第一話 探索者ギルド
「ほえッ? 初心者迷宮をもうクリアしたんですか?」
夕暮れ時、そろそろ迷宮帰りの探索者たちで混み合ってきたギルドの受付。そのカウンターの中で、受付嬢のミリアは素っ頓狂な声を上げた。彼女はそのまま真ん丸な目で、すぐ前の少年の顔を良く確認する。青い瞳がズイッと時間をかけて少年の顔を一巡した。だが、それはどうみても顔見知りの新米探索者であるタクトのものだった。
彼がこんなに早く初心者迷宮クリアの報告に来るとは、ミリアは全く想定していなかった。別に初心者迷宮のクリアに要したひと月という時間は、探索者全体として見れば異様に早いわけではない。天才と呼ばれるような人種になると、十日足らずでクリアするような者もいる。だが、この『タクト』がこの期間でクリアしてきたのは驚異的すぎるといえた。
「あの、結晶を確認させてもらってもいいですか? もしかしたら間違いかもしれないので」
「いやだなあ、さすがの僕でも間違わないよ! ほら、これを良く見て」
タクトはポーチからゴロっとキッズドランの死骸痕から採集した結晶を出した。ミリアはそれを素早く手に取ると、あわてた様子で棚から虫眼鏡を出して確認する。するとそれは確かに、初心者迷宮の主であるキッズドランの結晶に間違いなかった。
時が緩やかに静止した。ミリアの顔は驚きに顔を染めて、大きく息を吸い込む。その視線は刃のように鋭くなりタクト、いや、正確にはその後ろにぼんやりと浮かぶレイに注がれた。
レイたち守護霊というのは、探索者にとって極めて重要な存在である。探索者一人につき一柱ずつ必ず憑く彼女たち守護霊の力の高低は、探索者自身の実力にも直結してくるのだ。守護霊の力が強くあればあるほどその加護を受ける探索者の力は伸びやすく、同じレベルに分類される人間でも能力が大幅に異なってくる。なかでも生前に英雄といわれていたような強力な守護霊は「スキル」と呼ばれる固有の魔法までも保有しており、その力は絶大。憑かれた探索者は成功を約束された存在だといっても過言ではないほどだ。
一方で、レイは守護霊の中でも最弱と呼ばれるような存在だった。ギルドで召喚の儀式が行われたときに、何人かの職員とともにミリアが自身でその能力を計測したので、それは確かな情報である。加えて困ったことに、レイは守護霊が力を発揮するために必要な名前をはじめとする生前の記憶をほとんど失ってしまっていた。ゆえに、ここ数年間でもっとも出来そこないの守護霊。それが弱い能力値でさらに名無しの守護霊であるレイについての、ギルド職員たちからの密かな評価だった。その守護霊が憑いているタクトについての評価も「ここ数年間で最も才能のない探索者」となっている――。
(一か月でよくクリアできたものね……。ダメダメ探索者だと思ってたけど、意外とできるのかな?)
ミリアは内心でタクトたちの意外な実力に舌を巻くと、期待で瞳をキラキラと輝かせている二人へと視線を戻した。彼女は紅い結晶をひとまず引き出しの中にしまうと、フウっと大きく息をつく。そして彼女は祝福の意味も込めて、自身にできるだけの笑顔を二人に見せた。
「結晶は間違いなく本物でした。おめでとうございます、初心者迷宮クリアです!」
「やった! これで僕も一人前の探索者だ!」
「ふふ、本当によかったですね」
タクトは拳を握りしめると、跳びあがらんばかりに喜んだ。彼のまだ幼さの残る顔に満面の笑みが浮かぶ。すると、その喜びに震える肩に後ろから白いほっそりとした手がかけられる。タクトが驚いて振り向いてみると、そこにはふむふむとうなずいているレイがいた。
「よかったな、だがこれからも精進するんだぞ。むしろ今からが本番なんだからな」
「むう、レイさんに言われなくてもわかってるよ」
「ならよいのだが」
「それ、なんか引っ掛かる言い方だなあ……」
タクトは少し不満げな表情になった。二人の間に、わずかながら微妙な空気が流れる。だがしかしすぐにタクトが破顔一笑して、二人は元のやわらかな雰囲気へと戻った。そこへすかさず、ミリアが声をかける。
「えっと……今から一般探索者用のカードを新たに作ります。なのでタクト君、こっちへ来てください」
「はーい」
ミリアはタクトをカウンターの中へと呼び寄せると椅子に座らせた。彼女はカウンターの下にしまってある角ばった機械からケーブルを引っ張り出すと、その先端に取り付けられているリングを座っているタクトの手に装着する。これはエナジースコープと呼ばれる最新鋭の計測機器で、これを取り付けることにより対象者のだいたいのレベルを把握することができる。
レベルというのは、魔力・気・霊力の三つのエネルギーを合計した値を言う。探索者は迷宮内の魔物を倒す、または過酷な鍛錬を積み重ねることによりこのレベルを上げることができる。技などもあるので絶対的とは言えないが、一般的にはこのレベルが高ければ高いほど強い探索者といえた
「おっ、出てきましたね。どれどれ……」
エナジースコープの上部に取り付けられているディスプレイに、さまざまなデータが三次元的に表示されては消えた。そのあとカシュッと空気が漏れるような音がして、一枚のカードが吐き出される。ミリアはそれを手で受け止めると、顔の前に持って行った。すると、彼女の顔がみるみるうちに曇っていく。まるで、見てはいけないものでも見たかのようだ。
「……タクト君、ちょっと向こうでお話しがあります。レイさんも一緒に」
「おっ、お話? 別に話すことなんてないんじゃ……」
「わ、私は関係ないぞ?」
「人がお話ししよう、といったときは拒否しないものですよ?」
ミリアは眼を細め、二人を睨みつけた。氷のような視線というのはこのことを言うのだろうか。ミリアの殺気だった視線は、吹雪に包まれたかのような感覚を二人に与えた。二人の心の中を冷たい風が吹き荒れ、背中をなにやら嫌なものが伝う。彼らはたまらず背筋をただすと、黙って首を横に振った――。