通称根暗
話は動かない。
ジャキン―――――――。
目の前で円盤状のカッターがその金属音を鳴らした。
それは、くらえば一撃で首がもっていかれるような恐ろしいものだ。
現実でならば。
この世界においては、違う。
腕を振りかぶり、円盤が来るのに合わせ――――振り下ろす。
ガキン。
金属と金属が衝突したような音が鳴る。
それは、振り下ろした腕と円盤が衝突した音だ。
回転する円盤と、腕が激しい音を立てる。人の肉体なら一瞬で腕がとんだであろう。
首を狙って放たれたであろうその一撃は、間に割り込まれた腕によって向きを変えられ、近くにあった岩盤に衝突した。狙いが変えられた円盤は、岩肌で粘り強く回転し続けるが、その半分が埋まった所で動きを止めた。
なかなかの威力だ。近接格闘のみのこちらとしては少し羨ましい。
が、もうこちらを狙ってもいない攻撃に向ける意識はない。
それまで岩に集中していた意識を、円盤を放った相手に変える。
その焦点に収まっている相手の姿は茶色い、金属のような体だった。それは意識は人間だが、体は仮想の物だ。その体に意識を集中する。
一連の出来事は相手にとって予想外の事態だったらしく、僅かに息を飲む気配が感じられた。
――――はっきり言って隙だらけだ。
相手の隙を確認。
動きを止めた相手に向かい直進方向に加速。後一メートルといった所で跳躍し、そのまま相手の頭、米神に回し蹴りを叩き込んだ。
太い鉄が折れたような鈍い音と共に、相手の体が吹っ飛ぶ。
人の弱点を的確に捉えたその一撃は相手の命を刈り取るには十分だったらしい。
相手は吹っ飛んだ先でそのまま倒れこみ、その金属のボディを散らした。
それと同時に、軽快な音と共に目の前に『you win』とロゴの書かれたウィンドウがでる。その結果は見るまでもなかったので、他の記載を見る。
ウィンドウの右下に目をやる。『you win』とばかばかしいほど大きく書かれた、画面にもう一つ記載されているもの。それはポイントの移動。こちらの順位は上がらなかったが相手の順位は落ちたらしい。相変わらずシビアだ。最早姿の消えた相手もさぞ悔しがっていることだろう。
この世界において順位が一つ下がるということは、一つではなく急激に下層に落下していくことと同義だ。
ふと目をやると、ロゴの右下のリベンジタイムのカウントがゼロになるところだった。その瞬間、目の前が暗くなる。
そして。
次に目を開いたとき、目の前にあったのは先ほどいた荒野。
の、画面。微細な画素で表示されたその景色は確かに先ほどまでたっていた荒野だ。
中央にはさきほど立体的に見た『you win』のウィンドウが平面に開いている。
今戦っていた相手は、あまりに多くのリベンジをすることで知られているらしい。リベンジマッチを挑んでこなっかたのは少々意外だが、こちらとしてはありがたかった。
僅かながらに存在する勝利の余韻に浸るのを止め、部屋に唯一ある時計に目をやる。その時間を確認し、頭に被っていたヘッドギアを外す。
ヘッドギアの下から現れたその顔は、無表情の少年のものだった。少年はそのまま、ヘッドギアからパソコンに繋がれたプラグを抜いた。
本体の電源ボタンを押し、電源を落とす。機械特有の停止音が鳴るのを確認した後、座っている椅子に深く腰掛ける。
ふぅ、と溜息をつき、物言わぬ箱となったパソコンから離れる。椅子から立ち上がり、部屋の隅に無造作に置いてある鞄を持つと部屋を出た。
リビングのある一階に降り、玄関に向おうとするとその途中で机の上に何かが置かれているのに気づく。
『食べてください』と書かれた紙の下には朝食べるには多すぎる量の朝食が置かれていた。それを少年はどうでもよさげな瞳で見つめる。
そして何も見なかったかのように、素通りし、棚の上にあるカロリーメイトを鞄に入れる。喉が渇いていたので水道から直接水を口に含んだ。
喉を癒す水を飲みこみ、口の周りに跳んだ水を右腕で拭く。そのまま空いている左腕で鍵、カードを掴み、家を出た。
前時代的な鍵の音が玄関の扉を閉じたと同時に鳴る。オートロックの鍵が閉まるのを確認すると、扉から離れる。
息が白い。冬特有の刺すような寒さが肌に触れた。少年は皺のよった学生服のポケットに少し赤い手を突っ込み、家の敷地から出る。
少年の家は住宅街にある。2064年の今、珍しく半世紀前の面持ちを残している場所だ。そこは住宅街の割に道は広いが、車が通っている様子はない。人もほとんどおらず、その場は朝特有の静寂に包まれていた。
住宅街を五分ほど歩くと、公道に出る。今まで人とも車とも会うことはなかったが、さすがに公道には車が多く走っており、人もいた。
その全てが見覚えのない人たちではあった。会ったことがある人もいるのかもしれないが、覚えていないので関係ない。住宅街よりも微妙に幅の大きくなった道を気怠げに進む。
公道を歩いていると、ポツポツと少年と同じ制服を着た生徒が見え始めてくる。そのなかには顔だけ知っている者もいたが、近づいて話すなんてことはしなかった。寧ろ相手は少年を避けている節があった。
そのことには何も感じないが、それにより生じる気まずさに若干の嫌悪感を憶える。相手から目を離すと同時に忘れたが。
公道を歩くこと十分。家を出てから十五分。
都会的な街の中でも一際大きな建築物が見えくる。全体的に白く、金属感を感じさせるその建物は少年の通っている学校だった。
最も通っているとは名ばかりで実際には通っていないのと大して差はない。
その学校を視界に収めたまま、歩くと学校の校門が見えてくる。そこには、生徒だけでなく、朝から塾か何かの広告をしているのか、ビラと共に笑顔を振り撒く女性がいた。
そこまで行くと一人二人ではなく、十数名の学生服の人たちがいる。生徒たちはそれぞれ楽しげに談笑していた。
少年がその中に埋もれると、少年の周りだけが開いた空間になる。ビラ配りの女性すらも少年には寄ってこない。
あからさまに避けられている。
が、そんなことは今更関係ない。とる行動は無視だけだ。
下駄箱に靴を入れ、一年の教室がある棟に足を進める。1―Bと書いてある教室に後ろの引き戸を開け教室に入った。
教室に入った途端今までがやがや話していた連中が、ひそひそ声に変わった。それだけで周りが自分の話をしていることが分かるが、少年は気にすることはない。
窓際の一番後ろ、教室の隅にある自分の席に座る。
学校に入ってから何度か席替えをしたが、少年の席は変わったことがない。高校の席替えはコンピュータによるランダムのはずなのに、一度も変わったことがないというのはおかしい話だ。
恐らく少年の噂を聞いた、教師側が何らかの工作をしているのだろうが、この席は少年も気に入っていたので都合がよかった。
教師側が工作をしていることにより、少年の評判はさらに悪化しているのだが、そのことは教師側はともかく少年は気にしなかった。
席に着き、鞄の中から本を取り出す。
その様子を周りの生徒たちは「根暗」「陰湿」と言っていたが、本の中の世界に入り込んでいる少年は気づかなかった。
『根暗』それが少年についたあだ名だった。その言葉は直接少年を指すものとして使われるほどに。
『Hacking・to・the・world』episode1:通称根暗Common name gloomy person.