破壊の王 6.1
6
柏の駅を降りると、朝宮からもらった地図を頼りに裏通りを進む。
薄汚れた雑居ビルが立ち並ぶ。
そのビルの看板を見上げながら、ゆっくりと進む。
(まったく……なんでわざわざこんなところまで)
仕事をしていない今、時間は持て余していると言っていい。だが、わけもわからず他人の指示で動くというのはやはり気持ちの良いものではない。しかもその指示を出しているのがあの朝宮ならば尚更だ。
だが、これも全て事件を解くためならば致し方ない。
自分を言い聞かせるように歩き続ける。
そのビルの一つに目を止める。
(ここだな……)
一際、薄汚れた4階建てのビル。
『霞ビル』
看板の一部も壊れている。
亮平はビルの前に立ち、ため息をひとつついてから地下に進む階段を降りはじめた。地図が確かならば、ここにその情報屋が存在しているはずだ。
薄暗い地下1階。
突き当たりのドアに黒い蠍のシールらしきものが貼られている。
亮平は一瞬、躊躇したものの、すぐにドアをノックした。
(迷っていてもはじまらない)
ごくりと唾を飲む。
やがて――
ドアが細く開いた。
「誰?」
ほんの数センチ開いたドアから低い女の声が聞こえてくる。
「……朝比奈といいます」
「朝比奈?」
「えと……ここで情報をもらえると聞いたんですが――」
そう言い終らないうちにドアが大きく開く。
「圭吾君の弟さんね!」
黒いドレスを着た女が顔を出し、亮平の腕をむんずと掴む。「さあ、入って入って!」
「あ……はい」
気勢に押されるように、女に引っ張られるままに中へと入っていった。
壁には四方に暗幕が張られ、中は微かにピンクの照明で照らされているだけで、足元もおぼつかない。部屋の中央にはテーブルが置かれ、そこに火のついた蝋燭が一本立てられている。
促されるままにテーブルの前のパイプ椅子に腰をおろす。
「あなたのほうが来てくれたのね。嬉しいわぁ」
女は嬉しそうに声をあげた。
歳の頃は20代後半といったところだろうか。腰まであるストレートの髪を揺らしながら、身体をくねらせる。目元には真っ青なアイシャドー、頬を薄らとピンクに塗り、唇が真っ赤に光っている。首もとにはいくつもの大粒の翡翠を組み込んだネックレスがかけられている。
「あの……あなたは?」
「私は柊マリア。ここで占い師をしているの」
「占い師?」
「占い師と情報屋。その二つが私のお仕事よ。あなたが圭吾君の弟さんなんだぁ」
ニコニコ笑いながら物珍しそうに亮平を見る。
「兄のことを知っているんですか?」
「もちろんよ。たまには遊びに来るように言ってやってよ。あんな屋敷に篭っちゃってさ。いくら『生きた亡霊』だからって、あんな生活してたら頭がおかしくなっちゃうわよ」
この口ぶりでは朝宮の事情も知っているのだろう。「今日だって、圭吾君にきてもらうつもりだったのよぉ。ま、もちろん君にも会いたかったから、どっちでも良かったんだけどねぇ」
どうやら朝宮にハメられたようだ。朝宮は自分の身代わりに、亮平を寄越したのだ。
「そうですか……それで情報というのは?」
「せっかちねぇ。そういうところは圭吾君とそっくり」
「似ていませんよ」
亮平は少しムッとしながら答えた。
「ふふっ、そういうところもそっくりよ」
いたずらっぽく笑う。その瞳のなかで蝋燭の炎がチラチラと燃える。
「早くしてもらえませんか?」
「しょうがないわね。それじゃ――」
マリアはどこから取り出したのか、A4サイズの茶封筒を取り出して亮平に差し出した。亮平は封筒を受け取ると、すぐに中を開けた。
2枚の紙が入っている。
「……これだけですか?」
「そうよ。気に入らないの? 情報っていうのは量が問題なんじゃないのよ。大切なのは質よ。それともまさか事件の犯人が書かれているなんて思ってたわけじゃないわよね。それを調べるのはあなたでしょう」
マリアは亮平の顔に向かって指を突き出した。
「そんなこと思ってませんが……」
亮平はその一枚に視線を向けた。
一枚は成川の経歴書。これはほぼ亮平も知っている通りだ。もう一枚が花柳の経歴書だ。だが、その備考として書かれたものに亮平は目を見張った。
今の会社を経営する以前、花柳はさまざまな業種に手を出し失敗している。そして、そのたびに花柳の口座には多額の金が入金されている。
よくこれほどのことを調べあげたものだ。
「どお? 気に入った?」
なんとも答えられなかった。情報は目を見張るものがあるが、これが本当に事件に関係しているのだろうか。
「どうやってこれを?」
「それは教えられないわぁ。企業秘密だもの。それにしても圭吾君にあなたみたいな弟がいるとはねぇ」
ニコニコ微笑みながら亮平の顔をじっと見る。そんなマリアの言葉を無視するように亮平は立ち上がった。
「それじゃ俺はこれで」
必要な情報を手に入れたからは長居する意味はない。
「えー? もう行っちゃうのぉ? 良かったら占ってあげようか?」
「いえ、結構です。情報、ありがとうございました。情報料は?」
「そうねぇ……」
マリアも立ち上がり、そっと亮平に近づいてくる――と、突然、マリアは亮平にすっと手を伸ばすと頭を掴み、次の瞬間、亮平の唇に自らの唇を押し付けた。
その素早い動きに亮平はまったく避けることが出来なかった。
甘い香りが鼻孔をつく。
慌てて身体を逸らし逃れようとしてもマリアはしっかりと亮平の頭を掴んで離れようとしない。逃れようとすればするほど、マリアの力が強くなっていくようだ。
やがて、亮平はマリアの肩を掴んで無理やり身体を離した。
「な……何するんですか?」
「何って情報料よ」
悪びれもせず、マリアは笑った。「お釣りあげようかぁ?」
そう言ってまた顔を寄せてくる。
「いえ! そ、それじゃ失礼します!」
亮平は慌てて小さく頭を下げると、急いで部屋を後にした。
「また遊びに来てねぇ」
部屋を出る亮平の後方からマリアの声が聞こえた。
(何なんだあの女は……)
部屋のドアを閉め、階段を駆け上がる。
少しでも早く、ここから立ち去りたかった。
こんなふうに無理やり女にキスされるなんて、生まれて初めてのことだ。
ビルを出ると、青く澄み切った空がビルの合間から見えた。
ふぅ……
自分を落ち着かせるために大きく深呼吸をつく。
ポケットからハンカチを取り出し唇を拭うと、ハンカチが真っ赤に染まった。亮平は携帯電話を取り出すと朝宮に電話をかけた。
呼び出し音が聞こえてくると、亮平はゆっくりと駅のほうに向かって歩き始めた。
すぐに呼び出し音が消え、朝宮の声が聞こえてきた。
――どうだったかね?
まるで待っていたかのようだ。いや、実際に亮平が電話するのを予測して待っていたのかもしれない。
「今、マリアさんのところで情報をもらいました」
――それで?
「あの人はいったいどういう人ですか? あなたの事情も知っているようですが」
――まあ古い知り合いだよ。
「なぜあなたが行かなかったんです? もともとあなたが来るように言われたんでしょう?」
――事件を調べてるのは私じゃない、君だ。それに私は彼女がちょっと苦手でね。ひょっとして君、何かされたかね?
小さく笑い声が聞こえる。まるで亮平がキスされたことまで見抜いているようだ。
「べ……べつに……」
――それで? 情報の中身は?
「成川正文と花柳真一の経歴書でした」
亮平は花柳の経歴に書かれたことを説明した。
――なるほど。やはりその手の情報か。
「不動産から株、薬の個人輸入。至るところに手を出して散々な目に遭っていますね。いったいどこからそれだけの資金を調達したんでしょう?」
――その経歴を見てもわかるように花柳真一は決して経営能力があるわけではない。今ならともかく、以前の花柳なら銀行などはまともに相手などしないだろう。そんな男に資金を提供しても、金をドブに捨てるようなものだからね。
「それって……」
――後は自分で考えなさい。
プツリと電話が切れる。
(くそ……偉そうに)
携帯電話をポケットに押し込む。
回収不能な資金の提供。それが何を意味しているか、それは亮平にも容易に想像がつく。
(花柳は誰かを強請っていた)
だからこそ何度も事業に失敗しても、次の事業を始めることが出来たのだ。
だが、いったい誰が?
そして、それは今度の事件に関係しているんだろうか。




