破壊の王 5.4
翌日、亮平は午前10時ちょうどの新幹線あさま509号に乗りこんだ。
成川清隆に会うためだ。
午前11時44分に長野に着くと、亮平は駅の立ち食い蕎麦屋で簡単に昼食を済ませ、すぐにタクシーを捕まえて長野市立病院へ向かった。
費用の心配はなかった。東京駅のキャッシュサービスで確認したところ、すでに亮平の口座に100万という額が振り込まれていた。桑島の名前での振込みだったが、おそらく朝宮の指示によるものに違いない。
タクシーの運転手は乗車してすぐにいろいろ話し掛けてきたが、亮平が曖昧に相槌を打っているといずれ話し掛けるのをやめた。おかげで市立病院までの20分ほどの道のり、亮平はぼんやりと街並みを眺めながら、ゆっくりと考えることが出来た。
病院の空気というものはどんな時でも嫌なものだ。
亮平は自動ドアを潜ると、その消毒液の匂いに思わず眉をしかめた。病院に来るたびに母が死んだときのことを思い出す。
癌だった。
見つかった時にはすでに手遅れで、半年後に入院先で息を引取った。亮平が大学を卒業したばかりの年だ。離婚した後、再婚することもなく女手一つで自分を育ててくれた。そんな母の人生を思うたび、亮平は胸が痛くなる。
亮平は窓口で成川清隆の病室を聞くと、院内の販売店で果物セットを買ってからエレベーターで3階に向かった。
――では、君の思うようにやってみたまえ。君の手腕を見せてもらおう。
朝宮の顔が頭に浮かぶ。
(ちきしょう)
何としても朝宮の鼻を明かしてやりたい気持ちになってくる。
エレベーターを降りるとゆっくりと部屋を探す。
(ここだ)
305号室。そこに『成川清隆』という名前が書かれている。
亮平は一呼吸おいてからドアをノックすると、中から「はい」という返事が聞こえてきた。
静かにドアを開け、中に一歩踏み出す。
ドアの前には衝立が置かれ、そこからなかを覗き込むとベッドで上半身を起こし、パジャマ姿の男が怪訝そうにこちらを見ている。
兄の正文と違い髭を伸ばしているわけでも、髪を長くしているわけでもないが、それでも良く似ている。
「成川清隆さんですね」
亮平の問いかけに成川清隆は益々、怪訝そうに眉をしかめた。
「……あなたは?」
「朝比奈亮平と言います」
そっとベッドの脇に備え付けられている小さなテーブルの上に果物セットを置く。すでに誰かやってきたのか、そこに大きな花束も置かれている。ピンク、オレンジ、イエローと3色のガーベラ、その中に咲く純白のバラが美しい。
「朝比奈さん? すいません……まだ頭がはっきりしていないのかな。失礼かもしれないが、あなたが誰なのか思い出せない」
清隆は首を捻った。
「それは仕方ありませんよ。私があなたと会ったのはほんの数日前に一度きり。しかもあなたは薬で眠らされていましたから」
「そうですか。それじゃあなたも事件の時に屋敷にいらっしゃったんですね?」
「事件のことはもう知っているんですね?」
「警察の方に教えていただきました。兄は……殺されたのだそうですね」
そっと視線を落とす。
「ええ……何と申し上げていいか――」
「自業自得かもしれません」
清隆の言葉に亮平は驚いた。
「自業自得? それはなぜ?」
「兄は傲慢な男でした。昔から自分の言うことが唯一正しいものと考えるようなところがありました。兄は自分と意見が違う者は徹底的に忌み嫌うところがありましたから」
「あの……さしつかえなければ教えていただきたいのですが……あなたはなぜ地下牢に閉じ込められていたんですか? 正文さんはあなたが病気だと話していましたが――」
「病気? とんでもない」
清隆はすぐに否定した。「私は病気などではありませんでした。少なくともあそこに閉じ込められるまではね」
「なら、どうしてあんなことに? 正文さんはあなたが以前、何か問題を起こしたようなことを言ってましたよ」
「嘘ですよ。調べてもらえればわかります。私はこれまで人を傷つけるようなことは一度だってやったことはありません。兄が私を閉じ込めた理由はただ一つ。一言で言えば、兄と意見が合わなかったからですよ」
「たったそれだけのことで?」
「そう。たったそれだけのことです。けれど、それだけのことでも長い期間、少しずつ時間をかければ人の心のなかには大きな憎しみがつくられるものです。もともと私は兄にとって厄介な存在でしたからね」
「厄介とは?」
「父は亡くなる時、遺言状のなかで兄と私の二人に財産を譲り渡すと書き残しました。それもまた兄にとっては気にいらなかったのでしょう。もちろん私はそんな財産などもらうつもりなどなかったので、アメリカでその話を聞いた時、はっきりと断ったんですけどね」
「それなら何の問題もないでしょう?」
「それがそうもいかなかったようなんです。遺言状では、兄が財産を自由に使うためには私と二人で財産を半分ずつ分け合うことという条件が入っていたんです。そのため私が遺産を放棄してしまえば、兄も遺産をもらえなくなってしまうんです。私もそのことはアメリカから帰国して知ったんです」
「つまり正文さんはあなたの遺産放棄を処理せずに、勝手に自分が遺産を相続出来るようにしていたということですか?」
「ええ」
「アメリカでは何をされていたんですか?」
「何というわけでもない。好き勝手に生きてきました。今でいうフリーターでしょうね。金がなくなれば働き、金があれば自由に遊ぶ。そんな気楽な生活です」
「なんか羨ましく感じますね」
「ええ、楽しかったですよ。やはり若いうちは少し無茶をしてみるもんです」
「なぜ日本に帰ってきたんです?」
「なんとなくですよ。少し日本が懐かしく思えたからです。それにもうこの年ですからね。いつまでもそんな生活していることに不安も出てきた。少し落ち着こうかという気持ちもありました」
清隆ははにかむように笑った。
「これからどうされるんですか?」
「さあ……どうしましょうね」
ふっと小さくため息をつく。
「正文さんが亡くなったことで、あなたには莫大な遺産が転がり込むんでしょう?」
「やめてくださいよ。まさか、あなたも私が兄を殺したと思っているんですか?」
「いえ」
亮平は首を振った。「あなたに出来るはずがない」
そう、この男に成川正文や花柳真一を殺すことなど出来るはずがない。あの地下牢でずっと薬を飲まされ閉じ込められていたのだ。
犯人は他にいると考えていいだろう。
「そう言ってもらえると私もホッとしますよ」
清隆はそう言って小さく微笑んだ。




