第八話 召喚具
魔力灯があちこちで煌々と灯り、夜だというのに昼のような迷宮都市。そのネオンが光る通りを、タクトとセナはふわふわと浮ついた足取りで歩いていた。彼らの顔はだらしなくにやけてしまっていて、眼が危ない。意識がどこかにトリップしているかのようだ。道行く人々は二人の様子にただならぬものを感じて、彼らのことを自然と避けていく。そんな二人を後ろからスーッとついて行くレイは、どこか心配そうな顔をして見守っていた。ただし、二人が受け取った報奨金はすでに口座に振り込んであるのでそこまで心配する必要もないのだが。
「うーん、お金何に使おう? 維持費のこと考えると家とかを買うには中途半端な金額だしねぇ……。やっぱり武具かなぁ。でも、新作のバッグとかも欲しい……」
「宿代はある程度先払いしておくにしても、そのあとどうしよう? 思い切って魔法武器とか買っちゃおうかな。でも、無駄遣いは駄目だよな……」
二人は上の空でお金の使い道を呟きながら、通りをゆっくりと進んでいった。やがて、彼らの前に分かれ道が現れる。その時、すっかり落ち着きを取り戻していたセナがタクトの方を振り向いて言った。
「私は左に行くけど、タクトも左?」
「いや、僕は右だよ」
「そっか。じゃあここでお別れね」
「うん、それじゃまた今度」
タクトはセナに手を振ると、さっそく彼女から離れて宿へと続く道を歩き始めた。だがすぐに、彼の後ろから大きな声が響く。驚いたタクトはさっと振り向く。すると、そこには少々怒ったような顔をしたセナが立っていた。彼女はツカツカと足を踏み鳴らしながら、タクトの方へと迫ってくる。
「ちょっとちょっと! あんた、連絡先も教えずにいなくなるつもり?」
「ああ、そっか! ごめん」
恥ずかしそうに頭をかくタクト。彼はセナからメモ帳とペンを借りると、自分の泊まっている宿屋の場所と部屋番号を記入した。彼はそれをそっとセナに返す。彼女は神を満足げな様子で受け取ると、ついでにメモ帳を破ってタクトに手渡した。小さくちぎられたその用紙には、どこかの住所と番号が記されていた。
「ん、ありがと。それ、私の宿屋の住所と部屋番号よ。大事にしてね」
「もちろん、大事にするよ」
「ふふ、それはよかったわ。……さっそく何だけどさ、タクトって明日暇?」
「暇と言えば暇かな。今日はちょっと無茶したから、明日は探索を休むつもり」
キラリ、とセナの瞳の奥が輝いた。彼女はわずかに口元を歪めると、猫のようにほくそ笑む。
「だったら明日一日、私の買い物につきあわない? この際だから、武器とか防具とかを全部ランクの高いやつに買い替えたいのよ。あんたもどうせそうするつもりでしょ? どうせだったら私と一緒にお買い物しない?」
「うーん、わかった」
「よし、それなら明日の九時に聖女像前で待ち合わせよ! 遅れないでね!」
それだけ言い残したセナは、足早に走り去っていった。彼女の背中を、笑顔で見送るタクトとレイ。こうして三人は、ひとまずそれぞれの宿屋へと帰ったのであった――。
翌朝。日はすっかりと昇り、人であふれかえる迷宮都市。その商店が立ち並ぶ一角を、タクトは勢いよく走っていた。レンガに派手な足音を響かせながら、彼は通行人をかき分けていく。その顔は青く、額からは運動で流れるのとはまた少し違う汗が流れていた。その後ろからは、これまた焦った顔をしたレイがついて行く。その手には、鈍い銀色をした懐中時計が握られていた。
「レイさん、今何時!」
「八時五十五分! やばいぞ!」
「うわっ!」
レイの言葉に俄然、青ざめるタクト。このままのペースで走れば遅刻間違いなしだ。もし遅刻などしようものなら、セナの性格的にろくでもないことになるのは間違いない。彼の顔の青みが一気に増した。
「仕方ない、憑依して!」
「もうっ、しょうがないな!」
スウッとタクトに吸い込まれるレイの体。同時に、タクトの足がピッチを上げる。急激にスピードを増す体、唸る風。速まる世界の中で、タクトは止まったように見え始めた通行人の合間を流水のようにスルリスルリと抜けていく。聖女像のある東広場まで四百、三百、二百……。信じられない早さで距離が縮まり始めた。
数分後。流れていく視界の先に、純白の石像が見えた。たおやかな女性を象るその像は、間違いなく聖女像である。タクトは視線を走らせると、近くにセナがいないかどうかを確認した。すると、桃色のポニーテールを風に揺らした女の子の姿が目に飛び込んできた。昨日、迷宮内であった時とは違って都会的でカジュアルな服に身を包んでいるが、間違いなくセナだ。しかも幸いなことに、まだいら立っている様子はない。
「ごめん! 待った?」
「ううん、待ってないわ。私もいま来たとこ」
「そう、よかった」
「じゃあ早速、買い物に出かけ……」
声が止まり、セナの笑顔が石のように固まった。彼女の視線の先には、モヤモヤとタクトの身体から立ち上る霧のようなものがある。その不可思議な霧はだんだんと人型になっていって、セナにぺこりと一礼した。憑依していたレイが現れたのだ。すると、セナの顔から驚きが抜けていき、代わりに明らかな怒りが現れる。
「なんでレイさんがついて来てるのよ!」
「うぬ? ついて来たらなにかまずい事情でもあったのか?」
「大ありよ! 空気読みなさい!」
「なんでレイさんがついて来たら駄目なの? 別にレイさんは買い物の邪魔なんてしないよ。むしろ、いろいろ言ってくれる分いた方がいいんじゃない?」
「あんたらって……二人揃ってホント鈍いわね」
セナは大きく息をつき、肩を落とした。その目には驚きと呆れが浮かんでいる。これだけ鈍い人間を、彼女は久しぶりにみたような気がした。ゆえに大きな衝撃を受けた彼女はじっくりと時間をかけて再起動を果たす。そして、とてもゆっくりとした強い口調でタクトたちに告げた。
「……ともかく、レイさんにはお引き取り願いたいわ。召喚具に入ってもらってよ」
セナはいらだたしげに、自分の腕を示して見せた。そこには細めのブレスレッドのようなものがはめられている。これが、セナの召喚具だった。
召喚具というのは、現世における守護霊の家のようなものである。守護霊を外に顕著させていると術者にも守護霊自体にも負担がかかるため、特殊な結界を持つ召喚具の中に入っていてもらうのだ。この道具はすべての探索者に必須といえるもので、たいていの探索者は憑依させている時以外、一日中守護霊をこの中に入れている。セナ自身も、守護霊を外に出しておくことはほとんどしないタイプの探索者だ。しかし、タクトは――。
「召喚具? うーん、そんなの僕は持ってないや」
「嘘!? あんた守護霊をずっと出しっぱなしにしてるの?」
「まあ、そういうことになるね」
「ホントに? 二人とも、よく身体が持ってるわね……」
セナは疑わしげな眼をした。守護霊を現世に出しっぱなしということは、ずっと睡眠をとらないでいるようなものである。短期的にはまったく問題がなくても、一日二日と長期にわたって続けていれば絶対に守護霊や探索者の身体が支障が出る。だが、タクトもレイもすこぶる健康そうでそんな様子は全く見られない。とても、そんなことをしているようには思えなかった。
疑わしげな視線を強めるセナ。どこか冷たいまなざしが、タクトとレイに降り注ぐ。するとレイが、たまらず口を開いた。
「事実なんだから仕方ないだろう。今日のところはタクトから離れてどこかへ出かけるから、それで勘弁してくれ」
「やった! レイさん、ありがとね。それじゃタクト、出かけるわよ!」
セナはレイの言葉に一気に顔をほころばせると、タクトの手を引っ張っていった。タクトはそんな彼女に引きずられるように連れて行かれる。そうして二人の姿は都会の雑踏の中に消えていった。すると、一人残されたレイは何か不満ありげに唸る。
「むむう……。タクトが女の子と二人で買い物、いやデート……。どうしたものか……」
ぶつぶつと何かをつぶやきながら、あたりをフラフラと飛びまわるレイ。彼女はしばらくすると、タクトが消えた方へとゆっくりと進み始めた。どこから入手したのかは分からないが、まったく似合わないサングラスをかけて――。
※加筆修正しました