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破壊の王  作者: けせらせら
24/41

破壊の王 5.7

 成川正文の元妻である北畠澄子と会うことが出来たのは翌日の夕方だった。

 警察も2年も前に離婚した北畠澄子が事件に関わっているとはまったく考えていなかったようで、澄子は亮平が連絡をしたことで初めて成川正文の死を知ることになったようだ。

 現在、澄子は世田谷にある小学校の臨時教師をしており、夕方の5時に吉祥寺の駅前にある『西瓜糖』という喫茶店で待ち合わせることになった。

 小ぢんまりとした店の壁には四方に風景画が飾られ、まるで小さな美術館にいるような気持ちになる。店内には静かなクラシック音楽が流れ、いかにも女性が好みそうな店の造りになっている。

 店の奥のテーブルには小さな赤ちゃんを抱いた若い女性が雑誌を読みながら座り、その手前には女子高生の二人連れが話しこんでいる。

 亮平はその手前のテーブルに着くとコーヒーを頼んで北畠澄子を待つことにした。すぐに店長らしき中年の男性がコーヒーを運んできた。人の良さそうな丸顔で眼鏡の奥に細い目がニコニコと笑っている。

「こちらは初めてですか?」

「ええ。良いお店ですね」

 ちらりと壁の絵を眺めながら答える。すると店長は嬉しそうに笑顔を見せ――

「ここのお勧めはケーキなんですよ。レアチーズケーキなんて美味しいですよ。いかがですか?」

「いや、結構です」

「ではタルトなんていかがですか?」

「いえ、今日はいいですよ。また次に来た時にでもお願いしますよ」

 亮平が断ると、店長は残念そうな表情に変わり――

「そうですか。では、ぜひこの次、食べてみてくださいね」

 と言ってカウンターの奥へと戻っていった。

 ほっとしてコーヒーを一口啜り、ぼんやりと外を眺めながら北畠澄子が現れるのを待つ。

 成川正文の死を彼女はどう受け止めたのだろう、と考えながら亮平は澄子の電話での対応を思い出していた。

――殺されたって本当なんですか?

 ぐっと感情を押し殺そうとする声。その声には紛れもなく成川正文の死を悼む思いが込められていた。

 喫茶店のドアの開く音にハッとして視線を向ける。

 亮平と同じくらいの年の女性が入ってくるのが見えた。黒く長いフレアスカートに白いカーディガン。

 女性もすぐに亮平に気が付いたらしく、小さく頭を下げた。

 北畠澄子に間違いないだろう。

 亮平がそっと立ち上がると、澄子がゆっくり近づいてきた。

「北畠さんですね?」

「はい」

 静かな、それでいて芯のしっかりとした声で澄子は答えた。

「朝比奈亮平といいます」

「主人……いえ、あの人が殺されたというのは本当ですか?」

「ええ。今日はそのことについてお訊きしたいことがあります」

 澄子は小さく頷いて亮平の前に座った。すぐにカウンターの奥から店長が水を持って近づいてくる。澄子がそっと顔をあげてコーヒーを注文する。そして、店長が下がっていくのを目で確認してから澄子は口を開いた。

「あの……失礼ですがあなたは? あの人とはどのような関係なんでしょう?」

 わずかに疑っているような目で亮平を見る。無理は無い。いきなり見ず知らずの男からの電話で離婚した夫の死を伝えられたのだ。

「実は先日、私の父が他界しました」

「お父さんが?」

「はい、私が幼い頃、父と母は離婚したので、私はあまり父のことを憶えていません。そこで私の父と成川正文さんが知り合いだったという話を聞いたもので、それであの日、父の件で成川さんに会いに行ったんです」

「そうですか」

 納得したように澄子が頷く。

「あんなことになるとは思いもしませんでした」

「長野……って言いましたよね」

「はい。ひょっとしてそれもご存知なかったんですか?」

「ええ、あの人、何も話してくれませんでしたから」

 澄子は左手でぎゅっとハンカチを握り締めながら寂しそうに言った。その言葉のなかに澄子の成川正文への微かな愛情が感じ取れる気がした。

 店長がコーヒーを運んできて、澄子の前に差し出す。またケーキの宣伝を始めるのではないかと思ったが、場の雰囲気を察したのか何も言わずにすぐにカウンターの奥へと戻っていった。

「失礼ですが……あの人のこと教えていただけますか?」

 節目がちに澄子が言う。

「わかりました」

 亮平は一口コーヒーを飲んでから、あの日のことを話はじめた。

 亮平が話をしている間、澄子はじっと亮平の口元を見つめ、成川正文のことを話すたびに涙を堪えようとするようにギュッとハンカチを握り締めた。だが、さすがに正文の死の状況を話した時にはわずかに目を潤ませた。

 全てを話し終えると澄子はそっと涙を拭い、小さく頭を下げた。

「……ありがとうございました」

「大丈夫ですか?」

「ええ……平気です。変ですね……あの人のことはもうとっくに忘れたはずだったのに……」

 溢れてくる感情をぐっと堪えようとするように澄子は言った。さすがにその澄子の表情を見ていると、それ以上成川の話をするのが不憫に思えてくる。

 だが、だからといってこのまま終わらることは出来ない。

「では、失礼ですがいくつか教えてください」

「なんでしょうか?」

 澄子は気丈にも、顔をあげてぐっと涙を飲み込んだ。

「成川正文さんと最後に会ったのはいつですか?」

「離婚届にサインしたときです。もう2年半になります」

 澄子はわずかに顔を俯かせながら答えた。

「失礼ですが、なぜ離婚を?」

 今の澄子の態度を見ている限り、成川正文のことを今でも愛しつづけているようにしか見えない。

「わかりません。娘が大学を卒業した翌日、突然、あの人のほうから言い出したんです」

「突然? 理由は?」

「理由は聞いていません。ただ別れて欲しいと言われました」

「理由もないのにですか?」

「いえ、何か理由はあるのだと思います。けど、何も教えてくれませんでした」

「何かトラブルでも抱えていたんでしょうか?」

「わかりません。でも、きっと私や娘を巻き込みたくなかったんじゃないかと思います。優しい人でしたから」

 澄子はそう言ってそっとコーヒーを口にした。その指が悲しみに微かに震えている。

(優しい……か)

 弟の清隆を地下牢に2年もの間、閉じ込めていた男も愛した女性から見れば優しい男に見えるのかもしれない。

「成川さんと知り合ったのはいつですか?」

「大学4年の時です」

「確か北畠さんは成川さんの教え子にあたるんですよね」

 二人のなれ初めについては相模原からも簡単に教えてもらってあった。

「そうです。大学で講師をしていたあの人に一方的に私のほうが好きになったんです。みんなに変わってるって笑われました」

「それはどうしてですか?」

「あの人、一般的にはそんなに魅力的には見えなかったから。私も最初は好きじゃなかったんですよ。何より頼りなくて、弱々しい感じがして」

「弱々しい?」

「すごく照れ屋なんです。だから真っ直ぐに人の顔が見られないの。だから一見するとすごく弱々しく見えるんです」

「そんなふうには見えませんでしたけどね」

 亮平は成川正文に初めて会った時のことを思い出しながら言った。強い意志を持った瞳。あれはとても弱々しい人間には見えなかった。

「私と別れてからずいぶん変わったんですね」

 澄子はまた寂しそうに言った。

 たった2年半の月日。だが人を変えてしまうには十分な時間かもしれない。


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