破壊の王 6.2
木村を訪ねたのは2日後だった。
里瑠子から連絡先を聞いたその日のうちに、木村に話を聞くために連絡をしてあったのだが、木村は事件の翌日には、仕事の打ち合わせのため日本を離れていたらしく、昨夜になってやっと木村から連絡が入ったのだ。
亮平は午後になってから代官山にある木村の住むマンションを訪ねた。代官山駅から徒歩6分のところにある地上3階建てのデザイナーズマンション。聞いたところによると、このマンションをデザインしたのも木村らしい。
「わざわざ来てもらって悪いな」
亮平の顔を見て、木村はにこやかに笑いかけた。ドアを抜けると広々としたリビングが広がっている。
「お忙しいところすいません」
「いや、構わないよ。ついさっき起きたばかりなんだ。大抵、昼過ぎに起きて、午後をぼんやりと過ごしてから夜中に仕事を開始するのがいつものパターンだからね」
それでも身なりはアルマーニのグレイのスナップダウンシャツを着て、同じくアルマーニのジーンズときっちりと決めている。
「それより君は大丈夫なのか? この時間、仕事は?」
「ええ……今日は休みを取ったんで」
亮平は曖昧に答えながら白い革張りのソファに腰をかけた。大きな窓からは有り余るほどの日差しが部屋に差し込んでいる。
白い壁には不思議な幾何学模様のような抽象画がかけられている。薄いブルーやピンクなど色彩は豊かだが、それが何を表現しているものかは理解出来ない。この部屋には合っているような感じもするが、きっとこんな絵でも何十万もするものなのだろう。
「どうだい? ビールでも飲むか?」
木村は缶ビールを5本ほど抱えてくるとテーブルの上に並べた。
「いただきます」
ビールに手を伸ばす。「そこの絵は? 綺麗な絵ですね」
「ああ……これ?」
木村は振り向きながらビールを開けた。
「高いんでしょうね?」
「そうでもないさ。俺が描いたものだからね」
「木村さんが?」
「なんなら譲ってやろうか?」
「いえ……頂いても飾るような場所がありません」
あんな狭い部屋に絵など飾っても見栄えはしないだろう。それにそれほど心から欲しいと思えるような絵でもない。
「それで? 里瑠子から話は聞いてるよ。あの事件のことを調べてるんだって?」
そう訊くと、木村はビールをグビグビと煽るように飲んだ。木村のほうから事件のほうへ話を向けてくれたことに亮平はほっとした。
「ええ、なんか気になるもんで」
「気になるのは俺も同じだよ。なんていっても幼馴染が二人も殺されてるんだからな。警察はいったい何してるんだか」
「警察は住川さんが殺したと見ているようです」
「秀さんが? ふぅん……」
木村は住川秀吉が容疑者に上げられていることにさほど驚いている様子もなかった。
「木村さんは本当に住川さんが二人を殺したと思いますか?」
「さあなぁ。俺にはわかんないよ。警察がそう言うならきっとそうなんだろ?」
「あの住川さんにそんなことが出来るでしょうか? 私にはとても大の男二人を殺せるようには見えなかったんですが」
「俺はあの日、会ってないからな。俺が憶えているのは20年以上前の秀さんだけだ。子供の頃には結構おっかなかったぜ。それに……そういうこともあっても不思議じゃない気がするんだ」
「それってどうしてですか?」
「まあ、いろいろあったからなぁ」
「いろいろって?」
「いろいろはいろいろだよ。君江ちゃんのこととかさ」
「君江ちゃん?」
亮平はあの夜の木村たちの会話を思い出した。「それって成川家の一人娘だっていう?」
「ああ」
「何があったんですか? そういえば成川君江さんは事故で亡くなったって言ってましたね? それに何か関係があるんですか?」
「……まあな」
木村は言いにくそうに言葉を濁した。
「何かあるんですか? 本当は事故じゃなかったとか?」
「いや、あれは事故だよ。警察だってそう断定したんだ」
木村はわずかにムキになって言った。「ただ、そういう事故とかがあると、いろんな噂が飛び交うんだよ」
「噂? どんな噂ですか?」
「……」
「どういうことか教えてください」
木村は一瞬ためらうように窓のほうを見た後、ビールを勢いよく飲み干してから口を開いた。
「……花柳が殺したんじゃないかって……いや、本当にただの噂なんだ。いくら花柳だってそんなことするはずないからな。ただよく花柳が君江ちゃんにイタズラとかしてたからそんな噂がたってな」
「どうして成川君江さんは事故に?」
「3階にある図書室の窓から足を踏み外して落ちたんだ」
「図書室? どうしてまたそんなところから?」
「隣の教室に窓から飛び移ろうとしたらしいんだ。それで足を踏み外したって」
「何のためにですか?」
「俺も実際に見たわけじゃないからわからないけど、噂じゃ彼女が図書室に入っているところを誰かが外から鍵をかけてしまった。それで彼女は図書室から出ようとして足を踏み外したって」
「誰か見ていた人はいないんですか?」
木村はビールを開け、一口飲んでから答えた。
「一人だけいるんだ」
「誰ですか?」
「成川だよ。あいつ、夕方、君江ちゃんと一緒に帰るために校庭で彼女を待ってたんだ。その時に彼女が図書室の窓から出て隣の教室に飛び移ろうとしているのを見たらしい。慌てて声をかけたが、その時には彼女は足を踏み外してまっさかさま」
「他には誰もいなかったんですか?」
「部活やらなにやらで校庭に残ってた生徒は他にもいたけど、その現場を見たのは成川だけだった」
「その時、花柳さんはどこに?」
「本人が言うには、もうとっくに帰っていたそうだ。ただ、花柳をちょうどその直後に校門で見たって奴がいてな。それで本当は事故じゃなく、花柳が突き落としたんじゃないかって噂になったんだ」
「それじゃ住川秀吉さんはその復讐で花柳さんを?」
「そうかもしれないな」
「けど、それなら成川さんを殺す理由がないじゃないですか」
「そうだな。けど、本当なら成川家の財産は全て君江ちゃんのものだったはずだからな。君江ちゃんが死んで一番得したのは成川ってことになる。秀さんが成川のことを逆恨みしていても不思議じゃないよ」
木村はさらにもう一本のビールを開けた。すでに3本目だ。
「警察でも調べたんでしょう?」
「ああ。君江ちゃんの親父さんは、あの辺じゃかなりの実力者だったからな。ただ、成川の証言が全てだったな」
「それにしてもなぜ成川君江さんはそんな危険なことをしようとしたんでしょう?」
「ドアにつっかえ棒がかけられていたんだ。誰かのいたずらだろ。それで隣の教室から出ようとして落ちたんだろうな」
「誰かそんなことを?」
「さあ……あんなことになってさすがに怖くなったのか、誰も名乗り出ようとはしなかった。警察でもそこまでは調べきれなかったようだよ」
「君江さんって運動神経は良かったんですか?」
「いや、あまり良いほうじゃなかったな。勉強は出来たけど、スポーツはからっきし苦手だったよ」
「どうして助けを求めなかったんでしょう? そんな無茶をするより、窓から誰かに助けを求めたほうが安全でしょ?」
「さあなぁ……」
木村は首を捻りながら、グビグビとビールを煽った。「ま、あの事故がなかったらいろいろと変わってたろうな。成川家は清隆君が継いだかもしれないし」
「そういえばあの日もそんなこと言ってましたね」
「清隆君と君江ちゃんは好き合っていたからな。それに清隆君のことは成川の親父さんも気に入っていたんだ。だからこそアメリカへの留学も許したんだ」
「清隆さんは悲しんだでしょうね」
「あの頃、清隆君はアメリカに留学してたからな。フリークライミングの大会にも出場したりしてそれなりの成績も残してた」
「フリークライミングですか」
「彼がもし、あの場にいたらどうなっていたか……」
「成川正文さんと清隆さんはずいぶん仲が悪かったようですね。あんなふうに清隆さんを閉じ込めるなんて」
「昔からさ」ボソリと木村が答える。
「昔から?」
「年が一つしか違わなかったこともあるのかもしれないけど、二人はお互いをライバル視しているみたいだった。どっちかっていえば正文のほうが清隆君を気にしていたんだろうな。ま、とても勝ち目のない勝負だけどな」
「勝ち目が無い?」
「成川は昔から意気地がなかったからな。だからいつも花柳にいじめられてた。ひょっとしたら成川も君江ちゃんのことが好きだったのかもしれないな……なんて、実を言うと俺もけっこう君江ちゃんのことが好きだったんだ。良い子だったからなぁ」
木村は大きく笑った。アルコールが回りだしたのか、わずかに頬が紅潮している。
「ところで花柳さんのことなんですが……木村さんが一番花柳さんとの付き合いが長いって聞いたんですが」
「里瑠子が言ったんだろ? でも、俺もそれほど頻繁に会ってたわけじゃないぜ。たまに思い出した頃に連絡を寄越すことがあったくらいだよ」
「昔から仲は良かったんでしょ?」
「俺が? そうでもないぜ。むしろ一番花柳と親しくしてたのは成川さ。俺も里瑠子も、実は花柳のことはわりと苦手にしてたんだ。ただ、あいつ、成川とだけは不思議と仲が良かったんだ」
「どうしてですかね?」
「花柳と成川がどうして仲が良かったのかは俺もわからないな。どっちかというと成川と花柳は正反対の性格だったしな。子供の頃なんて成川はさんざん花柳にいじめられたんじゃないかな。そのたびに俺や清隆君に助けられてな。今となっては懐かしい思い出の一つだよな」
木村はそう言って懐かしそうに笑った。
「花柳さんと親しかった人って誰かいますかね?」
「どうかなぁ。あいつ、あの事故以来、あんまり人付き合い悪くなったからな」
「花柳さんがマスコミに取り上げられ始めたのは4年前ですよね。それまで何をしてきたんでしょう? ちょっと調べてみたんですが、ほとんど記録がないみたいで……」
「詳しくは俺も知らないけど、割と良い暮らしをしてたようだから、それなりにやってたんじゃないかな」
「それなり……ですか。いろんな事業に手を出していたようですね。誰か資金提供してくれる人がいたんでしょうか?」
亮平はそう訊きながら木村の表情を伺った。ひょっとしたら花柳に強請られていたのは木村かもしれないと考えたからだ。
「さあ、どうだろうなぁ」
木村は興味なさそうに首を捻った。
「木村さんではないんですか?」
「どうして俺があいつに金を出してやらなきゃいけないんだよ。昔、ちょっとくらいなら面倒見てやったことはあるが、そんなデカイ金額じゃないよ」
「それじゃあ、誰かその辺のこと詳しい人っていますか? 花柳さんと親しかった人とか……」
「さあなぁ、あいつ昔から他人と深い付き合いって嫌う奴だったからな。あ、でも多美ちゃんだったら少しは知ってるかもな」
「多美ちゃん? 誰ですか?」
「草薙多美子。昔、花柳がテレビ関係の仕事してた時期があってさ。その時のカノジョ」
「今、どこにいるか知ってますか?」
「さあ……彼女にまで話を聞きにいくつもり?」
「いけませんか?」
「彼女、もう結婚して会社辞めたって聞いたよ。今はもう関係ないんだからそっとしておいてあげたほうがいいんじゃないかな」
「大丈夫です。迷惑はかけませんから。どこか連絡先調べられますかね?」
「うーん、その当時勤めてた会社に聞けばわかるかもな」
木村は渋々といった様子で、テーブルのメモを一枚破るとそこに電話番号を書いて亮平に渡した。「くれぐれも迷惑がかからないようにやってくれよ」
「わかってます」
そう言って亮平は飲みかけのビールを一息に飲み干した。「今日はいろいろ教えていただきありがとうございました」
「ああ、いい忘れてたけど……」
頭を下げて立ち上がろうとする亮平に木村は声をかけた。「あんな状況だから、あの場にいた人間が疑われるのは仕方ないけど、あいつ、裏ではかなり悪どいことしてたんだぜ」
「どういうことですか?」
「今、あいつが経営している会社。あれだって、噂じゃ当時の社長の弱みを握って強請り取ったって言われてるんだ。遅かれ早かれ、花柳はどこかで殺されるんじゃないかって俺はずっと思っていたよ」
木村はそう言って、またビールを飲んだ。




