おっさんも捨ててはいけません
ちゃんと持ち帰りましょう
ふと目覚めると部屋の時計はAM5:00を指していた。どうやら居間で眠ってしまったらしい。
(なんなんだろうこの魔術師の秘密基地というファンタジーにいるのに、文明の利器に囲まれているこの感じは…)
外に出れば、ちょうど朝日が昇るところだった。
伸びをして、深呼吸をする。早朝の澄んだ冷たい空気がとても心地よかった。
縁側に腰を掛けて、昨日の続きを思い浮かべる。
(俺が、現状でするべきことは、この『グリモワール』の解析だろうな…昨日は魔術が発動しなかったけど、この秘密基地のことを考えると本物だ
しばらく帰らなかったとしても、心配するような人間はいないだろうし。居心地のいいここでのんびりするかね)
近年ありえないほどのやる気に満ち溢れていた。
(うまくいけば本気で俺、魔術師になれるっぽいし!いやっふー)
それから、徹とこの『グリモワール』との戦いが始まった。
いや、戦いっていうほどのものじゃないし、かなり楽しかったんだけどね。
まず、この『グリモワール』は魔術書なんてちゃちなものじゃなかった。
神崎司という名前の魔法使いの一生を記してあった。
なんで日本人?っておもったが、日本出身で魔法使いになった人だったらしい。
それは、女神に恋をした愚かな魔法使いの物語。なんか陳腐とか思いながら読んでいたのだが、後半に入ってそんなことを思っていた俺を殴りたくなった。
なみだ、なみだ、の超大作。なんでそこっでええええと何度つっこみを入れたことか。神崎さんかっけえええとなんどおもったことか。
美しい褐色の魔族との燃えるような恋、金髪碧眼の聖女との切ない愛に涙した。
ある時は戦乱にあえぐ世界に軍師としておりたち、ある時は指導者に恵まれない世界での王として、ある時は種族間のいさかいが激しい国の仲裁者として、様々な物語を紡いでいた。
そこで一番目につくのは、神崎さんのカリスマ性。多くを語らず、ただ最小限の言葉をはき、行動が―味方にだけ見せるその背中が雄弁に物語る。
『必勝』という幻想のような物語を。
結局一通り-神崎さんの一生である4500年を-『グリモワール』を読み終わるのに、1ヶ月ほどかかってしまった。
読み終わってみると、そこには超大作を読み終わったようなほっこりとした気持ちを胸に抱いていた。
「やばい、俺もこんな人になりてえ!」
簡単に影響される俺は、神崎さんを心の師匠とあがめることになる。
そして、もう一つ分かったことがある。自称神のヴォルフ君のことだ。
神崎さんの作った、魔道生命体だった。
なんで、自分のことを神様だと勘違いしちゃったのかは謎だけど、神崎さんと同等の知識と能力を持っているらしい。
だけど、『グリモワール』をよんでみても、ヴォルフくんが何を考えているのかさっぱりわからない。
『グリモワール』を読み終わってから、俄然やる気の出た俺は本格的に魔術の修練に入るのだった。
あまりに熱中しすぎて、気が付いたら5年ほどの歳月がたつほど、それは面白く魅力的だったのだ。
5年の歳月がかかったとは言うがそのうち4年は一つの魔術の習得にのみかかった。
それは、自身の改造である。己が体を、魔術を使うために最適化する。
人間とは、肉体という器に、未熟な魂が宿り生まれてくる。魂は人間が生きていくうちに、その肉体の形に添うように成熟していく。
これは、その魂を改造する手段であった。
それは魔術回路を魂に新しく作る。それもいい加減ではなく。ちゃんと魔力が循環するように。
この魔術回路のできにより、自身の魔力を爆発的に増加させることができるというものだった。
これは、もともと神崎さん自身が少ない魔力量をどうにかするために編み出したもので、基本にして、彼の使う魔術における秘奥というべきものだった。
しかし、これは魂の改造つまり、失敗すれば死よりも恐ろしい魂の崩壊につながる狂気沙汰でもあった。
常に死と隣り合わせという狂気の中、俺はなぜか全く恐怖を感じることはなかった。
もしかしたら、この時から人間として大切なタガが外れていたのかもしれない。
そんなさなか、魂に少しずつ魔術回路というものを刻み込んでいく。
一瞬でも気を抜けば死ぬ、そんな緊張感がたまらなく楽しかった。
それを4年続けた。実際のところは楽しくなって、魔術回路の構図にこりすぎたせいでもある。
そしてこの魔術が秘奥であるもう一つの理由に、この魔術を使うと脳が活性化される。というより、今まで情報処理を脳でやっていたものが、魂で行われるようになったという感じだろうか。
記憶力の上昇、情報処理能力の向上、想像力の向上、理解力の向上、瞬間処理能力の向上といったスペックが向上する。
これにより、『グリモワール』の解析が上昇し、1年でだいぶ魔術を習得できた気がする。
とはいえ、神崎さんの残した魔術は1つではない。
陰陽道からはじまって、精霊魔術、言語魔術、黒魔術、白魔術、呪術、召喚魔術、文字魔術、印章魔術etc.といった果てしないほど膨大な量の魔術様式が残っていた。
中には魔術を超えて『神の奇跡』を手繰るすべすら乗っていた。
そしていま徹は、引きこもりに飽きた。
強大な力を手に入れたらそれを試してみたいと思うのが人の性でして…
庭の案山子に向けて魔術を放つのは飽きまして…
5年も引きこもっていると人が恋しくなりまして…
そういう理由で、秘密基地から出る覚悟を決めた。
外に出る前に、初めて『工房』のほうに顔を出してみた。そこもやはり無人だった。
今までなぜいかなかったかというと、工房というのは神崎さんが魔術を研究したり、薬品を作ったり、魔術具を作ったりするところらしい。
いまだなんちゃって魔術師の俺がおいそれと手を出していいところではないと思っていたし、単純に危険だったからだ。
だけど、今回は目的があった。神崎さんが愛用していたというトレンチコートがほしかったのだ。
材質はよくわからない皮っぽいが、対衝撃防御魔術、対魔術防御魔術、自動修復機能、自浄作用、自動温度調節機能などがついている。しかも、防刃、防弾仕様というところが神崎さんらしい。
しかも見た目が、ポケッタブルトレンチコートで、できる大人感がとても出ている。
そして、武器も選んだ。選ぶほどなかったが、俺の使えそうな一振りの剣を選んだ。
それは、片刃で日本刀のように沿っているが、日本刀ではなく。西洋の直刀と日本刀の中間のような剣だった。
その剣には名前がなく、剣の茎の部分には一文字“月”と彫ってあるので、勝手に剣を『月』と呼ぶことにした。
ついでに工房に残っているポーションやエリクサーなどを拝借した。もてる量はコートについているポーション専用のポシェットだけだが、使ったらまたここに補充しに来ればいい。
ただ、この工房に残っているポーションを使い切る前に作れるようにならないといけないと感じた。
こうして準備万端に整った俺は、意気揚々と秘密基地を後にした。
5年ぶりに再び森を歩いていた。
相も変わらず、森はじめじめしていた。だが、5年前にはへとへとで歩いた悪路を今はすいすいと歩き回れる。
そうなった理由はやはり神崎さんだ。
心の師匠たる神崎さんが武術の才能がないとわかっていても、魔術師であるのにもかかわらず、武術に打ち込む姿に感動した。
そのノリで、同じように体を鍛えたため、引きこもりのくせに割と筋力がある。
しばらく歩いていると何かが出てきた。
(これは!テンプレどおりにスライムが出てきて俺の成長っぷりに舌を巻くのだな!)
テンションのあがった俺は、“それ”に向かって戦闘態勢をとる。
しかしそれは、ゲル状ではなく、小鹿ほどの大きさの動物だった。
「Oh…KOZIKAスタイル!ふぅ…ライバルじゃなかったのか…ほらほら、お兄ちゃんのあるふれるリビドーに当てられないうちにどっかいっちゃいな」
手でしっしと、ジェスチャーをする。
しかしその小動物は何を思ったのか頭を少し下げて突進してきた。
その頭には小さい突起が3本ほど生えている。
油断していた俺は食らいそうになるが、無駄にスピンジャンプをしてそれをよけた。
「Oh…実はスライムも修行して5年間で小鹿になったということか!ならば俺も手加減はしない」
テンションが上がっていたので、ちょっと頭がわいていた。
「☤」
俺の手のひらからほとばしる青白い炎が一直線に小鹿に飛んでいき、小鹿を焼き尽くした。
そこには、小鹿の姿はなく、焦げと肉の焼けるにおいだけが残った。
使った魔術は、言語魔術といわる。魔力を込めた力のある言霊により、事象に干渉し、望む現象を発現させる魔術だ。
あの時は、長々と呪文を唱えていたが、すでに『高速言語』を習得した俺には中級魔術までは一音だけで発動させることができる。
神崎さんは言語魔術なのに、上級魔術すらなぜか一音も発せず発動できていたが…
俺は5年前の復讐(?)を果たすと、再び元気に森を脱出するために移動を再開した。
しばらく歩いていくと無事に森を出ることができた。
そこはちょうど街道になっていた。別にアスファルトや石畳で舗装というわけではなく、人が通るので地面がむき出しになっているといった感じだった。
(さて…やっと街道に出たけど、問題はここがどこかってことだな。『グリモワール』には何度も世界を渡って別の世界にいく、くだりがあったし、ここが異世界だったとしても不思議じゃないな。スライムとかよくわからない小鹿のことを考えたら十中八九異世界だろうな…)
街道を見つけたので、街道沿いに歩くことにした。
(街道があるってことはこの道は少なくとも人あるいは、それに類するものが住んでいるはずだね)
完全に楽観して歩いていた。なぜなら、いざとなったら秘密基地に逃げ込めばいいからだ。
あそこに入って入口を占めてしまえば、誰も入ってこられない。
そうやって、元気に街道を進むのであった。
3時間ほど歩いただろうか、俺は深刻な問題に直面していた。
「……なにも…何も起こらない…」
この時点で、俺はここが異世界だと思っている。むしろ異世界だったら楽しいなと思っていた。
そして、ゲーム脳を持つ俺は、この街道を歩くことによってイベントが起こると確信している。
なのに、何も起こらない!むしろ人っ子一人いない!
(いや…そんなことはない。早まるな俺。きっと、今に美少女が道に落ちているはず…盗賊に襲われているはず…奴隷に落とされて泣いているはず…段ボールに詰められて拾われるのを待っているはず…)
テンションだだ下がりで歩いていると、はるか前方にうずくまっている人が見えた。
「ふぉおおおおお!きたこれ!いっま助けに行くよおおおおん。☯」
『身体強化』の魔術を使い、猛ダッシュをかけた。気分的には音速である。
多分実際に100㎞/時以上出ていたのではないかと思う。
「㍵」
魔術により慣性の法則を無視して、急ブレーキをかける。
「どうしました?お加減が悪いのですか?」
気合を入れてそう声をかけた相手は…ナイスミドルのおっさんだった…
(もうやだ…)
その時、徹の心はバッキバキに折れ曲がっていた。