破壊の王 5.8
北畠澄子と別れ赤羽に戻る頃にはすっかり陽も落ち、街並みは薄闇に包まれはじめていた。
駅前のコンビニで弁当を買ってアパートに戻る。
ドアを開けた瞬間、部屋に灯りがついていることに気が付いた。
「おかえりなさい」
キッチンに立つ芹沢水穂が声をかける。ベージュのスエードスカートに白のニット。おそらく会社の帰りに寄ったのだろう。
「……何してるんだ?」
「うん、早めに終わったからたまには夕食でも作ってあげようかと思ってね」
コンロの鍋のなかからビーフシチューの香りが漂っている。
「ありがとう」
そう言った声がやけに素っ気無いことに自分でも気づく。それでも水穂の脇を通り部屋へと向かった。水穂はコンロの火を消すと、その亮平の後を追いながら言った。
「ねえ、亮平。ちょっと話があるんだけど」
「話?」
テーブルの上にコンビニで買ってきた袋を置く。
「……仕事のことなんだけど」
「仕事?」
「あのね。うちの編集長の友達のとこで人を探してるんだって。亮平行ってみない? そんな悪い条件じゃないしさ」
「いや……いいよ」
亮平はベッドの固いマットの上に腰を降ろしながら言った。
「どうして? 編集の仕事だよ。亮平だって今までの経験を生かせる仕事を望んでたじゃないの。そりゃ前のとこほど大きなとこじゃないけど――」
「そういうことじゃないよ」
「じゃあ、どうして? いつまでも働かずにいるわけにもいかないでしょ」
「働かないなんて言ってないよ。いずれ捜すさ。今はまだそんな気になれないんだ」
「いずれっていつ?」
「どうしてそんなに急かすんだよ。少しくらいなら貯金もあるし、そんな焦る必要もないだろ」
「いったいどうしちゃったの?」
水穂は眉をひそめて言った。どうも空気がおかしくなってきた。いつもの口論になるパターンの会話に近づいているのを自分でも感じる。
「どうもしないよ」
「どうもしないって……なんか亮平おかしいわよ。この前までいっつも仕事捜してたじゃないの」
「気が変わっただけだよ」
「なぜ? 今、何もしてないんでしょ?」
「いや、バイトはやってるよ」
「何の?」
「この前の続きだよ」
「あれはもう終わったんじゃなかったの?」
「あの時は終わったと思ったんだ」
「何してるの?」
咎めるような水穂の口調に次第に亮平もイラつき始める。
「……何だっていいじゃないか」
「どうしてそういう言い方するの? 仕事捜してると思うから、せっかく編集長にお願いしてきたのに」
「誰もそんなこと頼んでないじゃないか」
「何よそれ……私って亮平にとって何なの?」
「水穂こそ何を焦ってるんだよ。そりゃ、友達が立て続けに結婚して気になるのはわかるけどさ」
言ってからシマッタと思ったがすでに遅かった。水穂の表情が見る見るうちに強張っていく。
「私? どうして私の話になるの?」
「いや……悪いけど、その話はまた今度にしてくれないかな。ちょっと疲れてるんだ」
「どうしてそうやって話を誤魔化すのよ」
「誤魔化してなんていないだろ」
「誤魔化してるわよ。いつもそうよ。別に私、あなたに結婚してくれって頼んだわけじゃないでしょ。あなたが結婚したくないのは私だってわかってるもの」
「どうしてそんな話になるんだよ」
「あなたが言い出したんじゃないの!」
水穂が声を張り上げる。こうなってしまったら、もう手がつけられない。
「悪かったよ」
宥める言葉もすでに水穂には届かなかった。
「もう亮平なんて勝手にすればいいんだわ」
水穂はエプロンを外すと、丸めて亮平に向かって投げつけた。エプロンは亮平の顔を掠めながら壁にぶつかってベッドに落ちた。
「水穂……」
「さよなら!」
吐き捨てるように言うと水穂は部屋の隅においてあったバッグとデニムのテーラードジャケットを手に部屋を飛び出していった。




