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破壊の王  作者: けせらせら
20/41

破壊の王 5.3

 夢見が悪かった。

 燃える炎のなかに転がる成川正文の死体。そのなかで正文の顔だけが、しっかりとこちらを見つめ、ニタニタと笑っている。

 身体は動かず、目を背けることも出来ない。

 その顔がしだいにボヤけ、父の顔に変わったところで目が冷めた。

 じっとりと首筋に汗をかいていた。

 父の顔などもうずっと忘れていた。それなのに夢のなかでははっきりと父の顔を覚えている自分がいる。

 枕もとの時計に視線を向ける。

 午後1時。昨夜、なかなか寝付くことが出来なかったせいか、久々に寝坊してしまった。

 無意識のうちに枕もとに手を這わせ、タバコを探そうとしている自分に気づく。

(禁煙してたんだっけ……)

 禁煙をはじめて今日で約1ヶ月。これほどまで長く続いたのは今回が初めてだ。別に健康を考えて止めたわけではない。ほんの気まぐれに過ぎない。これまでと同じようにすぐに挫折するものと思っていたが、自分でも意外なほどに長く続いている。

――禁煙? また面倒なことを。

 朝宮の顔を思い出す。ひょっとするとあの言葉が禁煙を長引かせているのかもしれない。

 しばらくの間ぼんやりと宙を見つめているとチャイムが鳴った。

 のそのそとベッドから起きだして玄関に向かう。

 チェーンををしたままドアを開ける。

「おはようございます」

 ドアの隙間から一人の男が顔を出した。40代の疲れたような表情。亮平はすぐにそれが先日の事件の時に会った長野県警の刑事であることを思い出した。

 名前は確か――

「長野県警の桐野です。突然、お伺いして申し訳ありません」

 桐野竜彦はそう言って頭を下げた。

「いえ……何か?」

「先日のことでお話をお聞きしたいのですが……今、よろしいでしょうか?」

 そう言われて亮平はやっと自分がパジャマ姿のままだということを思い出した。

「ちょっと待っていてもらえますか?」

 亮平は一度ドアを閉めると、急いでベッド脇に落ちていたジーンズとトレーナーに着替え、再びドアを開けた。

「どうも」

 桐野がもう一度頭を下げる。「今、関係者の方々にいろいろお話を聞いて回っているんですよ。みなさん、東京の方々ばかりでこっちとしても大変です。中、よろしいですか?」

 なぜか妙に丁寧だ。

「どうぞ」

 亮平はドアを大きく開いて、桐野を部屋にいれた。桐野は遠慮することなく靴を脱ぐと部屋にあがりこむとテーブルの前にどっかりとあぐらをかいた。

「何か飲まれますか?」

「いえ、お気遣いなく」

 そうは言われても何も出さないわけにはいかないだろう、といってもわざわざコーヒーをいれるのも面倒くさい。亮平はキッチンの冷蔵庫から缶コーヒーを持ってくると桐野の前に置いた。

「あのぉ……」

 亮平がソファに座るのを待って桐野が口を開いた。「失礼なことをお聞きしますが、朝比奈さんのお父さんというのは朝宮当摩先生ですか?」

「え……ええ……」

 桐野の口から父の名前が出てきたことに亮平は面食らった。

「そうだったんですかぁ。いや、うちの署長があなたのお父さんを知っているそうなんですよ。なんでもご生前はいろいろとご協力いただいたそうで」

「そう……なんですか?」

「署長がお会いしたいと言ってました。ぜひ、こちらに来る機会があれば寄って下さい」

 そう言って深々と頭を下げる。

「ところで今日はどうしたんです?」

 早く父のことから話を逸らしたかった。「事件のことでしたら、この前話した通りですよ」

「ええ。ですがあれから三日が過ぎています。あの時は気づかなかったことでも、後で思い出したこととかあるんじゃありませんか?」

 何かを期待するような目で桐野は亮平を見た。

「さあ……そう言われても……」

 そう言って亮平は缶コーヒーの蓋を開けるとゴクリと一口飲んだ。

「では、確認させてください。成川さんとはあの日初めて会ったというこですが――」

「ええ。お兄さんとも弟さんのほうともね」

「確かお二人はあなたのお父さんとお知りあいだったと言われましたね」

「そうです。以前、父が彼らが養われていた孤児院の面倒を見ていたことがあったそうです。それで父が亡くなったので、彼らにそのことを話しにいったんです」

 これもすでに先日話したことだ。

「朝宮先生が亡くなられたことを?」

「ええ」

「朝宮先生はそれほど彼らと親しかったんですか?」

「それは……」

 亮平は答えに迷った。「先日、父の遺品の整理をしていたら、成川正文さんのことが記された日記が出てきたんです」

 その日記を見せろと言われれば困るが、まさかそんなことは言い出さないだろう。

「なるほど、それでですか」

 桐野はいかにも納得したというように大きく頷いて見せた。どうやら今の話を信じたようだ。その態度を見て亮平は密かに胸を撫で下ろした。

「ところで確認しておきたいんですがね――」

 手帳をめくりながら桐野が言った。「事件の時、花柳さんが席を立ってから村上さんがやってくるまでの時間……正確にわかりますか?」

「確か……20分程度だと思います」

「では、木村さんがトイレに行っていたという時間は?」

「5分くらいでしょうか」

「ふむ、それではやはり犯行は無理でしょうなぁ。残るはバイトの山口さんですが、村上さんが皆さんと合流した時、彼女は一人部屋に戻っていたと言っています。これについては何の証拠もないんですが、彼女は皆さんとはまったくもって初対面。二人を殺すような動機も見当たりません。とりあえず彼女は容疑者のなかから外しても問題ないでしょう」

「それじゃ――」

「ええ、あの夜、屋敷にいたみなさん、誰一人として犯行をするだけの時間はなかったということです」

 桐野は小さく唸りながら手帳をじっと睨んだ。だが、その顔は不思議と捜査に悩んでいるようには見えない。

 何か新たな情報でもあったのだろうか。

「捜査は進んでいるんですか?」

「まあボチボチってとこですね。そうそう。朝比奈さんにはお話しておいたほうがいいかもしれませんね」

 と、改まったような顔で桐野は亮平の顔を見た。「今朝早くに新羅川の河口付近で住川秀吉の遺体が発見されました」

「遺体?」

 亮平は驚いて聞き返した。「死んだんですか?……まさか殺されて?」

「それがはっきりしません。直接的な死因は溺死です。誤って落ちたのか、それとも川に突き落とされたのか……いずれにしても新羅川は屋敷のすぐ裏手を流れています。上流から流されたのでしょうね。もし、殺人でないとすると、あの雨のなか屋敷を出て逃げようとする途中、足を滑らせて川に落ち溺れ死んだということになります」

「逃げる? なぜ逃げなければいけなかったんですか?」

「それはやはり住川秀吉が二人を殺した犯人だからではないでしょうか?」

 桐野は淡々と答えた。まるですっかり住川秀吉を犯人と決めてしまっているようなその答え方に違和感を憶えた。

「どうしてそんなことが言えるんですか?」

「実は住川の持ち物のなかから血痕のついたナイフが発見されました。今、鑑識で調べていますが、それが殺された二人の血痕と一致すれば――」

「決まりということですか? しかし、なぜあの人が二人を殺さなければいけないんですか?」

 亮平にはわからなかった。あの老人が成川正文を殺すようにはとても思えない。

「動機はまだわかりません。ですが、凶器をあの老人が持っていたとなれば、そう考えるのが自然です」

「しかし、住川さんはだいぶ体が弱っていたように見えました。そんな人があんな犯行におよべるでしょうか?」

「実は体が弱ってるというのは芝居だったかもしれませんよ」

「そんな……」

「いずれにしても状況から考えてあの屋敷にいた皆さんにはとても犯行は不可能でしょうからね。消去法でいえば、住川秀吉が犯人と考えるのが一番自然です」

「まあ……そうですが……」

「今、動機についても調べているところです。いずれはっきりするでしょう」

 すでに桐野はこのまま事件解決となると思っているのか、全てを楽観的に見ているような感じがする。

「そういえば弟さんはどうされました?」

「成川清隆さんですね。彼は今、長野市立病院に入院していますよ。監禁されていたということですから検査してもらっています」

「ひどいのですか?」

 あの日、警官に支えられながら屋敷を出て行った成川清隆の姿を思い出しながら亮平は訊いた。

「いえ、少し痩せてはいるようですがそれほど弱っている様子はありません。むしろ精神的なものでしょう。それでも近々退院出来るような話ですよ」

「退院? そんな早くに大丈夫なんですか?」

「身体はいたって健康だと聞いていますよ」

「いえ、そうではなく……」

 亮平は躊躇いがちに言った。「正文さんが言っていたんですが、弟さんは精神的に問題があるということですが……」

「精神的に?」

「時によって暴力的になると。だからこそ薬で眠らせていると言っていました」

「さあ。今のところそのような報告もありませんよ」

 ペラペラと手帳を捲りながら桐野は答えた。

「……そうですか」

 どういうことだろう。

「昨日も会ってお話を聞いてきましたが、非常に落ち着いた感じでしたよ。正文さんが嘘をついていたのかもしれませんね。ずいぶん正文さんには手ひどく扱われていたらしいですから」

「あの……会うことは出来ますか?」

「会う? あなたがですか?」

「ええ……お見舞いに行ってみようかと思うんですがいけませんか?」

「いえ、構いませんよ。けど、朝比奈さんは成川清隆と面識はないのですよね?」

 怪訝そうな顔で桐野は言った。

「少し訊いてみたいこともあるので……」

「事件のことですか?」

「……はぁ。いけませんか?」

「いいえ。あれだけの事件に出くわせば気になるのもわかります。ただ――」

 と桐野は一度言葉を切って手帳を閉じると言った。「もし何かわかったら、すぐに連絡いただけますか?」

 また、何かを期待するような視線を亮平に向ける。

「わかってます」

「それじゃ、私はこれで失礼します」

 桐野はテーブルに手をついて立ち上がった。それからふとテーブルに置かれたままの缶コーヒーを指差した。「これ、もらっていってよろしいですか?」


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