中編
仕入れたばかりの紅茶を味わう私の目の前でどんよりと陰鬱な雰囲気を醸し出す方がいらっしゃいます。
はい、彼も攻略キャラ役でした。いえ元とつけるべきですね。
「ライラ、僕はどうしたらいいと思う?」
「知りませんわ。ご自分で考えなさいませ。周りの忠告を聞かずあれほど突っ走った廃太子さまに私の口から何も言うことはありません」
「うぅ…廃太子って言うなよ」
「はいはい、殿下。とりあえずハーブティーでも如何ですか?気分が落ち着くかもしれませんよ?」
薦めたハーブティーを涙目になりながら飲む殿下を眺め小さくため息をついてしまうのも仕方がないと思います。
はい、彼はヒロインに熱を上げすぎて廃嫡した、我が国の元王太子さまです。
私の元婚約者さまではありませんよ?
向こうから婚約破棄を言い出したのです、例え乙女ゲームの強制力のせいだとしても今更 会う意味がありませんものね。
数日前にお父様が黒さを滲ませた笑みで「あの小僧」とか呟きながら元婚約者様の家からだと思う手紙を握り潰していたことも全く見ておりません。
別に私は怒ってなんていません。
全てはこの世界を乙女ゲームの舞台に選んだ神様の思し召し。
ええ、本当、別に怒ってはいませんよ?
政略的な意味合いの強い婚約とはいえ婚約者になった時から未来の旦那様に尽くそうと努力した事が全く無駄になってしまったとか思ってませんよ?
礼儀作法や淑女の心得、女主人のあり方等々、きっとこれから私の運命がどう転がってもとーっても役に立ちますからね?
本当に、怒ってなんて、いませんから!!
「始めて飲むけどおいしいね…」
カップを持つ手に力がこもった瞬間、ぽつりと聞こえた言葉に思わず殿下に視線を向けると殿下は涙を浮かべたまま少しだけにこっと笑っていました。
その事になぜかほっと安堵し、先ほどまで自分の中で渦巻いていた黒い思考が飛散していきます。
その笑顔がもっと見たくなりジャム入りのクッキーを殿下の目の前に移動させると殿下は不思議そうに首を傾げました。
昔からこのお菓子好きでしたよね?そう確認するように微笑めば殿下はぱちぱちと瞬きを繰り返し、そして…がたんと勢いよく立ち上がりました。
「そうだ!ライラ、僕と結婚しない?」
「お断りします」
「即答!!?少しは考えてよ!!!」
にこりとした笑顔を向けながらきっぱりと断ると、殿下は立ち上がった時と同じように不作法な大きい音をたて椅子に座り直しました。
そして殿下はひくっと頬を引きつらせ脱力していらっしゃいます。
そんな殿下に思わず苦笑いが浮かんでしまうのも仕方がないことです。
「殿下は…これからどうするおつもりなのですか?」
「……父上からは公爵位の配爵かそれなりの爵位ある家のご令嬢の婿養子に入れと言われているかな」
投げやりに答える殿下は頬杖を付きながら視線を下へと向けた。
陽の光に当たりキラキラと輝く金髪というよりもミルクティーを思わせる亜麻色の髪の毛と宝石のように輝く翡翠色の瞳は物語で語られる王子様そのもの。
いや王子様なんですけどね、……もうすぐ元になってしまうようですが。
「殿下のこれからが良い未来になることを願いますわ」
「……ありがとう」
ちらっとこちらに視線を向け、眉を下げ悲しげに笑う殿下はきっと後悔をしているのでしょう。
どこか気の弱いところがある殿下ですが、その心は王になるために幼い頃よりも磨かれていました。
良い王になるためにと寝る間も惜しんで勉学をされていたことも、自身の兵を率いる為に身体を鍛え騎士として実力をつけていたことも知っています。
私の母は現国王、殿下の父上の妹に当たります。母が騎士として国に仕えていた父に一目惚れをし、互いに心を通わせ先代国王の許しを得てそして母は父の元へと降嫁したのです。
国王はプライベートにおいては姪として私をたくさん可愛がって下さいました。
3つ違いの私たちは従兄弟同士でもあると同時に幼い頃からの友人でしたので私は国のためにと努力するその姿をずっと傍らで見ていました。
幼き日の良い思い出です。
それが全て思い出にならざるを得なかったのは私が公爵家の令息と婚約した日でしょうか……。
婚約者が出来た段階で私は彼以外の男性と2人きりで会うことを禁じられたのです。
私にとってそれがどれほど悲しいことだったかは、きっと殿下は知らないことでしょう。
「ところで殿下」
「ん?」
新たに用意されたミルクティーを味わっている殿下に声をかけると目を細めながら首を傾げました。
幼い頃を思い出す仕草にくすりと笑いが落ちます。
あの頃ずっと隣にあった人と離れることになり、そしてまたこうして一緒にいられることが不思議でなりません。
これが婚約を解消された事による副産物かと思うと少しばかり、心苦しくもあるのです。
「ずっと気になっていたのですが、どうしてヒロインの前ではご自分を偽っていたのですか?」
「……………」
「普段は僕という殿下が俺と自分の事をお呼びになり、強気に振る舞い、周りに対して尊大な態度をされている様は違和感が大きくて……」
「…………僕もよくわからないけど、そうしなきゃいけない気がしたんだ。彼女の側にいるときは特にね」
やはり殿下、————攻略キャラ役の方々にも強制力は働いていたのですね。
確信はしていませんでしたが、端から見ていると攻略キャラ役の方々の態度や言動はヒロインが側にいるときといないときでは大きく違ったのです。
周りは戸惑っている方が多かったのですが、なぜか攻略キャラ役の方々はそれを理解されていないようでした。
物思いに耽る私に殿下は不安げに視線を揺らしました。
「ライラはああいう態度をとっていた僕の事を軽蔑するかい?」
「いいえ、殿下は殿下ですし……どんな貴方でも私は受け入れます。……貴方があの様な態度をとる裏がきっとあるのだと。そう、……信じておりました」
正確に言えば信じていたというよりも、仕方のないことだと受け入れていたのかもしれませんが。
私が言葉を飲み込んでいると、ぐっと殿下は唇を噛みしめました。
そして一呼吸おき、泣きそうな顔で笑ったのです。
「…ありがとう、ライラ」
罪悪感と共に私は聞きたかったもう一つの言葉を続けます。
「殿下はどうなのです?」
「え?」
「私は………ヒロインに辛く当たりました、いえ良くも悪くも何もしなかったという方が正しいかもしれませんが……失望なさいませんでしたか?」
尻すぼみになる私の言葉を確認するように殿下は小さく頷きながら聞いていました。
「そうだね、僕も違和感が大きかったよ。優しい君が異世界に来て困っていた彼女に手を貸さない事が不思議だった。……婚約者の彼の事になるとさらに頑なになり心を閉ざしたようにする君に……寂しさも覚えた」
「そう、ですか……」
——それは軽蔑、ですか?殿下。
「でも、さっきライラは僕は僕だって言ってくれただろう?…同じだよ、ライラはライラだ。………僕のライラだ」
「殿下のではありませんけど……」
「また即答!?ここはちょっとは流されようよ!!」
「指摘が必要な事をおざなりにすると面倒くさい事になるのは知っていますので」
痛む心を隠してつんと澄ましながら、そう言うと殿下は困ったように笑いました。
「まぁ僕が言って良い言葉じゃないよね。僕は最低なことを散々していたから……なんであの頃は彼女しか見えなかったんだろう……」
それは乙女ゲームの攻略キャラ役に殿下が選ばれていたからですよ。だから気にしないで下さい。
そう言いたい気持ちがあるのに口が動かない。乙女ゲームに関わることを言おうとするとどうしても言えないことが発生するのです。
悲しげな笑みを浮かべる殿下に真実を教えたいのに…何も言うことが出来ない……苦しい…。
殿下、大丈夫ですよ。貴方は変わっていません。
殿下は私をみつめ大きく目を見開いたかと思うと私の頭をぽんぽんと撫でました。
「泣かないでライラ。僕もライラがああいう態度をとるには理由があるんだと思っていた。ね?そうでしょう。言わなくても良いよ。僕だってライラを信じてるから。僕の中でのライラは優しくって可愛らしい女の子なんだ。ずっとずっと、僕のライラなんだ」
「だから…殿下のでは…ありませんと……」
霞む視界と殿下の言葉に自分が泣いている事に気がつき涙を払おうとすると、それよりも早く殿下は私の頬の涙を拭いました。
「僕はね、昔…ずっと側にあって、この手の内にあると思っていた大切なものを失った。失うがあんなにも辛いということを知った。……ああ、それを言うと今回の事もかな。この国をさらに良い方向へと導きたかったのに、ずっと僕はそのために存在すると信じていたのに……僕の愚かな行動でその資格さえも失った。……僕は結局何も過去の事から学べていないのだね」
過去を思い出し、ひどく悲しげな、苦しげな口調で殿下は自分を卑下したのです。
どうすれば良いのでしょうか……この方を、この方を幸せにするためには……。
「私は知っていますよ」
「え?」
「貴方の努力を、貴方の思いを……だから私は…貴方は大丈夫だといつだって信じているのです」
そう言いきると一瞬の沈黙が落ち、殿下は泣きそうな顔のまま私に腕を伸ばしました。
けれどその腕は私に触れることはなく、殿下はただ首を振り堪えるように下へと降ろしたのです。
「僕……勘違いしてたかもしれない……」
「え?」
「…昔に失ったと思っていたものは何も失ってなかったのかもなって。……そう思うと今回の事はチャンスなのかもしれない」
「チャンス……ですか?」
「うん。あの時とは立場が変わった。あの時はどうしようもなかった事から解放されたんだ。掴めるかもしれない。僕の…僕の大切なものを……」
殿下はそう言って私をじっと見つめてきました。
そして先ほどまでの泣きそうな顔が嘘のように、柔らかく笑うとまた、私の名前を呼びました。
それは大切で大切で仕方がないと言いたげな響きを含んでおり、どきどきと私の心臓の動きを速めました。
「ねぇ、ライラ。僕にチャンスをくれないかい?」
「……殿下」
「僕、一から頑張ってみるよ。……もう、王太子には戻れないけど……僕は僕として君の隣に立つにふさわしい人になりたい。……だから待っててくれないかい?」
「嫌です」
「即答!!?ぶれない!!!ライラがぶれない!!!!いますっごい良い雰囲気だと思うんだけど!!?」
だんとテーブルを両手で叩きつけたあとに殿下は頭を抱えて明らかに落ち込みをみせています。
「ただ、まぁ私の新しい婚約者などすぐには見つからないと思うのです」
「え?」
勢いよく顔を上げて私を見つめる殿下に対して苦笑いが浮かぶのも仕方がないことでしょう。
「今回の婚約破棄で父が大変立腹していましてね。父と母は元々恋愛結婚ですし、子供である私にもそれを望んでいたのです。けれどあの時、私は婚約を受け入れるしかありませんでした。それが最善だと思ったからです。けれど殿下が言ったようにあの時とは状況も違いますし……」
お分かりですか?と首を傾げてみせると殿下はぽかんと口をあけたまま固まっていらっしゃいました。
「え、あ、う…」
単語にもならない呟きを繰り返し、ようやく理解が及んだのか、殿下の翡翠色の瞳にきりっと力がこもったのです。
「1年、いや半年……それよりも早く!僕はライラ君に正式に求婚する!待っていてね!!!」
「嫌です」
「ライラ!!」
「待ってあげません。だからお早くお願いしますね」
にっこりと笑うと殿下は心から嬉しげな笑みを浮かべ「頑張るよ!」と力強く言いました。
「じゃあ、のんびりもしていられないね。……父上に今日の事を報告してもいいかい?いや、ちゃんと地盤を固めてからの方がいいのかな……」
考え込む殿下に対してくすくすと笑いを向けると、殿下もにこと笑いました。
「ライラの笑顔は昔とちっとも変わらないね。可愛い。大好きだ!」
殿下の言葉にぎょっと目を見開くと殿下はにこにこと笑ったまま、言葉を続けました。
「いつかさ、急がないから…昔みたいにまた僕の事を呼んでね」
「……ええ、いつかは」
うん、うんと嬉しげに頷く殿下は私の頭をぽんぽんと撫でます。
なぜか恥ずかしくなって頬に熱が集まってしまいました。
この時、殿下の笑顔も昔とは変わっていない、私が本当に大好きな笑顔だったのです。