破壊の王 6.4
細かな雨が街を湿らせている。
上野の駅を降り、木村からもらった地図を頼りに道を進む。
村上に話を聞くためだ。
あの村上に二人が殺せたとは思えない。少なくとも成川正文が殺された時、村上は食堂で酔いつぶれて眠っていた。それでも村上には花柳を殺すことが出来る。
一度、話を聞いていたほうがいいだろう。
ガソリンスタンドの角を曲がり、細い路地を進んでいく。
――去年の年賀状にあいつが働いてる店の地図が書いてあったなぁ。俺もまだ行ったことないんだけどさ。
そう言って木村は年賀状を探し出してくると、そこに書かれている地図をコピーして渡してくれた。
(確かこの辺だな……)
コンビニの角まで来て通りを見回す。
すると、一軒の小さな大衆食堂の看板が目に入った。
『日の出食堂』
どこにでもありそうなネーミング。そして、薄汚れた暖簾。
この定食屋が本当にかつて『フレンチの王様』と呼ばれた村上の店なのだろうか。だが、他にそれらしき店は見当たらない。
近づいていくと『営業中』の札がかかっているのが見える。
傘を閉じ、ガラガラと音を立てて引き戸を開ける。
狭く、そして薄暗い。
午後2時という中途半端な時間のせいか、客の姿は一人も見えない。店の中もお世辞にも綺麗とは言い難い。
とりあえず入口脇にある傘立てに傘を収める。
レジがある壁には汚れた『仙台四郎』の写真が貼られている。仙台では福の神と見られている仙台四郎も、あまりに汚れていてまるで貧乏神のようにも見える。
壁には一品ごとに紙に書かれたメニューが貼られている。
『さんま定食』『カレー』『ラーメン』……
とてもここに村上がいるとは思えない。引き返そうかと思った時、店の奥から水の入ったコップを持った白衣に身を包んだ男が姿を現した。
「いらっしゃい」
村上だった。
「……村上さん」
「あれ? 朝比奈さんじゃないですか?」
すぐに村上は亮平に気づいた。「よくここがわかりましたね」
「木村さんに教えてもらいました」
村上の存在にほっとして中のほうへ足を進める。
「木村さん?」
「ええ。年賀状にここまでの地図を書かれていたでしょう?」
「ああ、そうでしたね。今日はどうしたんです?」
そう言う村上の息が酒くさい。
「先日の事件のことでちょっと村上さんにも話を聞きたいと思いまして」
とたんに村上は顔を強張らせた。
「……あの時のことなら私は何も知りませんよ。警察にも言いましたが、ずっと酔っ払って眠ってましたからね。朝比奈さんもご存知でしょう?……あ、どうぞ座ってくださいよ」
亮平がすぐ近くの席に腰を下ろすと、村上がコップをテーブルの上に置く。お世辞にも綺麗といいがたいコップに油が浮いたような水が入っている。
「今、時間いいですか?」
「もちろん。見てのとおりですよ。朝比奈さん、何か食べられますか? と言っても、どれもさほど美味しいわけじゃありませんよ。ここでの料理は適当ですからね」
そう言ってから自分で声をあげて笑うと亮平の前に座った。
「それにしても驚きました。『フレンチの王様』と言われた村上さんが……その……」
「こんな大衆食堂でコックをしてる?」
「……ええ」
「『フレンチの王様』かぁ。そんなことを言われた時期もありましたね」
「失礼ですが……どうしてホテルを辞められたんですか?」
その質問に村上は表情を暗くした。
「なぜです? 何かそれが事件と関係しているんですか?」
「いえ……そういうわけじゃありませんが……」
「ま、いいでしょう」
村上はポケットのなかからウィスキーの瓶を取り出し、キャップを取るとグイと煽るように飲んだ。
そして、大きく息をついてから口を開いた。
「一言で言えば、働く気力を無くしたんですよ。こんなことを言ったら驚かれるかもしれませんが、私はもともとああいう大きなホテルで働きたいと思ったことはなかった。そもそも料理は私の趣味でしてね。仕事と趣味が同じだなんて、羨ましく思われるかもしれませんが、私にとって趣味を仕事に変えなければいけないというのはなかなか苦痛なことでした。そんな私がホテルでシェフをしていた理由はただ一つ、妻と娘を養うため。それだけです。毎日毎日、私は二人のために仕事を続けた。けど、その結果、妻は娘を連れて家を出ていった。妻に言わせると、私は仕事に明け暮れ、家を顧みなかったんだそうです。私はずっと二人のことだけを思っていたんですよ。だからこそ一生懸命仕事をした。仕事をすればするほど、責任のある立場に置かれ、家族と接する時間も限られた。けど、それは全て二人のためだったんです」
村上は一気に喋ると、全てを飲んで忘れてしまおうとするように、再びウィスキーをゴクゴクと飲んだ。
「それで仕事を辞めたんですか?」
「そうです。一生懸命働いて、その結果として最も大切なものを失うなら、適当に生きているほうがずっと良い。そう思いませんか?」
「奥さんと娘さんは今どちらに?」
「……知っていて聞いているんでしょ?」
「え?」
「1年前に再婚しましたよ。いや……籍はまだいれてなかったんだったかな。まあ、こんなことになてみれば、籍をいれずにいて良かったのかもしれませんね」
「こんなことって?」
「花柳さんですよ。あれ? ひょっとして知らなかったんですか? てっきりそれで私のところに話を聞きにきたのかと」
「どういうことです?」
村上は一瞬、言うかいうまいか迷うように目をキョロキョロさせた後、大きく息を吐き出しながら口を開いた。
「花柳さんが妻の再婚相手だったんです」
「そんな……」
「勘違いしないでくださいよ。だからって私は花柳さんを殺してなんていません。確かに殺してやりたいと思った時もありました。でも、生憎私にはそんな度胸はありゃあしません」
「そのこと、成川さんは知っていたんですか? 知っていて、あの日、あなたに料理をお願いしたんですか?」
「まさか、たぶん知らなかったんでしょう。私もその話を聞いて、最初驚きましたよ。行くべきかどうか迷いました。けど、一度花柳さんと話をしてみたかったんです。ですから成川さんの申し出を受けることにしたんです」
「それじゃ話は?」
「いいえ、出来ませんでした。食事の後、話をするつもりでいたんですがね……いざとなったら怖くなって、それであのザマですよ」
弱々しく笑ってため息をつく。そして、またウィスキーを飲む。
「大丈夫ですか? 大分飲んでいるみたいですね」
「……ええ。今の私の楽しみは、何よりもコイツですから。コイツで苦しみを薄めることが出来る」
ゆらりと村上は立ち上がった。「今日はもう店じまいです。とても他人のために料理を作るような気分じゃない」
「すいませんでした」
亮平も立ち上がった。
「……いえ。あなたのせいじゃない。実はあの日以来ずっとこんな気分なんです。花柳さんを殺したのは私じゃあない。でも、どこか心のなかで私はそれを望んでいたような気がするんです。酷い話でしょう?」
「……村上さん」
「けど、私じゃない……私じゃないんだ」
村上は自分自身に言い聞かせるように俯きながら何度も呟いた。




