第三話 大迷宮と少女
二人が試練をクリアした翌朝。さわやかな陽光が摩天楼の隙間より降り注ぎ、よく冷えた涼やかな風があたりを吹き抜けている。すでに宿から大迷宮へと出発していたタクトとレイは、迷宮へと続く通りをゆっくりと歩いていた。迷宮へと続く大通りには、二人と同じような探索者やその守護霊たちがすでに集まっている。探索者たちの朝は基本的に早いのだ。
二人は若干緊張した面持ちをしながら通りを歩いていた。その足取りは速く、固い。初めて大迷宮を探索する二人は、緊張を隠し切れていなかった。二人の間には、いつも交わされている他愛もない会話すらない。
そうして二人が黙って通りを歩いていると、後ろから何か騒々しい音がしてきた。雷がいくつも鳴り響いているかのような、すさまじい音。二人はその鼓膜に響く騒音にたまらず後ろへと振り返る。すると何やら黒い流線型の物体が、暴走した馬車のような勢いでこちらへ飛んで来ていた。その大きさは小さな馬ほどであろうか。その上には背の低い少女が乗っていて、前のめりになりながらY字型の棒を握っている。
少女は人形のような顔をして乗り物を駆っていた。彼女は身につけている魔法使いのようなローブをバサバサと風にはためかせながら、地面スレスレをその奇妙な乗り物ですべるように飛んでいく。右へ左へ、暴れ馬を操るがごとく道行く通行人たちを巧みに避けながら、彼女は通りを猛進していた。
「どいて」
「うわあッ!」
「おおっと!」
少女はタクトたちを押しのけるように強引に道の端へどかすと、そのまま混み合う朝の通りを突っ切っていった。どかされたタクトとレイは後ろから疾走する彼女へと口々に「危ないじゃないか!」や「ぶつかったらどうするんだよ!」などと非難の声を上げるが、彼女はそんなことを無視して視界の端へと消えていく。そうして少女とその乗り物の姿が街の景色の中へと消えてしまうと、タクトとレイはいらだたしげな顔をしながら再び歩き始めた。
「まったく、あれはいったいなんだったんだ」
「さあ? だけど、村長さんが似たようなやつをすごく自慢してたのは見たことがあるよ。確か、エアバイクっていってたっけ」
「いや、乗り物のことではない。あの女の気配のことだ」
「気配?」
「そうだ、あの何かよからぬ気配……ただものではないな」
不意に立ち止まったレイは眼を細めると、少女が消えていった通りの先の方を見据えた。その顔は嫌に真剣だ。タクトはそんなレイを見て訝しげな顔をする。タクトは少女に対して、何も感じてやしなかったのだ。
「そうかなあ? まあいいや、行こう」
「ああ、そうだな。……悪いことが起こらなければよいのだが」
タクトとレイはそういうと歩くのを再開した。レイは何か嫌なものを感じたものの、タクトにはとりあえず黙っておく。今日はタクトが一人前の探索者として初めて大迷宮を探索する日、なので極力そういった話は避けたかった。彼女はふっと表情を緩めると、何事もなかったかのようにタクトと雑談を始める。
その後、タクトとレイは何事もなく通りを歩いて行った。そうして朝の通りを進むこと数分。不意に二人の視界が開けた。ビルが途絶え、二人の目の前に巨大な空間が現れたのである。彼らはようやく、大迷宮への入口がある中央広場へとついたのだ。
「ここが中央広場か……。すごいにぎわいだなあ!」
「うむ、広場全体が人で埋め尽くされてしまってるようだ」
中央広場は朝だというのにとても混み合っていた。だだっ広い広場の中に、すでに探索者たちをターゲットにした無数の露店が建ちならんで商品をあたりに広げている。その露店を探索者たちだけでなく近くに住む一般市民も利用しているため、その様子はさながら朝市のようだ。タクトとレイはその独特の迫力のようなものに圧倒されながらも、買い物客や探索者たちの間を縫って大迷宮へと向かう。大迷宮の入口は、広場のもっとも奥の神殿にあった。
数分後、二人は人にもみくちゃにされながらも神殿の前へとたどり着いた。彼らの目の前に、白亜の威容が現れる。神殿の蒼穹へと抜ける尖塔と、白い山脈のような三角屋根はタクトたちを圧倒的な存在感で威圧した。だが、二人はその大建築の威圧に決意を込めたまなざしを返す。そして彼らは、そこへと続く幅広の階段へ一歩踏み出した。すると二人の目になんとも意外なものが映った。
「あれ、さっきの子のバイクじゃないか?」
「本当だな。あやつ、探索者だったのか」
神殿のわきの馬車などが止められているスペースに、先ほどの少女のエアバイクが止められていた。タクトとレイはそれをとても驚いたような顔をしてみる。この神殿の利用者は探索者だけで、管理している神官たちは普段から揃いの神官服を着用するきまりとなっている。要は、あの小さな少女は探索者だったということだ。
二人はそのバイクをチラチラと横目で見ながら階段を上った。レイは底知れぬ気配を感じたものの、そのまま彼らはエンタシスの太い柱の間を潜り抜けて神殿の中へと入っていく。二人は白の中へ、霞むように消えていった。
こうして二人はいよいよ、大迷宮の探索へと出発したのであった。その先に何が待ち受けるとも知らずに――。
苔むした石造りの通路に湿気が満ちている。低い天井にぼんやりとした灯りがともっているが、あたりはうす暗く空気はぬるい。通路はそれほど広くはなく、どこか緊張感にあふれていた。ここは大迷宮第一階層。深淵へと数百階層にもわたって続く大迷宮の始まりの階層であった。
その第一階層の端。下へと続く階段からはるかに外れ、地図ができた今では全く人がこないであろうそこを一人の少女が歩いていた。人形のように秀麗で、なおかつ氷のように無表情なその顔は見まごうことなくさきほどの少女だ。彼女は通路の壁を手にした杖でしきりに叩きながら、何かを捜しているかのようにあたりを見回している。コンコンと心地よい音が、あたりに響いていた。
「このあたりにあるはず……。ん?」
音の調子が変わった。よく通る澄んだ音から、ボコボコと大木でも叩いたかのような鈍い音へと。少女はすぐさま杖を構えなおすと、音が変わった部分を力いっぱいに叩いた。響く風切り音。少女の背丈ほどもある杖が大きくしなる。その小さな体に似合わぬ腕力で振るわれた杖は壁を揺らし、通路を震わせた。太鼓を打ち鳴らしたような音と鈍い衝撃が大気を揺らす。すると驚いたことに壁の石があっさりと崩れ落ち、中から黒い輝きが現れた。石壁だと思われていた壁は、実は金属の壁に石をはったものだったのだ。
「あった。でもこれじゃ入れない……」
少女は継ぎ目一つない金属の壁に溜息をついた。壁の向こうへ行くための何らかの仕掛けのようなものは全く見当たらない。さらに、黒い光沢を放つ壁は表面の石が崩れ落ちたにも関わらず傷一つなかった。尋常ならざる硬度と強度を合わせ持っている壁のようである。おそらく、並みの攻撃ではせいぜい表面に傷をつける程度だろう。
少女は仕方ないとばかりに肩をすくめると、壁から距離をとった。通路の中央付近に彼女は立つと、魔力を練り上げ始める。少女の杖の先に膨大な魔力が集まり始め、バチバチと発光を始めた。点滅する白光、火花を散らせる大気。先ほど崩れ落ちた石のかけらが不気味に浮かび上がり、宙を漂いはじめた。魔力が重力をも狂わせはじめたのだ。
そのとき、少女の後ろに影のようなものが現れた。人の形をしたその影は、膨大な魔力の荒れ狂う中においてなお圧倒的な存在感を放っている。その正体が少女を主とする強力な――おそらく英雄級の――守護霊であることは明白だろう。少女はその気配を感じるとにやりと笑い、蒼い炎のような魔力に包まれている杖を振るった。
「スキル発動! 月影の煌きは裁きの矢!」
少女の杖から光の球が空中へと高く浮かびあがった。その様はさながら魔性の月。その冷たい白光とともに、淡い金色に輝く弓矢が舞い降りてくる。少女の後ろの影はそれを受け取ると、矢を番えた。弓が一気に引き絞られ、一瞬の静寂があたりに満ちる。降り注ぐ月光が煙のように矢へと吸い込まれていき、矢じりが黄金色に輝き始めた。少女の目元がにやりと歪む。
矢が放たれた。月光のもつ魔力を一身に受けた矢は、金色の炎に包まれながら宙を裂く。その速さ、まさに神速。矢は刹那より早く壁へと到達し、それをいともたやすく穿った。それと同時に矢の内に秘められた膨大な魔力が解放されて大爆発が巻き起こる。炸裂する閃光、爆風。光の洪水が巻き起こり、突風があたりを薙いでいく。
少女はその中でも太い柱のようにどっしりと立っていた。爆風が吹き荒れようとも、彼女の体はみじんも揺らがない。その目はどこまでも達観したように、矢が刺さった壁のあたりを見据えていた。
そうしてしばらくたち爆発が収まると、金属の壁には人一人入れるほどの巨大な穴が開いていた。少女は満足げにうなずくと、その暗闇の中へと消えていく。彼女が消えた後にはぽっかりと空いた穴だけが残されていた。強大な魔物の巣食う、迷宮の隠された場所へと通じる穴が。これはちょうど、タクトたちが大迷宮へ入ってしばらくたった後のことであった――。