どういうことです?」
だが、朝宮はそれには答えようとせず、ゆっくりと窓に向かって歩いていった。窓からじっと庭を眺める。
「どうかしましたか?」
「お客さんが来たようだよ」
「お客さん?」
朝宮の言葉に亮平が窓に近づく。1台の黒いカローラが屋敷の庭に止まったのが見える。その運転席からグレイのスーツを着た野暮ったい男が姿を現した。
長野県警の桐野竜彦だった。
怪訝そうな顔で周囲を見回しながら、亮平たちが乗ってきたフォレスターのなかを覗き込んでいる。
「長野県警の刑事かな?」
そっとカーテンに身を隠しながら朝宮が訊く。
「そうです。桐野刑事ですよ。よくわかりましたね」
「私が呼んだからね」
どこか愉快そうに朝宮は口元を歪ませた。
「あなたが? どうして?」
「一度話をしてみたいと思っていたんでね。来るように電話しておいた」
「話って……あなたは外部の人に姿を見せるわけにはいかないんじゃないんですか?」
「なぁに、問題は無い」
そう言うと朝宮は亮平の腕を掴み、カーテンの影へと亮平の身体を引張った。
「何するんですか?」
だが、朝宮はそれには答えずに亮平と入れ替わるように窓の前に立つと、大きく窓を開け放った。そして、驚くことに庭にいる桐野に声をかけた。
「刑事さん!」
亮平は驚き、そっと庭にいる桐野の様子を覗き見た。
桐野は一瞬、驚いたように周囲を見回し、そして、やっと気づいたように朝宮のほうへ顔を向けた。
「あ……朝比奈さん。今日はどうしたんですか?」
その口調にはわずかながら咎めるような感じを含んでいる。
「もう一度、現場を見たいと思いましてね。上がってきませんか? あなたに訊きたいことがあります」
「私に? わかりました。今、行きますよ」
桐野はそう言うと早足で玄関のほうに向かって行った。
「どうするつもりなんですか?」
亮平は朝宮に声をかけた。
「彼と話をしてみる。警察が握っている情報があれば聞いてみたいじゃないか」
「しかし……何を訊けばいいっていうんですか?」
亮平は困ったように足元を見た。
「君が心配することじゃない。彼とは私が話をする」
「え?」
「今のを見たろ? 彼は私を君だと思っている」
「……あれは遠かったから」
「それだけじゃない。やはり私と君は兄弟だからね。それだけ容姿も似ているということだ」
「しかし――」
「さあ、彼が来る前にその辺に隠れてくれないか」
「……ええ」
仕方なく亮平は言われるままに隠れることにした。周囲を見回し、洋服ダンスがあることを見つけると、そっとそのなかに身を隠す。
わずかに隙間を開け、そこから朝宮の様子をそっと見る。
やがて階段を昇る足音が聞こえ、桐野が姿を現した。




