第十話 路地裏の陰謀
「愚者の剣?」
タクトは少しばかり不思議そうな顔をして、老人に聞き返した。まったく、聞き覚えのない剣の名だ。すると老人は、フウと大きく息を吸い込む。タクトとセナの間に、にわかに緊張が走りぬけた。戦慄する空気。その中で老人は少し意気込むように口を開くと、淡々と重い口調で話し始めた。
「愚者の剣というのは、その剣の俗称だ。その剣が選ばれし者以外には見えぬことから名づけられたものじゃ」
「選ばれし者にしか見えない剣。そんなものって……」
「わしも正直、それを手に入れた時はだまされたと思っておったわい。その剣はずっと昔、なじみの客が借金の形として置いて行ったものでな。その後、客自身が消息不明になってもうたので返すわけにもいかず、仕方なくそこに置いておくことにしておいたのじゃよ。じゃが……」
老人は一旦そこで話を切ると、タクトの目を睨んだ。そしてもう一度、ゆっくりと大きく口を開く。
「もう一度聞く。おぬし、本当にその剣が見えるのか?」
「はい、見えます……」
「ううむ……。となると、おぬしはやはりあの無名の騎士の後継者ということになるのう……。ちょっと信じられんわい」
「なに? その無名の騎士って?」
セナが訝しげな顔をして老人に尋ねた。すると老人は、「ふむ」とうなずいて奥へと消えていく。しばらくして、彼は小さな椅子を三つ抱えて現れた。老人はそれを二人の前に並べると、自身もその一つにどっかと腰かける。
「座るがよい。この話は、ちいとばかり長くなりそうじゃからの」
タクトたちは老人の促すまま、椅子に腰かけた。老人は二人が椅子に座ったことを確認すると、何かを思い出すような目をする。どこか物憂げで、真剣な目。タクトたちは、老人の目に深い何かを感じた。
「お前さんたち、迷宮がなぜできたのか知っておるか?」
「さあ? いつの間にかあったんじゃないんですか?」
「私も、迷宮ができた経緯については聞いたことがないわ」
「やはり、今の若者では知らぬか。実はな、迷宮という物は遥か古の世に人の手によって生み出されたものじゃと言い伝えられておる。なにぶん古い言い伝えでな、今となってはギルドの記録にすらほとんど残っておらんのじゃがの」
「あの迷宮が人の手で? ありえないわよ」
セナは露骨に顔を歪めた。彼女は眉をへの字に曲げると、疑わしげな視線を老人に注ぐ。迷宮は人知を超越した謎の建造物。それが太古の昔に人の手で生み出されたなどとは信じ難かった。すると老人は芝居がかった大仰な動作で天を仰ぐ。
「本当じゃよ。あの迷宮はとある男……いや、女かもしれん……がこの世界にはびこっていた魔族の王を封印して、生み出したものなのじゃ」
「魔族の王って、どこぞの物語じゃないんだからさ。そんなものいるわけないでしょ!」
「それがいたのじゃよ、大昔には実際にな。古い言い伝えだと名前は確か、大魔王ガーンといったかのう。悪行の限りを尽くし、この世を支配するに飽き足らず世界の理のすべてを支配しようとした恐るべき化け物じゃ」
「世界の理のすべてって……ずいぶんとスケールでかいわね……」
セナは半ば溜息のように言葉を漏らした。その顔はあきれ顔だ。しかし、そんな彼女の言葉を聞いた老人は何故か目を輝かせる。
「ああ、なにせ大魔王じゃからの! かっこよくてすごくてスケールが大きいのは当然じゃ!」
「……」
「……おじいさん、あなたがその大魔王とやらが好きなことだけはよくわかったわ」
老人顔がわずかにうつむけられた。彼は小声で「ロマンがわかっとらんのう……」とぼやく。だがすぐにまた気を取り直すと、大きく咳払いをして二人の方を見た。
「……ごほん! 話をつづけるぞい。とにかく大昔、すごーくつよい大魔王がおったのじゃ。それでその大魔王を封印したのがさっき名前を出した無名の騎士であり、そのものの愛用しておった剣がその愚者の剣というわけなのじゃよ」
「なーるほど、結構面白い話じゃない。それで、その剣が見える人は無名の騎士の後継者になれるってわけね。まるでどっかの勇者伝説みたいだわ」
「そういうことじゃの。実際には愚者の剣は『混沌より出でしこの世の理を超越した剣』などといわれておるから、そこらの聖剣などよりも上なのじゃがな」
「ますます面白いじゃない! ねえタクト、その剣を抜いてみてよ。なんかすごいことが起こりそうだわ!」
セナはどこか興奮したような口調で、タクトの方を叩いた。その目はさきほどまでとは違ってキラキラとしている。タクトはそんな彼女にウンとばかりにうなずくと、椅子からゆっくりと腰を上げた。
「よし、ちょっと抜いてみようか――」
タクトが剣を引き抜こうとしていたその頃。二人の後を追っていたはずのレイは道に迷っていた。路地裏で急に速度を上げた二人を見失い、それ以来、二人を捜してどんどんと路地の奥へと迷い込んでしまったのだ。迷宮都市の路地裏は複雑に入り組んでいて、慣れたものでないと文字通り遭難するということがありうる。レイも今まさに遭難しつつあった。
「困ったな……。どこへ向かえばよいのだ?」
レイはぼそっと呟くと、とりあえず適当に移動するのをやめた。彼女はその場で立ち止まり、感覚を研ぎ澄まして人の気配を感じてみる。守護霊として彼女の感覚は非常に優れているので、近くに人がいればこれでわかるはずだ。すると――。
「うぬ? あちらの方からおかしな音がするな。行ってみるか……」
風に流れて聞こえてきた、わずかな音。それは爆発音のようだった。連続してドオン、ドオンと物騒な音が彼女の耳に流れ込んでくる。その音にただならぬものを感じたレイ。彼女はスッと音の聞こえてきた方へと身体を向けると、そちらへと飛んだ。
風を切るレイの耳に、なおも爆発音は飛び込んでくる。しかも、それはだんだんと激しさを増していた。彼女は速度を上げて、その音がする方向へと飛ぶ。道端の砂を巻き上げながら、レイは細い路地を突っ切っていった。
それからしばらくして、宙を駆けるレイの目に奇妙な集団の姿が飛び込んできた。全員が闇色のローブで身を隠し、銀に輝く異形の仮面をつけた魔法使いと思しき集団だ。彼らは奇妙な刻印を刻んだ手に大振りの杖を持ち、次々と色とりどりの攻撃魔法を放っている。その光条の向かう先には、全身から血を流した人間の姿があった。その人間は手足に鎖のような光の輪がつけられていて、身動きが取れないようにされている。一方的に攻撃を加えているそのさまはまるで、処刑のようだ。
「な、何をしている!」
「また邪魔者か……」
「我らを阻むものは、すべて消さねば……」
魔法使いたちは一旦、攻撃の手を止めるとレイの方を見た。悪意にあふれたような醜悪な造形の仮面。それがいくつもレイの方に向けられる。レイはその異様なまでの迫力に気押されて、一歩後ろへと下がった。だが、それ以上後ろへは下がろうとしない。するとその時――。
「逃げろ……。レイ、逃げるんだ……。そいつらは正真正銘の化け物だぞ……!」
「エリシア!?」
魔法使いたちに一方的なまでの攻撃を受けていた人間。それはなんと、エリシアであった――。