第六話 最強の実力
タクトは眼をパチパチとさせて、何度も目の前にいる女の顔を確認した。されど、何度見てもその顔が変わることはない。深海を思わせる深い蒼の瞳に、高く筋の通った造形美を誇る鼻。その唇は深い薔薇色で、頬は引き締まり、肌は戦いを生業とするものとは思えぬほど白い。その絶世のと形容するのがふさわしいその容貌は、間違いなくタクトが何度もその写真を憧れの眼差しで見た迷宮武闘会優勝者、炎剣のエリシアのものであった。
「な、なんであなたがここに?」
「理由は後で説明しよう。いまはそんなことより……」
エリシアは厳しい目つきをすると、後ろを振り返った。タクトもそちらに視線をやると、壁に叩きつけられている黒い何かがゆっくりと起き上ってくるのが見える。エリシアに壁へと叩きつけられたミノタウロスゾンビが復活したのだ。しかもその眼光は先ほどよりも鋭さを増していて、濃密な殺気をはらんでいる。タクトと戦っていた時の余裕はどこへやら、今のミノタウロスゾンビは怒りの権化と化しているようだった。
目の前に迫る恐怖。タクトの顔がにわかに蒼白となり、血の気が抜ける。だが、それとは対照的にエリシアは口元をニッと歪めた。彼女は腰から剣を抜き放つと、ミノタウロスゾンビに向かって歩いて行く。
「……大した化け物だ、もう少し楽しめるかな」
「ウグオオオ!!」
戦いの開始を告げる咆哮。それとともに、ミノタウロスゾンビの拳がタクトの視界から消えた。何かが空を裂く強烈な風切り音が響き、同時に前方の床が爆発したかのように吹き飛ぶ。まさに眼にもとまらぬというのがふさわしい、信じがたいまでの速さでの攻撃。タクトは背筋を冷やした。彼の頭の中で、エリシアが吹っ飛ぶ映像が再生される。
だがしかし、エリシアは吹っ飛ばなかった。というよりも、すでにその場からは消えていた。タクトは慌てて周囲を見渡したものの、その姿が視界に入ることはない。エリシアは完全にどこかへ消えてしまっていた。
「消えた! どうなってるんだ!」
『消えたわけじゃない! 超高速で移動しているんだ!』
「レイさん、エリシアさんが見えるの!?」
『何とかな。ほら、いま怪物の後ろに回り込んだぞ!」
「えッ!」
タクトはどうにか言うことを聞かない身体を動かして、ミノタウロスゾンビの後ろを見た。すると、不意に景色がぼやけたようになりエリシアの姿が現れる。ミノタウロスゾンビは驚いたように後ろを振り向いたが、もうすでに遅い。ヒラリ、剣が一閃。黒鉄のような背中を白光が走り、深い傷が刻まれる。腐り果てたような血が飛び散って、迷宮の床が濡れた。
「アガアアアアア!!」
「だいぶ深く斬ったはずだが、ずいぶん元気が良いな。まだまだ大丈夫か?」
エリシアは眼を細めると、ますます怒りに狂うミノタウロスゾンビに勢いよく攻撃を開始した。彼女は敵の速い攻撃をすり抜けながら、瞬く間にその身体を斬っていく。剣が増えて見えるほどの速度で振るわれ、次々と血や肉が飛び散っていった。バサリ、バサリと音を立てながら腐った醜悪な肉がはがれおちていく。一方的な『解体』。そう表現するのが適切なほどのワンサイドゲームだった。
だが、ミノタウロスゾンビはしぶとかった。全身を切り刻まれようとも、体中の肉がそぎ落とされようとも、恐ろしいまでのタフさで攻撃を仕掛けてくる。さすがのエリシアもだんだんと、このモンスターの異常なまでの生命力に嫌気がさしてきた。アンデットモンスターはタフさで知られている存在だが、さすがにもうそろそろ死んでもいい頃だった。
「まったく、仕方ないやつだ」
エリシアは舌打ちすると、剣をわずかだが振りかぶった。渾身の一撃。これまでとは比べ物にならない重い一撃がミノタウロスゾンビの腹を大きく凹ませ、その巨体を宙に浮かせる。そのままミノタウロスゾンビは壁へと叩きつけられ、深くめり込んだ。黒鉄の怪物は、めり込んだ身体を引きずりだすために奮闘を始める。骨が晒されている手足がバタバタと振りまわされて、天井から煙のような砂埃が落ちてきた。
少し離れたところからそれを確認したエリシア。彼女は剣を天にかざすと、素早く口を開けた。凛とした張りのある声が、迷宮内に朗々と響く。
「スキル発動! 剣が纏うは火刑の炎!」
エリシアの後ろに、人影が現れた。白い衣をまとったその人影は朧げで姿がはっきりとせず、手には十字架を掲げている。象牙でできているような純白の十字架の先端には、炎が灯っていた。どこか闇を思わせる、深い紅の炎が。エリシアはそれを神妙な面持ちで見ると、剣を炎の方へと近づけた。
剣に吸い寄せられるかのように炎が伸びる。炎は蛇のようになって、かざされた剣に巻き付いた。銀色をしていた剣が紅く染まり、黄昏のごとき輝きを帯びる。エリシアはそれを上段に構えると、いまだもがいているミノタウロスゾンビを睨みつけた。
「不浄なる者に滅びを」
閃く紅い光。剣が光の軌道を宙に描きだし、ミノタウロスゾンビの体に線条を刻んでいく。巨大な身体を無数の光が走り、傷口から炎が噴き出す。炎はとどまることを知らず、たちまちのうちに黒い身体を覆い尽くしてあたりを焦熱の地獄へと変えた。焦げる肉、沸騰する血。ミノタウロスゾンビはのたうち、絶叫しながらもむなしく灰と消えていく。
しばらくして炎が消えた後。ミノタウロスゾンビのいた辺りにはわずかな焦げ跡と、紫色をした魔結晶が残されただけであった。タクトとレイは半ば茫然とした様子でその惨状を見つめる。
「すごい……。これが最強探索者の実力なのか……!」
『なんという威力……』
二人はしばしの間、そのままの状態で沈黙した。その間にエリシアは結晶を拾うと二人、正確にはタクトに近づいてくる。そして彼女は彼の肩に手をかけると、優しい笑みを見せた。
「さて、これで邪魔者はいなくなったな。早くギルドへ帰ろう。いろいろな話は向こうですればいいから」
「そ、そうですね」
「別に畏まらなくていいぞ。最強などと呼ばれているが、私はただの探索者だ」
エリシアはそういうとタクトに肩を差し出した。タクトは彼女の肩を借りて、なんとか立ち上がる。そして二人は、ゆっくりと迷宮から脱出していったのだった――。
タクトが迷宮から脱出したころには、すでに日が暮れかけていた。真っ赤に燃える夕陽が、摩天楼の隙間からタクトの目に飛び込んでくる。タクトは夕陽に染まる神殿や中央広場の様子を、なんとも感慨深い思いで見つめた。たった半日前に見たばかりなのに、もう何か月も見ていないかのような不思議な気が彼には下。それだけ、タクトにとって今日は密度の濃い一日であったのだろう。
そうしてタクトが立っていると、彼の身体からふわふわと湯気のようなものが出てくる。憑依していたレイが、彼から離れたのだ。彼女はタクトの身体から出てくるや否や腕を伸ばして、グーっと背筋を反らせた。
「やっと帰ってこれたな。一時は死ぬかと思ったぞ」
「もう死んでるよ、レイさん」
「あ、そうだったな」
二人の間でワッと笑いが起きた。それにつられるようにして、隣に立っていたエリシアも口を押さえて笑う。そうして三人の間にとても和やかな雰囲気が漂った。するとその時、遠くの方から「おーい」と彼らを呼ぶような声が聞こえた。三人が声のした方に振り向いてみると、そこには最初にミノタウロスゾンビに追われていた少女が立っている。彼女は振り向いたタクトたちの顔を確かめると、どこかで見覚えのあるエアバイクを引っ張りながら全速力で駆け寄ってきた。
「よかった! あんた生きてたのね。死んだんじゃないかと心配してたわ」
「まあね、エリシアさんが来てくれたおかげでなんとか生きてるよ。心配してくれてありがと。……えっと、君の名前はまだ聞いてなかったよね?」
「私はセラ。あんたの名前は?」
「タクト」
「そう、タクトって言うんだ。良い名前じゃない、しっかり覚えとくわ」
セラは懐からメモ帳を取り出すと、彼の名前をささっと記入した。それをタクトは、どこか気恥ずかしそうな顔をしてみる。タクトがこの街に来てからかれこれ一カ月以上が経過しているが、ずっとソロで通してきた彼に探索者、しかも女の子の知り合いができるのは初めてのことだった。
そんな二人を、エリシアとレイは温かい顔をして見守っていた。だが、タクトとセラが話を始めたところでふとエリシアがあることを思い出した。彼女はセラの方に顔を向けると、おもむろに話を始める。
「ところでセラ……。そのバイクを持ち主に返さなければならないんじゃないか? たしか置いてあったところから勝手に借りてきてしまったんだろう?」
「ああ、今もとの場所に返そうと思ってたところです。下手にギルドとかに預けたりしたら逆に持ち主の人にわかりにくいだろうから」
「それもそうだな。だったら早速戻してくると……」
「その必要はないわ」
どこか冷たい響きの声が、エリシアの声を遮った。四人は声のした方角へとサッと振り向く。すると彼らの目に、どこか冷たい表情をした少女が飛び込んできた。彼女は四人の方へスタスタと歩み寄ってくると、セラからバイクのハンドルをひったくる。
「ちょ、ちょっと! あんた何者よ!」
「このバイクの持ち主」
「えッ、それホント?」
セラは少し疑わしげな顔をして少女の顔を見た。エアバイクというものは総じて高い。セラの知っている一番安いものでも、一流探索者の年収ほどの値段がする。ゆえにセラにはとても、このまだ顔にほんのりと幼さの残るこの少女がバイクの持ち主とは思えなかった。彼女は何度も疑り深い様子で少女の顔を見る。するとタクトが、彼女の方を見ていった。
「間違いなくこれはこの子のバイクだよ。乗ってるところを見たもの」
「そうなの?」
「私もそれは見たぞ。間違いなくその子が乗っていた」
「二人がいうなら確実か……」
タクトとレイの二人に言われたセナは、ふうむとばかりにうなずいた。そのまま彼女は気まずそうに顔をゆがめる。そして恐る恐るといった様子で、少女の方へとゆっくりと顔を向けた。
「ごめんなさい。疑うようなことをしちゃって」
「構わない、慣れてる。それよりも、どうしてあなたは私のバイクを勝手に借りていったの? その理由の方が気になるわ」
「実は、どうしても急がなきゃならない事情があってね……」
セラはつらつらと、今に至るまでの経緯を述べ始めた。彼女が襲われたこと、タクトに助けてもらったこと。そして、助けてもらったタクトのためにギルドへと急ぐべく、バイクを借りていったこと。それらのことを身振り手振りを交えながら、彼女は非常に流暢な口調で説明をしていく。
「……ということであなたのバイクを借りたの。勝手に借りたことは悪く思ってるわ、ごめんなさい」
「ミノタウロスのゾンビ……ね。まあいいわ」
少女は一瞬、眉をゆがめたがすぐに元の無表情に戻った。彼女はそのままそそくさとバイクに乗りこみ、立ち去ろうとする。だが、彼女はふと何かに気がついたようにタクトたちの方へと戻って来た。彼女はタクトの顔を見ると、どこか底知れぬ笑いを浮かべる。
「そうそう、あなたに一つ忠告しておいてあげる」
「忠告?」
「ええ、そうよ。私からおバカさんのあなたへの大事な忠告。くだらない人助けなんてしないことね、弱者は見捨てるものだわ」
「えッ!」
タクトは唖然とした。少女が言ったことを彼は、理解しかねたのだ。彼はその場に、茫然と立ちすくむ。少女はそんな彼をみると、視線を横に移してエリシアの顔を見た。その目は、いやに挑発的だ。
「ついでにエリシア。あなたは今度の迷宮武闘会に出場しないことをお勧めするわ。私に不様に負けるのは嫌でしょ?」
「な、なんだとッ!」
少女はニヤッと笑うとバイクに乗りこみ、夕焼けの彼方へと消えていった。タクトたちは言葉を失い、その姿をただ見送ることしかできなかった――。
スキル名が……
日本語の名前はともかく、ルビの部分のネーミングセンスがなさ過ぎですね
誰か、オラにネーミングセンスを分けてくれ!
※加筆しました
……もし、こんな名前や効果のスキルはいかがでしょう?という提案のある方いらっしゃいましたら感想欄までどうぞ
必ず採用するとは言えませんが、ちょっと検討させていただきます