後編
陛下からのお呼び出しがあったのは殿下とお茶をした数日後の事です。
正式なものではなかったので、おそらく姪として赴くのが正解なのでしょう。
お城へ行くと攻略キャラ役であった騎士団の副団長様が陛下の元へと案内して下さいました。
少しばかり悪い顔色と以前に比べ痩せこけたように思える頬に心苦しくなりました。
あれから元攻略キャラ役であった方々はどのようにして過ごされているのでしょうか。
……会のメンバーを収集して近況の確認でもしてみようかしら。
そんなことを考えていると案内されたのは陛下が私用で使われる部屋でした。
その部屋から出ることが出来る庭は大変素晴らしいもので、植えられた花を楽しんだり殿下とかけずり回って遊んだ事がある大切な場所です。
またこの部屋にいる限りは叔父と姪、堅苦しい挨拶や態度は嫌だと一国を統べる国王陛下が駄々を捏ねられたのは私が本当に幼い頃の事でした。
ここに来るのも久しぶりですね。
ほころぶ顔に騎士団の副団長様は一瞬だけ目を見開き、それを隠すように騎士の礼を陛下へととり、そして部屋の外で待機されるようです。
陛下と2人、お話はこの間の殿下との事でしょう。
「ライラ、久しいな」
「はい。陛下もお変わりなくお過ごしでしょうか?」
「もちろんだとも」
淑女の礼もとることなく話しかければ陛下は嬉しげに頬を緩ませました。
その笑みはどこか殿下に似ています。
近くのソファに座ることを促されたので上質で柔らかいそれに座ると陛下はじっと私を見つめてきました。
「……あれもな。弱気な部分があるが良い王になると思っていたんだ。しかし……廃嫡は免れん」
あれとは殿下の事でしょう。そして乙女ゲーム中にあった諸々の事柄のせいで殿下は廃嫡するしかないのです。
陛下も役を与えられた1人なので殿下が攻略キャラ役として動かされていたことを知っています。
けれどこの国、全体を見たときにそれを知るものは一握りなのです。
だから、陛下が殿下を庇うことは出来ないのです。
殿下は廃嫡を免れない程の事をしたのです。王太子としてあるまじき行為を。
「王太子は弟である第二王子に譲らせ、あれには爵位を与える。そこまでは知っておるか?」
「……はい、殿下から聞いております」
「そうか……」
無言で頷く私に陛下は珍しく困ったような表情を浮かべました。
「あれがライラ、君に求婚したと言っていたのだが……」
「……正式には頂いておりません、が待っていて欲しいとは言われました」
「………あれは馬鹿だな」
「……馬鹿ですか?」
「王太子としての柵が消えてとたんに、ライラに手を伸ばすなど。本来はもう少し時期を待つべきなんだが……あれはそれ程までに君を欲していたのか……」
陛下の言葉を理解した途端に頬に熱が集まり、それを見た陛下はははっと声を漏らし笑いました。
笑い事ではありませんけど……。
「ライラはあれの事をどう思う?」
「……今も昔も変わらずにお慕いしておりますわ」
「そうか、では公爵家の倅との婚約は不本意であったか?」
「いえ、私は公爵家の令嬢として受け入れねばならない立場でしたので」
「受け入れるのと心根は違うものだな。すまなかった」
「陛下が謝られる事では……」
陛下はいまだに困ったような笑みを浮かべたまま遠くを見つめられました。
まるで何かを思い出すかのような仕草に首を傾げると陛下は苦笑いを浮かべ視線を私に戻しました。
「あの当時、君の両親にはかなり怒られた」
「おこ…られた……?」
「妹はかなり直接的に、義弟にはネチネチ休む暇なく政務を渡された。思い出しただけでも震えが来るわ。姪の…ライラの幸せを願うなら、なぜ好きな相手との婚姻を選ばせてやらないのかとな」
「それは……」
「みな、分かっていたよ。あれとライラの幼いながらも純粋な想いをね。……しかし、あれは王太子になることが決まっていた。この国を導くものの伴侶として…国母として君が隣に立つには十分であったが、それと同時に君たちは近すぎた。だから無理矢理にでも離す必要があったのだ」
近すぎた……それが全ての答えなのでしょう。
従兄弟同士でもある私たちが結ばれるには色々と障害があり、また何も利益を生み出さない。
だから、仕方がないことなのです。
「すまなかった」と再度頭を下げられる陛下に首を振り「わかっています」と微笑めば陛下は顔を歪ませました。
「……ライラはあれと共にあることを望むか?」
「一度は封印しなければならなかったこの想いを解き放っても良いならば、それは私とって最高の幸せですわ」
陛下に笑みを向けると陛下も嬉しげにそして納得したように頷きを繰り返しました。
「わかった。ではワシの名において、2人の仲を取り持とう。……公爵家の倅の事も任せなさい」
「ありがとうございます。……公爵家のというはどういうことでしょう?もう私たちの婚約は解消されているのですよね?」
そう言うと陛下は目を剥きました。
「…陛下?」
「公爵家からは君に再度、婚約の申し入れをしたいと聞いている」
「それは…」
黒さを滲ませた笑みで手紙を握り潰していた父を思い出しました。
あれはそういうことですか。はい、私は全く知りませんよ!
「あー、理解した。聞かなかった事にしてくれ」
「心得ました」
「……あとそれと」
「はい?」
にやっと陛下は意地の悪い顔をされ、内緒話を楽しむかのようにこっそりと私に告げられました。
「ワシが婚約を許したことはしばらくはあれには伝えるでないぞ」
驚きで瞬きを繰り返す私の頭を陛下は豪快に撫でつけ「すまない。そろそろワシは政務に戻る」と叔父の顔から国王の顔へと表情を変えて部屋を後にされました。
陛下の言葉に放心していると陛下により室内に入ることが許された副団長様が私を迎えにきました。
差し出された手を取り立ち上がろうとした瞬間「ライラ!!」とよく知っている声に名前を呼ばれました。
「殿下?」
「ライラが来ていると聞いて…迎えに来たんだ」
副団長様に対してしっしと追い払う仕草をされた後、殿下はすっと私に手を差し出したので思わずその手を取ると殿下は嬉しそうににやっと笑われました。
「ライラの事は僕が引き受けよう。君は本来の業務に戻ってくれたまえ」
「……御意」
納得していなさそうな顔で副団長は礼を取り、私たちを見送りました。
手を引かれ回廊を歩きたどり着いたのは殿下の政務室でした。
その中へと導かれ私は驚きで目を見開いてしまいました。
「ごめんね。汚くって」
「いえ…あの…これは?」
殿下が言ったとおり確かにその部屋は棚から色々なものが取り出され、そして乱雑に仕分け途中のように放置されていました。
「この部屋はね王太子にあてられるものなんだ。だから僕はこの部屋を出て行かないといけないからね。ここに残して行くべきものと持っていくべきもの……それを仕分け中なんだよ」
「そう…なのですか……」
かろうじて座れるソファに座るように促されそこに腰を降ろすと殿下は真剣な目でじっと私を見つめてきました。
「殿下?そんなに見つめられては恥ずかしいのですが……」
「はは、ごめんごめん。ライラがここにいる事がちょっと不思議で……」
「連れて来たのは殿下ではないですか」
「そうなんだけど、今まではさ。絶対に叶わない事だったから……立ち去らないといけない身なのに嬉しくって」
そう明るく言う殿下の頭に手を伸ばし撫でると殿下は目を見開きそして笑いました。
「ありがとう、ライラ」
「いえ」
穏やかな時に胸が苦しくなるのは、なぜでしょうか?
「そういえば殿下」
「ん?」
気持ちよさそうに私に撫でられるままになっている殿下は瞑っていた目を開き小首を傾げました。
「場内がやけに騒がしく感じましたが…いつもこのようなのでしょうか?」
私がここに頻繁に訪れていたのはもう遠い昔ですがこんなにも騒がしくはなかったように記憶しています。
「あー、急に舞踏会を開くことになったからその準備中なんだよ」
「舞踏会?」
「もうすぐライラの元にも招待状が届くんじゃないかな?」
「この時期に……ですか?」
私が手を止めて思案していると、殿下は乾いた笑いを浮かべました。
「……弟のね。お披露目みたなものだよ。立太子式はもう少し先だろうけどとりあえず出来ることはするみたいだから」
「そう、なのですか……」
「ちなみに僕は出ないよ。出れないという方が正しいかな。裏方としては動く予定だけど……。ライラ、君が悲しむ事じゃないよ。君は君で楽しんだらいいよ」
殿下の言葉を聞き私はふるりと首を横に振りました。
「殿下がいないのにどう楽しめと……」
私が言葉を漏らすと殿下はぎゅっと私を抱きしめました。
「ああ、君はなんて可愛いんだろうね」
「殿下……」
「このまま聞いて、ライラ」
「……はい」
「実は僕の王位継承権はなくなるわけじゃないんだ。弟に繰り上げになるだけで僕にはずっと王族としての責務がつきまとう」
「え、そうなのですか?」
「うん。父上がね、お前の罪は国民に対してしっかり償うべきだって僕がここまで育ったのは国民がいてだからこそ。王太子の地位を失ってもその責務からは逃げてはいけないって……本当、その通りだね。僕は今まで以上に頑張らないといけない。……辛いこともたくさんあると思う。けど…君が……ライラがいればその全てが報われると思う」
そろりと殿下の背に手を回すと殿下は私を抱きしめる力をさらに強めました。
「………もし、戦争が起これば僕は最前線に立つよ」
その言葉を聞き、私の手にも力がこもったのが伝わったのか殿下は私の背中を優しく撫でられました。
「君がいるこの国を守りたい。……僕は君に待って欲しいと言ったけどそれは同時に君に覚悟をして貰わないといけない期間なんだ。僕のこれからの生き方はきっと君に辛いことをたくさん押しつけてしまう。けれど僕は君が欲しいし、僕の側にいて欲しいんだ」
ぎゅうっとこもる力に涙が零れ落ちました。
「殿下、私は言いました。待ちませんと」
「うん」
「そんな覚悟、今更です。貴方と共にありたいと願ったのは私なのです。だから殿下、私と共に生きて下さい。もし貴方が戦場へ出たとしても私の元へと帰って来て下さい」
「ライラ……君は……君は……」
ズズっと鼻をする音が聞こえ、さらに殿下の腕に力がこもったのです。
「……殿下、そろそろ苦しいですわ」
「はは、ごめんね」
涙を拭いながら殿下は笑い、そして私を解放しました。
「泣き虫なところは相変わらずですか?」
「今も昔も、僕を泣かせるのはライラだけだよ」
くすくすと額をくっつけながら笑い合うと殿下は私の頬を優しく撫でられました。
「ライラ、僕を婿として貰って下さい。君の弟が公爵家の跡取りとして育つまでしっかりと繋いでみせるよ?僕って意外と優秀だからさ」
「殿下が優秀なのは昔から知っていますわ。……けれど正式な手続きは踏んでくださいませ」
「もちろんだともライラ。ねぇ、ライラ……君にキスしてもいいかい?」
殿下と視線を合わせると熱を纏った瞳を向けられた。それに対して苦笑いを浮かべ「ダメです」と言えば殿下はがっかりとしたように大げさに肩を落としてみせました。
「ライラは相変わらず身持ちが堅い上に手厳しいよね。うん!わかった!諸々を済まして後のご褒美として楽しみにしておくよ。でもその時は手加減でき………」
殿下は目を剥き言葉を止めました。そしてまじまじと私の事を見つめたのです。
「お待ちしておりますわ。テオドア様」
私がキスを贈ったこめかみを殿下は押さえ、そして驚愕の表情をしていた顔を真っ赤に染めそして力なくソファに沈み込みました。
「僕は一生ライラには絶対に叶わないなぁ」
ぼやくようにいう殿下に私はにっこりと笑顔を向けてそして言うのです。
「貴方は私のテディなのですよ」
「ライラは僕のライラじゃないのに僕は君のなんだ?」
「はい。………だから、結婚式を挙げたのち、私を貴方のものにして下さいませ」
私の言葉に殿下はうめき声を上げました。
「………最高の殺し文句をありがとうライラ。君は僕の自制心を試しているんだね」
困ったように視線を向けてきた殿下は「本当にその時は絶対に手加減も我慢もしないからね」と子供のような態度で私の髪をすきました。
「あ!そうだ!ライラがこれから着るドレスは僕が全部選ぶからね!今回、我慢する代わりにそれだけは譲れない!」
突然の物言いにくすくすと笑うと殿下もつられるように笑い、そして私の頬にキスをひとつ。
「愛しているよ。僕のライラ」
頬とは言えキスはダメだと言ったのにそれでもしてきた殿下に対して浮かんできた文句はその一言で全て流されてしまいました。
私も貴方の事を愛しているのです。
あの部屋の庭で共に走り回ったあの時から、ずっと……。
神様が作った乙女ゲーム、恐ろしいと思うそのゲームの副産物がこんなに幸せでいいのでしょうか……。
それこそ本当に、神のみぞ知るという事なのでしょうね。