破壊の王 1.1
1
窓から差し込む朝日が顔にかかり、朝比奈亮平はその眩しさで目を覚ました。
眩しさから顔を背けるように寝返りを打つ。そして、ゆっくりと頭をもたげ、枕もとにある目覚まし時計に視線を向ける。
午前8時20分。
以前ならばベッドから飛び起き、会社に行く準備を整えなければいけない時間だ。だが、幸か不幸か、今はもう時間に追われることもない。
会社を辞めたのは2ヶ月ほど前のことだ。某大手出版社で編集の仕事をしていたのだが、もともと仲の悪かった上司との意見の食い違いが理由で辞表を叩きつけた……といえば格好がいいのかもしれない。しかし、実際にはリストラの対象になったに過ぎない。
これは自分にとって意外なことだった。
半年前から来年春に創刊される月刊情報誌の編集に携わってきた。これが成功するか否かで会社の命運が決まると言っても過言ではない大きなプロジェクトだ。どんなに上司に嫌われることがあったとしてもクビになるはずがないと、高をくくっていた。
だが、会社はそんなことなどお構いなしに、自分をリストラの対象リストにいれた。担当部長と折り合いが悪かったのが大きな理由だろう。
それでも慌てることはなかった。
(俺抜きでやれるものならやってみればいい)
揺ぎ無い自信があった。
きっとすぐに間違いを認め、頭を下げてくるだろう。そう思い、一ヶ月が過ぎた。しかし、会社からの連絡はまったくなかった。
こっそりと連絡を取った後輩からの言葉も意外なものだった。
――トラブル? いえ、何もありません。まったく問題ないです。心配いりませんよ。安心してください。もう新しい仕事は見つかったんですか?
愕然とした。
過信していたことに改めて気づかされた。
今までやってきた努力は何だったのだろう。
まるで自分がいなくなったことなど気にもとめていない後輩の言葉に怒りさえ覚えた。
ふと、死んだ母のことを思い出した。
優しい人だった。叱ることも、説教じみたことも決して言うことはなかった。そんな母が一度だけ自分に対して言ったことがある。
――あなたは気が短すぎるわ。そんな簡単に腹を立てずにぐっと一息ついて我慢しなさい。それはきっとあなたの大きな力になるはずよ。
短気なところは子供の頃から変わっていない。
自分の足元が急に不安定なものになっていることに初めて気づいた。恋人の芹沢水穂は『なんとかなるわよ』と明るく声をかけてくれたが、亮平としてはそんなのんびりとしている気持ちにはなれなかった。すぐに就職活動を始めたが、そう簡単に望むような仕事には出会えなかった。職種に拘らなければ見つかるのかもしれない。それでも来年には30歳になる。中途半端に食いつなぐためだけの仕事はしたくなかった。
そんな時、父が病死したという話が舞い込んだ。
両親が離婚したのは亮平が小学校5年の時。それ以来、父とはまったく会っていなかった。大学を卒業してすぐに母が死んだ時も父は葬儀に顔を出すことはなかった。亮平もまた父に会いたいと願ったことは一度もなかった。
そんな父の死の連絡に、亮平は内心ホッとしていた。
亮平は子供の頃、よく母から父やその祖父のことを聞かされたものだ。祖父は資産家で、多くの大企業とつながりを持っていたらしいし、父は医者として大学病院に勤めていたという。
きっと、父の死は生活に困った自分をきっと助けてくれるはずだった。
しかし、現実は亮平が思ったようには運んでくれなかった。1週間前、父の弁護士という男に初めて会った時、亮平は驚くべき話を聞かされることとなった。
――遺産はお父様に仕えていた使用人の一人に全て譲られることとなりました。
亮平は呆然とした。
その言葉の意味をすぐには理解出来ず3度も聞き返した。
確かにこの二十年、自分は父のことを忘れて生きてきた。それでも、父にとって唯一自分だけが血のつながりのある親族であったはずだ。その自分を差し置き、遺産の全てを使用人に譲るとは……
言葉を失う亮平に弁護士はさらに告げた。
――ですが、彼もまたあなたのことを知り、あなたに遺産を譲るべきと考えているようです。彼はあなたに会うことを望んでいます。どうされますか?
考えることは何もなかった。
亮平は即座にその申し出を受け、その男に会うことにした。
今日がその約束の日だ。