破壊の王 5.2
「ごくろうさま」
報告書を読み終わった後、朝宮はそれだけ言うと分厚い茶封筒を無造作にテーブルの上に置いた。
「これは?」
「報酬だ。50万入っている」
「けど……いいんですか?」
「何がだね?」
「俺は結局、『破壊の王』が誰なのか見つけることは出来ませんでした」
「気にすることは無い。いらないというなら別だが」
「い……いえ、そういうわけじゃ――」
「なら素直に受け取っておきなさい。結果はどうあれ、君は私の指示であの屋敷に行ってきたのだ。君が満足しているかどうかは別問題だ。あとは君が気にする必要は無い」
「はあ……」
亮平はテーブルの上の封筒に手を伸ばした。
確かに朝宮の言うとおりだ。もともと父の研究にも、成川家のことにも興味はなかった。だが――
(本当にこのままでいいんだろうか)
複雑な思いが胸中を渦巻いている。胸をナイフで刺され床に倒れていた花柳の姿やバラバラに切断され燃やされた成川の死体が頭から離れない。
「まさかとは思うが、君、何かやらかしたんじゃなかろうね?」
「え?」
驚いて顔をあげる。
「成川正文や花柳真一、そして住川秀吉。その3人の死に君が関わっていないかどうかを確認しているんだよ」
「どうして俺がそんなことを?」
「さあ。私は一般的な見方をしているだけだ。君も現場にいたんだから何か事件に関係しているんじゃないかと見られても仕方あるまい。少なくとも警察は君のことも容疑者の一人として考えているはずだ」
それは自分でもわかっている。
警察がやってきた時、刑事からさんざん屋敷に来た理由や成川正文との関係を訊かれ、状況を詳しく説明させられた。幸いにも事件が起きた時、木村や里瑠子と一緒にいたことで、それほど強い疑いはかけられていないはずだが、もしそれがなかったら正式に招かれもせずに押しかけた自分は警察に何よりも疑われていても不思議ではない。
「俺は何も関係ありません」
亮平はきっぱりと言い切った。
「なら放っておくことだ。君のまわりを警察にウロチョロされるのは、私にとっても何かと不都合だ」
朝宮はバッサリと切り捨てるように言った。
「事件はどうなるんでしょうか?」
「事件? どうなろうと君が心配するようなことではあるまい。なぜそんなことを気にするんだ?」
「あの事件に『破壊の王』が関わっているとは考えられませんか?」
「『破壊の王』と思われる人間がいたのかね?」
朝宮の声が鋭くなる。
「いえ……そうじゃありません。住川秀吉は……おそらく『破壊の王』とは違うと思います」
あの状態で殺人を犯すことが出来たのは住川秀吉しかいないように見える。おそらく警察もそう考えて、住川秀吉を捜しているはずだ。
だが、本当にそうだろうか。
「住川秀吉? 確かに君の報告書では住川秀吉という老人が犯人ではないかと思わせるような記述がいくつかあった。違うと思っているのかね?」
「わかりません……けど、何かおかしい気がするんです。なぜあの老人が二人を殺さなければならなかったのかもわかっていません」
「その理由が知りたいと? なぜ? 君は殺された彼らにも、その老人とも縁もゆかりもないのだろう?」
「それは……そうですが……」
「意外だな。君はもっと他人に対してドライな男かと思っていたよ。意外と心根がやさしいのだね」
「そういうことじゃありませんよ」
思わず亮平はムキになって言った。「目の前で殺人事件が起きたんですよ。それを簡単に忘れることが出来るはずがないじゃないですか。それが普通ですよ」
「普通?」
朝宮の声が一瞬変わったように感じた。「君にとって普通とは何かね?」
「え……?」
一瞬、その質問の意味がわからなかった。
「君は自分自身が全てにおいて標準的な人間だと思っているのか? それはいったい何を基準にしているんだ?」
「……べつに基準なんてありませんよ」
「基準も何もないのに、自分が普通だなどとよく言えるものだね」
まるで咎めるような口調で朝宮は言った。
「そんなの一々統計を取らなきゃ話も出来ないんですか? バカバカしい」
「バカバカしい?」
「あ……いえ、すいません」
視線を外し、わずかに頭を下げる。立場上、この男を怒らせるのは得策ではないだろう。
「まあ、いい」
わずかに間を置いてから朝宮は言った。すでに冷静な口調に戻っている。「それで? 君は事件を調べるつもりなのかね?」
「いや……それは……」
亮平は俯いた。自分が何をしたいのか、何をすればいいのか、自分でもよくわからない。何より事件を調べるといっても、どこから手をつければいいというのだろう。
「やってみたまえ」
「え?」
「君の思うようにやってみたまえ。せっかく興味を持ったのだろう」
「そんな簡単に言わないでください。俺は刑事でも探偵でもないんですから」
「肩書きを気にしているのかね? 刑事だけは無理だが、探偵などというものは資格が必要なものでもなかろう」
そういうと朝宮は立ち上がると、部屋の脇にあったチェストの引き出しから何かを取り出してきてテーブルの上に置いた。
掌大の小さな箱だった。
「これは?」
「名刺が入っている」
朝宮が箱をあけ、中身をひっくり返す。そっと手を伸ばし名刺を掴む。
『フリージャーナリスト 深海隆』
『フリーライター 北条俊介』
他にも名前や肩書きの違うものが何枚もある。
眉を潜め、朝宮の顔を見た。
「なんですか? これ?」
「私の名刺だよ。私もまったくここだけで生活しているわけじゃない。たまに外に出る時、一応、何かしら名前がないと困ることもあってね。名刺などはいくらでも作ることが出来る。もし、君も何か必要ならいくらでも造ってあげよう」
いったいこの男は何をしているのだろう。
「俺はべつにそういう意味で言ったわけじゃありませんよ。俺が言ってるのはスキルの問題です。事件を調べるだけのノウハウ、そんなもの俺にはありません」
「ノウハウ? そんな難しく考える必要ないだろう。事件の捜査などというものは、ただ、目の前に転がっているこんがらがった紐をたどっていけばいいだけだよ」
朝宮はいとも簡単に言った。
「そんな簡単に言わないでください」
「なら諦めて事件のことは忘れるかね?」
「それは……」
「そんなことを言ってみても、君は事件のことが気になってしかたない様子じゃないか。もし、君が探偵の真似事をしたいというなら、費用は私が持ってやろうじゃないか。さあ、どうする?」
まるで遊ばれているような気がしてくる。どうせおまえには出来ないだろう、と見下されているような気がしてくる。
亮平はぐっと拳を握り締め頷いた。
「わかりました。ただ、俺は探偵の真似事なんてしません。ちゃんと責任を持って事件のこと調べてみせますよ」




