破壊の王 5.6
夕方、東京に戻ってくると、亮平はすぐに相模原義孝の勤める大学に連絡をいれた。
相模原とはすぐに会う約束が取れた。
電話をしてみると相模原はむしろ自分のほうから会って話をしたいと言い出した。
それは成川正文のためを思ってというよりも、どこか事件への興味本位からのもののように感じられたが、それでも亮平にとっては好都合だ。
翌日、亮平はさっそく世田谷にある相模原の自宅を訪れた。
「すまんねえ。今日は家内が留守してるもんだから、何のもてなしも出来ん」
相模原はそう言いながらリビングに亮平を通した。
相模原は教授としてはまだ若く50歳前後といったところだろうか。それほど老けては見えないのだが、その身なりと言葉遣いが妙に年寄りくさい。
ひどく近眼らしく分厚い眼鏡をかけ、くたびれたようなスラックスを吐き、ブイネックのセーターの袖口は毛玉でいっぱいになっている。
「成川君、殺されたんだってね」
亮平がソファに座ると、すぐに相模原は訊いた。
「ええ」
「新聞で読んだよ。なんでも犯人は彼の屋敷で働いていた年寄りらしいじゃないか」
相模原はタバコの煙を吐き出しながら言った。かなりのヘビースモーカーらしく、テーブルの上に置かれた灰皿はタバコの吸殻でいっぱいになっている。
「まだ断定はされていませんよ」
「そうなのかい? それじゃ他に真犯人がいるってことか?」
好奇心に満ちた目を亮平に向ける。古い知り合いの死を嘆く、というよりも事件を面白がっているように見える。
「それはわかりません」
「でも、私のところに話を聞きにきたってことはそういうことじゃないのかい?」
口元をにやけさせながら相模原は言った。
「警察は来ませんでしたか?」
「いいや。彼のことで話を聞きにきたのは君だけだよ」
どうやら相模原にはそれが嬉しいらしい。
「そうですか……失礼ですが、成川さんとはどのくらいの付き合いですか? 成川さんは相模原教授の教え子と聞きましたが」
「そうだねえ。彼が大学に入学した頃からの付き合いだ。だから……かれこれ30年近くになるかね。教え子というより親友だと私は思っているよ」
指を折り曲げながら相模原は答えた。
「ずいぶん長いですね」
「長いねぇ。嫌になるほどだ」
冗談のつもりだろうか。相模原はそう言って大きく笑った。
「最後に話をしたのは」
「もう2年も前さ」
「2年前?」
「ああ」
「その間、何か連絡は?」
「何もないよ。2年前に、『ちょっと旅行に行ってくる』って挨拶に来てね。それっきり出かけたきりさ」
「旅行に? けど、成川さんはそれまで勤めていた大学まで辞めて、引っ越していったんでしょう?」
「おかしな奴だよ。辞表だって大学に郵送したそうだし、引越しだって周囲にはほとんど連絡もしないままだ」
「それじゃ、それ以来会っていないんですか?」
「そうだよ。1度だけ手紙を出してみたんだが、返事はこなかったな。以前から少し変わったとこはあったが、あんなことするとは思わなかった」
「変わっていたというのは、どういうところがですか?」
「どう言えばいいのかねえ。彼の場合、生まれも他人とはちょいと特殊だからね」
相模原は短くなったタバコを灰皿に押し付けると、すぐに新しいタバコを咥え我慢出来ないといった素振りで火をつけた。
「孤児だったということですか?」
「そうそう。いつも人の後ろで物を見て、決して話の中心に入ろうとはしない。用心深く、他人を信用しない。初対面の人間などとは決して口をきこうとはしなかった。私は彼がああいう人間に育ったのは、子供の頃の環境にあると睨んでいるんだ。裏切られることに慣れすぎてしまった結果なんだろうな」
「別に孤児だからといって必ずそうなるとは限らないでしょう」
木村の顔を思い出す。あれはとても人見知りするようなタイプには見えない。それに成川正文も、相模原が言うほど偏屈な人間には見えなかった。
「そりゃあ、そうだ。親を失った人間が皆ああなるなんて考えただけでゾッとする。人それぞれ生まれついた性格というものがある。生まれついた性格と生活環境、この二つが掛け合わされることによって人格が造られるんだ」
「そうでしょうか? 生活環境など関係なく、自分自身の意志を強く持って生きている人だっているでしょう」
「ほぉ。それじゃ君は自分がそういう強い人間だと考えているわけかね?」
「いえ……そういうわけではありませんが……」
「もちろん、君の言うことは正しい。だが、そんな人間はそう多くは無い。現に成川君は違っていた。彼は自分自身の過去に酷くコンプレックスを持っていた。だから、彼は過去という過去、全てを捨ててしまおうとしているようなところがあった。自分の持ち物は必要がなくなれば全て廃棄していたし、実家から持ってきた家財道具などもほとんど売ってしまい、全て新しいものと交換していた」
「それは成川さんが裕福だったからではないんですか?」
「違うね。彼はあまり自分の過去について、あまり話そうとはしなかったが、ありゃあきっと何か他人に触れられたくない過去があったのさ。だからこそ新しいものにばかり拘り、古いものは好まない。あいつぁそんな奴だった」
相模原はそう言うとカッカッカと大きく口を開けて笑った。友人が死んだというのにまったく悲しんでいないように見える。これで本当に成川正文と親友だったのだろうか。
「でも、そんな人があんな古い屋敷に住むでしょうか? それに屋敷にはアンティークの家具だってたくさんありました。成川さん自身も古い懐中時計を持っていたようです。決して過去を捨て去りたいと思うような人とは思えませんでした」
「いやいや。君は何か誤解しているよ。そもそも君は成川という男をまったくわかっていないようだな」
「まあ……確かにお話をしたのもたった1回だけですから」
「回数の問題じゃあない。1度遭っただけでも、その本質というものは掴めるものだよ。君が言う成川はまるで私の知る成川とは違う気がする。それとも本当に違う人間と会ってきたんじゃあるまいね」
相模原は再び大きく口を開けて笑った。その指先に挟まったタバコの長くなった灰がポロリと膝に落ちる。
「私の人を見る目がないと言いたいんですか?」
亮平は苛立ちを押さえるようにして言った。
相模原は膝に落ちた肺を払いながら――
「なぁに若いうちは仕方ない。何事も人生経験ってことかな」
短くなったタバコをさらに一口吸ってから灰皿に押し付ける。
その時――
「ん……」
相模原は急に首を捻りながら空中に視線を漂わせた。
「どうしました?」
「いや……何か忘れてるような気がしてね……なんだったかな?」
「成川さんのことですか?」
「さあ……それがわかるくらいなら忘れたとは言わんよ」
頭をボリボリとかきむしる。「なぁんか今、頭のなかにふっと何かが浮かんでから消えちまったんだ。なんだったかなぁ。まあ、忘れちまったってことは、その程度のことだったのかもしれんな」
自分一人で勝手に納得して、相模原はまたタバコを口に咥えた。そんな相模原を見て、亮平は躊躇いがちに訊いた。
「あの……教授は『破壊の王』という名前を聞いたことがありませんか?」
父と面識のない相模原が研究に関わっている可能性は低い。だが、もし成川が『破壊の王』のために殺されたのだとすれば、相模原が何か聞いているかもしれない。
だが、相模原はキョトンとした顔で亮平を見て――
「何なの、それ? 何かの小説? ウィリアム・ゴールディングは『蝿の王』だったよね」
どうやら相模原は『破壊の王』に関して何も聞かされてはいないようだ。
「それじゃ私はこれで失礼しますよ」
「んん? そうかぁ。ゆっくりしていけばいいじゃないか」
「すいません。この後、用事があるものですから」
嘘だった。
これ以上、タバコの匂いに耐えられそうもなかった。禁煙の二文字を心のなかで呟きながら亮平は立ち上がった。
出て行こうとする亮平の背に相模原が声をかけた。
「そんじゃ何かわかったら教えてくれないかな。別れた奥さんにも教えてあげたいしな」
その言葉に亮平は振り返った。
「別れた奥さん? 誰の……ですか?」
「成川だよ」
「奥さんがいたんですか? いつ別れたんですか?」
「2年……いや、3年くらい前かな。突然、成川のほうから離婚を告げたらしいな」
「なぜ離婚を?」
「その理由もはっきりしないんだ。成川の奥さんはうちのかみさんの友達で、さんざん愚痴を聞かされたもんだよ。慰謝料は相当の額を支払ったと聞いたけどね」




